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グリッチ 一章

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終末的近未来大災害冒険ファンタジー小説『グリッチ』を連載します。
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#ファンタジー

グリッチ (3)

深雪の父は、今時珍しく自宅の一部を道場にしている剣の達人で、錬士七段の称号段位を持ち、自宅や市民体育館や警察署で剣道を教える傍ら、古物商を営み、何本もの真剣を自宅に持っていた。だから生き延びたのだ。戦争が始まった時、何よりも必要だったのは、真剣だった。蠍の鉤爪や毒針や吸い針のついた肢を切り落とすのが、最も効率的な戦闘法だからだ。

 蠍は、爪と針を切り落としてしまえば、図体ばかり大きくて攻撃力はな

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グリッチ (4)

 外の廊下から、こつんこつんと規則的に床を叩く音が聞こえてきたのは、その時だった。聞き覚えのある音だったが、いつ、どういう状況で聞いたのか、すぐには思い出せなかった。戸口に、ひょろりと背の高い若者が立った。顔を見れば、深雪の弟であることは一目瞭然だ。深雪と同じ目をしているというよりも、ほぼ同じ顔をしている。深雪よりも三年下だから、十七くらいだ。深雪の顔を縦に伸ばしたような、まだ、もしかしたら女にも

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グリッチ (5)

 俺たちは、温泉リゾートホテルの豪華なタイル貼りのロビーエリアを抜け、無人のフロントデスク前を通り過ぎ、外に出て、元は庭園だったと思われる菜園を抜け、海辺から続く遊歩道を陸側に進み、宿泊棟脇の井戸端に来た。望月が、髭を当たってやると言ってくれたのだ。

 髪と髭は箱根の山中でも、鋏で切っていた。洗顔や洗髪は雨水でしていたから、清潔に保つにはできるだけ短くしなければならなかったが、カミソリは無かった

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グリッチ (6)

 深雪が物資の調達係を引き受けてからというもの、この島の住人はもう、本土に上陸して蠍と闘う必要もなくなったという。しかし初めの一年余りは、調達部隊というものがあり、手漕ぎの舟で本土に渡り、命がけで上陸していた。望月を隊長として、足が早く剣の腕の立つ者七人で調達をしていたが、そのやり方をやめたのは、のんぺいが怪我をしたからだった。

 当初、調達部隊は、一人を舟の見張りに立て、六人が上陸地点から一番

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グリッチ (11)

但し、この日は、何をしようか悩む必要がなかった。のんぺいが食堂で、

「今日、墓参りしますから」

と言ってくれたからだ。

 俺と望月とのんぺいが同じ食卓を囲み、深雪と師匠と深雪の妹の今日花が、食堂の一番奥の、幸村家の者しか近づかない食卓を囲んでいた。その食卓の周囲の見えない壁のようなものが異様だと俺は感じたが、島の人達は、とうに慣れているのかもしれない。深雪は、今日花の世話を焼きながら食事

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グリッチ (12)

 年に一度しか休日がない村長というのは、一体どういう仕事なのかということを、俺は望月と、望月の妻の正子さんから聞いた。

 その日は、望月が俺を夕食に招いてくれたのだ。

 この村で、人を夕食に招くと言う時は、夕食を食堂の同じ食卓で食べ、その後、寝室に一緒に退いて、暗くなるまで茶か水で談笑するということを意味した。

 食堂に一日三度足を運ぶうちに、わかってきたのだが、食堂の席の使い方には、ここの

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グリッチ (13)

 のんぺいは左手に、深雪は両手に竹刀を持った。三人で一礼した後、望月が深雪に掛かって行ったが、簡単に払われた。

「先輩、すみませんが、本当に本気でお願いします」

 深雪が望月にそう言った後、今度はのんぺいが掛かって行った。松葉杖を右脚代わりに使いながら、のんぺいは肉眼では見えないスピードで、左手に持った竹刀を振り回し、深雪は、のんぺいが繰り出す矢継ぎ早の攻撃を払い続けた。

 俺の目は、のんぺ

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グリッチ (14)

 のんぺいは左手に、深雪は両手に竹刀を持った。三人で一礼した後、望月が深雪に掛かって行ったが、簡単に払われた。

「先輩、すみませんが、本当に本気でお願いします」

 深雪が望月にそう言った後、今度はのんぺいが掛かって行った。松葉杖を右脚代わりに使いながら、のんぺいは肉眼では見えないスピードで、左手に持った竹刀を振り回し、深雪は、のんぺいが繰り出す矢継ぎ早の攻撃を払い続けた。

 俺の目は、のんぺ

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グリッチ (15)

 翌朝、空が白み始める前に、足音を忍ばせて宿泊棟から抜け出し、農地のはずれまで行った。月明かりだけが頼りだが、幸い半月で、山の闇に慣れた俺の目には、十分な明るさだった。

 三角形に切り開かれた農地の端の、山道が始まる辺りは、切り株が多く、ぬかるんだ土砂に足を取られ、転びそうになった。この辺りは開墾しようとして諦めたのか、あるいは今、開墾作業の途中なのかと思いながら、そこを通り過ぎ、少し先で、茂み

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グリッチ (16)

 深雪が落ち着いたところで、俺は深雪の目を覗き込み、頬を拭い、そのまま唇を奪いたい衝動に駆られた。が、思いとどまった。そういうことをするために来たのではない。

 深雪は目に涙を溜め、睨み返してきた。

「こういうことになっちゃうから、だめなんだよ」

涙声で深雪は言い、俺を突き飛ばすように身体を離した。

「たっちゃん、お願いだから、わたしに構わないで。辛くなるだけだよ」

走るように山道を歩き

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グリッチ (17)

 この日俺は、滝本さんの担当の区画で、カミキリムシを集め、隣の区画にも行ってカミキリムシを集め、そうこうするうちに、飛脚のアントニーが農民のための弁当を運んで来たので、農民の皆さんに弁当を配るついでに、カミキリムシを袋か籠に集めるように布令回ってもらった。

 俺の分の弁当は当然無かったので、一旦、宿泊棟の食堂に一人で戻り、午後もまた、農地を回って雑草抜きを手伝いながら、ひたすらカミキリムシを集め

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グリッチ (18)

 午後も、やはり穴掘りだった。息を切らしてスコップで固い地面を掘りながら、

「親衛隊って名前さ、変えたらどうだ」

と望月に聞いた。

「じゃあ、穴掘り隊にするか。ちょっと語弊があるだろ」

「よくそういうしょうもないジョークを思いつくよなあ」

「穴掘って入り隊の方がいいかもな」

俺は笑い出して腕に力が入らなくなってしまった。スコップに寄りかかってへらへら笑っていると、鞄を持った男がやって来

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グリッチ (19)

 「向こうの端まで行きましょう」

と、のんぺいが言い、連れ立って浜辺を歩き始めた。陽はもう大分傾き、もうすぐ夕陽が見える時刻だが、この島の西側は本州の陸地なので、海に沈む夕陽を拝む事はできない。浜にはもう、誰も居なかった。

「万里亜ちゃんを振ったそうですね」

いきなり言われ、俺は立ち止まった。

「なんで知ってるんだ」

「万里亜ちゃんが、いろんな人に話して、嘆いているの聞いたから」

なん

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グリッチ (20)

 俺は憮然として、海を眺めた。再び見ることが叶うとは思いも寄らなかった青い海だ。戦争が始まる前に見たことのある湘南の海と比べても、更に美しい青い海だ。この美しい海に囲まれた何不自由ない島に暮らして、俺は、望みの叶わない人生に不満を抱いている。この海の美しさは、一体何のために、誰のためにあるのだろうか。

 そんなに何もかも知っているなら、俺の家族は生きているのか、死んだのか、教えてくれ。俺は深雪と

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