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#4 廃屋寸前の母屋
2022年3月。
新型コロナウイルスの影響がまだ影を落とす中、3年ぶりに広島に帰省しました。
覚悟はしていたものの、母屋は荒れ果てていました。
周囲は雑草が生い茂り、内部の畳は歪み、床は抜け落ち、建具の一部が開け閉めできなくなっていました…
問題は続きます。
最も肝心な、水です。
先祖は代々近くを流れる沢の水を使っていました。
うちが最奥地なので、水は綺麗です。
わさびが自生するほどです。
と
#3 OMOYAと私
亡き両親は昭和41年(1966年)5月5日、母屋で結婚披露宴を執り行いました。
亡母は三次市作木町香淀の出身です。
二人は見合い結婚でした。
三次市内にある衣料品店の店員だった亡母を、買い物に来ていた亡父の妹が気に入り縁談を持ちかけたそうです。
故郷から遠く
山深い地にある家で
しかも長男。
苦労を自ら背負いにいくような縁談話に、母方の亡祖母は首を縦に振らなかったそうです。
しかし、総領の母
#1 200年どころではなかった!!~実家の歴史について~
私の亡き父方のルーツは広島県庄原市総領町という中山間地域にあります。
口伝によると、祖先は平家の落人です。菩提寺は何度も火災に見舞われ先祖の詳細な記録は失われたので真偽の程はさだかではありませんが、家紋は「扇に八の字」なので、武士に所縁のある家だった可能性は考えられなくもありません。
さらに、この上なく最奥地にあり、この場所なら人目につくこともなく落人伝説もまんざらでもないかもと想像します。