関西空港 幻の計画を調べる⑥

 前回の記事に引き続いて昭和40年代前半に検討されながらも、その後最終的な建設候補地選定の段階まで残ることのできなかった候補地について書いてみたいと思います。

阪和県府境案
 伊丹空港の混雑を目の当たりにした和歌山県議会議長の私案として公表された案です。和歌山県・市が調査をしていた記録は見つけられませんでしたが、和歌山の青年会議所がこの計画を推進していたとのことです。またその過程で専門家に依頼し具体的な滑走路配置を含めた計画図まで作成されていました。(下の写真です。) 滑走路・建物の配置は淡路島案に近く、井桁式の4本の滑走路を造るものです。4,000m滑走路を2本、3,500mと3,200mの滑走路を1本ずつ配置するとされています。
 大阪から60km弱と他の案に比べるとやや遠いという印象は受けますが、至近に南海本線が走り、なんばから約50分程度でアクセス可能になっていたことでしょう。また海に近いことから海上アクセスも可能な立地で、さらに昔から計画のある紀淡海峡のトンネル・橋梁が完成すれば、四国からのアクセスは容易に、また神戸・播州地域から大阪を通らずにアクセスが可能となり、周辺の開発状況によってアクセスはさらなる改善がされていた可能性もあります。

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大阪湾内案
 大阪や神戸からのアクセスを重視するのであれば、至近に広がる大阪湾を埋め立てることがベストだったといえます。当時、神戸沖や実際の建設地となった泉州沖のほかに、六甲沖から尼崎沖、堺沖などに関西新空港を建設する案もありました。しかし都心の近くに空港を建設するとなれば騒音をはじめとした公害問題、また万が一の事故の時の危険性が付きまといます。
 関西新空港計画自体が、住宅地の中に伊丹空港があることへの危険性の認識から始まった部分もあり、条件が伊丹とそれほど変わらなくなってしまう都心に近い候補地は避けていたようです。結果として本格的に検討された案は、大阪都心から距離のある泉州沖と、ポートアイランドを挟み神戸都心から距離のある神戸沖の二つの候補地となりました。

 関西空港の話ではありませんが、大林組のホームページに大阪湾の埋め立て私案がありました。バブル期の雰囲気が感じ取れるまさにイデアというに相応しい?計画です。(しかし人工前方後円墳型埋立島のワードパワーたるや・・)
https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/upload/img/012_IDEA.pdf

 このように検討段階では様々な立地案があったことがわかります。我田引"鉄"などという言葉がありますが、空港ができれば地域経済の起爆剤になることは間違えなく、その本気度は地域によって濃淡があるにせよ政界・経済界からすれば我田引"空”の機運があったようです。一方で空港建設に伴う公害も無視できない問題でした。市民からの反発を恐れて政治の立場から空港建設を声高に叫んでしたという記録は私の確認した限りではありませんでした。
 一度泉州沖で決着したかのように見えた関西空港ですが、公害の問題からその後厳しい建設反対運動が巻き起こります。さらには神戸沖案の再燃などその着工までは一筋縄ではいきませんでした。次回は関空の建設地を泉州沖が妥当とした答申から、関空着工までの動きを整理し最終回としたいと思います。

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