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もしも泉州地域に関空がなかったら?

 これまでどのようにして関西空港が泉州沖に建設されることになったのか、その経緯を調べてきました。

 いずれの案も興味深いものでしたが、計画としての内容は乏しく、せいぜい滑走路の計画図程度までしか見ることはできませんでした。そのためこの場所に建設をされていれば、このようになっていた・・といった類の話は、あくまで妄想の域を出ないのです。

 しかしこの逆に、泉州沖に関西空港がなかったら・・という想定はまだ簡単です。そんな中、ふと昔のニュースを思い出し、そもそも関西空港が泉州沖にあってよかったのかということについて考えてみました。

関空が泉州にあってよかったのか?
 ひと昔前にこのようなニュースがあったことはご存じでしょうか?

南海電鉄の40代の男性車掌が10日午前、車内アナウンスで「日本人のお客様にご不便をおかけいたします。多数の外国人のお客様が乗車しており、しばらくの間、ご辛抱願います」と話していたことがわかった。同社は同日、「外国人差別ではない」としたうえで、「お客様を区別するような言葉は不適切」として車掌を口頭注意した。https://www.asahi.com/articles/ASJBC420WJBCPTIL00H.html

 当然外国人差別の意図はなかったのでしょう。急増した外国人観光客への困惑に近い感情が、このようなアナウンスを生んだものと考えられます。
 それもそのはずです。ほんの十年の間に訪日者数は約4倍になり、あれだけ利用の少なさを嘆かれていた関西空港が突然混雑し始めたのです。南海電鉄も空港急行の増発・増結など策を打ち出していましたが、関空の旅客者数急増には追いつかず、一部の列車では旅行客に起因する混雑が昼間でもあったようです。

 そのような状況の中で出てきたのが、ニュースになったアナウンスでした。関空近辺在住の鉄道利用者からすれば、関西空港の存在が迷惑とも取れるのかもしれません。
では、関西空港が泉州沖にあることはメリットなのでしょうか?考えていきたいと思います。

空港があることのメリットとは?
 空港が立地することで近隣には騒音、混雑の発生、場合によっては治安の悪化に至るかもしれません。しかし関空建設の過程において公害問題は深く検討され、また治安の悪化についても問題化されていないところを見ると、現時点でのデメリットは混雑の一点に絞られるのかもしれません。
 では逆に空港があればどのようなメリットがあるのでしょうか。

直接的なメリット
 ①空港立地・利用による税収
 ②空港関連施設立地による雇用創出
 ③近隣住民・企業の利便性向上
 ④近隣地域での観光客増

間接的なメリット
 ②空港近接地での都市・産業の発展

 直接的なメリットについては言うまでもありません。
 泉佐野市の関空関連の税収は年間約100億円*1、同じく関空が立地する田尻町、泉南市にも同様に税収がもたらされます。また関西空港と空港内の施設では約17,000人働いており*2、地元への雇用創出への威力は絶大です。
 さらに付近に拠点を置く企業、住人にとって空港が近いことは海外への渡航を容易にし、また逆に訪問者の受け入れも容易となります。
 話は逸れますが、少し前にデルタ航空が中部国際空港とデトロイト間に直行便を飛ばしていると聞き、驚いたことがあります。デトロイトはデルタ航空の拠点空港ではありますが、ではなぜ中部なのか・・というと、お分かりの通り、あの会社です。それでも相応の利用があるわけですから、いかに企業の出張需要が大きいのか、空港があることへのメリットを思い知らされました。

 また、観光客増への貢献について日々ニュースでふれるところであり、すでに多くで研究がされています。2016年の試算にはなりますが、近畿地域における関空の訪日客による経済波及効果は約6,300億円*3と見られています。

*1)https://www.canon-igs.org/research_papers/150610_kashiwagi.pdf
*2)http://www.kansai-airports.co.jp/news/2018/2568/J_180406_PressRelease_employeesurvey.pdf
*3)https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks06/documents/siryo-indo.pdf

関空と泉州の発展
それでは間接的な影響ー泉州地域の産業の発展に、関空はどのように影響をしたのでしょうか?幾分強引なところはありますが、ご覧いただければ幸いです。

"発展した"という大雑把な表現をどのように確かめるのか、非常に難しいわけですが、今回は代表的な人口と工業の面を見てみたいと思います。商業については関空開港前から現在までで買い物の様式も変わり、また難波などの大商業地まで含めると関空の影響といえないものを見てしまう可能性があり、この二つにしています。

関空開港前後での人口変化
 日本の人口増加率は皆さん知っての通り右肩下がりになっています。図は国勢調査の結果をもとに作成した5年ごとの人口増加率です。実際にこれは大阪府・泉州地域*にも同じことが言え、1990年までブレはあるものの人口増加率は右肩下がり、1985-1990年の泉州地域ではほぼ人口が横ばいとなりました。
 その後、関空開港(1994年)を含む1990年-2005年おいては、この泉州地域の人口増加率は全国・大阪府の人口増加率を大きく上回る結果となっています。

*関空の影響が大きいと考えられる沿岸の泉州地域のみ(南海沿線)をピックアップしています。(岸和田市、貝塚市、田尻町、泉佐野市、岬町、泉大津市、高石市、阪南市、忠岡町、泉南市)

 2010年以降、その勢いに陰りは見られますが1990年以降の人口増加には目を見張るものがありました。下図の赤い点線は、1990年時点での大阪府・泉州の人口増加率の関係がそのまま続いた場合です。仮に泉州が80年代末のように大阪全体をわずかに下回る人口増加率を続けていた場合、現実に比べて約6%の人口が失われていたこととなります。

 当然人口には様々な要因が働くこととなりますが、ここで関空完成の時期と人口増加率を並べると、関空は泉州地域に人口面で大きな影響を与えていたことがうかがえます。

関空の影響を工業製品出荷額から見る
 それでは工業製品の出荷額を見てみましょう。下の画像は泉州地域*における工業製品出荷額を示しています。太い赤線が総出荷額、細い線が主要な製品の出荷額を示します。
 前の記事でも書きましたが、泉州地域は繊維産業の中心地であり、これが80年代以降輸入品に押され衰退をしていきます。細い赤線が繊維工業の出荷額ですが、右肩下がりで減少していることが見受けられます。一方で金属・機械の出荷額は順調に伸びており、総出荷額は関空開港まで右肩上がり、開港後に減少をしています。2000年以降は再び増加に転じ、現在まで緩やかな回復が続いているといった状況です。
 

 工業製品の出荷額は原料価格、為替や景気動向によって大きく左右されるものであり、泉州地域の絶対的な数値とともに、次に日本全体もしくは大阪全体と泉州を相対的に、占有率という形で比べてみたいと思います。

 オレンジ色の対全国比では、関空開港前まで泉州のシェアは一貫して減少をしていました。泉州地域も出荷額を伸ばしていたわけですが、他の地域の伸びはより強く、相対的にシェアを落としていたわけです。一方で黄色線で示した対大阪比では、概ね横ばいの状態で関空開港を迎えます。
 そして関空の開港はすると、製品出荷額はきれいな右肩上がりとなり、これが現在まで続くこととなります。

 関空開港の前後にりんくうタウンの工業地、泉佐野の産業用地の分譲開始、さらに阪神高速湾岸線の延伸など大型投資が相次いだことがこの要因として考えられます。

*ここでの泉州地域は岸和田市、泉大津市、貝塚市、泉佐野市、和泉市、高石 市、泉南市、阪南市、忠岡町、熊取町、田尻町、岬町の市町を指します。

結局メリットはあったのか?
 ここまで見てきたデータから、泉州地域にとって関空が立地したことは大きなメリットがあった、というのがこの記事の結論です。
 大枠のデータだけを見てきましたが、関空が人と企業を呼んだのか、それとも関空開港に合わせた国や自治体の投資が効果を生んだのかはわかりません。
 また、少なくとも泉州地域にメリットがあったというのはデータから明らかでしたが、関空がこの位置に建設されたことが、日本全体にとって、関西全体にとってどうだったか結論付けるのは難しく、もう少し調べ見たいと思います。

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