あきなす
なぜJRが乗り入れない新開地が神戸電鉄の終着駅になったのでしょうか。 神戸高速鉄道の建設ルート策定を中心に、開業までの歴史を振り返ります。
過去三回の記事で、神戸高速鉄道設立までの経緯と当時計画されていた南北線の神戸駅への高架乗り入れ案を紹介しました。当時の資料を確認すると下の地図の赤線のように、…
前回からの続きです。 神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ① 神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ② 前回までの記事で神戸高速鉄道設立に至る紆余曲折、また神戸高速…
前回の続きです。 神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ① 昭和21年に神戸市委員会から出された神戸市高速度鉄道建設計画要綱によって、現在の神戸高速鉄道の原型が示さ…
神戸電鉄の終着駅、新開地駅。阪急・阪神・山陽各路線に乗り換え可能なターミナル駅です。しかし神戸有数のターミナル駅ではあるものの、他のターミナルにみられる百貨店…
1998年に週刊ダイヤモンドに「阪急電鉄が背負うバブルの重荷 数千億円土地開発計画の破綻」なる記事が掲載されました。この土地開発計画についてネット上でのうわさ程度…
これまでどのようにして関西空港が泉州沖に建設されることになったのか、その経緯を調べてきました。 いずれの案も興味深いものでしたが、計画としての内容は乏しく、…
昭和49年、紆余曲折を経て関西空港の立地は泉州沖が妥当との答申が出されました。しかし実際に着工されたのは昭和62年のこと。まだ空港建設には様々な困難が残っていまし…
前回の記事に引き続いて昭和40年代前半に検討されながらも、その後最終的な建設候補地選定の段階まで残ることのできなかった候補地について書いてみたいと思います。 阪…
ここまで関空建設予定地決定までの流れと、その主要な立地案について書いてきました。今回はすこし道を逸れて初期段階で脱落した案にも触れたいと思います。いずれの計…
後の成田空港となる首都圏新空港は一足はやく、昭和41年にその建設場所と規模が閣議決定されました。しかしながら、この建設予定地決定は、地方自治体や地権者との具体的…
もう一つの初期案 - 神戸沖 関空神戸沖案については他の案に比べると有名?な話のようで、ネット上でもいくつか記事を見ることができます。兵庫県、大阪北部の住民から…
高度成長の過程において伊丹空港の代替となる関西新国際空港建設が必要であることは明らかでした。新空港建設については、既に昭和37年の国連・日本政府共同での近畿圏整…
関西空港は本当であれば神戸沖に建設されるはずだった・・このような話を聞いた記憶があります。もともと鉄道好きであった私は、どのように空港アクセス鉄道が敷かれ、ど…
2021年5月8日 09:45
過去三回の記事で、神戸高速鉄道設立までの経緯と当時計画されていた南北線の神戸駅への高架乗り入れ案を紹介しました。当時の資料を確認すると下の地図の赤線のように、湊川から神戸駅まで高架線で乗り入れる計画となっていたことがわかります。 しかしこの神戸駅への高架乗り入れ案は反対意見が多くあり、結果的に現在の新開地駅への地下鉄での乗り入れで事業が進められます。今回は高架案への反対意見が出た背景と、最終
2021年3月27日 20:53
前回からの続きです。神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ①神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ② 前回までの記事で神戸高速鉄道設立に至る紆余曲折、また神戸高速鉄道設立時の計画について書きました。当時の計画では神戸電鉄の始発は神戸駅になるはずだったわけですが、この神戸駅乗り入れ案について当時の資料から具体的な計画を紐解いてみたいと思います。幻の神戸駅高架乗り入れ計画 すでに計画から60
2021年3月14日 18:13
前回の続きです。神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ① 昭和21年に神戸市委員会から出された神戸市高速度鉄道建設計画要綱によって、現在の神戸高速鉄道の原型が示されました。昭和27年には運輸省から東西線(阪急三宮・阪神元町~西代)の敷設免許が交付、分散していた私鉄ターミナルの連絡に向けた神戸高速鉄道建設はようやく動き始めました。 しかし、昭和27年当時に50億円とも言われた莫大な建設費負担か
2021年2月23日 20:33
神戸電鉄の終着駅、新開地駅。阪急・阪神・山陽各路線に乗り換え可能なターミナル駅です。しかし神戸有数のターミナル駅ではあるものの、他のターミナルにみられる百貨店等大型商業施設、超高層のオフィスビルなどは存在せず、駅前を見る限りターミナル駅とは想像もつきません。 また、各私鉄が乗り入れるものの、広範囲へのアクセスが可能なJRへの乗り換えもできず、神戸電鉄粟生線の廃線論議でもしばしばこの新開地とい
2020年7月11日 19:04
1998年に週刊ダイヤモンドに「阪急電鉄が背負うバブルの重荷 数千億円土地開発計画の破綻」なる記事が掲載されました。この土地開発計画についてネット上でのうわさ程度に聞いていたのですが、国会図書館に当時の週刊ダイヤモンドがあることがわかり、数年前に国会図書館へ行った際記事を確認していました。 掲載されたのは週刊ダイヤモンド1998年6月27日号です。バブル崩壊から癒えぬまま阪神淡路大震災という
2020年6月20日 14:11
これまでどのようにして関西空港が泉州沖に建設されることになったのか、その経緯を調べてきました。 いずれの案も興味深いものでしたが、計画としての内容は乏しく、せいぜい滑走路の計画図程度までしか見ることはできませんでした。そのためこの場所に建設をされていれば、このようになっていた・・といった類の話は、あくまで妄想の域を出ないのです。 しかしこの逆に、泉州沖に関西空港がなかったら・・という想定
2020年6月6日 16:09
昭和49年、紆余曲折を経て関西空港の立地は泉州沖が妥当との答申が出されました。しかし実際に着工されたのは昭和62年のこと。まだ空港建設には様々な困難が残っていました。空港反対の声 そもそも関西に新空港を建設するべきとの意見は、伊丹空港の公害問題に端を発した部分もあり、当時はそれだけ空港が迷惑施設と捉えられていたのわけです。その空港が規模を大きくして自分の住居の近くに建設されるとなれば、そ
2020年5月31日 10:27
前回の記事に引き続いて昭和40年代前半に検討されながらも、その後最終的な建設候補地選定の段階まで残ることのできなかった候補地について書いてみたいと思います。阪和県府境案 伊丹空港の混雑を目の当たりにした和歌山県議会議長の私案として公表された案です。和歌山県・市が調査をしていた記録は見つけられませんでしたが、和歌山の青年会議所がこの計画を推進していたとのことです。またその過程で専門家に依頼し
2020年5月24日 18:54
ここまで関空建設予定地決定までの流れと、その主要な立地案について書いてきました。今回はすこし道を逸れて初期段階で脱落した案にも触れたいと思います。いずれの計画も昭和40年代前半に検討されたものの、航空審議会での最終的な建設候補地からは漏れたものとなります。岡山県 錦海湾案 錦海湾は現在の岡山県瀬戸内市にある干拓地です。この地域にはかつて約500ヘクタール近い巨大な塩田がありましたが、昭和
2020年5月17日 20:17
後の成田空港となる首都圏新空港は一足はやく、昭和41年にその建設場所と規模が閣議決定されました。しかしながら、この建設予定地決定は、地方自治体や地権者との具体的な交渉もないままに、またその決定に至るプロセスも極めて不明瞭なものでした。そして空港建設予定地の周辺住民から強い反発を招くこととなります。また当時台頭していた新左翼勢力とも結びついたことで、後のいわゆる成田闘争へと発展、日本の開発プロジェ
2020年5月9日 10:20
もう一つの初期案 - 神戸沖 関空神戸沖案については他の案に比べると有名?な話のようで、ネット上でもいくつか記事を見ることができます。兵庫県、大阪北部の住民からすれば現在の泉州沖関空の立地は遠く、神戸に関空ができていればなあ・・と考える方も多いと思います。 とはいえ、空港背後圏人口のデータを見ると泉州の関西空港も、おそらく当時の神戸沖案と同立地の神戸空港に対し健闘しています。(当然三宮での
2020年5月3日 13:40
高度成長の過程において伊丹空港の代替となる関西新国際空港建設が必要であることは明らかでした。新空港建設については、既に昭和37年の国連・日本政府共同での近畿圏整備計画で言及され、その後さまざまな中央・地方自治体の文書でその必要性が言及がされています。 そして昭和40年前後から、この関西新空港計画は候補地選定という具体的な段階へ移行していきます。初期の候補地 - 淡路島建設案 昭和41年、
2020年4月24日 21:32
関西空港は本当であれば神戸沖に建設されるはずだった・・このような話を聞いた記憶があります。もともと鉄道好きであった私は、どのように空港アクセス鉄道が敷かれ、どのようなダイヤが組まれていたかと、その妄想に心を躍らせました。あれからかなりの時間が経ち情報はネットに溢れ、なんでも探せるようになっていると思っていましたが、意外とこの手の話はないようです。誰も興味を持っていないから情報出てこないと言われれ