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逃げるための夢としないように

僕は高校生の頃から、漫画家になり、人に物語を伝えられる人間になりたいという夢を持ち始めた。

高校生になって初めてちゃんと漫画を読んで、なんでこんなに面白いんだろうと思ったし、ワクワクもしたし、キャラクターに対して悲しいとも思ったし、頑張ってほしいとも思った。

漫画というものは、こんなにも自分の心を動かしてくれるのかと感動し、それを作ることが自分にとって初めての夢になった。

それまでまともに絵なんか描いたことないし、話を考えたこともない。

自分にユーモアがあると思わないし、強い個性もない。

そんな状態だったけど、少しずつがんばって何かができるようになっていくのは楽しかった。

しかし途中から、出来るようになったことに満足するようになって、新しい挑戦をしなくなっていった。

何もできなかった時は何かできることが楽しかったはずなのに、気づけば出来ることを人に見せびらかすようになり、先に進むことをやめた。

そんなこんなしているうちに、熱がさめていくように漫画家になりたいという夢もさめていった。

だいたい、大学に入学して少し時間が経ったあたりだったと思う。

それ以降、趣味的にたまに絵を描くくらいで、上達させようという意志はなくなった。

人生の夏休みなんて言われている大学生活は、本当に休むように何もせず進んでしまった。

20歳を過ぎたころには、僕にもパートナーができて、2人で色々なところに遊びに行く楽しさを知った。

その時から、楽しいのだから良いと思うようになった。
日々を楽しむことができるのであれば、大きな夢を持つ必要なんてない。

着実に生きればいい、ちゃんと就活してちゃんと仕事して。
自分はそういう生き方をすればいい。

パートナーのためにも、自分はちゃんと働いて、生活をできるようにするのが、きっとこれからを楽しむことなんだと感じるようになった。

だから、仕事に対して希望を持っていたわけではないけれど、就職もした。

そうしていくことが大人になることだと思った。

現実を見て、大きすぎる夢をもたず、少しずつ成長をしていく。

そうすれば一人前の大人として生きているだろうと思っていた。

将来的には家族を持つようになって、子供の成長を見守る。
そんな姿を想像しながら、仕事に励んだ。

しかし、働くというのは簡単ではない。

日々、できないことにぶつかるし、注意を受ける。

どうしていいかわからないことばっかりで、どこに向かおうとしているのかも分からないし、何になりたいのかも分からない。

それでも、やらなきゃいけないことは目の前からなくなることがない。

いつまでやり続ければいいんだろう、これに終わりはあるんだろうか。

そんな自問自答をしながら、なんとか終えたと思っても、翌日には新しいことが始まっていく。

当然だ。働くということは終わらせることではなく、いかに続けていくかだ。

時代が変われば、働き方も一緒に変化させながら、続けていくことをしなければいけない。

その続けるという行為が、僕にとってとんでもない負担になった。

仕事が続くことも、また始まるということも、どちらもいやだった。
終わった時、そのままであればいいのにと何度も思った。

そんなことを考えているうちに、どうせ続けるのなら、自分が好きなことであってほしい。

好きなことであれば、なんとか続けることができるから。
苦しい時はあるかもしれないけれど、好きという原動力はきっと自分を動かしてくれる。

このあたりから、会社での仕事よりも個人で稼ぐ方法について考えるようになった。

色々調べていくうちに、

数々の手段を使って、金持ちになっている人達を発見しては憧れた。
ホテル暮らしでいつも違う場所にいる姿は、今の自分とは真逆で本当に光ってみえるようだった。

しかもそれは、自分の好きなことを仕事にしている人ばかりだった。

好きなことで稼ぐってこんなに輝いているのかと心躍った。

自分で稼げるのであれば、いやだと思う仕事に身を置き続ける必要はない。自分で稼げるのであれば、自由に動けるようになる。

仕事をしなければいけないと縛られている状態から、自分を解放させることができるのならと、寝る間も惜しんでエネルギーを注ぎこんだ。

それくらい、がんじがらめな状態から抜け出したかった。

今の自分のためではなく、未来の自分が自由に動けるようになるための努力だと思えれば、多少の無理は簡単にできた。

土日休みもまともに遊びに行くことはしないし、休憩もしない。

パートナーと一緒に過ごすことも後回しにして、とにかく自分のスキルを高めることに時間を使った。

将来的に自分のスキルが高まって、自由を勝ち取ることができるなら、それはパートナーのためにもなると本気で思った。

今を捨てたって、未来でたくさん一緒に過ごせるのなら、その方が良いと思った。

SNSを駆使して稼ごうと考えたり、イベントを開催して稼ごうと思ったり、気づけば稼ぐことだけが頭に残り、パートナーのために何かをするということは頭からすべて抜け落ちた。

そして、抜け落ちていることにすら気づくことはない。

自分は頑張っているのだから、それを認めてもらって当然だ。

相手のことを想うなんてことは全くしていない。
ただ自分は認められるはずだという思考だけが残っている。

気づいた時には、自分からパートナーは離れていた。

そのあたりから、稼ぐためだけに生きることに違和感を持つようになる。

稼ぐために生きるだけなら、生きる必要すらないのではないかと思うようにもなった。

生きることを選ばなければ、別に稼ぐ必要もない。

振り返った時に何のために稼ごうとしているのか分からなくなっていた。
そういえば、一番最初に稼ごうと思ったのはパートナーのためだったのに。

日々を楽しめるようになるためだったはずなのに、僕は稼ぐことに惑わされ、パートナーと過ごす今を捨てた。

よくよく考えてみれば、そこまで憧れなんてないはずのホテル暮らしに異常なほどの憧れを持ってしまった。

そして、パートナーも同じようにそれを楽しんでくれるとも思っていた。

とんだ勘違いだったと思う。

しかし、そんな後悔をしていても仕方ないのだから、また前に進むしかない。

どうあろうと仕事が目の前から消えることはない。
誰かも言っている言葉を借りれば、仕事が目の前にあることに感謝するべきなのだろう。

ただ、一度仕事が続くことに躓いた人間である。
そんなこんなしているうちに同じ壁にぶつかってしまう。

続ける、始まるということはやはり苦しいままで変わっていない。

そうなると、やはり自分を解放するためには、自分で稼ぐしかないのかと思いがよぎるが、かと言ってなんでもいいから稼げればいいという考えはその時の自分には無い。

じゃあ、何をすればいいんだろうと考えた結果、たどり着いたのが漫画家になるという夢を持つということだった。

そこしか縋る場所を持っていなかった。

なんでもいいから、仕事から解放される瞬間が欲しかった。

高校生の頃に持った夢だったけど、当時ちゃんと挑戦したわけではない。

それならば、大人になってもう一度挑戦したっていいはずだ。
そんな想いで、自分を奮い立たせた。

そこから、もう一度漫画家になるための行動を始めていった。

しかし、行動がはじめることができたからって、仕事が抜け出せるわけではない。

仕事から解放されたくて、漫画家になるという夢を持ったのに、なんて時間がかかるんだろうと思った。
これではいつまでも経っても、解放されないじゃないかとも思った。

焦っているから、腰を据えて訓練するということもできない。
表面だけをさらいとるように、前へ進もうと行動した。

そんなことでうまくいくはずもない。

そうすると、また、

もっと手軽な方法で稼ぐ手段を探した方がいい。
気付けば、また稼ぐことばかりの頭になっていた。

どうしてこんな生き方になってしまっているのだろうか。

ずっと変わらず持っていたのは、自分は楽しく生きていきたいだけだということだった。

別に大金持ちになって、毎日遊び尽くしたいわけではない。
仕事で大成功をおさめて、何かになりたいというわけでもない。

ただ、幸福に生きていたかった。

しかし、どうやらそれにはお金がいるらしいということも分かっていた。

だから、気づくと稼ぐことに気持ちが寄っていってしまった。

そして、その気持ちから逃れる術もしらなかった。


ここまでの僕の動きは、仕事や会社という自分を縛っているものから、なんとか解放されるための行動でしかない。

時を忘れてしまうような充実した時間ではないし、青春してるなんて言う明るい雰囲気を纏ったものでもない。

なんとか今の自分の辛かったり、いやだったりする環境から逃げ出すことができるように、その手段を探し続けていただけだ。

個人で稼ぐということも、漫画家に大人になってもう一度挑戦しようと思ったことも同じ。

いつかこの状況を変えられるのならという気持ちでやってきた。

それだけ、自分にとってはいやでいやで仕方なくて、早く抜け出したかったんだろう。

正直なところ、それは今だって変わらない。

しかし、

それは精神的に不健全ではないだろうか。

好きなことをすることも、漫画家になるという夢を追うことも、どれもこれも「逃げたい」という感情が原動力となって生まれてくる。

そんな悲しいことはあるのだろうか。

今の環境がいやで、それから抜け出すための道を探し、そこに夢を見るのなら、その夢はすべて逃げの一手になる。

もし逃げることができたなら、その先はきっと続かない。

逃げれればなんでもいいのだから、どんどん広げていくというパワーもない。

そんな逃げの一手に夢を乗せていいのだろうか。

逃げるためだから焦りも生まれる。
自分に危機が訪れれば、強引に上手くいかせようとして失敗することだろう。

そして、またダメだったと言って、自分の状況を変えることもできなくなる。

僕は、そんな逃げの一手のために、人生を使いたくはない。

逃げたいから、漫画家になりたかったのだろうか。
そんな気持ちで夢を叶えて、次に苦しくなってきたら、またどこかに逃げ込もうと考えるのだろうか。

その時、自分に逃げ道は用意できるのだろうか。もう夢という手段は使ってしまっている。
現実との境目を知ってしまったあとだから。

きっと夢を逃げの一手とする限り、このさき一生、どこまで行っても夢は逃げの場所から変わることはないだろう。

自分の目指すその場所が、そんな逃げるための隠れ家みたいな場所にはしたくない。

だから、逃げるための場所として夢を見るのではなく、向かうための場所として夢を見たい。

逃げるのではなく、攻める形で夢を見たい。

そのために、腰を据えよう。

仕事が好きだとは思わないし、精神的に負担になっているのだって同じ。
朝になれば、今日も仕事か思う日もいっぱいある。

だけど、そこから逃げようとして、結果として夢を逃げる手段にはしたくない。

ならば、腰を据えて仕事をするしかないではないか。

自分が技能を身につける時までは。

そんな簡単に今を変えることはできないかもしれない。
なかなか変化は現れてこないかもしれない。

それでも、前に向かって進めるように。

他にどんな逃げ方を持っても構わない。さすがに逃げ場がないというのは心的疲労が強すぎる。

だけれども、夢だけは逃げ場所に使わない。

そんな自戒を込めて、この文章は終わりにしようと思う。

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