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429.「弱音」ってね、闘っている人の言葉で、「弱気」とは闘う前の言葉なんだよ。

(41)負けない心


1.弱気ってね、自分の集中力を分散させ、弱音は自分の努力のひとつなんだよ


本当に、自分のことってわからないものだね。
知っているつもりでも、わかっていても、頭の中や行動が違ってしまう。
ある意味、摩訶不思議なものが自分なのかもね。

coucouさんはね、いつも自分を疑ってみる癖がついた。
それはね、自分の思うこととは正反対の行動をしてしまったり、つい、逃げたくなったり、逃げるときもある。
別に、逃げることは悪いことじゃあない。
逃げたいときには逃げるのが正しい。
だって、人間には生存本能が備わっているのだからね。

ただ、今の自分が意識して、逃げているのか?
無意識に逃げてしまっているのか?
、というのは随分と違う気がするんだ。

だから、coucouさんはね、自分がどう逃げているのかと疑ってみるんだ。

何かの物事になかなか集中できない時って、もしかすると、自分は逃げている場合がある。だから、それを認めるようにしている。
どうして、集中力が不足しているんだろう?
その原因を自分が理解することの第一歩となる気がする。

何かに集中するって、とても大変なことだよね。
このノートだって、そう。
作業中に電話が入ったり、話しかけられたり、見たいドラマがあったり、友だちの誘惑もある。やりたいことって、意外とたくさんある。

だけれど、仕事や生活だって、集中するときには集中しないと、何も進まないよね。

それに、大切な問題だって、いつまでも逃げたり、避けたりし続けることは不可能なことなんだもの。

「体調が悪いから集中できない…」
たしかにそれも理由のひとつですが、体調だけのせいにしても解決する場合はいいけれど、解決しないのならもう一度考え直す必要がある。
(確かにこの騒がしい567風邪と厳しい暑さ、やる気なんて起こらないよね)

だから、思い切って、逆らって、むしろ今、目の前にある嫌なこと、めんどうな耐えられないことを優先し受け入れたらどうかな。
どっちにしても、いずれやらなければならないことなんだから先送りせずあえて、今、行動してみたらどうかな。(逆らってみるんだ~)

その大切な物事を避けたり、逃げたりすると、その物事はさらに複雑になって、さらに疲れ消耗してしまうような気がする。

もう、時すでに遅し、すでに大部分が疲れきってしまっているかもしれないけれど、そんなときほど、自分に気力と集中力を注入しなければならない時かもしれないからね。

だけど、そういいながらも、今までもうタップリ休んできたはず。
だから、そろそろ、もう少し真剣に考えねばならないときかもしれないよ。

 

苦しかろうが、つまらなかろうが、他人がどう思おうが続ける、やり続ける、「集中し続けるという覚悟」が集中力の持ち方のコツなんだよ。

もしかするとね、今がとってもチャンスかもしれない。
そのチャンスって、自分を成長させ、自分を伸ばす最後のチャンス、最高のときかもしれないのだもの。

 

人って、誰も困難、苦境に対して逃げようとしたり、避けようとするのはある部分、本能的なもので、その危険に対してはやむ得ないものだよね。
(誰だって、精神的な病や、心の悩みを抱えているんだからね)

でもね、困難や危険、苦境でないのに、単なる自分自身の弱気から起こる、気持ちが逃げたり、避けたりすることに対してもっと自分を見つめる必要がある気がするんだ。

集中力とって、最終的に自分との闘いなんだから、自分との闘いを拒否する理由はないのさ。

「弱音」ってね、闘っている人の言葉で、
"Yowane", in the words of those who are fighting,

「弱気」とは闘う前の言葉なんだ。
"Bear" is the word before fighting.

弱音は必要だけど、弱気はその人をダメにしてしまう怖れがある。

弱音は努力する人、闘う人に訪れ、
弱気は逃げる人のみに訪れるもんなんだよ。
Weakness comes only to those who work hard and fight, while bearishness only comes to those who run away.

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.人は誰もが弱き者


本当はね、世の中に強い人なんていないんだ。ただ、強そうに振るまったり、強そうに見えるだけさ。

人ってね、誰もが弱き者で、もともと強い者などどこにもいないんだよ。
自分だけが弱いんじゃあなくて、誰もが弱き者なんだよ。

だからね、強い者は強くなる必要はないのさ。
なぜって、人はもともと強い者なんだ。

でも、強き人って、強いため、強くなる努力は必要とせず、強き人は自分の強さに溺れやすい。
弱きひとつて、弱いからこそ強くなろうと願い、強くなる必要性が努力を呼び込むのさ。

伸びてしまった人は伸びる必要はなく、伸びようとする人は、自分が成長し伸びようと努力する人のみが、本来の本当の強き心を取得できるんだと思う。

集中力をつけるコツって、
できる限りの「集中力を身につける努力」が必要なのさ。

「集中する人って、集中する、集中できる、集中できるのだ」といい聞かせることができる。

集中できないと思う人は集中できなくなる、変な法則がある。

「嫌だ」「大変だ」「めんどうくさい」「自分の思う通りにならない」と思う人って集中力からの注意信号なんだ。
これって、まず先にやらねばならないことに対することが「注意信号」となって自分に送られてきているものなんだよ。

 くり返しけれど、弱気はね、自分の集中力を分散させ、弱音は努力の結果のひとつなんだよ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.集中力を失う原因


よく、みんなが言う言葉があるね。「俺が悪いのだよ」「わたしが悪いのだから」「自分が間違っていたのだから」って、いう言葉を耳にするよね。

そう、自分を責めることによって相手からの同情を求める人がいる。
でもね、ひとつ間違えると自分勝手に反省している姿を他人に見せることより、自分を正当化しようとする狡さが働くんだ。
するとね、集中力が分散されてしまうんだよ。

なぜって、反省を自分に都合よく判断してしまっているからなんだ。

そしてね、同じ言葉をくり返す、「全部自分が悪いんだ…」と。
だけど、本来はくり返さないための反省なんだけれど、くり返し続けてしまう。

 

ここで気づかねばならないことは、くり返していたなら何らの反省の意味はなく、ただ自分の言葉によって自分自身を納得させてしまっているだけです。しかし、一見自分を納得させているように見えますが、くり返すことにより自分の心の中の本心はまったく納得できてはいないのです。

本当に納得している者は何度も何度もくり返さない努力をします。二度と怒られたり、文句を言われたり、注意されまいと自分の心の中に思い込みます。なぜなら言葉で逃げようと思わないからです。自分でくり返さぬよう努力しようと思えるから集中力は分散したりしません。なぜなら、より集中しようと努力するからです。

反省と集中はとても大切な関係です。反省から集中力が生まれることを知る人は少ない。そして集中力は複雑に考えることではなく単純に考えることです。

集中できない理由、集中できない原因と理由は様々ですが、集中力が分散していく理由はそこにあり、自分を軽く納得させてしまうところに誤りがあり、このような反省は自分の心に深く納得させなくてはなりません。

©NPО japan copyright association

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

さて、coucouさんの大好きな、大好きな「ノートに神さま」
49番目(順不同)の神さまのご紹介~

いつも、いつも応援ありがとう~

blue-penさん~
どうしてblueなの~

coucopuさんはね、Blue-penさんの「母へ」を読んで思わず涙が零れたんだ。blue-penさんのノート文は、coucouさんと違ってとても短い。

短い文って妄想力や想像力が自然働いてしまう。

それはね、その文の背後を感じてしまうからなんだ。

人は誰もが年を取る、年を取れば自動的に動けなくなる。
とても当たり前の話だけれど、それが、親と子の運命。

coucouさんも最後の最後まで弟と二人で介護を続けた。
そして、お風呂に入れたいためデイサービスに通うことを勧めた。
最初は嫌な顔をしていた母だったけれど、二人の息子の負担が少しでも減ればという覚悟もあったんだろうね。

介護って、介護される者と介護する者の2つの関係がある。
これが他人ならば違うのだろうけれど、家族の介護に対しては「申し訳ない…」という強い気持ちが起こってしまう。
でもね、どんな状況であっても、生きていてくれるだけで嬉しい。
あれから、もうすぐ3年を迎える。

まだ昨年のような気がする。

Blue-penさんの短い母親に対する言葉の中に深い愛情と優しさを感じる。
かけがえのない人、かけがえのない命に対して真剣に考えて向かい合う、
そんなblue-penさんの作品。

みなさん、言葉の背後を想像しながら見てください。
漫画もいい。

他人の喜びは自分の喜びのかみさま~
Blue-penさん~

いつもありがとう~
勝手なご紹介、お許しくださいね。

blue_penさん

blue_penさんの言葉より
親の介護をしながら、パート勤めをしてます。自分なりに日々楽しみを見つけて過ごしています。「他人の喜びは自分の喜び」をモットーに、人の役に立つ人になるために自己成長を目指しています。日々思っている事とかを書いていきます。いろんな人と交流を深めたいですね。フォロバ100%です。


僕にとって母は特別なかけがえのない存在です。これからどれだけ老いてもデイサービスで楽しみを見つけて生きていってください。僕から名誉町民、名誉家族の称号をあげたいくらいです。

運命の人に巡り逢えたら、って?
その時は、自分の車でお気に入りの海へ一緒にドライブさ。

どんなに普段、孤独な虚しい生活をしていても、夢の中でいろんな人と出会う事が出来る。

僕は、毎晩寝る前に本を読む事にしています

会えるものなら会いたいという気持ちはありますが、もう会えないという後悔の念に切なくなります。

ネットという仮想空間と現実の世界という違いだけのように思います。

30代からは暗黒の時代で自分には何も残っていなかった。


©NPО japan copyright association


Que Sera Sera - Doris Day ( lirik / lyrics dan terjemahan )



 Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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