シェア
PATCHWORKLIFE
2020年6月15日 00:06
子供の頃からボクはかなりヤンチャで、毎日のようにケガをしていた。毎週土曜日は、親友の大輔の家でピアノ教室があって、ボクは大輔たちと一緒にピアノを習っていた。その時間の前は、いつも大輔の家で遊ぶのが恒例で、その日も大輔と大輔の妹の3人で、自転車で坂を下って遊んでいた。その日は雨がパラパラ降っていた。ボクはかなりふざけていた。大輔→大輔の妹に続いて坂を下ろうとした時に、普通に下
2020年6月2日 14:01
日本は、数回訪れた過渡期を経て、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が全面解除された。でも、白い巨塔内の状況は何も変わらない。相変わらずの重症度だ。「生きる」か「死ぬ」か。今日が「友引」かと思うくらい、次々に人が亡くなった日も数えきれない。24時間、心が休まる瞬間がない。毎朝7時前から教授回診は始まる。スタッフの絶対数が不足している状況で、このコロナの対応に追われ
2020年4月20日 12:39
「お前にはこの仕事は向かない」父親には、そう反対されていた。母親が自分の進学について何度も何度も父親に頭を下げてくれていたことを、知っていた。子供の頃はいつも鍵っ子で、いつも家に大人がいなかった。 両親共働きだった。本職以外にも、空手の師範をしていた父親は道場を抱えていたり、肩書きはひとつではなく、いろんな仕事をしていた。 入退院を繰り返していた祖父母の病院にも、母親は仕事を