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神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ②

前回の続きです。
神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ①

 昭和21年に神戸市委員会から出された神戸市高速度鉄道建設計画要綱によって、現在の神戸高速鉄道の原型が示されました。昭和27年には運輸省から東西線(阪急三宮・阪神元町~西代)の敷設免許が交付、分散していた私鉄ターミナルの連絡に向けた神戸高速鉄道建設はようやく動き始めました。
 しかし、昭和27年当時に50億円とも言われた莫大な建設費負担から、その計画の妥当性について当時の神戸市長であった原口忠次郎氏は議会にて厳しい批判にさらされます。

神戸市電との競合
 大阪、京都など日本の多くの都市では、高度経済成長期に市内中心部の旅客輸送は市営の路面電車から市営の地下鉄へと移行しました。一方で神戸高速鉄道は乗り入れる各私鉄や地元財界からも出資を求める第三セクター方式での建設を想定していました。これまで神戸市電は市バスとともに私鉄各ターミナル間の輸送など、当時の神戸市中心部の輸送を独占していたにもかかわらず、民間資本が入った神戸高速鉄道を建設することで神戸市はその収入を失うこととなります。市営地下鉄への移行であればその分をカバーできますが、第三セクター方式であれば収入の一部は出資した民間企業へと流れるため、神戸市財政への影響が懸念されていました。
 原口市長も開通時の需要予測は難しいとしながらも、神戸市電への影響は避けることができないと認める答弁を行っています。

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目的は私鉄の救済? 
 ではこの路線を市営地下鉄として建設すれば、神戸市電の減収分を補うことができ神戸市の収入は確保できます。しかし、神戸市単独で莫大な建設費を賄うことは厳しく、また短距離の路線にもかかわらず複数の私鉄が乗り入れるといった路線の特殊性からも第三セクター方式で計画は進められました。
 また、市議会の一部からはこの神戸高速鉄道計画自体が山陽電車を中心とした私鉄の救済を目的にしているのではないかとの批判もあり、仮に市が全額負担で市営地下鉄を建設しそこに私鉄が乗り入れる形態をとれば、私鉄救済の意味合いが強く出る結果となり、より多くの批判を生み出したことは想像に難くありません。かといって私鉄の乗り入れを行わないのであれば、そもそもの建設の趣旨である各私鉄の連絡という意味合いが薄れてしまいます。
 
 1950年代に入るとようやく戦後の混乱期を脱した国鉄は輸送力増強に取り組み始めます。昭和29年に新長田駅が開業、昭和33年には西明石から姫路にかけて電化され、その後も複々線化工事の進展など輸送改善は急速に進みました。

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 この一連の輸送改善により、競合路線となる山陽電鉄の収支悪化は避けられないとされていました。当時の神戸市議会では、市長に対して神戸高速鉄道計画は山陽電鉄救済を意図しているのではないか、との批判も出ています。

 国鉄の電化が進んで、ほどなく神戸から姫路へ電車でいけるようになるが、その場合、廃業とまでいかなくとも、立ちいけなくなる私鉄がある。そういう会社が、命つなぎのために高速度鉄道に便乗しようとの考えを・・
-飛田昌久議員(時期不明、神戸市会史より)

 今日、国鉄の電化と相まって山陽電鉄救済のためにこの高速度鉄道計画が進められていることが町の噂になっていることを市長はご承知であるかどうか。
-吉田粂一議員(昭和三十一年、神戸市会史より)

 市会史では山陽電鉄と目される会社が救済の対象として記録されています。一方でこの手の批判は神戸電鉄にも向けられていたと想像できます。
 この議論からさかのぼること数年前、神戸電鉄(神有電鉄)は昭和23年に湊川から神戸駅への延伸免許を申請、昭和24年に免許交付となりました。神戸高速鉄道計画が持ち上がると、この延伸予定線が組み込まれる形となりこれが神戸高速鉄道南北線の原型となります。結果的に民間資本で建設を予定していた路線が、市出資の第三セクターで建設されることとなり、神戸電鉄としては建設費用負担が軽減されることとなります。
 一方で神戸高速鉄道による建設は、延伸線に対する政治の関与を強める結果ともなりました。

神戸市百年の大計
 これらの批判に対し原口市長は、神戸市百年の大計の観点からやらねばならぬ事業として、神戸高速鉄道の必要性を再三にわたり訴え続けました。

高速度鉄道を作れば現在の路面電車に影響があることは考えられます。しかし、現在やっている神戸市の交通事業は公共事業であります。したがって事業収入だけが交友局の計画であるとは私は考えておりません。場合によっては、交通局がどんなに減収をきたそうとも、神戸市民が非常な利便を得られるならば、あえてこれらをやらねばならぬと考えております。

国鉄が電化されると情勢にいろいろ変化はありましょうが、私は都市交通は交通網がたくさんあるほど発達していくものと考えており、例えば三宮の東のほうを考えても国電、阪急、阪神、阪神国道だけで大阪と神戸の間は十分なりと考えていません。(中略) また西に向かっても同様ではないか。そうでなければ私は神戸港の発展は今日以上望めない。
-原口市長(神戸市会史より)

 様々な批判にさらされた神戸高速鉄道は、結果的に原口市長が押し切る形で神戸市の出資が決まり、昭和33年に会社設立となります。

 この時点では、昭和21年に作成された神戸市高速度鉄道建設計画要綱をベースに建設が想定されており、依然として神戸電鉄は高架で国鉄神戸駅へ乗り入れる計画となっていました。

神戸市高速度鉄道建設計画要綱
1. 京阪神急行(現阪急)、阪神、山陽の三電鉄を神戸市内で東西に結ぶ
2. この路線は市内を縦貫する幹線道路の地下を利用する
3. 別に神有電鉄(現神鉄)を南に延長し、高架式で国鉄神戸駅に直結させる

 ではなぜこの計画が現在の新開地起点に変更されてしまったのか・・前置きが長くなりましたが、次回は当時の計画と現在の計画へ修正された経緯について書いてみようと思います。

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