グリッチ (12)

 年に一度しか休日がない村長というのは、一体どういう仕事なのかということを、俺は望月と、望月の妻の正子さんから聞いた。

 その日は、望月が俺を夕食に招いてくれたのだ。

 この村で、人を夕食に招くと言う時は、夕食を食堂の同じ食卓で食べ、その後、寝室に一緒に退いて、暗くなるまで茶か水で談笑するということを意味した。

 食堂に一日三度足を運ぶうちに、わかってきたのだが、食堂の席の使い方には、ここの生活の営みに合わせて出来上がった独特な約束事のようなものがあった。朝食と夕食は家族や親しい者と食べ、昼食はそれぞれの作業班別に食べているらしい。だから、親衛隊員の望月は、昼食は親衛隊員と食べ、朝食と夕食は正子さんと食べていた。これは理に敵ったことで、どの班の仕事にも流れというものがあり、その流れの切れの良いところで昼食になるので、同じ班の者が同じ時刻に昼食を取る。そして、仕事の後は、汗を流す為に誰も皆、海水浴をして井戸端で潮を拭くので、夕食前に家族単位に戻るのだった。誰が決めたわけでもなく、自然にできた習慣だが、きまりではなく、厳しく守らなければならないわけでもないらしい。俺は、今のところ独身で、班も決まっていないので、いつも一人で食堂に行き、一人で食べていた。脚の不自由なのんぺいも作業班には所属していないので、昼飯には一人で現れ、俺を見ると同じ食卓に座った。そうすると、調理班の松坂さんや山崎さんが、何かと世話を焼いてくれ、調理作業が終わっている時には一緒に食事することもあった。

 一度、昼飯時に、深雪が一人で食べている姿を見かけて近づいたことがあったが、

「たっちゃん、ごめん、近づかないで」

と小声で言われた。ぎょっとしたが、俺は、池田先生に警告されたことを思い出し、踵を返した。

 

 「独身寮」には俺しか居らず、飯を常に一人で食べる者も、のんぺいや深雪の他には居ないようなので、単身者は村に俺一人なのかと思いきや、実は、隣の龍王島の農地の管理を任され、野営生活をしている男達が居ると、この日、望月に聞いた。彼らは、独身寮に部屋があるか、家族の部屋にベッドがあり、宿泊棟に戻って眠りたい日はいつでも戻れるが、井戸は龍王島にもあり、夏は日の出と共に水やりを始めるので、早起きして小舟で行き来するよりも野宿する方が手っ取り早いと、野営生活をしているそうだ。そうなると、その彼らに食事を配達する係が必要になった。

「だから、飛脚のアントニーが毎日弁当を運ぶわけさ」

と望月に言われ、何かを聞き違えたのかと思った。

「アントニー?」

「ハーフなんだよ」

というからには、アントニーというのが本名らしい。俺は思わず笑い出した。

「飛脚のアントニーって、変だろ、それ。どうして、アントニーなんて名前の奴が飛脚なんだよ」

望月は真面目な顔をして、

「脚が達者だからに決まってるだろ。飛脚を名前で選んでどうするよ」

と言い返した。そりゃ確かに、である。アントニーは、脚の速さでは島一番なので、以前から、村内の配達係兼伝令係だったが、隣の島の野営地まで、毎日三回、弁当を届ける係を買って出たという。

「脚だけじゃなくて、手も速いのよねえ」

と、俺の湯のみに水を足しながら、正子さんが言った。

「そうなんだよ。正子を取られそうになって、大変だったんだ」

望月がそう言うと、正子さんはむきになり、

「それは違うって言ったでしょ。もう、何度言ったらわかるの」

と言いながら、望月の肩をぽかぽか叩いた。俺は、夫婦のじゃれ合いを微笑ましい思いで見物した。

 俺を正子さんに引き合わせる直前に、

「正子も俺と同じで、一人残されてしまったんだ」

と望月が囁いた。それは、家族のことを決して話題にしないでくれという意味を込めた耳打ちだったかもしれないが、望月と正子さんがどれほど互いを必要としているかということを、俺に知らしめたようにも聞こえた。名前も正範と正子。運命が引き合わせたとしか思えない似合いの夫婦で、俺は我が事のように嬉しかった。

 ひとしきりじゃれ合ってから、望月と正子さんは、アントニーの手が速い件を説明してくれた。

「朝美に手を出しちゃったんだよな」

その名前はどこかで聞き覚えがあった。

「朝美って言うと…」

と俺が首を傾げると、

「そうだよ。若山の未亡人だ」

のんぺいが怪我をした日に、同じく負傷し、海水で感染して死んだ若山という調達隊員の未亡人が、夫を見捨てたと言って深雪を責め立てた、という話を思い出した。

「あの後、朝美は、赤ん坊を産んでしばらくしてから、瀬川さんというちょっと年配の人と再婚したんだけどな。それなのに、アントニーとできちまって、危うく刃傷沙汰だったんだが、師匠が丸く治めた」

「治めたってどう?」

「一妻多夫で仲良くやれ、できないなら出て行け、三人とも本土に舟で連れて行って置き去りにしてやる、と言い渡したのさ」

俺は開いた口が塞がらなかった。

「まあでも、それで治まったから、師匠は敏腕なんだよ」

と望月は言った。それ以来、一妻多夫という発想が一つの選択肢となり、もう二組、そういう世帯ができているそうだ。

「そういうことは師匠が、というか村長が、決めるのか」

「だからな、師匠は、道場では師匠だろ。道場の外では、村長というよりも、もう何でも屋だ。裁判官というか調停官もやるし、坊さんの真似事をして葬式や法要もする。祝言はしないんだけどな。「高砂」を歌える人が別に居るからな。そんなことより何より大事な役目は、物資の在庫管理と公平な分配だ。農作業や土木工事や井戸掘りの長期計画も練る。これはもちろん、物資の供給と密接な関係があるからだ。物資が無ければ、人間の空手だけでは、ほとんど何もできない」

 そして、物資の調達は、深雪の双肩に掛かっているから、父親である師匠が深雪の体調も勘案し、調達スケジュールを調整するという具合に、すべてが繋がっているのだった。

「俺はあの朝美という女はどうも嫌いなんだ」

と望月が言い、正子さんが、

「まあくん、だめよ、そんなこと言っちゃ」

と、たしなめたのが、また微笑ましかった。望月は、家では「まあくん」なのだ。俺がにやにやしていることには気付かず、望月は正子さん相手に、しきりに憤慨していた。

「粉ミルクが足りないと言ってるのに、また妊娠してるじゃないか。三人目だぞ。どっちの子か知らないが。三人目の男ができてたりしてな」

「まあくん、品がないわよ」

正子さんが、眉根を寄せた。

 粉ミルクか。俺のこれまでの避難生活には必要でなかった様々なものが、女子ども赤ん坊の居るこの島では、生活必需品になるということに、俺は遅ればせながら気付いた。

 この夜、正子さんから、着替え一式を渡された。それは、ランニングシャツと下着と手拭やハンカチの他、夏用の薄い生地で仕立てた半袖の作務衣三着だった。シャツと作務衣には俺の名前が刺繍してあった。作務衣は正子さんが手で縫ってくれ、名前も刺繍してくれたと言う。布や裁縫道具や毛糸は、以前に本土から取って来たものが倉庫にあり、正子さんは裁縫編み物班で、村人に服を供給しているのだった。全員が同じような配給品を着ているので、名入りになっている。名入りでない小物は、自分で手洗いして保管するように言われた。

「作務衣はほとんど直線断ちの直線縫いだけで、ボタンもチャックも要らないから、時間がかからないの。サイズも丈以外はあまり気にしなくていいし。神山さんの寸法も測らなかったけど、主人とほぼ同じ体格と聞いたので、作っておきました。また、冬になる前に、冬の服を作ってあげるから、心配しないでくださいね。セーターや襟巻きや手袋も編んであげるから」

俺は正子さんに丁重に礼を言って服を受け取り、改めて、望月は良い嫁さんをもらったなあと、幸せな気分になった。

 数日後には、杖も要らなくなり、俺はこのホテルの宿泊棟を利用するための基本事項を、さして考えもせずに、自然にやるようになっていた。まず、朝晩、自分用の上水を井戸から汲み、部屋に運び水甕を満たす。これをしないと、部屋で咽喉が渇いた時や手が汚れた時に、一々面倒だからだ。部屋の浴室で排泄はしないが、手をゆすぐなど飲用以外に水を使用して下水が出たら、それは下水用のバケツに溜め、外の畑用の貯水桶に排水する。井戸端では洗面のついでに、下着のほか自分用のハンカチや手拭などの小物を手洗いし、それを窓から伸ばした竹竿に干す。

 自室では蝋燭を節約し、一ヶ月に一度程度の配給で不足しないように注意しなければならなかった。朝は曙光と共に起き、夜は師匠が消灯を呼びかけ、廊下や階段を照らす蝋燭が消されるまでに部屋に戻る。独身寮で暮らすようになってから、一週間も立たないのに、俺はこの村の一日のリズムに慣れていた。

 この日、午後の子ども達の稽古というものを見学しに、道場に赴いた。温泉ホテルの一階の宴会場だった部屋を、道場に改造するという師匠の案は、他の時代、他の場所なら、趣味が高じた悪趣味のように思えるかもしれないが、蠍から身を守る術を誰でも身につけなければならない今の時代、理に敵っている。小田原の道場にあった竹刀や木刀や道衣や防具も、舟で運べるだけ運んできたので、道場の装備もある程度は整っているらしい。

 しかし、師匠本人は、子どもの稽古を見ている暇がない日が多く、望月が師範となり、十代の七人の子ども達に教えていた。この村の子ども達は、午前中は、池田先生と先生の妻が教える学校で日本語、英語、算数、理科、歴史を勉強し、午後は剣道と海水浴で身体を鍛えている。コンピュータゲームもインターネットもない、実に健康的な子ども時代を謳歌しているのだ

 親衛隊員は、子ども達とは腕前がかけ離れているので、隊員だけで金曜の午後に、かなり激しい打ち合いをするということだが、この日は水曜日で、俺は、子ども達の稽古を見学した。十代の男子ばかりなのは、この戦争の女子どもの死亡率を反映したもので仕方のないことだった。

 教え方が巧いと、俺は感心した。望月は、中学生の頃に、体格も既に筋肉質で寸胴で、良くも悪くも「おやじ体型」だったのだが、人格的にも同い年とは思えない。子どもに対する接し方も子を持つ親の風格があり、子ども達がよく言うことを聞いていた。剣道場で望月が子どもに剣術を教えている姿を見ているという事態の非現実性が、俺にまたしても、「パラレルワールド」という言葉を想起させ、世界を滑ってしまったという説明が最もしっくり来るような気持ちにさせた。

 

 稽古を終えた子ども達が海水浴に飛び出して行った後、望月は、竹刀を一本、俺に渡し、

「一試合、やるか」

と誘った。望む所だった。脚、大丈夫か、と望月が気遣ったが、ほんの少し違和感が残っている程度だ。

「大丈夫だ。手加減するなよ」

俺たちは、一応、頭部を保護するために面を着け、向き合った。四年ぶりだった。四年前の俺は、望月に勝てた試しがほとんど無かった。

 ところが、意外なことに俺の方が圧勝してしまった。できる時は寸止めにし、望月の身体に渾身の一撃を当てるようなことはしなかったが、五本続けて入り、望月が降参した。手加減をしてくれたのかと疑い、俺は望月の顔を伺ったが、その悔しそうな表情を見て、決して手加減したわけではないとわかった。

「やっぱり、本土で蠍から三年逃げ切っただけのことはある。身体の切れが全然違うじゃないか。俺たちには実戦経験がなさ過ぎるんだ」

負けた悔しさを隠そうとせず、望月はそう言った。

 望月の言う通りなのかも知れなかった。蠍に取り囲まれ、斬って斬って切り抜けたことが数えきれない程あった。本当に命のかかった戦闘を何度も経験すれば、嫌でも反射神経が研ぎ澄まされる。

 望月は、

「お前みたいのが三人くらい親衛隊に入ったら、本当に本土攻略ができるかもしれないな。凄いことになってきた」

と喜んだ。

 いや、それは違う、と俺は思った。どんなに腕が立っても、蠍相手では自分と精々もう一人くらい守れれば上出来だ。村人八十人を守るには、八十人以上の精鋭が必要だ。しかし、折角、望月が喜んでいるので、俺は何も言わなかった。

 そこへ、防具を着けた深雪とのんぺいが現れた。袴は無いらしく、二人とも、下半身は作務衣のズボンを着ていた。望月が驚いた顔をしたので、これは普通のことではないらしかった。

「深雪さん、どうしたんですか」

「望月先輩、ちょっと相手をしてくれませんか。のんぺいもやらせますから、一対二でお願いします」

 深雪は望月に、負傷した左腕を二週間ほど使わなかったから、戦闘の感覚を取り戻したいと説明した。親衛隊よりも誰よりも、蠍と斬り合う可能性が高いのは深雪だ。調達を再開するためには必要な稽古かもしれないが、望月は気乗りしない様子だった。深雪に本気で打ち込むということは、心情的に難しいのだろう。

 望月がためらっていると、深雪が、

「それなら、神山先輩にお願いしましょうか」

と言った。子どもの頃、深雪は俺のことを道場では「神山先輩」と呼んでいた。俺は何やらタイムスリップしたような錯覚に陥った。

 しかし、そんなことよりも、のんぺいにもやらせる、というのが、解せなかった。のんぺいは、利き手の右腕で杖を突いているのに、一体どうやって稽古をすると言うのか。すると、望月が、更に意外なことを言った。

「いや、神山は脚の怪我がまだ完全じゃないので、俺がお相手します」

つまり、深雪が俺に怪我でもさせることを危惧しているのだった。確かに、深雪は中学生の頃から異様にすばしこかったが、あれから実戦経験を積んでどれほど強くなったのだろうか。お手並み拝見するかと思い、俺は黙って道場の隅に下がった。

(つづく)

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