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いきなり感想を求められましても

案外、自分の感想というのはよくわからない。

もちろん、自然と感想が出てくるということもあるけれど、あえて求められるとそれほど出てこなかったりする。

感想が出てこなかったことで、

パッと思いつくのは、新入社員の頃に行った朝のスピーチだろうか。

必ず誰かひとりはスピーチを行うことになっており、テーマは共通だったり、自由だったり様々。

そして、スピーチを行うわけだが、それが終わると必ず誰かが感想を言うことになる。

しかし、1分だか3分だかで話されたことに対して、すぐに「感想ありますか」と聞かれても、大抵の場合はない。

批評ならできる。

「話し方がメリハリがあった方がよい」とか、「結論から話されているからわかりやすい」とか。

一定の指標を持ちつつ、それと照らし合わせながら、目の前の事象に対して、良い点・悪い点について話す。

それだったら、そんなに難しくはない。
もし話すことを求められたら、とりあえず批評しておけばどうにかなる。

では感想となるとどうなるだろうか。

心で感じたことをその場で急に話すというのは難しい。

「楽しかった」「悲しい」「ちょっとムカッとした」等、
何かしらの感情が動いていればいいが、そうでない場合は話し様がない。

感想を言わなくてもいい場合であれば、それでいい。

あるいは素直に感想を述べてもいい場所ならば、良いも悪いも伝えることができる。

しかし、感想を求められるとどうだろうか。

自分としては微妙だなとか、そもそも何も感じなかったかなとか、どちらかというとマイナスな感情が湧いている時に、求められる感想ほど辛いものはない。

場をおさめるためにも、空気を壊さないことを言わなければいけない。

しかし、空気を壊さないことを目的とした感想なんて、大した感想になるわけがない。

自分自身話していても、何も面白みはないし、後から記憶に残ることもない。

とはいえ、感想を言う場で、無言を貫くというのもおかしな話。

そうだとすると、解決策を考えておかなければいけない。

感想を求められた時の対処法。

一体どういうものがあるだろうか。

ストレートに感じたことを伝える、何も感じなかったと伝えるetc

このあたりはちょっと微妙なところ。
相手との軋轢を生むだろうし、その後の関係性を考えるとやるべきではなさそう。

じゃあ、感じても思ってないことを伝えるのはどうだろうか。

一時的なら良いかもしれないけど、それをずっと続けていたら、気づいたら心が死んでしまいそう。

自分の本当の感想が分からなくなるなんて、状況に陥りかねないから、よいとは言えない。

素直も嘘も微妙な選択だとした時に、どうするべきだろうか。


こういう場合の対処法は、「観点を複数持つこと」なのではないかと思う。

例えば、今の自分ならどう思うか、高校生の自分だったらどう思うかみたいに、時間軸をずらしてみたり、

自分ならどう思うか、○○さんならどう考えるかなど、人の軸を変えることで感想を考えてみる。

背景や状況が変われば、湧いてくる感想は変わる。

大悪人だと思っていた人の境遇を聞いてみたら、悪人には見えなくなるなんてことも少なくない。

感想というのはあくまで、今の自分の境遇を元に作られているもので、別にそこが固定されているものではない。

少し変えれば、感じ方も大きく変わる。

そうやって、何かしらの感想を持つ時に、どんな理由で今の感想が湧いたのか、何を変えたら感想が変わりそうかを考えてみると、

感想を持ちやすくなるかもしれない。

できるなら、ひとつの事象に対して、色々な感想を持てる方が面白い。

トレーニングだと思って、複数の感想を持てるようにしてみよう。

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