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【短編】『おしゃべり』

おしゃべり


 彼は机に頬杖をつきながら私に尋ねた。

「君は死について深く考えたことはあるかい?」

ぼくは彼の唐突な質問になんと答えれば良いか分からず、すぐに首を横に振った。

「私は誰よりも死について考えたよ。たぶんもし誰かが私の心の中を覗いたらひどく恐怖するだろうね」

「君は死について考えて何かわかったのか?」

「いいや」

しばらく彼は黙って下を向いていたが、開き直ったかのように一言口にした。

「でもあと一歩のところまで行ったのは確かだ」

「つまり、君は極限まで死の真相に近づいたということか?」

「そうとも言えるかもしれない」

彼は立てている肘を下ろし、もう一方の肘を立て直して再び方杖をついた。

「少々時間があるから、大事なところだけかいつまんで話そう」

ぼくは固唾を飲んで彼の話を聞く体勢へと体をずらした。

「そんなにかしこまらなくていいんだ。大して驚くようなことではない。君には至って当たり前のことを話すつもりだ」

そうは言われても、彼のどこか落ち着きのある口調、そして声の低さからしてぼくには到底考えもしない言葉が口から発せられるのであろうとテーブル席に座った状態で身を構えた。

「今から話すことは、これまで体験してきたことを踏まえて僕が個人的に感じたことになるんだけれども、個人的なことは大抵抽象的になってしまいがちだからこそ、出来る限り君に伝わるように具体的に話そうと思う」

僕はわかったと言わんばかりに首を縦に振った。

「今この世界を牛耳っているものとして、大国のトップや機関投資家、秘密諜報機関など様々な権威があげられるけれども、どれも実際にこの世界を支配しているわけではない。はたまた生態系の観点から言うと、人間がこの世界をコントロールしているように思えるけれども、実際には違う。この世を本当の意味で支配しているのはなんであるか。それは死である。何が言いたいかと言うと、人間という種あるいは生物という存在がたった一つ抗うことのできないものが死であるということだ。人間は動物界を支配できたとしても、自然を支配することはできない。この自然という言葉は天候や災害、天体の動きなどの物理的なものに加えて、全ての生が死を迎えることでその一生を終えるという摂理のことも指す。つまり、人間は自然そのものに支配されて生きていることになる。ここでひとつ体験談を話したいんだが、実は私は数年前にとても親しかった友人を亡くした。彼は特に病気をしていたわけでもなく、交通事故にあったわけでもなかった。彼がなにで死んだかというと、自死だった。彼と最後に会ったのは死ぬ十日ほど前だった。あの日はちょうど梅雨入り直後で、鎌倉の紫陽花が大変生き生きとしていた時分だった。私は彼の邸宅に招かれて、共に食事をすることになった。彼は鎌倉でも有数の資産家の御曹司で苦労とは程遠い人生を送っていた。私は彼の生活を羨むことは全くなかったが、彼の持っていたあるものにひどく執着心を覚えていた。それは僕が密かに好意を抱いていた女性のことだ。なぜ直前に持っていたと言う言葉を使ったかというと、彼は物理的に彼女を手中に収めていたからだ。なぜそんなことができるのかと普通なら思うだろうが、彼にはそれができたのだ。その理由は彼が権威を持っていたからという一言でここでは収めておこう。その女性というのは、僕が大学時代に知り合って時間を共にするにつれて惹かれていった女性だった。親友が彼女と知り合ったきっかけも私だった。私は当時彼女を自分のものにしようと必死だったが、彼が現れてからのこと、無力に転じた。正直彼に会う度に私は彼に対して嫉妬を募らせていた。しかし彼は私と彼女を置いてこの世を去った。彼が最後に言った言葉はこうだった。ぼくはほしいと思ったものは大抵全て手に入る。それは乗り物でも、土地でも、会社でも、人そのものに至ってもだ。でもただひとつどうしても手に入れることが難しいことがある。それは永遠の生と死そのものだ。君にもこの気持ちをわかってもらいが難しかろう。彼が死んだ時、私は悲しむ暇もなくその言葉を思い出した。僕の考えでは、彼は手に入れることが至難と言っていたものの片方を自分の手で得ようとしたのだろうと思った。要するに、彼はある意味で死を支配しようとして失敗したのだった。私が好いていた女性は彼に支配されていた身分にもかかわらず、彼の死を知ってひどく嘆き悲しんだ。僕はその時ほとんど確信とでも言っていいほどに死の真相に近づいた感覚を覚えた。人はこれまで宗教というなにかすがる対象を創り出すことによって生きる意味を見出してきた。現代ではそれに加えて医療技術を発展させることで死を遠ざけようとしてきた。言わば、精神と肉体の両方の側から死と向き合ってきたのだ。しかしいまだにその死という存在に打ち勝つことはできていないのが事実。要するに、生き続けるということ自体、人間が死と戦うための最大の武器であるということだ。生物が誕生してから今に至って死は敵として位置付けられてきた。彼が死んだ時、彼女が流した涙は、もちろん彼を惜しんでの涙であろうことは間違いなかったが、私の目にはもう一つ別のものとして映っていた。それは、人類がまたも支配という戦に敗れたかと悲しむ姿だった。ここに来て私の頭に過ったのが、本当に死という存在が敵なのかどうか。あるいは、人間という存在が死の最大の敵なのではないかという考えだった。私は一度、死という自然の立場に立ってみた時、今まで持っていた死への観念が突然ひっくり返った。我々人間がいかに凶暴で醜い存在なのかとひどく恐ろしく感じたのだ。以上が私が死について考えたことだ」


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