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仕事は好きじゃないけど、アイデンティティも失いたくない
仕事が好きじゃないという感覚、できるならしたくないという感覚が社会に出て5年以上経ってなお残り続けている。
でも、嫌いに対して、ちゃんと考えたことがあったのかというと、
これまでに無かったようにも思う。
基本的に嫌いなことは避けていいものではないかと考えている。
運動が嫌いな人が無理に運動する必要もないし、ゲームが嫌いな人であれば、ゲームをしなければいい話。
けれど、こと仕事となるとそういう
やりたいことには賞味期限がある
数年ぶりにやりたいことを書き出してみた。
前回はたしかコロナ前にやりたいことを書き出したような記憶がある。
2019年頃だったように思う。
実際に数年前に書き出してみたことに対して、どのくらい進んでいたのかというと、達成できていたのは50個中3個。
完全に忘れていた内容だったので、達成できているものがあること自体、少し意外だったように感じる。
とはいえ、ほとんど達成できていないことも事実。
いきなり感想を求められましても
案外、自分の感想というのはよくわからない。
もちろん、自然と感想が出てくるということもあるけれど、あえて求められるとそれほど出てこなかったりする。
感想が出てこなかったことで、
パッと思いつくのは、新入社員の頃に行った朝のスピーチだろうか。
必ず誰かひとりはスピーチを行うことになっており、テーマは共通だったり、自由だったり様々。
そして、スピーチを行うわけだが、それが終わると必ず誰かが感
生産体質になるために
どうも最近は、生産するということに妙な重さを感じている。
note書くにも漫画描くにも、何も思いつかないし、イラストを描こうにも何も描きたいものがない。
一時は描きたいものはいくらでも目についていたし、日ごろからアンテナもしっかり作られていたと思う。
けれど、最近は何も頭に入ってこない。
何かを考えようという気持ちもない。
そうなってしまうと、生産するきっかけが現れない。
ただ仕事をして
やっと2022年に慣れたのに。
毎年思うことなのだが、年を文字で打ち慣れてくるころには、1年が終わっている。
迷いなく2022年と打てるようになったと思ったら、もう2023年と打たなければいけないので、混乱するばかりである。
西暦ならまだいいが、和暦は触れる機会自体があまりないため、慣れることすら無く、そもそも何年か分からない。
それは仕方ないことにしよう。
1年間慣れしたんだ西暦という習慣をあっという間に手放さなければい
どうしたら「大人」になれるだろう?
もう15年くらい同じ種類の野球ゲームを続けている。
振り返ってみると、なんだか大人になっても変わらないものだなと思う。
今27歳なので、15年というと12歳からやっていることになる。
その間に、小学校を卒業して、中学高校大学と進み、社会人になった。
環境も人付き合いも、約3年刻みで目まぐるしく変わって、当時と同じだと言い切れることはほとんどない。
昔に比べて色々なことは知ったし、当時より
スマホでnoteを書けたらいいのに
僕はスマホで長い文章を書くのが苦手。
画面が小さいからなのか、フリックだとなんとなく疲れてしまうからなのか。
文章を書くって決めたら、ちゃんと椅子に座って、PCをセットして、みたいな感じで気合いを入れるから書けるような気もするので、
スマホだと妙に気合いが入らない。
かといって、PCに限定してしまった時の文章を書く機会損失は結構大きい。
PCを開いて文章を書くというのは、準備にかなりのコ
どうして身近な人の言葉を信じられないのか?
僕は身近な人の言葉を信用できない性質を持ってしまっているように思う。
人のことを信用できないとかそういうことではなく、
言葉を信用することが難しく感じてしまう。
だからといって、初対面の人やあまり僕のことを知らない人からの言葉を信用できるかと言われたら、それもできないと思ってしまう。
一言でまとめれば、ただの面倒なやつなのだ。
とはいえ自分は面倒なやつだと言って落ち込んでしまうだけでは面白
価値の尺度をお金に頼らない練習をしたい
自分の身近にあるものの価値を測ろうとした時に、一旦お金の尺度を挟んでしまうことをやめたい。
まるで、お金でしか世の中を見れない人間みたいな感じがしてしまう。
お金以外の尺度が発達してしてないとも言える。
尺度が分かりやすいものならまだいい。
速いとか大きいとかなら、見え方として分かりやすいからそこまで迷うことはない。
けれど、きれいであるとか美味しいのような、人によって様々な尺度を用意で
逃げるための夢としないように
僕は高校生の頃から、漫画家になり、人に物語を伝えられる人間になりたいという夢を持ち始めた。
高校生になって初めてちゃんと漫画を読んで、なんでこんなに面白いんだろうと思ったし、ワクワクもしたし、キャラクターに対して悲しいとも思ったし、頑張ってほしいとも思った。
漫画というものは、こんなにも自分の心を動かしてくれるのかと感動し、それを作ることが自分にとって初めての夢になった。
それまでまともに絵
恐れず自分の意見を伝える為にはどう考えたらいいか?
僕は仕事にしても趣味にしても、何かしらを発信する環境にいることが多い。
そのため、自分から生まれた意見への評価を貰うことも多く、その評価を自分という人間に対するものであるという認識で生きてきた。
そして、そんな経験を長くしたことで、意見に対する評価をおそれ、自分の意見を引っ込めてしまいたくなる衝動が生まれる場面に出くわすようになった。
持っている意見は言った方が議論も活発になり、様々な視点が
いつも同じ壁にぶつかっている
最近、僕は何を考えているんだろうか。
自分の中で判然としないことが渦巻いているような気がする。
仕事のこと、生活のこと、将来のこと。
あらゆるものが形を帯びておらず、なんとなくふんわりとしたまま漂っている。
こんなことが無くなるようにとnoteを書き始めたはずなのに、結果的にはそんなことが起きている。
どうしてだろうか。
おそらく考えていることはちゃんとある。
何も考えずに生きるなん
書けない時には何を書こう
気付いたらnoteを毎日書くようになってから、2週間が経った。
この期間、スムーズに書ける日があったり、まったく書けなくて延々とダラダラしてる日があったりする。
始めた当初は書きたいことがあるときに書いていて、思いつかない日は書くこと自体しなかった。
だから、毎日書くことはせず、最も間が空くときで一週間くらいすぎている時もあった。
そのペースで書いていれば、ネタ切れすることはまずない。
ぼくは何を見てふみきりをわたっているんだろう。
日頃、自分がどんなことを考えてどんな判断を下しているのかというのは、
案外自分でも分かっていない。
なんとなくこんな感じということは分かっているかもしれないが、
面と向かって聞かれると、返答に窮することは少なくない。
なぜだろうか。
自分のことは自分が分かっているはずなのに。
というよりも、分かっていないとすると怖い。
今自分が行動を取っているのに、自分ではその判断を下した理由は分からな
子どもの僕から見たおとな
これまでの人生で、「大人になったな~」と心の底から思えたことはない。
小学生の時に見た、中学生の背中はとても大きく見えたが
中学生になった自分の背中は大きくなることもなかった。
新卒で入社した時の先輩はそれはもうすごい先輩に感じたものだが
2年目になった時は、自分は大した先輩でもなんでもないと考えていた覚えがある。
人の背中は大きく見えて、自分の背中はとても小さい。
そんなことを感じながら今