またしても人に言えない経験を

またしても、人に説明できない経験をしてしまった。

昨日も『listen.』というかたちで、二人の方とおしゃべりの時間をもった。
どちらもすごく楽しかったし、新年のこの時期に人によって思うこと、感じることがこうも違うんだ、と当たり前のことに感心した。

中でも昨日の夕方、近所のファミレスで行った『listen.』は衝撃的だった。

ちょうどさっき、この記事に「いいね」をもらったけれど、

まさに「ずっと聴き続けること」で、はじめて知る事実に遭遇した。

そこそこ付き合いのある友達だったのに、まったく知らなかったそのことを知った瞬間、全部がひっくり返った。

新しいめがねの度数を決めるときに、眼鏡屋さんがレンズを挿し替えてくれると急にクリアになる。あんな感じ。その事実一つで、彼女との過去の経験や感じ方が「なるほど」と腑に落ちたし、なによりいままでよりうんと過ごしやすくなった。

別に友達は悪意があってそのことを話していなかったわけではない。
ただきっかけがなくて、聞いていなかっただけなのだ。

しかもね、その一言に至るまでにもちょっと常識では説明できないようなことが起きて、でも、これもおおっぴらには書けないんだよなぁ。

で、こんなにインパクトのある事でなくても「人に説明できない経験」って誰もがしてるんだと思う。そして、それらは特に説明する必要もないから表には出てこない。

けれど、そうした経験は自分たちの価値観に強く影響を与えている。
僕だって自分の考え方や感じ方を大きく変えた経験は、人には説明できないことだったりする。

「信じられないようなこと」というのは、意外にそのへんでほいほい起きているのかもしれない。昨日のファミレスのように、たまたま誰かとその経験を共にできると「信じられないようなこと」は確信に変わっていく。

こうした事実は、たぶん「ずっと聞いている人」以外には知り得ない。
そのくらい、一個人の経験というのは、周りの人にほとんど知られることなく経験され、本人すらそのことを忘れてしまう。

だから、こうやって15分でもゆっくり聞かせてもらうと、その「驚くべき当たり前」が流星のように降ってくるんで楽しくてしかたがない。

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