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エッセイ | 歴史の視点


 私は歴史の専門家でもオタクでもありませんが、思考を整理するために、日頃考えている歴史との向き合い方について書いてみます。


①その時代に身を置いてみること


 歴史とは、基本的に過去に起こった出来事を扱います。歴史を見るとき、少なくとも2つの視点が必要だと思っています。

①現在の視点から過去の出来事を考察するということ
②その出来事が起こった当時の人々の身に自分を置くということ


https://www.japanserve.com/nihonshi/n-reki-060-haibutsukishaku.html

https://www.webchikuma.jp/articles/-/2434


 たとえば、「廃仏毀釈」という、仏像を破壊したり、仏教的な価値観を捨ててしまおう動きが明治維新の頃にありました。

 現在の視点のみから見れば、価値ある仏像が数々破壊されたことは愚かな蛮行としか見えないことでしょう。
 私自身も非常にもったいないことだったと思っていますが、歴史の流れの中では、必然だったのではないか?という思いももっています。

 江戸幕府が締結した、1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約という不平等条約の中で取り決められた「領事裁判権を認める」「関税自主権がない」ということを解消するまでには、およそ50年かかりました。
 その中で、鹿鳴館に代表されるような欧化政策がとられたこともありました。廃仏毀釈という運動も、そういう歴史の流れの中で起こった出来事です。

 もしもあなたがそういう時代の中に生きていたとしたら、身の危険もかえりみず、仏像を破壊する人々を止めに入ることができたでしょうか?

 自分とは直接的には無縁な出来事に関しては、後知恵的にいくらでも批判できますが、一方的に「廃仏毀釈は悪だ」と現代にいるあなたが言うとき、自らがその現場にいたとしたら、身をていして抗議することができたかどうか、と考えてみたほうがよいでしょう。

 廃仏毀釈的な出来事は現代においても起きています。

https://www.isan-no-sekai.jp/column/7979

 2001年、タリバンによって、バーミヤンの大仏が破壊されました。
 そのとき、あなたは、たとえどんなに些細なことであったとしても、何か具体的なアクションを起こしたでしょうか?
 「廃仏毀釈が悪だ」という主張をしておきながら、結局なにもしなかったという人が大半なのではないでしょうか?


②一次史料にあたれ!


 歴史に関するエッセイや歴史小説を読んだり、大河ドラマを見て歴史に関心を持つことはよいことです。
 しかし、それをあたかも「事実」であるかのように無批判に受け入れることは、歴史という学問への敬意が足りない態度と言えます。

 ある時代の歴史に関心を持ったなら、「一次史料」にあたってみることが必要不可欠でしょう。
 もちろん、いきなり一次史料にあたっても概略がつかめないので、一般向けに解説した「二次史料」「三次史料」を読むことはあります。しかし、原典にあたらないで二次史料の内容を受け入れることは危険です。

 また、バランスをうまくとることも大切です。愚管抄だけ読む、神皇正統記だけ読む、というのではなく、少なくとも両方読んで考えるということは大切です。
 


③唯一の真実があるという信念と、すべての真実は相対的であるという信念を持つこと。


 歴史であれ、自然科学であれ、唯一の真実があるという信念がなければ、真相究明したいとは思えないでしょう。
 しかし、歴史の場合は、完全に客観的に色眼鏡をかけずに物事を見ることは、なかなかできることではありません。

 どんな人でも必ず何らかの「色眼鏡」をかけて歴史を見るものです。
 大切なのは、たった1つの色眼鏡をかけて物事を見るのではなく、少なくとももう1つの色眼鏡にかけかえて物事を見るというスタンスをもつことです。

 ユクスキュルの「環世界」ではありませんが、いろいろな環世界を受け入れることが歴史を学ぶ上で重要だと考えます。


④歴史を考える上で、読んでおきたい書籍


ユクスキュル「生物から見た世界」

https://note.com/piccolotakamura/n/n49ce530f2161


山内昌之「歴史とは何か」


E.H.カー「歴史とは何か」


内田義彦「社会認識の歩み」


トルストイ「戦争と平和」


高坂正堯「文明が衰亡するとき」


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