グリッチ (6)

 深雪が物資の調達係を引き受けてからというもの、この島の住人はもう、本土に上陸して蠍と闘う必要もなくなったという。しかし初めの一年余りは、調達部隊というものがあり、手漕ぎの舟で本土に渡り、命がけで上陸していた。望月を隊長として、足が早く剣の腕の立つ者七人で調達をしていたが、そのやり方をやめたのは、のんぺいが怪我をしたからだった。

 当初、調達部隊は、一人を舟の見張りに立て、六人が上陸地点から一番近い街に入り商店や住宅を物色し、食糧、日用品、医薬品と燃料になるものを集めていた。

 藍之島から北に二.五キロほど舟を漕ぐと、安芸津町に着き、西に二・五キロほど行けば海水浴場や人口構造物が幾らでもあり、海岸線に舟を着け、国道百八十五号線に出られる。国道沿いには集落や工場や倉庫が立ち並び、一つずつ順々に訪れれば、前日とは違う家屋や倉庫や商店を物色できた。更に西には、安浦町、川尻町などの町が点々と続いていた。但し、山が町並みの後ろに迫る地形だから、物色に夢中になっていると、山の方から下りて来た蠍に取り巻かれていることがある。自力で身を守れない者は、調達には出られなかった。

 小田原からの避難者がこの島に定着した頃は、島での農産が皆無だったことから、調達の主眼は米や缶詰、乾物などの食糧だった。その後、農産物をある程度自給できるようになってからは、日用品、医薬品や医療器具、靴、雨具、工具、布や毛糸や裁縫用具、キャンプ用品や釣り具なども収集し、生活が徐々に便利になった。

 周囲僅か一・三キロの藍之島のすぐ隣には、自然体験村と銘打ったキャンプ施設のある龍王島という無人島があり、大分荒れてはいたが、湧き水があり、明らかに人間の手によって開墾され整備された庭園や果樹園があるため、そこを農地として利用し始めた。藍之島の南西一キロ弱の地点には、大芝島という藍之島より大きな島があり、こちらは有人島だったらしいが、本土から橋で繋がっており、島を蠢く蠍の触肢が時々見えるので、近寄れなかった。

 一日がかりの距離となるが、本土と近在の島々の海岸線を巡り西に約二十五キロ行くと、呉市があり、黒瀬川から水路で近づける。そして、黒瀬川河口から陸の突端を回るコースになるため、島からの距離が三十五キロになるが、二河川からも呉市街に水路でアクセスできる。呉市はこの辺りでは一番近い大都市で、スーパーや病院や住宅の成れの果てが多数あり、物資がまだまだ残っていた。

 この島の避難者が生活して行くための物資は、調達し続けられると思われたが、ある時、呉市街の民家を物色中に蠍の一群と遭遇し、斬り合っているうちに、のんぺいが、蠍の重みで突然崩れた家屋の下敷きになった。三人が蠍と闘い、二人がのんぺいを瓦礫の下から引きずり出したが、のんぺいの右脚は膝で折れ、原形をとどめない程、潰れていた。蠍と闘いながら失神したのんぺいを舟まで運ぶことはとても不可能だったため、深雪は弟の手を握り、島まで跳んだ。のんぺいの脚は、師匠が見るなり一太刀で膝上から切り落としたという話は、望月も後で聞いたという。

 調達部隊の残り五人は、蠍の群れを斬り抜けて浜まで逃れ、数時間後、全員、舟で島に戻って来た。これで一件落着のはずが、死人が出た。若山という名のその男は、蠍に二カ所切られながらも逃げ切ったが、十日ほど後に、敗血症で死んだ。舟に乗り込む時に、切り傷が海水に濡れたからだった。抗生物質が不足すると、海水に含まれる雑菌の感染で、呆気なく死に至るのだということを、思い知らされた事件だった。

 あの時は修羅場だった、と望月は言った。

 のんぺいは生死の境を彷徨っていた。深雪はこの時初めて、自分の体重の倍ほどもある長身の弟を運んだことによって急激に痩せ、ふらふらしながら、弟の傍を離れず看病していた。その隣で若山が息絶えた時、妻の朝美が、深雪を責め立てた。弟の命を優先し、調達部隊を見捨てて逃げた上、抗生物質をのんぺいには与えて若山には与えなかったと、言いがかりをつけて激しくなじったのだそうだ。

 深雪と朝美は歳が近く、それまでは仲が良かったが、朝美はしばらくの間、気がふれたようになり、深雪を見ると殴りかからんばかりの剣幕だった。朝美のお腹には、若山の忘れ形見が宿っており、夫を亡くした朝美の悲しみは尋常ではなかった。

 若山の死から五日程後、のんぺいはようやく死の淵を脱したが、今度は、深雪が倒れた。家族で看病すると言って、師匠が誰にも会わせず、一週間、誰も深雪の姿を見なかった。のんぺいが怪我をした日から、実に三週間以上、物資調達は止まり、いつ再開されるか、誰にもわからなかった。調達部隊は、のんぺいと若山を一度に欠いて五人に減り、のんぺいを運んだ深雪は衰弱していた。若山の死により、海水に傷を濡らすと、浅い傷でも死に至ることもわかった。

 死者を出さずに調達を続け、村を存続させようとするなら、深雪が一人で本土に上陸し、無理なく運べる重量の物資を少しずつ持ち帰り、深雪以外は誰も本土に足を踏み入れない方がよいと思えた。しかし、肝心の深雪が臥せっていた。

「皆、もちろん、深雪さんのことが心配だと、口では言っていたよ。だけどな、その裏には、深雪さんが物資調達を再開してくれなければ、自分たちは全滅だ、というな、我が身可愛い危機感があって、すごくえげつないことになっていた」

と言い、望月はため息を付いた。

 八日後、調達を再開すると、師匠が発表した。皆の期待通り、本土には深雪が一人で上陸することになり、調達部隊の残る四人の男達の任務は、舟漕ぎと荷積み荷下ろしのみとなった。深雪を浜か漁港か河岸まで送り、水際で待っているだけだ。望月達は、この方法に納得が行かなかったというが、深雪にとって人体を運ぶというのは、大変な負担になることがわかったからには、本土で怪我人を出す危険を冒すことができなくなった。

 「その頃から、深雪さんは家族に囲まれて、守られるように食事するようになったんだ。一時期は唖になってしまったのかと思うくらい無口になって、人を恐がってるみたいだった。仲良しだった朝美に酷い事を言われたのが、余程ショックだったんだろ。本当にかわいそうだった、あの頃は」

と望月は言った。

 調達部隊の男達は、本土上陸をしない代わりに、島の南西にある大芝島の更に南西にある小芝島という無人島から、木を切り出すことを仕事にし始めた。この作業には深雪は必要ないので、男だけで出かけ、木を斧で切り倒して運び出したが、小芝島は、今では禿げ山になってしまった。

 燃料以外の食品、日用品、医薬品は、深雪が市街地から調達し続けた。

 深雪は、視覚記憶だけを頼りに跳ぶらしく、一度行ったことのある所なら、島から直接跳んで行くこともできた。しかし、距離と重さに比例してエネルギーを消耗するので、調達部隊が舟で本州の浜か川まで連れて行くのだった。そこから、深雪は、一人で歩いて町や里に入り、手頃な商店や病院や家屋を選んで物色し、精々二十五キロまでの物資を籠に詰め、舟まで跳んで戻って来る。籠を降ろし、二つ目の空籠を背負い、二度目は、同じ商店や家屋まで跳んで行く。 深雪が物色している間に、舟では、深雪が取って来た物資を整理して防水の箱に詰め替える。深雪が疲れて来たら切り上げ、舟で島に戻る。

 これを当初は週四日やり、師匠も深雪の身を案じ、常に調達に同行した。が、ある程度物資が揃ってからは、週二、三日に減らし、師匠も時々同行しなくなり、やがて調達部隊に任せきりになった。深雪が一人で本土に入る場合、危険を察知したら、その場から消えれば良いだけで、何も心配することはないことがわかったからだ。

 

 この調達方法が定着するまでの間、村人達は腫れ物に触るように深雪に接し、誰かが「深雪様」と呼び改め、大半の村人がそれに倣った。深雪と村人との間に生じた奇妙な距離は、もう埋めることができなかった。

 元々、師匠は、小田原の道場を避難所にして町内の人々を守った頃から、町の英雄だ。息子ののんぺいは調達で脚を一本失くし、松葉杖を突いた痛々しい姿になった。娘の深雪は、異常な能力を持ち、村の物資調達を一人で引き受けてくれた。

「だから、幸村家はもう王族だよ。深雪さんはお姫様だ。近寄り難くなってしまった。俺まで深雪様と呼び始めたんだが、深雪さんに、居場所がなくなるからやめてください、と言われた。深雪様と呼ばれるのは嫌がってるんだよ。そりゃ、そうさ。深雪様と呼んで散々持ち上げてるのは、村のために奴隷みたいに働いてくださいって言ってるようなもんだからな」

 深雪がお姫様になってしまったから、旧調達部隊は、親衛隊に名を変えた。しかし、それも名ばかりで、

「深雪さんが荷物を背負って跳ぶ距離を数キロ短くするだろ。後は、隣の島で木を切って来る木こりだよ。最近は小芝島にも、もう木が無いから、畑地の拡張工事している土方だよ」

という情けない親衛隊なのだった。

 深雪は単身で、戦争になる前に見たことのある山梨や湘南にも行って来たことがあった。人間が世話をしなくなった果樹でも、一年や二年は、小振りな実を付けるので、りんご、梨、ぶどうを籠一杯採って来たことがある。これらは、食べた後、種を集め、畑に植えた。同様に、蒟蒻芋や山芋などの根菜類を採って来た時にも移植して栽培を始めた。小田原からは、父や弟に頼まれ、自宅の幸村道場に残っていた書籍や武具を持って来たこともあるという。しかし、遠くまで跳べばそれだけ疲労するし、もう碌な作物は残っていないので、昨年辺りからは全く行かなくなったらしい。

「でも、それなら、なぜ、箱根に現れたんだろう。箱根に深雪は何を取りに行ったんだ」

「いや、それは俺もちょっとひっかかる」

 望月は、俺の話を今日聞くまで、深雪が俺を救い出したのが箱根の山里だとは、知らなかったと言った。望月も、この村の人々も、深雪が住み慣れた小田原の町に何かを取りに行き、そこで俺と出くわしたと思っていた。そうだとしても奇跡だが、あり得ない話ではないので、皆そのように思い込んで納得していたのだった。

「ひょっとして、箱根にお前を取りに行ったのかなあ」

と望月が言った。意味がわからなかった。

「正確に言うとだな、のんぺいが、お前が箱根に居ることを知っていたんじゃないかと思う」

「どういう意味だ」

「のんぺいは、いろんなことを知ってるんだよ」

(つづく)

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