グリッチ (18)

 午後も、やはり穴掘りだった。息を切らしてスコップで固い地面を掘りながら、

「親衛隊って名前さ、変えたらどうだ」

と望月に聞いた。

「じゃあ、穴掘り隊にするか。ちょっと語弊があるだろ」

「よくそういうしょうもないジョークを思いつくよなあ」

「穴掘って入り隊の方がいいかもな」

俺は笑い出して腕に力が入らなくなってしまった。スコップに寄りかかってへらへら笑っていると、鞄を持った男がやって来るのが見えた。

「深雪がチクった」

望月にだけ聞こえるように、俺は囁いた。

 池田先生は、嫌そうな顔をして俺の顔を見、次に、少し離れた所で隣の穴を掘っている戸越の顔を見、益々険悪な表情になった。戸越の方が俺より酷い怪我をしていたから、池田先生はまず、戸越を治療した。戸越の顔の前で指を振っていたのは、何かの検査のようだ。次に眉尻と小鼻と唇の怪我を消毒し、軟膏を塗り、絆創膏を貼った後、戸越に注意事項を言い渡した。

「怪我が完全に治るまで、海水浴禁止です。それと、いいですか、土中には破傷風菌という怖い菌があって、菌が傷口に入ったら、あなたは死にます。土木作業などは本当はやめてもらいたいが、どうしてもやらなければならないなら、手をよく石けんで洗って清潔にするまで、顔に手を持って行ってはいけません」

午前中、ずっとあの顔で穴掘りをしていたのだから、先生の忠告は遅過ぎたと俺は思った。戸越は、わかったのかわからなかったのか、恐縮して聞いていた。その後、俺の方にやって来た池田先生は、憎しみを込めた目で俺を睨んだ。

「全く、何を考えているんですか。深雪さんが命がけで救った命を、あなたは粗末にするんですか」

返す言葉が無かったので、俺は気をつけの姿勢から六十度、腰を折り、

「申し訳ありませんでした」

と謝った。池田先生は、面食らっていたが、やがて、

「顔あげてください。診ますから」

と言い、俺の顔を診察し、戸越にやったのと同じように、目をのぞき込んでから、一本の指が二本に見えないかとか、指の動きを目で追えるかとか、要するに、脳に障害がないかどうかを検査したらしい。そして、顎と口の周りの切り傷に軟膏を塗って絆創膏を貼ってくれ、戸越に言ったのと同じ注意を繰り返した。俺はまた、六十度、腰を折り、

「先生、ありがとうございました」

とやった。池田先生は、気まずそうに無言で鞄を閉め、宿泊棟の方に戻って行った。池田先生と言い争いたくない時は、お辞儀が有効だ。望月は、

「馬鹿に付ける薬があったじゃねえか、良かったな」

と笑った。

*   *   *   *   *   *   *

 深雪は俺に近寄らないようにしているくせに、何やら会いたがっているようでもあった。というのは時々、背後から、深雪の視線を感じたからだ。深雪は、俺の姿を見るために跳んで来たのかと思うような現れ方をして、木や建物の影からしばらく見た後、消えた。歩いて消えたのか、跳んで消えたのか、俺には知りようがなかった。深雪が俺に会いたがっているなら嬉しいが、そのために跳ぶエネルギーを無駄遣いしているのなら、俺は深雪を疲れさせているだけなのかもしれなかった。 

 俺は自分が一体何に足を突っ込んだのか、考え込んでしまった。好きになった女に手を出さず、近寄らずに見守るというのはどういうことかというと、結局何もしないことなのだ。深雪と一緒に時間を過ごせるわけではない。この島にはプライバシーはないから、デートどころか、会話すらできない。俺と深雪が仲良く話しているところを見られたりしたら、即刻、祝言を挙げさせられ、池田先生が自然な避妊法に関する旧字体の解説書を鞄に詰め込んで、指導に来るに違いなかった。いや、そうなる前に、深雪の妊娠を恐れる島の誰かが、俺を始末しようと企むのか。

 俺の生活は、親衛隊とは名ばかりの作業班で労働し、夕食前に海水浴で汗を流した後、井戸端で少量の真水で身体に付いた砂と潮を流し、食堂に行くという、同じメニューの繰り返しだった。これを親衛隊五人の同じ顔ぶれで、調達に出る日と日曜日以外の週三日、やった。望月だけは、子ども達に剣術を教える為に、午後、二時間ほど先に土木作業を抜けた。

 金曜の午後には、親衛隊員の剣の稽古が二時間あり、これが一番面白いと言えば面白い時間だった。

 先日の喧嘩の後、俺は戸越の出自を望月から聞いた。幸村道場の門人ではないが、剣道を子どもの頃から嗜んでいたらしく、幸村道場に避難した後、体格と筋の良さを買われ、師匠に特訓を受けたそうだ。戸越は両親を亡くし、兄と弟とこの島に避難していた。兄の光太郎の方は、剣道ではなく柔道の有段者で元警察官だが、残念ながら、柔道は蠍には通用しないので、ここではただの農民だ。実は、先日のカミキリムシ集めの時に、俺は兄の光太郎の方に先に会っていたのだった。

 初の金曜日、戸越がまた、俺を竹刀で負かしてやろうと意気込んで来た。親衛隊では、戸越は一番若いのに、中山と小堀より強く、天狗になっているらしいから、この日、俺はこてんぱんに叩いてやった。これで戸越の俺への対抗心は完全に消えたようだった。自分より強い者は素直に崇める主義らしく、俺を「竜の兄貴」と呼んで稽古をせがむようになり、何やら弟分らしくなってきた。

 しかし、望月と同じくらい強いはずの戸越でさえ、俺一人の攻撃をかわせないのだから、親衛隊は誰かを蠍から守ることはできない。このことは、望月といずれ話し合わなければならない大問題だ。望月は本土奪還という荒唐無稽な夢を追い、俺は別の考えを持っているが、いずれにしろ、親衛隊の戦闘能力を今より遥かに強化しなければ、何もできない。

 週に三度、親衛隊員五人で小舟に深雪を載せ、本州の海岸のどこかに着けた。そこから深雪は空の籠を背負い、一人で国道に出、今まで物色していない住宅や商店を見つけては、食品と日用品を取って来た。医薬品や医療器具が必要な時は、安芸津町か安浦町の病院か医院に行き、そこに残されているものを物色してきた。深雪は医者でも看護婦でもなく、池田先生を本土に上陸させることはできないため、医薬品の調達は非常に効率が悪かった。先生に頼まれたものを深雪が見つけられず、別の病院に回ったり、似て非なりの薬品を取ってきて、次回やり直しになったりした。

 滝本さんが言っていた通り、燃料調達は永遠の課題だった。所有者の居なそうな木製ボートを曳いてきて解体し燃料にする方法もあるが、ペンキを剥がす作業が面倒なので、最近は、深雪が手斧を持って本州の集落の住宅に入り、家具を壊して来ることになった。音を聞きつけた蠍が、数分以内に集まってくるので、一旦、避難するが、次回、同じ住宅に行けば、籠に詰めて持てる大きさの木片が沢山あるわけだ。この方法で、深雪は民家を順に回り、燃料を集めてきた。

 深雪が調達に使用する籠は、茶摘み籠に、藁やビニールを編み込んだ肩紐が付いているものだった。なぜ、古くさい籠という手段なのか望月に聞くと、チャックを閉めるバックパックより遥かに詰め込みやすいから、という答が帰って来た。深雪は荷物を背負って歩くわけではないので、歩きやすさは関係ない。今使用している籠は、以前の調達時に農家で見つけたものを持ち帰り、楢沢さんがビニールで肩紐部分を補強し、内側に防水シートを張り、頑丈な背負い籠に改造したという。

 望月が前に説明してくれたとおり、深雪が地面を歩くのは一度も行ったことのない調達先を開拓する時の往路だけで、帰路は、舟の上に突然現れ、荷を詰めた籠を下ろし、空籠を背負うと、消えた。俺たちは、深雪が背負って来た物資を、小舟の上の防水の箱に整理し、深雪と籠の重みで舟が揺れても転覆しないように、船縁に張り付いて待っているだけだった。

 浜から見える位置に蠍が出て、俺たちが二十メートルほど沖に避難していても、深雪は必ず舟の上に戻ってきた。視覚記憶だけを羅針盤に跳ぶらしいと、望月が言っていたのは、舟底を頭の中に思い描いて跳べば舟底に着地するということなのか、俺にはよくわからなかったが、とにかく、俺たち普通の人間には真似のできない芸当なので、俺たちは深雪に同行することができない。親衛隊の誰もが、深雪とともに町に入って物資調達を手伝いたいと思っていたが、それをすると深雪の足手まといにしかならないという、何ともお粗末な親衛隊なのだ。

 島に戻る頃には、深雪はひどく空腹で、すぐ食堂に向かい、俺たちは昼飯の前に、集めた物資の仕分けや倉庫への収納をし、望月が丹念に記録を付けた。昼飯を食べた後は、俺たちはまた土木作業をした。燃料として持ち帰った家具の破片には、燃やすと毒性があるかもしれない塗装やニスが施してあるので、それを鑢でこそげ落とすのも、俺たちの仕事になった。

 深雪との接点は、舟に乗っている間だけなので、調達に出ない日を深雪がどのように過ごしているのか、俺は知らなかった。深雪には調達以外の役目はなく、週休四日制だが、妹の今日花の母親代わりでもあるので、それなりに忙しいのかもしれない。風呂が無いのだから海水浴はしているはずだったが、海水浴場には絶対に現れない。そう言えば、今日花も見かけなかった。若い男女が毎日、一緒に海水浴をしていれば、恋仲になるのは時間の問題だ。深雪はそういうことを許されない立場上、皆が行かない西側か北側の小さな浜に、今日花と二人で行くのかもしれなかった。

 週に三度の調達の舟の上でも、深雪がよそよそしさを崩さないので、俺も近寄らないようにしていた。昔、道場で先輩後輩の仲だったので、深雪は望月と中山と小堀を「望月先輩」「中山先輩」「小堀先輩」と呼ぶが、三人は「深雪さん」と呼んで丁寧語で話し、敬意のある距離を保っていた。俺には違和感のある光景だった。

 戸越は、深雪のファンのようなもので、甲斐甲斐しく深雪の世話をしたがるが、不器用な男だから、物を落としたり、何かに蹴っ躓いたり、舟から落ちそうになったり、舟を揺らしたり、やたらに粗相をした。しかし、ぶきっちょな戸越を笑ったり叱ったりするから、親衛隊も間がもつというもので、これが無ければ、調達は退屈きわまりない時間になったろう。

 夜は、一人、「独身寮」の自室に戻って休んだ。親衛隊員のうち望月と中山は既に妻帯で、二階に夫婦用の部屋を与えられ、小堀と戸越は独身だが、小堀には母と姉と妹が、戸越には兄と弟が居るので、やはり二階の家族部屋に住んでいた。独身寮住まいなのは俺だけで、夜の娯楽があるわけでもなく、日が暮れたら蝋燭を無駄にしないために、早々に就寝した。

 過去の調達の過程で集まった本やマンガを並べた「図書コーナー」が、ロビーの横に設けられていた。これが意外にも役に立った。島の人口構成に配慮したのか知らないが、少年漫画が沢山あったからだ。だが、残念ながら、どれも全巻揃っていない。廃墟となった町の商店や住宅で、生活必需品や食品を詰め込む際に、緩衝剤代わりに詰めて持ち帰ったらしので、これは仕方がなかった。尻切れとんぼな漫画という妙な娯楽のある島の生活は、箱根の山中の樹上生活と比べたら極楽だが、かなり変てこりんな極楽だ。

 この極楽のロビーで、夕食後の一時を、漫画を繰って過ごした。盛夏の日は長く、夕食後にも一時間以上、文字が読める明るさが続いた。そのうち、のんぺいがやってきて、俺の隣で本を読むようになった。のんぺいは俺より七歳下で、俺より遥かに頭が良く、俺が一目見て嫌になるような字の細かい本を、考えられないスピードで読んでいた。俺のことを、幼児の頃は「竜兄ちゃん」と呼んでいたが、「ちゃん」を取って「竜兄」と呼ぶようになり、なんだか知らないが俺によく懐いてくるので、のんぺいもきっと兄が欲しかったのだろう、と勝手に納得した。

 八月十三日、盆の供養を村民総出ですると言われた。迎え盆の十三日は、夕食後に村人全員で、島の東斜面の墓地にお参りし、師匠が読経し、各々の家族の墓に線香や蝋燭を立てて霊を迎えた。この時、火を灯した蝋燭は、グラスに立てて、火を消さないように宿泊棟まで持ち帰り、夜半まで灯したままにした。本来は、十五日まで火を絶やさないようにするらしいが、蝋燭は貴重品なので、夜中過ぎに一度吹き消さなければならない。

 この年の八月十五日は土曜日で、週休一日制のこの島では平日扱いだが、各作業班は昼で作業を中止し、昼飯の後は、総出で握り飯を作った。夕食時に灯篭流しをするので、これはそのための弁当作りだった。握り飯は総て、シンプルな塩にぎりで、具を入れるわけでもなく、海苔を巻くわけでもなかった。

 本土から集めてきた古々々米には穀象虫が付いていて、塩にぎりなのに、時々、ゴマを振ったような黒い点々が見えた。黒い成虫が居るということは白い幼虫や卵は米粒の中に沢山紛れ込んでいるわけだが、もう誰も気にしないようで、米と一緒に炊かれた穀象虫を取り除くこともせず、握って行った。

 海苔というものは無いのか、と俺が小声で望月に聞いたのを聞きつけ、松坂さんが教えてくれた。 

「板海苔ってねえ、養殖なのよ。養殖網とか、海苔を洗う装置とか、海苔を漉いて板にして乾かす装置とか、色々、道具が無いと、板海苔はできないんだって。岩海苔ならあるんだけどね。板海苔食べたいわねえ。そのうち、六郎さん達が養殖方法を考えてくれるかしらねえ」

 というわけで、海苔で包むことができない塩にぎりの山が十皿ほど出来上がると、次は、笹の葉灯籠を作った。十三日に使った蝋燭の残りを一センチくらいの短さに切って芯を出し、笹舟の中央部に、少量の蝋を垂らし、それが固まる前に短い蝋燭を立てて固定するのだった。大人も子どもも一緒に、幾つも作った。弔いたい家族の人数分作るものなのか、集めた笹の葉の数だけ作るのか、誰も俺に指示はしなかったが、見よう見まねで、俺も笹の葉灯籠を十一個作った。箱根で死んだ仲間の数だ。家族は生きていると信じることにしているから、数に入れなかった。

 ふと、今日花が隣にやってきて、それじゃ浮かないとか、それじゃひっくり返るとか、色々文句をつけ始め、作った灯籠の半分くらいについて、

「だめ、やり直し!」

と命令した。七歳の今日花は一人称が「きょん」で、「きょんの方が上手だよ」「きょんがやったげる」などと言っては、俺の笹の葉灯籠を取り上げてやり直した。今日花がこんな風に俺に懐いたのは、深雪が俺のことを何か話したのか、それとも、村の新参者の俺に、突然構いたくなったのか知らないが、あどけない声で俺に指図する今日花が可愛く、美樹の小さかった頃を想い出した。考えてみれば、高校を卒業するまで、俺の傍には常に、幼い妹が居た。歳の離れた妹の可愛さというのは、歳の離れた妹を持った者にしかわからないのかも知れないが、妹と遊ぶのは俺の生活の一部のようなものだったから、今日花に構ってもらって幸いだった。

 夕暮れ前に、皆で握り飯と漬物を盛った皿と水筒を持って小舟に分乗し、島の南の沖に漕ぎ出した。島の西側は本州の陸地があり、海に沈む夕陽を見るためには、島から南に一時間ほど漕がなければならないのだそうだ。舟を操るのは、漁師の六郎さん一族で、一艘に一人ずつ乗るから、六郎さん達は、家族で一緒に灯籠流しをできないのだが、彼らは、カソリックの「死者の日」というのが十一月にあり、その日に一族で死者を弔うから、いいのだそうだ。

 握り飯を代わる代わる食べながら、舟を漕ぐうちに、瀬戸の海も空も赤く染まって行った。やがて、海につるべ落としの夕陽が見えるところまで来ると、俺たちは漕ぐ手を止め、無言で西の空を眺めた。

 俺と同じ舟に、望月と正子さんと、中山と中山の妻の叶恵さん、その兄の大森恵多郎さんと中山の母の由美さんが居た。正子さんが途中で泣き出し、望月がずっと抱き締めていた。叶恵さんも由美さんも時々、目元を拭っていた。村人は、次々と、夕陽を映した赤い海に灯籠を流し始めた。俺たちの舟の船頭は七郎さんで、俺は七郎さんの隣に座り十一個の灯籠を流したが、それが誰のためのものなのか、聞く人は居なかった。

 笹の葉灯籠は、蝋燭が燃え尽き、そのまま波間を漂い、夕陽の彼方に消えて行った。えもいわれぬ美しさというのは、このことだと思った。箱根の山中で苦しんで死んだ仲間達の霊が、もしこれまで地に彷徨っていたとしても、この光景に送られて旅立ったら、無事に彼岸に着いてくれるだろうか。

 小舟は暗くなってから桟橋に戻り、村人は、月明かりを頼りに、三々五々、宿泊棟に戻って行った。皆、各々の部屋で、この戦争で亡くした家族や友人を偲んで泣くのかもしれなかった。盆の行事はこれで終わった。

 ある晩、俺が夕食後に漫画を読んでいると、のんぺいが、隣で五分程読書した後、本の頁から目も離さずに、

「竜兄、散歩に出ませんか」

と言った。村人に聞かれずに話したいことがあるのかと思い、ああ、いいよ、と立ち上がった。

 のんぺいの歩く速度は、杖を突きながらだから、ゆっくりだ。その歩調に合わせて玄関を抜け、浜へ通じる遊歩道を進む間、すれ違う村の人のなんとなく妙な視線を感じた。こんばんは、と挨拶し、通り過ぎてから振り返り、しばらく俺たちを見ている。妙だな、と思いながらも、のんぺいが黙々と歩いているので、俺も何も言わずに浜まで出た。

(つづく)

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