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感情のエッセイ

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気持ちを込めて書いた文章
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#人間関係

土足で入ってこいよ

土足で入ってこいよ

コミュニケーションに飢えている。
それが偽物であっても、自分に向けられる好意(のようなもの)に安心感を覚えてしかたがない。

むかしからそうだった。不良のパシりに使われる時、そこに仮初めの暖かさがあるだけで惨めさと同じくらいの嬉しさがあった。自販機の前で財布をわすれて困ってるやつに奢ったことすらある。たった120円で友達のような気になれるのだから、安いもんだった。

「ナメられる」というのは僕にと

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種を誇ってなんになる

種を誇ってなんになる

思えば幼ないころから気が長かった。

とっくみ合いの喧嘩なんてしたことがないし、理不尽を投げつけられても黙って泣くだけだった。
お母さんに気持ちを受け止めてもらうことはあったけど、誰かにストレスを思いきりぶつけたことはない。

ただの臆病者ってだけなんだけど、昔からずっと「やさしい子」と言われ続けてきた。
気づけば短気な人を見下してしまっている。でも、そもそも僕は頑張ってこの気の長さを獲得したわけ

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優しくなんて

優しくなんて

あなたってなんでそんなに気が短いの?
そんな風に、人が怒っている姿を見ることがある。

自分だってそうだ。
なんでその程度のことが許せないのとか、なんですぐ雰囲気悪くするのとか。
そんな風に、水面下でいろんな人を見下しながら生活している。

ストレスというのは肌で伝わる。
近くに苛々している人がいる時、自然と空気は流れを止め、ただ物体が動いているだけの空間となる。

この息苦しさを産み出したあなた

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あなたとわたしであるように。

あなたとわたしであるように。

何事にも初心というものがある。介護職についてもう9年近くなるけど、あの頃と今では想いの色や形は変わってしまっている。

入職前に通る資格講習の中で、介護士の卵たちは暖かく理想的な理念を叩き込まれるもので、僕も例に漏れなかった。

「どれだけ認知症がすすもうが、感情は残る」「何も言わず、表情が変わらなくても、その老人は感じている」

「どんな姿になろうが、彼らは人間だ」

この教育のもと、卵は現

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