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悪魔と共に生きる私

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


一日一日とバレンタインが近付いてきますね。

私もカレンダーとにらめっこしながら、絶賛創作うちのこバレンタイン絵を製作中です。

箱推し(ユリイズ2人)を応援してくださる人、イサベルの可愛さを絶賛してくださる人、ユウリの美しさを褒めちぎってくださる人、私自身を励ましてくださる人に向かって、普段のお礼ができればいいなと思います。


昨日、主治医とのカウンセリングの日だったのですが、私が以前言われて、どちらかというと落ち込んでいた言葉が、まるで私自身を褒めてくださっているような、そんな感覚を実感したのです。



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スピリチュアル関連にご興味のある方は「タロットカード」という単語を、一度は目にされた、聴いたことがあるかと思います。

そのタロットカードには、1年を12ヶ月にみて、それぞれの星座にあてはまる「ゾディアックカード」なるものが決まっているらしいです。

ちなみに、私の誕生月は1月で「悪魔」に該当します。


昨年辺りから、自己内省や自己分析のためにタロットカードやホロスコープなどを取り入れているのですが、どうしてもこの「悪魔」だけは、自分の中で納得いかなかったのです。

「悪魔」から連想されるものは、「自分勝手」「悪」「七つの大罪」等、言葉の響き的にも、文字の並びから見ても、嫌煙したいものが並びます。

人によっては恐怖や、近付きたくないと感じられる方もいらっしゃると思います。


私は、この「悪魔」を、そのまま捉えていたのです。

「悪魔だから、どんなに頑張ってもダメなんだ」

「同じ誕生月の人がいても、上手く適応できる人と、適応できない人がいて、私は適応できないから、ぽんこつなり損ない人間なんだ」

と、表面では自分を奮い立たせていましたが、内心こうした気持ちと葛藤していて、かなり長い時間をかけて向き合っています。

今でも、ふとした時に葛藤に巻き込まれそうになるのですが、前よりは堂々巡りすることもなくなってきました。


多分、私には効果があるのかもしれません。

新年に抱いた密かな抱負

「私は、悪魔になる」

という意識が、働き始めたのかもしれないと思っています。


「私は、悪魔になる」と聴いて、正直引かれた方もいらっしゃるでしょうけれど、続けます。

力が手に入るならなんでもいい、自分の思い通りになればなんでもいいといった、なりふり構わずな悪魔になるのはごめんです。

私が「悪魔」に魅力を感じるようになった一つのことが、「悪魔」と呼ばれるものが、一方で、どうして人の癒しになったり、励ましになったり、時には光にも勝る生きる力を授けてくれるのだろうかと、思ったのです。

具体的な表現が出て来ないのがもどかしいですが、世の中や世間が言う「悪」に救われている方が、実際にいるのです。

でも世の中が「悪」と言っている以上は、それは「悪」とみなされる。

そうした考えで考えていくならば、その「悪」に救われている私は「悪」であって、この記事をご覧になっているみなさんも「悪」になるのでしょうか。


「自分である物事が正しいと判断したり、決めて行動するのには、悪魔的な視点が必要になってくることがありますよ」

昨日のカウンセリングで、主治医が私にくださった言葉です。

私自身は、世の中が言うことが正しいから、私にも正しいとは限らないと思っています。

自分が住んでいる国であっても、地域であっても、一緒に住んでいる家族であっても「共にあるから、私にも良いものである」ではなく「共にあるから、選択し決断して良い」と言える空気になって欲しいです。

そう言えるようになるのには、全てを疑うわけではないですが、提示されている「よきもの」を、自分の目で確かめて見ていくことが必要になってくると思うのです。


「なかなか厳しいこと言うね」

「徹底して疑うね」

「そんなに疑ってみてたら、みんな疑わないといけなくなるじゃん」

それで結構です。

自分の身になるもの、糧になるものを見定めるのに、私には悪魔的な視点が必要です。

それは時として、自分の生を蝕む「正しい」と呼ばれる世界や思想から切り放し護ってくれる、頼もしい人生のお供になるのですから。



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トップ画像は すみれ様 からお借りしました。

ありがとうございました。


みなさんからのスキで、私も悪魔街道が進めそうです。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさんが、穏やかに過ごされますように。

クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。