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システマ 脱力とリラックスの大きな違い

システマの四原則のひとつに「リラックス」があります。ざっくり言うと、身体が緊張して力んでいたら本来の良い動きができないから、程よくリラックスしようねという意味です。しかし、このリラックスという言葉がくせ者で、ダラ~ンと脱力しているわけではなく、体内のパワーが全身に充実している自然な状態、みたいなイメージです。空気がパンパンに入った風船みたいな?

で、久々に対人トレーニングをしたら、身体から力が抜けきった完全ダラ~ンなふぬけ状態になっており、ありゃりゃと思った次第です。仕事とゲーム(ユニコーンオーバーロード)で頭だけ忙しく動いて、身体は空っぽで置き去り。心ここにあらず状態で毎日過ごして、すごく極端に表現すると首から上だけで生活していたことに気づきました。

これは認識および意識のズレで起きているように思いました。まず、リラックスという言葉の認識。一人トレーニングをするうちに、文字通り、体から力みを抜いてダラ~ンとするイメージになってしまっており、本来のリラックス(充実感のある状態)からほど遠い状態になっていました。
そして、意識のズレです。私は仕事柄、普段あまり身体を動かさないので、身体の中で使っていない部分、力が抜けている部分、意識できていない部分が多いです。しかし、抜けている部分は自分では気づけません。力んでいる箇所(首や肩、腰)を緩めようということに意識がいきすぎて、抜けている箇所がそのままなので、全身のテンションを均一な状態にできないのです。

身体を一つの風船に例えるなら、膨らんでる箇所と空気が抜けてしぼんでいる箇所がそれぞれあるみたいな感じです。身体の輪郭がない箇所があるというか。全身の中でテンションの濃淡の差が激しく、身体の輪郭が虫食いなので、輪郭が濃い箇所(首や肩、腰)を多く使い、そうでない箇所(太もも、脚、足など)は全く使っていない。全身でひとつの体なので、そんな状態ではどこかを痛めて当然ですね。

普段のトレーニングでは、自分や相手のテンションを捉えるワークをやりますが、とある日はその反対で、相手の脱力を捉えるワークをやりました。「テンションを捉えるか、脱力を捉えるか」はコインの裏表の関係なので、やろうとしていることは同じなのですが、自分のテンションではなく、自分の脱力に気づくというのが大きな発見でした。
具体的には、全身くまなく力むことでまずは抜けている箇所に気づき、そこから過剰に力んでいるところをならして全身のテンションの濃淡を均一にさせていくイメージです。そうすると、トレーニング終わり頃には身体にすごく充実感があり、両手両足にパワーがあるのがわかりました。

両腕をしっかり力ませて動くと、肩や背中など胴体部分には余計な力は入らないんだなと思いました。ということは、やはり全身均一に動かせていると肩こりとかなくなるんだろうか。知らんけど。

力み過ぎはよくないけど、力まないようにと意識しすぎると、パワーも何もない空っぽで空虚な心身になってしまうので、バランスが難しいなと思いました。でも、まずは全身力みまくるぞ、くらいの気持ちでよいのかな。

自転車のタイヤに例えるとイメージしやすいかなと思いました。前輪(上半身)のみ空気パンパンで、後輪(下半身)の空気が抜けているとガタガタして走りにくい。でも、空気が入りすぎてタイヤが破裂するのを恐れて前輪の空気も抜くともはや走れない。両輪ともに程よく空気を入れて張りが出れば地面に正しく力が伝わりスムーズに走れます。空気を入れる量や箇所、あるいは空気入れのネジを緩めたり締めたり、その調整みたいな感じですかね。

テンションとリラックスという言葉が奥深い。人の数だけ解釈がありそうです。そんなことを考えました。

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