グリッチ (17)
この日俺は、滝本さんの担当の区画で、カミキリムシを集め、隣の区画にも行ってカミキリムシを集め、そうこうするうちに、飛脚のアントニーが農民のための弁当を運んで来たので、農民の皆さんに弁当を配るついでに、カミキリムシを袋か籠に集めるように布令回ってもらった。
俺の分の弁当は当然無かったので、一旦、宿泊棟の食堂に一人で戻り、午後もまた、農地を回って雑草抜きを手伝いながら、ひたすらカミキリムシを集めた。アントニーは、龍王島の畑地の方で作業をしていた人たちにも弁当を届け、虫集めを依頼してくれたので、農作業が終わる頃、俺のところには沢山のカミキリムシが集まった。俺は、焚き火にカミキリムシを放り込みたいと、調理班の人に掛け合った。
「味は保証します」
と言ったが、誰も皆、半信半疑だった。直火で炙るだけでいいので、他の料理の邪魔にはならないことを説明したら、やっと許可が出た。
宿泊棟の外の調理場の直火で、金串に刺して二分くらい炙ると、少し焦げるが良い按配に出来上がった。串は一本しかもらえなかったが、一度に二十匹くらいは刺せるので、六回転で調理は終わった。出来立ての炙りカミキリムシを一つずつ串から抜き、皿に入れ、塩を一つまみ混ぜた。
俺が持ち込んだカミキリムシは、一人一人に取り分けると怖がる人が居るということで、膳を渡すカウンターに出しておき、食べたい人が取る方式になった。俺は遠慮がちに三匹だけ取り、夕食を済ませ、夕食前に海水浴をしそこねたので一泳ぎして、食堂に戻ってみると、大半の島民が食べなかったらしく、
「余った虫はどうぞ」
と言われた。
こんな旨いものを見かけだけで敬遠するとは、愚かな人達だ。しかし、おかげで俺の食糧が増えた。一人でカミキリムシをぽりぽり食べながら茶を飲んでいると、毛むくじゃらな大きな手が皿に伸び、カミキリムシを一掴み取った。見上げると師匠だった。
「旨いな、これ、神山君」
「旨いでしょう。師匠ならわかってくれると思ってましたよ」
俺は得意満面だった。
「時々、集めて料理してくれるか」
「お易い御用です、師匠」
というわけで、この日から、俺は、カミキリムシ担当になり、日曜日は、農地や裏山でカミキリムシを集めて炙ることになった。
* * * * * * *
親衛隊に「初出勤」した月曜日、親衛隊の仕事は穴掘りだった。俺が望月と連れ立って現場に着くと、三人の若者達が待っていた。俺が「入隊」することは、望月が既に伝えておいたはずだ。
隊員達は、全員が似たような作務衣を着て、一人だけ、穴を掘ると言うのに、腰に二本差だった。変な奴だなと思ったが、当の俺も、二本差だった。この島には蠍が出ないことがわかっているのに、習慣でいつも刀を持ち歩くばかばかしさが身に沁み、この時初めて、刀は部屋に置いて出ることにしようかと思った。
「今日からこの神山も親衛隊に入るからな。お前らより相当強いんだぞ、こいつは」
と、望月が言うと、三人のうち刀を持って来ていない二人は、何も言わずにやにやしながら俺に会釈をしたが、一番体格が良くて二本差の奴が、敵意のある目で俺を睨んだ。
この男には見覚えがあったが、どこで見たのか、すぐには思い出せなかった。望月が左から順に三人を紹介してくれたので、名前はわかった。中山昌道、小堀翔、戸越源次郎というらしい。最後の戸越が俺を嫌っているらしかった。
中山という男が、
「神山先輩、俺たちを覚えてないでしょう」
と言った。
「何度か食堂で見かけたのに、無視だし」
と小堀が言った。
「え、会ったことあるのか?」
中山と小堀は顔を見合わせて笑い、
「やっぱりね、覚えてない。俺たちも幸村道場の門下ですよ。三年下だけど」
と言った。三年下ということは、俺が中学生になった時に彼らは小学四年生で、俺が高校生になった時には、彼らは中学生で、試合での接点が無いのだった。高校で三段を取った俺と望月は、後輩の練習に刈り出されていたから、道場で稽古をつけてやったことはあったかもしれないが、こちらは顔も名前も覚えていなかった。
「そうか、そりゃ、すまなかったな」
この後、俺たちは、しばらく幸村道場の思い出話に耽った。その中で俺が深雪のことを何度「深雪」と呼んだかわからないが、戸越が突然、
「てめえ、何様なんだよ。深雪様のことを呼び捨てにして」
と言ったので、思い出した。
戸越は、俺が初めてこの島の浜辺に深雪と降り立った時、倒れた深雪を抱き上げて運んだ男だ。こいつが深雪を「深雪様」と呼ぶので、俺は頭が大混乱し、きっと死んだに違いないと思ったのだった。
「俺は深雪の兄弟子で、幼馴染みだ。深雪は妹分なんだよ。くだらねえことで難癖つけるな」
と言ってみたが、
「この島では、皆、深雪様と呼ぶんだ。深雪様がどれだけ俺たちのために働いてくれてると思ってんだ」
と言う。
面倒くさい奴だなあ、と思った。深雪を崇め奉っているのはわかるが、深雪を深雪と呼んだくらいで、一々喧嘩を売られては堪らない。それに、深雪を何と呼ぶかなど、喧嘩の口実だ。こいつが絡んで来るのは、力試しだった。
望月も他の二人も様子見を決め込んでいることから、この喧嘩は予定通りなのだなと思った。
戦争が始まってからというもの、こういうことは最初が肝心だという事を、俺は知っていた。左手で刀の柄を叩き、
「うるせえな。痛い目に遭いたいのか」
と凄んでやると、戸越は怯まず、
「おうし、来い」
と言った。
上背は俺よりもあり、肩や胸の厚みも立派な大人だから、腕力には相当自信があるのだろう。でも、顔は幼かった。頬の丸みにまだ子どもの名残があり、まつげが長く、団子鼻で口も丸っこい。なかなか可愛い顔をしていた。
「人の居ないところに行こう。東の浜だな」
と望月が言った。
頭から湯気が立つくらいかっかしている戸越が先に立ち、望月と俺が続き、中山と小堀が後ろに付いた。
俺たちは、海水浴場として開発されていない方の東の浜に向かった。廃船となっている漁船に何か取りに行く用でもない限り、村人が行く必要のない方向だ。
途中、俺はこっそり望月に戸越の歳を聞いた。
「十九になったばかりだ」
それなら、血気盛んな子どもだ。一発は入れさせてやってもいいが、絶対負かしてやると思いながら、立ち止まった。戸越が振り向き、早速、刀の柄に手をかけた。
「馬鹿だな。お前らが斬り合ってどうするんだよ。素手でやれ。刃物は俺が預かる」
望月がそう言い、刀を回収した。俺も刀を渡したが、戸越は、大小の他、匕首までベルトから外し、望月に渡した。
「お前、飛び道具も持ってるだろ」
と望月が言い、戸越が作務衣の合わせの中に手を入れて、拳銃も出して来たので、俺もいささか怯んだ。
「こいつの兄貴は元警官なんだよ。だから、こいつも持ってるんだ。でも弾は二つしか残ってないから、貴重品なんだな」
と望月が説明した。
「なんだ、それじゃ飾りじゃねえかよ」
と言うと、戸越はすぐさま俺に飛びかかりそうになった。
「火に油を注ぐなよ」
と、望月が俺をたしなめた。
「怪我はさせないでくれよ」
俺にだけ聞こえる声で望月が言った。無理な注文をしてくれるものだ。
最初の一発は入れさせてやると決めていたから油断があったのだが、二人とも空手になって向き合った途端に、アッパーを食らってよろめいた。立て続けに戸越の左が俺の右頬に入り、俺は砂浜に手を突いて、血の混じった唾を吐いた。やるじゃねえか、と思った途端、エンジンがかかってしまい、相手の足を掛けて転ばせ、馬乗りになって、奴の頬に三発入れた。下手に逃げるものだから、一発は鼻に入り、戸越は鼻と口と眉尻から流血していた。怪我をさせてはいけないことを思い出し、
「もう、やめとくか」
と言ってみたが、戸越は諦めの悪い奴で、
「ざけんなよ。まだ始まったばかりじゃねえか」
と言い、俺を突き飛ばして立ち上がった。
「この島には馬鹿に付ける薬も絆創膏もないんだぞう」
と望月が注意した。互いに怪我を避けなければならない喧嘩というのは、事実上不可能だが、望月の言う事は尤もだ。碌な医療がない以上、些細な怪我から手足の一本が使えなくなることもあるし、死ぬことだってあるかもしれない。戸越は頭に血が昇っていたから、これ以上、怪我をさせずに終わらせる方法を、俺が考えてやらなければならなかった。
戸越の拳を腕で払い、首筋に手刀を入れ、倒れて来たところを、鳩尾に一発お見舞いした。息が詰まって砂浜に転がったのを、うつ伏せに押さえ込んで左腕を捻り上げる。
「降参か。降参しろ。いい加減に降参しないと、腕へし折るぞ、こら」
戸越はしばらくじたばたしていたが、ようやく、右手をふらふらと振り、降参の意志を見せた。放してやると、奴は砂の上に丸まって腹を押さえ、しばらく苦しんでいた。俺は、そのそばにしゃがみ、耳を引っ張り、
「俺に逆らうと痛い目に会うんだ。わかったか。これからは、この望月が隊長で俺が二番目、お前はその次だ。いいな、わかったか」
と確認した。戸越は、首をうんうんと頷かせた。まだ声は出なかった。
確かに、この戦争で、俺は凶暴になったかもしれない。しかし、軍事行動をしなければならない集団には、序列が必要だ。序列が決まっていないと、戦場で諍いが起こり、致命的な結果を招く。望月がこの喧嘩を止めなかったのも、同じ事を考えたからに違いなかった。
戸越が息をできるようになったところで、手を貸して立たせてやり、井戸端で顔を洗ってから、俺たちは穴掘り現場に戻った。
島の菜園の作付け面積を増やし収穫量を上げるために、土壌改良をしなければならないのだが、その為に、砂まじりの粘土質の表土を一定間隔で一メートルほど掘り、人糞と生ごみを混ぜて作った堆肥を埋め戻して行く。農業指導は、元々農家の曽根さんがするが、曽根さんはもう六十過ぎなので、肉体労働は親衛隊がやることになっているそうだ。俺たちは、昼飯の時刻まで、黙々と穴を掘った。
戸越のせいで顔が痛かった。俺たちの顔が青黒く腫れてきたから、望月が昼飯の時間を少し遅らそうと提案した。
村人に顔を見られないように、遅めに食堂に行き、カウンターで調理の人達に顔を見られないように、俺と戸越は膳を取らずに着席した。望月と中山が、俺たちの分を取って来てくれた。
案の定、食堂は空で、腫らした顔を誰にも見られる心配がなく良かったと思ったとき、
「あら、深雪様。今日は遅いんですね」
という声がして振り返ると、深雪が入り口で膳を受け取っていた。深雪が近寄って来るので、俺と戸越は慌てて俯き、手を顔の前で組んで隠した。一昨日のことがあるから、深雪は俺を見ようとしなかったが、俺たちのテーブルの脇を通る時に、いつも通り、軽く会釈し挨拶した。
「こんにちは」
俺たちも、こんにちは、と挨拶を返した。深雪はそのまま通り過ぎるかと思ったが、足を止め、振り返った。俺は俯き、戸越は深雪に背を向ける方向に姿勢を変えたが、深雪は既に見てしまったらしい。
「神山先輩、その顔」
深雪は、村人の前では俺を「神山先輩」と呼ぶと決めたのか。
俺は深雪に何と答えていいかわからず、顔を手で隠したまま黙っていた。すると、望月が気の利いたことを言った。
「いや、深雪さんの心配することじゃないですよ。まあ、これは、男の世界の通過儀礼というものです。こいつら、これですっかり仲良しですから」
深雪は、口を開き、何か言いかけたが、出掛った言葉を飲み込み、
「そうですか、では、お大事に」
と言うと、もう一度、会釈し、食堂の最奥のいつもの席に一人で座って、食事を始めた。
俺は、小鉢に入っていた惣菜を無造作に口に入れ、噛みしめてから、慌てて吐き出し、水を口に含んだ。大根の皮のきんぴらだったからだ。その時、戸越がきんぴらを口に入れそうになっていたから、その手をはたき、箸を落とさせた。
「何すんだ、てめえ」
と、また色を成す戸越に、
「喰うな。沁みる」
と言うのが精一杯で、それからしばらくの間、口の中の怪我に唐辛子の火が吹いて、俺は泣きの涙だった。周りの奴らが、飯を口に頬張れとか、いや茶を含めとか、色々言ってくれたが、傷に唐辛子を塗られた痛みは、如何ともしがたい。涙と鼻水を垂らし地団駄踏んで苦しみ、ようやく痛みが和らいで、息をついた時、戸越の奴が、ニヤニヤ笑い、
「あんた、結構いい人なんだね」
と言った。
「今頃わかったか、ばかやろう」
望月が笑いながら、戸越と俺のきんぴらの小鉢をつまみ上げて食卓の中央に置き、中山と小堀に言った。
「食糧が増えたぞ。喰え」
(つづく)
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