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#ショートストーリー

無言の恋人

無言の恋人

荒い質感の肌が私の手の甲に触れた。満員電車のなか息苦しくもだえながら、こんな老体がその一員に加わってしまっている申し訳なさに体も心も小さくなっている時のことだった。

普通、こんなすし詰めの状態で手が触れあった程度で謝ることはない。それでも彼は私に接触する度に「すみません」と消え入りそうな声で言ってきた。
そのうちに少し乗客が排出され空間が生まれても、彼は離れることはなかった。二の腕や甲同士が触れ

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すまほといっしょ

すまほといっしょ

目が覚めると知らない駅についていた。先ほどまで溢れていた乗客はすっかり消えて、一人だけ。俺が間抜けに寝過ごしているのみだった。

ハッとして立ち上がる。遅刻だ。連絡をいれなくては。いや、すでに無数の着信履歴があるに違いない。慌てて鞄を探るが、一向に携帯が見つからない。

鞄の中身をひっくり返そうとしたところで、「にゃー」と鳴き声が聞こえた。

見れば、向かいのシートに猫が座っていた。木製の名札を

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ヴィクトリアと呼んで。

ヴィクトリアと呼んで。

その夢の中で、僕は一人の女性になっていた。



嵐の夜。荒れる海。沈みゆく船の上で、私は倒れていた。

隣には男がいる。老人だ。ボロボロの姿であり、今にも命が終わるようだ。
その全てを諦めたような姿を見て、私は思い出した。

そうだ。ずっと一緒に旅をしてきた。彼の愛する女性ーヴィクトリアを探して。
私は彼が好きで好きでたまらなくて、報われぬ覚悟のもと、ついてきたのだった。

嵐は暗い海に打ち付

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夢の教室

夢の教室

自分のことが嫌い。
ぶくぶくと太った体。何度捨ててしまいたいと思ったかわからない。ぐちゃぐちゃで醜い顔は、自分の心まで汚いように思えてしまう。

鏡で自分を見るたびに、ため息を通り越して怒りが込み上げる。耐えられなくなって、鏡の中の顔を思いっきり殴ってしまったことだってある。結局鏡は割れずに、拳から血が出ただけだった。痛くて痛くてたまならなくて、それなのに、誰もいない中我慢していた。その時に映った

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