見出し画像

それ以上でも以下でもない人間関係


 誰かにいう必要もない思い出がある。

私より10歳年上の教師、時田さんとの2日間だ。


 マッチングアプリの使い方もよくわからない頃、時田さんと私はマッチングした。オロオロとしている私に時田さんはゆるい文章を送ってきた。


「今日は予定ありますか?今から〇〇(大型商業施設)行くんだけど」


 顔だけで判断されたり、体の関係を求められたりが多いマッチングアプリの世界で、休日の昼にお茶をしようと誘ってくれる姿がとても新鮮だった(マッチングアプリに慣れてきたらわかるが、健全なお誘いをしてくれる人もたくさんいた)。

 しかも買い物ついでという軽さなので、こちらも構えなくていいんだなと思える。
 時田さんの格好つけず、ゆるい雰囲気が心地よい気がして、会ってみることにした。


 時田さんはおしゃれだった。


 会った時の季節は春だったので、古着っぽい黒色で薄手のロングコートにチノパン、ストライプの青色シャツに蛍光色の運動靴を合わせていた。
リュックには大きくて可愛いサメの図柄が描かれていて、服装が綺麗になりすぎないように調整しているようだった。


 写真ではしていなかった細い銀縁のめがねをしていたので、待ち合わせ場所に現れた時に気づけなかった。


「あ、どうもどうも。時田です」


 クシャッと笑うと目元には浅いシワが入り、口元に蓄えた髭が薄い唇に合わせて動いた。


「環くん、おしゃれさんだね。洋服好きなの?」

爽やかで優しそうで気取らない感じがわかる第一印象だった。



 時田さんは教師をしている。
「最近の生徒たちはませてるよ〜」
と憎まれ口を叩きながら、生徒たちとの交流を話す。

 まさか教師になるとは思っていなかったらしいが、「授業がわかりやすいなんて言われた時にはぐっときたね」と例の笑顔を浮かべる。
「この前卒業した生徒がさ〜…」
人間として好きだな、と笑顔をみるたびに思った。



 恋の話もした。
時田さんは2年だったか、5年だったか、とにかく長い間付き合っているパートナーがいた。


 パートナーとは同棲していないが、「お互いが両親にカミングアウトしていないから、互いの両親が死んだら同棲するかもな」と苦笑する。
 でも、「性格が真逆だからさ、一緒に住んだら喧嘩すると思うけどね」と笑う。
また、あの笑顔である。


「パートナーと別れることはないんですか?」
「うーん、遠距離は無理だから遠距離になったら別れるかも。幸いにも、別れて俺と付き合ってくれって言ってくれる人もいるからね。でも、好きだからね、別れる気はないよ」

 
 爽やかで優しそうで気取らないという第一印象は、そのまま時田さんの印象へと変わっていった。




 私は時田さんの話を聞きながら、思いを馳せていた。
こんなに良い人が、ここで見せている笑顔を作るまで、どんな人生を歩んできたのだろう、と

 相手の緊張を軽々しく解き、洋服のセンスがよくて、仕事を適度に頑張ってやりがいを見い出し、大好きな相手を見つけ、重荷にならないように愛することができる、30代半ばのこの人はどういう軌跡を辿ってきたのだろう。

 時田さんの柔和な笑顔に照らされながら、僕は時田さんのもっと奥を見ようと目を凝らし、耳傾け続けていた。

 お茶が終わり、時田さんはキャンプ用品をみて帰った。
私も一緒にキャンプ用品をみて帰った。
家に着くと、また会いたいな、と率直に思うのだった。



 約2週間後、私から時田さんをご飯に誘った。
私の勤務地の詳細を告げると、「そのあたりでお好み焼き食べませんか〜?」と返信がきた。

 当日は、遠慮する私をよそに、「まあまあ」と言いながら車を出してくれた。
連れて行かれたのはローカルなお好み焼き屋さん。
「この前友達と来たんだよね」と言いながらオススメのメニューを教えてくれる時田さんは、やっぱりこの前と同じ時田さんだった。


 私は運転しないからお酒を2杯飲んだ。
酒に勢いを借り、時田さんに思い切って聞いてみた。

「あの、僕と付き合うってありですか?」
時田さんは一瞬、驚いた顔を浮かべてから笑った。
「ありだよ。環くんかっこいいし、良い子だしね。モテるでしょう。でも、俺は今のパートナーと別れる気はないんだよね」

ショック!みたいなことは全くなかった。

「そうですよね〜、わかります」
「わかるの?笑」

 2人で笑った。


 そこから恋愛観や友達の話になった。

 マッチングアプリでは体の関係で終わるようなことが多々あるけど、そういうのは望まないよねという話。
 気を遣わないみたいなことではなく、ちゃんと話し合って納得したうえで関係を構築できるようなコミュニケーションが「楽な人」と付き合いたいという話。
 何気なく飲みに行けたり、何でもかんでも恋愛に繋がっちゃうようなことのない友達を作りたいよねという話。


 私たちは人間関係の話を肴に、お好み焼2枚と焼きそばを平げお腹いっぱいになった。「じゃあそろそろ帰ろうか」時田さんはいう。

 時計の針は午後8時45分を指していた。人と食べて飲んで午後9時前に帰るなんてことあるんだな、と思ってクスッと笑ったら、時田さんは「明日仕事だもんで〜」と笑った。


 時田さんのコンパクトカーは私の家の近くに止まった。

「あの、」

時田さんがこちらをみる。察してくれたように静かな目だった。

「僕、時田さんのこと好きです。でも、そんなに重たく考えてほしいわけではなくて、付き合いたいと思っているわけでもありません」

時田さんの目には柔らかさが出てくる。

 私は続ける。
「人として好きです。でもこの感情は、友達や恋人、好きな人に向ける感情ではなくて、ただただ時田さんに向いている感情なんですよね
時田さんは微笑む。


「職業のことも言いましたけど、いつか僕はこの土地を離れます。
それは明日なのか、3年後とかなのかはわからないけど、いなくなるんですよ。
だから僕らは離れ離れになるし、互いに忘れてしまうかもしれません。
今、そのことを考えて猛烈に寂しい気持ちです。
 でも、恋人のように留めておきたいとも思っていないし、友達のように趣味や共通の人の話題で盛り上がり続けようにもネタがないって思っています。
ごめんなさい、こんなこと言って、でも伝えたくなっちゃいました」


 時田さんはホッと息をついて、話し出す。

「わかるよ、環くんが言っていること。
転勤があることも聞いたし、俺も環くんに対しては同じような気持ちだわ。
まあ、一般的には友達ということにはなるんだろうけど、こうやって知り合えて話していて楽しかった。
ちょっとしたら、全く会えなくなるんだろうなってことも考えるよ。
 でも、きっと思い出すこともあるし、僕が仕事や旅行で行った先にいるかもしれないからね。環くんがここに帰ってくるかもしれないわけだしさ。
 先のことはわからないから、永遠の別れじゃないから、とりあえず今日はさようなら、またねってことだけだから


 時田さんはポンと、助手席に座る私の手の上に、手を重ねた。


「そうですね…また連絡しますから。2日間ですけど、一緒にいられて楽しかったです」私は時田さんの手を握り返した。

 柔道をやっていたというその手は節くれだっていて、少し乾燥していて、だけどものすごく温かい手だった。
 時田さんは笑う、私も笑う。


「じゃ、行きますね。送ってくれてありがとうございました」
「うん、またどこかで会おう。あまり無理するなよ。人に対して毎度真剣になっていたら環くん疲れちゃうよ」
「大丈夫です。僕、人と会う体力は引くぐらいあるので!また」
「ははは。元気でね」


 私はバタンと助手席のドアを閉めた。
コートのポケットからイヤホンを出して耳にはめる。
少し歩いてから、後ろを振り返る。
交差点を右折する黒い車は、ためらいもなく去っていった。


 その後、時田さんからは「今日はありがとう」という礼儀の範囲を超えないメールだけがきて、私が返信すると既読スルーになって終わった。
 その土地を離れる前にも連絡したが、特段思い出にふけるわけでもなく挨拶の返事がきただけだった。


 時田さんが今、何をやっているか、パートナーと仲良くしているのか、仕事を続けているのか、何もわからない。


私は今でも時田さんとの関係になんて名前をつけていいのかわからない。
時田さんは「一般的には友達」と大人な回答をしたが、私は「環と時田」という関係でしかないと思っている。それ以外に形容しようがない。


 人間的に好きで、恋愛的にもちょっぴり好きだけど相手を束縛したいとかも思わなくて、友達としては共通の話題が少し足りなくて、親族とかではもちろんない。


そんな新しくも、一般化できない感情を、思い出を、私は将来に渡って誰かに話すこともないだろう。私だけの大切な思い出だ。


 ここに記したのが全てで、以上でも以下でもない。


 「環と時田」はたった2日で、世界で一つのものだった。



<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,899件

#忘れられない先生

4,602件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?