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530.上から目線じゃあなくてね、下から目線がいいね~きっと世界が変わる~

coucouさんのお仕事論㊻最終回

1.魔法の言葉「わかってあげる人になる」


 
前回の続きだけど、coucouさんの友人には電気工事屋の社長がいる。
彼は一人社長でcoucouさんの顧問なんだ。
(無料だよ~)

彼もとにかく、雇われるのが嫌い、自由に生きて稼いでいる人なんだ。
あるとき、彼の仕事先の本屋に同行した~

でもね、どうしても不思議なことがあるので、coucouさんの顧問に聞いてみた~

彼は誰と会っても仕事の話をしないんだ…。

それは、どこの仕事先に出向いても同じなので、
coucouさんは質問をしてみた。

「どうして電気関係の仕事なのに違う話しばかりしているのですか?」
何故なら、どこに行っても仕事以外の話ばかりなんだもの~
 
「えっ~仕事の話なんて必要ないよ。そんなことは仕事が決定してから話せ
ば良いことで、何も取引先に行って、そんな話ばかりしていたってつまらないじゃん」
 
「……」

coucouさんはね、いつも彼の言葉に驚かさせられるんだ…。
 
「じゃあ、何が大切か、っていったら。まず顔を出す事。そして、相手の話を決して否定せず、聞いてあげる。ただ聞いてあげるだけじゃあ駄目。《わかってあげること》だ。何をわかってあげるか?それはね、俺たちは人間だよ。嫌なことも、楽しいことも日々仕事や生活の中にあるだろ。まず、そこんところを《わかってあげなくちゃ》。」

彼の言葉を忠実に再現してみた…。
 
「《わかってあげること》とは相手の立場、置かれている状況、環境、問題点、私生活を含めて、困っている事のすべてだ。もし、わからないことがあれば、その相手と真剣に学ぶぐらいの姿勢が必要だよ。それに、ただわかってあげればいいという問題でもない。相手は《信頼できる友達を求めている》。この意味がわかるかい」
 
「……」
 
「ビジネスとプライベートは違う、とほとんどの人は思っているようだが、相手は人間、俺も人間、機械じゃあない。怒りもあれば、情けもある。暖かさもあれば、冷たさもある。当然、喜びや、嬉しさ、感動だってある。俺の営業は《信頼できる友達づくり》だ。みんな友達になる、友達の友達もみんな友達だ。俺と会うと相手は仕事中でも笑顔で迎えてくれるだろ!俺も友達として、笑顔で接している。」
 
「友達って互いがわかりあうことだろ!俺はそう思っている。」
 
 凄い言葉だよね~
coucouさんはね、学人(まなびと)なんだよ~


©NPО japan copyright association Hiroaki


 

2.魔法の言葉「下から目線」


 昔、こどもの頃。とても広いと感じていた場所を、大人になって訪ねてみると意外に狭く感じ、驚く場合があるよね。

例えば、小学校の校庭やグランド、体育館。
幼稚園や小学校の教室や椅子、机なども改めて見ると、ガリバーのように感じ、小さな世界を感じるよね。

これは知恵がついて、身体が大きくなったからだ、といえばそれまでだけど、大きな違いは目線の高さが違うんだもの。

人はね、当たり前のことだけれど、誰もは目線が高いと見下し、目線が低いと見上る。
このように目線によってものの見方、見え方がまったく違うことがわかると思う~


小さな部屋でも天井に向かい寝そべれば広く感じる。
このように目の高さによって、世界はまるで変わるんだ~

私たちはいつのまにか大人になり、歳を重ね、モノの考え方や見方が随分と成長し変化を遂げて変わってきたんだね。
 
でも、現在の目線はどうなのかな?

高い所を見上げない限りは、モノを見る時は見下している。
これが、大人になった私たちの「正しさの基準という固定観念」となってしまっている気がする。

私たちはモノを見たり、感じたりする場合、このような一方的な自分の見方を信用してしまう癖があるね。

アイデア商品や発明品などもおんなじ~
ヒントやひらめきもおんなじ~
仕事だけじゃあない、日々の生活もおんなじ~

このように、自分の目線の一方だけ見て判断してしまうようになる
気がするよね。
だから、たまには、下から見たり、横から見たり、他人の目線を利用したりする必要があるよね。

誰もが大人になった目線が正しいと思いがちだけど、改めて子ども目線も必要になる時かもしれないね。

この子ども目線を取り戻したときに、初めて見えてくるものがある気がするんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

©NPО japan copyright association

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

本日で「coucouさんのお仕事論」は一旦終了~
46回も続いちゃった~
このお話はね、話し出すと永遠に続くんだ。
だって、coucouさんのお仕事なんだもん。

また、つまらなくなければ「coucouさんのお仕事論2.」の準備をしようと考えている。(次回から新シリーズ~これからまとめ始めて、10回くらいかなあ~)

でもね、仕事も生活も人生の一部~
いや、人生そのもの~

このnoteだって、人生そのものだもんね~

仕事だの、生活だの、友だちだの、愛情だって、全部人生なんだものね。

だから、あえて境なんて取り外してもいい気がする。

©NPО japan copyright association Hiroaki


3.とっても逢いたい人


ねえ、みんなは逢いたい人っている?

逢いたくて、逢いたくて、たった一度でいいから逢いたい人~

きっと、いるよね~

coucouさんはね、たくさんいるんだ~

でもね、ほとんどの人がこの世からいなくなってしまった気がする。
そう、だから、とっても寂しい気がしている。

目をつぶれば、coucouさんの中には必ずいてくれて、話しかければ答えてくれる気もしている。だけどね、触れることができない…。

もっと、もっと触れたいし、抱きしめたい…。

それは叶わぬ夢なのかもしれないけれど、そっとその人の頬や髪に触れてみたいなあ、と思う時がある。



先日、横断歩道内でお年寄りが転んだ…。
coucouさんは慌てて起こした。

信号が変わりそうだったから、腰の痛みを我慢しておんぶした。
そしたらね、小さな子どもみたいにとても軽い~
横断歩道を超えて、背中から降ろしたら、お婆ちゃんはcoucouさんの手を握るんだ…。

どうやら、すぐそばの家まで連れて行って欲しいってことみたい。

coucouさんはね、数十メートル先にある家の前まで連れてインターフォンを鳴らした…。すると、息子さんらしき人が出てきて、真っ先にそのお婆ちゃんのことを怒った…。

coucouさんはね、怒らないでほしい、って伝えた…。

その息子さんらしき人はcoucouさんに気づいたらしく頭を下げて感謝してくれた~家に入るのを見届けてから、coucouさんはもう一度、横断歩道を渡って自分の車を置いてある駐車場に向かった…。


車のドアを開けるとき、突然、急に涙が出てきた…

どうしてって?

あのお婆ちゃんの手の感触を思い出したんだ~

そう、それはね、どうしても逢いたかった母の手そのものだったんだ…

ああ~

逢えるんだ…。

あのときの母の手、最後に握った柔らかな手、母をおぶったとき~

そう、まったくおんなじだったんだ…。

そう、母が逢いに来てくれたんだね…


そう、逢えるんだ~
触れることもできるんだ~

そう…

世の中には姿、形を変えて、父や母、かけがえのない人、愛する人って目の前にたくさんいるんだね…。

次はね、父に逢おうと思っている…。



coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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