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人生初めての"いじめ"

私の母は美容師で、離婚した頃は母はまだアシスタントだろう年齢。本当に毎日忙しそうにしていて、母の仕事が終わるまで私と兄は祖父母宅で過ごしていた。
アシスタントの頃は、本来職場に残り練習を積む時期。でも母は私たちがいて残れず、夜な夜な家で練習をしていた。そして、カラー剤を塗る練習や、新しいカラー剤の色味を試すため、私の髪で練習することもよくあった。私は、母が美容師という環境だったのもあり、メイクやネイルなど綺麗にすることが大好きで、小学生で髪を染めることには特に抵抗はなかった。

入学式を終えて間もなくした頃から私は、明るめの茶髪で登校していた。結局それも、後々いじめられてしまう要因のひとつだったと思う。
小学3年生になるまでに、何度も髪の毛の色が変わった。私自身、そんな子供の頃から色んな髪色が楽しめることも嬉しかったし、何より、母の役に立ててる事が嬉しかった。だから何も嫌じゃなかった。
でも、それくらいから、2つ上の5年生の女の子の集団から、すれ違いざまに、
「調子乗ってんなよ」「似合わねーよブス」「学校来んなよ」「死ねよ」など、10歳そこそこの私にはダメージが大きすぎる言葉を毎日沢山言われた。ぽっちゃり体型だったのもあるのか、私が座った椅子に座ると「デブ菌が移るぞ!」と笑う男子もいた。髪色の影響もありマイナスな意味で目立っていまい、容姿に関することでボロクソに傷つけられる毎日だった。
でも、その頃の私には、反撃する気力や勇気は欠片もなく、むしろ、「私が悪いんだ」「私がブスだから」「私がデブだから」。自己肯定感なんて持ち合わせていない私は、ただただ自分を責めた。

今の年齢になれば、"そんなくだらないことで"と思ったりもする。"そんな奴には言い返しちゃえよ!"とも思う。でも、学生の頃って、学校が全てで友達社会が全て。嫌われることを恐れていた私にはきつい毎日だった。

そんな私でも、少しだけ自信のあるもの。それが書道だった。小学1年生から6年生まで、賞を取らなかった年は1度も無い。
母にさえ言えない気持ちを詩にして、それを筆ペンで創作する。小学校高学年からはその時間が増えていった。


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