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#4 廃屋寸前の母屋 

2022年3月。
新型コロナウイルスの影響がまだ影を落とす中、3年ぶりに広島に帰省しました。

覚悟はしていたものの、母屋は荒れ果てていました。
周囲は雑草が生い茂り、内部の畳は歪み、床は抜け落ち、建具の一部が開け閉めできなくなっていました…

問題は続きます。
最も肝心な、水です。
先祖は代々近くを流れる沢の水を使っていました。
うちが最奥地なので、水は綺麗です。
わさびが自生するほどです。
ところが、父が亡くなってからというもの、水の管理ができていませんでした。裏山にあった貯水タンクは水漏れし、沢の水量自体も減ってうまく取水できず、取水用ホースも行方不明になっていました。

水なし
床なし
草ボーボー
溢れる生活用品

難問のオンパレードが容赦なく襲い掛かります。
その時の自分の姿を描写するなら、頭には漫画のように数本の縦線が入り、開いた口が塞がっていないイメージです。

とりあえず、目に見えて成果を感じられる草取りに専念することにしました。現実逃避には格好の作業です。

背が高い萱やとげのある枝の厄介なこと。時折、ギャーっと悲鳴をあげながら、丸一日かけて一緒に帰省していた夫と格闘しました。

無心に取り組んだアフターです。

次に、水。
母屋から最も近い場所に住む亡父の従弟のおじちゃんに相談したら、早速翌朝来てくれました。
そんなに付き合いはなかったおじちゃんでしたが、母屋の最後の住人となった亡祖母の生まれ育った家の跡取りというよしみで快く応じてくれました。

その時の模様を当時のFacebookに記録したので再掲載します。


2日目は、同じ町内に住む亡父の従弟のおじさんにお願いして、山の水を見てもらうことになりました。
おじさんは最初、「今日は見るだけになるじゃろうが」と言っていましたが、11年前から放置されているホースをみつけるや否や直ぐにたぐり寄せ、家までの流れを確認し始めました。

沢から田んぼの畔にそって這わせていたホースが完全に土に埋もれているのを見て、おじさんはセダンからおもむろに鶴嘴2本と鍬を出してきて「掘ってみようや」と言い、三人で堀り始めました。

ホースが出現した時はまるで宝物をみつけたように嬉しかったです。

10m近くは救出できたのですが、倒れたままのイノシシ除けの柵はびくともせず行く手を阻まれたので、あえなく断念しました。

「たしか、家に余ったホースがあったけえ、見てくるわ」

と言い残しセダンで去ったおじさんは、一時間後に今度は軽トラで帰ってきました。セダンには入りきらないので隣町に住む同級生の家までわざわざ軽トラを借りに行ってくれたとのこと。

頭が下がります。

おじさんは、我々の想像を遥かに超えた長さのホースを持ってきてくれました。

予想外の長さ

しかもホースは3セットもありました。以前知り合いからもらっていたものだそうで、今後使う予定もないからと、気前よく提供してくれました。

鶴嘴といい、おじさんはドラえもんみたいな人だ、と思いました。
おかげで、11年間空っぽだったタンクにホースが届き、晴れて水が流れ始めました。
この瞬間を11年間、待ち望んでいました。
家の裏手まで水が来るようになったので、今回の帰省目標その1は80%達成されました。

残念ながら家の中に水を引き込む作業までは時間がなかったので次回に持ち越しですが、大きな前進でした。

困ったときはその土地に住む先人の知恵を借りるのが一番です。頼りになる親戚のおじさんが近くにいてくれて心強いです。

おじさんは結局「見るだけ」どころか、問題を解決してくれた上、翌日はチェーンソーを持参して丸一日かけて家の周辺のあちこちに自生していた木を黙々と切り、おかげで周辺の見晴らしがよくなりました。
とても80歳とは思えない機動力でした。20年間病院に行ったことがないそうです。すごいな。
3時のお茶の時間(10時と3時は欠かせません)には、色んな話をしました。どの集落も80歳以上の住民が殆どで限界集落になっているそうで、今後時々でも私たちが帰ってくるのを楽しみにしてくれている様子でした。
この恩は次の世代に必ず送ります。

将来、人が沢山訪れてくれる場所にしたいという私の夢はより一層膨らみました。


「目標の80%達成」はこの後大きく後退します。
人生、そう甘くはありませんでした。
しかし、ドラえもんおじちゃんとの再会はOMOYAプロジェクトのベースとなりました
あの時おじちゃんに来てもらえていなかったら、不安で早々に諦めていたかもしれません。
助けてくれる人、楽しみに待ってくれる人の出現で俄然やる気になりました。

一旦神奈川に戻り、何をどういう順番でどのように取り組んでいくか、じっくり検討して出直すことにしました。

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