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「〜大学行ってそう」について

私はよく盛大な勘違いを話し相手からされています。

ただし、注意として私本人が相手にそのレッテルを貼っていないか問われたら「完璧に貼ってないとは言いきれない」という立場です。そんな立場からこの愚痴を言うのは場違いですが語らせてください。ごめんなさい。

(なんか、絶対怒ってる…)0。🦥

他者からしたら自慢に見えると思うのでTwitterのツイートは疑問形式だけで済ましましたが、私はよく「海外の大学行ってるの?」「東大生…?」などと変な疑問をぶつけられるが、実際に行ってるのはそんな大したところではないです。

あ、大学の名前を言っても恐らく「?」となるだけなので割愛しますが。

何をどう考えて人々は「東大生?」「海外の大学?」と言うのかさっぱり私には分かりません。

「賢そうだから〜の大学に行ってるよね」
「日本の風潮に対して肌に合わなさそうだから海外の大学行ってるよね」
「よく論文とか読んでいるから頭の良い大学だよね」と言ったような他から見た賞賛と呼べる言葉の数々に、私本人からしたら侮辱と疑問に思います。

私が海外の論文の要約サイトを読んだり「賢い」と他者から思われるようになったのは、私自身の問題を必死に学生時代に解決していた、ただそれだけの事。
他の学生みたいに必死になって机に向かってはおらず、逆にその姿勢を見る度に「学校という受動的な勉強に向かえるだけの心の余裕があって羨ましい」という皮肉の感情さえ抱いていました。

私は高校の後半、成績は下の下でした。
自分の問題に打ち勝つ為、虐待という問題や後継問題に置いて、生きるための知恵しか得ていなかったので学校の勉強にはさほど興味を抱きませんでした。

そんな奴が大学に出て、ネットに出て、アルバイトだが社会に出て周りよりも高評価を受けているのですから。正直「学歴なんて何も関係ない」としか思っていません。

なのに世の中の人達は「王月ちゃん大学生だったんだ。〜大学?」と口を揃えて言う、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

「君たちは大学名で人を判断するのな?馬鹿馬鹿しい。」と常に思っています。

というだけの愚痴や疑問に付き合わせてしまいすみませんでした。

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