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【短編】『紅茶事件』

紅茶事件


 私は一年のほとんどは外食しており、どれも選りすぐりの高級料理店ばかりだ。そんなに外食を続けてふところ具合がもつのだろうかと思われるだろうが、これが一切のお金を要さないのだ。それも仕事柄私はその店で味わった料理を評価する立場にあり、むしろ食事をすることで金銭を受け取るというなんとも不思議な生き方をしているのだ。もはや食欲が生きる上での人間の絶対的欲求の域を超えて、キャリアを維持する上での必要な選択肢として位置付けられている。要するに、手段と目的が逆転しているのだ。

 最近はヨーロッパ圏のフレンチレストランに行くことが多いのだが、やはり見栄えや、味のバランス、食感、風味、後味など自分の鍛えた舌でそれぞれのチャート図を頭の中で作り出し分析した上で採点をすることが私の役目であった。しかし、実際のところ徐々にその役目にも飽き飽きしていた。毎日なんのために食事をするのか。私が食べたいと思うから食事をするのではなく、私が食べることでその料理が料理として初めて認められるからこそ私は食事をしているのだ。いわば、料理人にとって私は神的な存在であり、同時に料理というものを定義する物差しとなっていた。私は今一度食事をする意味合いを自分に問いかけた時、料理評論家という現状から脱却することこそ、真の美食を探究できるのではないかと考えた。守破離という言葉を自分に当てはめた時、今まで私は特定のルールに則って料理についての判断基準を設けており、守ることばかりを重視してきたのだ。では、破とはいったいどんなことか。私はその言葉を理解するまで少々時間を要したが、ようやくその領域に達し始めていた。なぜなら私は食事に対する新たな心構えを習得したからである。その心構えというのは、自らの人生におけるその料理の意味を突き詰めた時の重要度が高いものほどよしとするという考え方だった。結果的には、美味しいかどうかという点では以前と変わりないが、主人公が料理そのものから私自身へと移ったと言えばお分かりいただけるだろうか。こうして私は料理の味に左右されることなく、食事をしている時間が自分の人生にとって価値あるものかという視点で料理を評価する、あるいは味わうようになった。

 ある日、フレンチレストランの評価を依頼され、毎度のように評論家という立場をあえて隠して店内に潜入した。アミューズ、前菜、スープ、ポワソン、それからグラニテ、肉料理と順を追ってコース料理が出てくるのだが、生憎のこと最後のデザートが運ばれてくる時に私の機嫌は損なわれたのだった。

 僕は、この30年間自分の人生そのものを、美食を追い求めることに捧げてきた。自分で言うのもなんだが料理の腕にはかなりの自信があった。そこらへんのフードビジネスにしか頭のない料理店や料理人とは異なり、僕は十分に修行を積み重ね、ある時はコンテストに参加しては数々の功績を挙げてきた。僕の得意分野はフレンチであった。自分の夢を追いかけ続けかれこれ30年、ようやく念願の自分の店を開くことを実現した。しかし僕の本当の夢はまた別にあった。その夢は、美食を追い求めること。つまりは評論家から認められ星を付けてもらうことだった。その日もいつものように慣れた手つきで私は次々と調理をこなしていった。客は抜かりなく料理を次々と頬張っては考えこむように料理に視線を向けていた。誰の目から見ても料理評論家であることはあからさまだった。ウエイターは深刻な顔をして、僕に近づきそのことを話した。僕は身を引き締め調理に全神経を注いだ。とうとう最後のデザートを出すところまでたどり着いた。今日のデザートはバニラアイスを詰めた焼きメレンゲのモンブランで、なんの偶然か自分が以前最優秀賞を取った際の品だった。僕は自分の夢が叶うまであと一歩のところまで迫っていると思った。

 私は、久々に美味なフレンチを味わっていた。ウエーターがフロマージュを下げると、そっと片手にデザートを持って現れ私の目の前に皿を置いてから透き通るような声で話し始めた。

「本日のデセールはバニラアイスを詰めた焼きメレンゲのモンブランです。バニラは当店がノルマンディに所有している酪農農場で取れた牛乳、卵を使用しています。モンブランは・・・」

私はモンブランが大の好物であった。私のこの人生の一瞬を彩る一品としてふさわしいとさえ思った。

「よし。この店に3つ星を与えよう。この店はこれまでの私の評論の歴史を塗り替えるであろう」

 私は紅茶がくるのを待ちわびていた。モンブランと言えばアッサムティ―あるいはルフナミルクティーである。まあ別の紅茶だとしてもモンブランと合うのであれば問題はない。私の人生においてこのデザートが与える付加価値は絶大なものになるであろうと確信していた。しかし10分が経過しても紅茶は私の目の前に現れなかった。ようやくウエーターが来た時にはアイスはほとんど液体状になりモンブランの形は崩れかけていた。人生最大の期待は呆気なく裏切られたのだった。

 僕は客をレストランの外まで見送り人生最大の仕事を終えた。しかし一向に雑誌からの取材依頼はこなかった。やはりあれはただの評論家を装った上品な客だったのではないかと、思い違いをしていたことにどこか恥じらいを覚えた。僕はより一層美食を追い求めることに尽力しようと思った。


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