もうひとつの筋道

もうひとつの筋道。

今週末、25日に開催予定だった『聞くことのヤバみ』という催しを、昨晩、中止することに決めた。

正確にいうと、決めたというよりは、いっしょに主催する「ふなさん」こと吉橋久美子さんとやり取りしているうちに「これは違う」と気づいたのだ。

もともとこの場は昨年二人で開いた『聞くことの愉しみ、聞くことの深み』の続編という位置付けだった。

豊かだったあの場から一年を経て、お互いどんなふうになっているか。新たに現れた要素も加えてグレードアップ。そんなつもりだった。やりたいこともすぐに決まり「これは楽しんでもらえるだろうな」と思える内容になった。中止を決めた今でもそう思う。

にもかかわらず、この場の開催にあたっては(主に僕が)揺れに揺れた。
別の場に行きたい気持ちや「豊田」にフォーカスしたい気持ちやいろんな変更案が逆波のように現れては消えた。

僕らは、というか、ふなさんはそれぞれの波を受け止めて「イッツマイプレジャー」とばかりに応えてくれた。ここまで座礁せずに進んで来られたのは全くもって彼女のおかげだった。

では、なぜ中止になったかというと、昨晩話をする中で「この場がいまの僕らを反映していない」とわかったからだ。

内容には何の問題もない。
ひらかれたらきっと楽しいし、喜んでもらえると思う。

けれど、それは「一年前の僕ら」でもできることだった。
「あの場から一年を経て」という時間に起きたことを、僕は小さく見積もりすぎていたのだ。

昨年の一年間、僕らにはそれぞれ、かつてない出来事が起きていた。
その出来事に対峙するには、人に見せたことのない、できれば見せたくない面を出さざるを得なかった。

しかし、それを出したことで僕らは変わった。変わらざるを得なかった。

その最新の「僕ら」と今回の場で想定していた「あの場から一年を経た僕ら」は別人だった。「このくらい変わっているだろう」と思っていたよりも、もっとずっと大きく変わっていたのだ。

場というものは舞台であり、人が活動する器だと思う。
今回、僕が用意しようとした器は、大きく変わった僕らを反映するには小さすぎたのだと昨晩ふなさんと語ってはっきりと分かった。

「企画はいろんな楽しみを散りばめた素敵なものだと私は思うんだけど、でも今回の企画のためには私達『出会って』なかったのかもしれないですね。」

と、やり取りの最中にふなさんは言った。
まったくその通りだと思った。

今日22日は、参加申し込みの締切日。
その前夜ぎりぎりになって、僕たちはこのことに気づいたのだった。

思えば、これまでの過程にその予兆はあった。
「迷っている」「揺れている」「ちぐはぐ」「浮き足立った」、開催に向けてのやり取りに何度も現れてきた言葉。そして場の強度を試すように浴びせかけられた(というか、僕がやったことなんだけど)逆波。

我ながら「そりゃないよな」と思いつつ投げかけていたそれらも、「今回の企画のためには私達『出会って』なかったのかもしれないですね」という一言に至るためにあったような気がする。

なにより、そのことが明らかになった時、僕は晴れやかな気持ちになった。
「このためにこのやり取りがあったんだな」と思ったし「ああ、済んだな」と感じた。

そして一般的にネガティブな印象がもたれる「やめる」という決定の中に「発展的解消」と呼ばれるものがあることが分かった。確かにこの場はここで役目を終えて、発展的に解消しようとしている。

もちろん、締め切り直前まで開催できる人数に達していなかったから、その負け惜しみと見ることもできる。失敗の痛みを避けるためと言えなくもない。それに中止について知らせるのは、やっぱり「負けました」という感じがしてやや気が重い。

それでも、失敗、敗北、中止という一般的な理解とは別の「もうひとつの筋道」が、あるような気がしている。

その筋道によれば、開催することよりも、ふなさんと聞き合いながら中止の決定まで至ることの方が重要だった。その筋道を僕は「面白い」と思った。

そして、これこそが「聞くことのヤバみ」と呼べるものかもしれない。
お互いを聞いて、聞いて、聞くうちに、一般的ではない、異例な、言葉は悪いけれど「狂っている」とさえ言える地点にたどり着いてしまうこと。

「大切に温めてきた場が開かれないのはすごく残念だなあ。だからと言って後戻りできないことはわかるので、仕方ない。」

と、最後にふなさんは言った。
そう。聞くと「後戻りできない地点」までたどり着いてしまう。それが残念であれなんであれ。

そんなわけで、今日が締切なのだから結果を待って判断すればいいものを、さっさと中止にしてしまい、わざわざこんな長い文章を書いている。これもこの出来事を知らせることの方が大事だという筋道に乗っかった判断だ。

「ふなさんとズレてて申し訳ないですけど、なんかこんな晴れやかな中止ははじめてです。やってよかった。」

と僕は伝えた。

「うん、ズレてるよ〜〜笑 未練タラタラで私はお別れします!聞くことのヤバみ、ごめんね!!!!」

とふなさんは言った。

思えば、ずっと僕らはズレていたのだ。ぜんぜん聞いちゃいなかった。

でも、僕はこの場をひらこうとしたことで、ふなさんとこのやり取りができてよかったなと思った。以前よりもっと知り合えた手ごたえがあったからだ。

聞くことって、やっぱりヤバイ。
ありがとう、『聞くことのヤバみ』。

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