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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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#話をきくこと

好きかどうかか。

好きかどうかか。

毎週一度、障がいをもつ人たちが宿泊する施設の宿直をしている。
そこに一人、同じことをずっとしゃべっている常連さんがいる。

一月に関わりはじめて以来、同じことをしゃべる利用者さんには何人か出会った。でも彼のしゃべっていることは、なんだか聞きづらい。さっき終わったはずの話題が五分後にまたはじまったりすることもあるけれど、それ以上になんだかまとわりついてくる。

僕は人の話をずっと聞き続けるのは苦にな

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つづく。

つづく。

毎週コンビニで漫画を読んでいる。
ジャンプ、スピリッツ、マガジン、ヤンジャン、モーニング。最近はスマホでも漫画が読めるようになったので、読む量もうんと増えた。

作家さんの想像力と編集者さんの構成力。「漫画はすごい」「漫画家さんって天才だ」と事あるごとに言っては奥さんに呆れられている。挙句、こんな歌までつくってしまった。

漫画はいつも途中で終わる。
夢中でページを繰って「つづく」まで行くと、余韻

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僕たちはどうしてこんなに脅かされているんだろうね。(メルマガ『生きているQ』より)

僕たちはどうしてこんなに脅かされているんだろうね。(メルマガ『生きているQ』より)

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。(配信登録はこちらからどうぞ。)

こんばんは。澤です。

聴いてくださり、
ありがとうございます。

先日、大阪の石切で開かれた
円坐と家族についての場に
参加してきました。

そのうちの一部、
本編ではなく
終わった後の雑談でした話を
こんな感じで記事にしました。

「障がい者」ではないけれど、
社会に適

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「こんな自分に見られたい」

「こんな自分に見られたい」

たくさんの人の話を聞き、おしゃべりを交わしていると「こんな自分に見られたい」という思いが殆ど無意味であることに気付かされる。

なぜなら相手の前に現れる自分は、その時に話す言葉と同じように相手の存在に呼応して現れるからだ。

もっと言うと、そうならないと会話がうまく流れない。「こういう私として見て」という操作を会話に加えると、自然な流れにゴツゴツとした違和感が挿入され、打ち解けた空気が霧散するから

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自然と社会のはざま。

自然と社会のはざま。

以前も紹介したこの記事の

この表現が気になっている。

社会的周縁に存在し、自然界の中で自分たちがどう生きていくかに思いを巡らす人物と、集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いを巡らす人物がいる——前者こそが自閉症者であることは、改めて指摘するまでもないだろう。

僕は自閉症者ではないが、もはや「集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いを巡らす人物」で

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もうひとつの筋道。

もうひとつの筋道。

今週末、25日に開催予定だった『聞くことのヤバみ』という催しを、昨晩、中止することに決めた。

正確にいうと、決めたというよりは、いっしょに主催する「ふなさん」こと吉橋久美子さんとやり取りしているうちに「これは違う」と気づいたのだ。

もともとこの場は昨年二人で開いた『聞くことの愉しみ、聞くことの深み』の続編という位置付けだった。

豊かだったあの場から一年を経て、お互いどんなふうになっているか。

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共感、同情、共鳴。

共感、同情、共鳴。

昨日の話、

に続いて、これもこの間『listen.』で話したことなんだけど、「共感」というのには、二つの種類があるのではないかと考えている。

一つは話を聞きながら「それはつらかろうね」とか「それはうれしかったね」と相手の気持ちを想像して、同じ気持ちになろうとすること。これは他の言葉だと「同情」に近い。

もう一つは、相手の気持ちを想像しようという努力をしてないにもかかわらず、

(((ぽーん)

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生活の雑感。

生活の雑感。

「餅を煮る」 最近、我が家の朝食は、切り餅を煮てコーンポタージュにつけて食べるというもので、これがすこぶる美味しい。
 また、何度もつくっているうちに餅の煮加減がわかってきた。固体から掛け布団ぐらいになる頃に上げる。煮すぎてしまうと濡れタオルのようになってしまうので注意が必要だ。別にそれでもおいしいのだけれど。
 あと、「餅を煮る」という言葉自体が発音してみると、妙に心地よい味わいがあって好きだ。

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それぞれの15分。

それぞれの15分。

今日も二本の『listen.』の時間をもった。

「これから15分は、あなたの時間です。」

『listen.』は、そんなふうに始まる。
その後は話してもいいし、なにも話さなくてもいい。

実際、今日は15分なにも話さなかった方がいた。
「本当に言いたいことが出てくるまで喋らない」と思っていたら、何も言葉が出てこなかったそうだ。

でも、その時間は心地がよかった。
僕自身あれこれと個人的な事に思い

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またしても、人に説明できない経験をしてしまった。

またしても、人に説明できない経験をしてしまった。

昨日も『listen.』というかたちで、二人の方とおしゃべりの時間をもった。
どちらもすごく楽しかったし、新年のこの時期に人によって思うこと、感じることがこうも違うんだ、と当たり前のことに感心した。

中でも昨日の夕方、近所のファミレスで行った『listen.』は衝撃的だった。

ちょうどさっき、この記事に「いいね」をもらったけれど、

まさに「ずっと聴き続けること」で、はじめて知る事実に遭遇した

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人生のヤバみ。

人生のヤバみ。

昨日の『listen.』では、15分聞き終わった後、思わず「美しい!」と言ってしまった。

ご本人からしてみれば、ただ15分語ったにすぎない。
けれど、僕には映画『グラン・ブルー』のようなダイビングに感じられたのだ。

自身の感覚を精密に感じながら、過去のいくつかの場面をめぐって、振り子のように、らせんを描くように、しかし真っ直ぐに潜水していく。言葉をぴたっぴたっと当てながら「いや違う」とすぐさま

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心地よく、望んで聞く。

心地よく、望んで聞く。

昨日の話の続きなのだけれど、

周囲の大人たちは、「意味がわからない!」だとか、
「日本語を知らなすぎる」「なにが言いたいんだ」
などと怒ったり馬鹿にしたりは、絶対にしない。
「でたらめ」と「まね」の歌のようなものを、
心地よく、望んで聞いていてくれるのだ。

こういう環境で、歌のように声を出し続けていたら、
言語の習得はできるようになるに決まっている。

赤ちゃんを含めて、人が「歌うように」しゃ

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歌うように歌って。

歌うように歌って。

今日の「ほぼ日」のコラム「今日のダーリン」がすごくよかった。
(明日1月6日まで読めます。よかったらぜひ :-)

1歳2ヶ月のお孫さんのまだたどたどしい日本語を聞くイトイさん。
そこでこんなことを思う。

あっ、そうなのか、生まれたばかりの人は異邦人なのだ。
日本という土地にやってきた赤ん坊という異邦人が、
どうやって日本語をしゃべれるようになるかがわかった。

きっと、こうやって「でたらめ」と

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スムーズよりノイズが。

スムーズよりノイズが。

「話が噛み合わなくなった時にこそ、本来のお互いがいるんじゃないかしら」

今日の『listen.』でつい、こんなことを口走っていた。
いま、その言葉を思い返しながら、この記事を書きはじめている。

昨年末、僕は対話についての記事を集中して書いていた。

これらはいずれも他者との間に「わかりあえなさ」があることを前提にしている。二人の間に「わかりあえなさ」の溝があって、対岸から橋を架けていく。その行

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