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【短編】『ウソの中のほんと』

ウソの中のほんと


 あなたは日頃、ニュース番組やドキュメンタリー映像、新聞やネットなどで目にするあるいは耳にする情報を、どれくらいの割合で信じているだろうか。新商品が発売するというプレスリリース。物価が上昇したという報道。午後から悪天候になるといった天気予報。どれも人々の生活には欠かせないことばかりであるが、果たしてそれら情報というものは確実に信頼して良いものなのだろうか。最近では、炎上や誹謗中傷といった言葉をよく耳にするが、これらも情報が主体となって起こる社会現象の一つである。不特定多数の人たちが発言権を持つネットという媒体を通して、非難やバッシングの声を文字にして拡散し、他人がそれを閲覧できる状況が生まれて初めて起こる事象である。今の時代は、報道機関だけでなく、誰もが情報を発信してそれを入手することが可能な社会なのだ。いわば人一人が一つの報道機関と化しているのである。

 そんな中でもう一度最初の質問に立ち返るとする。私たちは日頃目にするあるいは耳にする情報をどれくらいの割合で信じているだろうか。統計的なデータはないが、おおよそ大半の人がそれらを高い割合で信じていることだろう。人々は目にしたもの耳にしたものを自分の頭の中に一度保存しては、大抵はその後整理しないのだ。そしていつしか騙されたと騒ぎ立てては向きになって情報を遮断し始めるのだ。しかし、情報を遮断することが本当に良い解決方法だろうか。およそ時を経て再びその者に会った時、以前に騙されたことすら忘れて情報のシャワーを浴びることに明け暮れていることだろう。これでは情報をインプットしているどころか情報の海に溺れている状態と同じだ。情報の海でうまく泳ぐためには、当然それなりの泳ぎ方を覚えなければならない。そして時には海から陸地へと上がらなければならない。ネットサーフィンをしていてはいずれ海に落ちてしまうのだ。

 例えば、私たちはパレスチナ問題やウクライナ情勢についてどこまで情報を得ているだろうか。案外ニュースで流れてきた内容だけを材料に解釈してはいないだろうか。たしかに社会問題に目を向ける人が少なくなっている今、それぞれの主観を持つことは非常に大切なことであるが、その主観によって誤った情報が拡散されてしまうことも事実なのだ。では、どうすれば情報を正しく摂取できるのだろうか。それは至って単純なことで、情報を限定しないことである。主観というのは情報の限定性があって初めて成り立つものなのだ。A 、B、Cという三種類の情報がある中で、Aだけを摂取して他を見ない人。あるいは、三種類の情報を見た上で、Aだけが正しいと絞り込む人。これらの行為が主観を形成し、その主観が他の者にとっての新たな情報となるのだ。しかし、もし仮に前者の場合、AだけでなくBやCも摂取したとするなら、後者の場合、Aに絞らずBやCも見解に入れたとしたらどうなるだろうか。その上で討論会をしようとなったときには非常につまらない会にはなることは間違いないが、誰も傷つけることはないのだ。はたまた自分が騙される心配もなくなるのだ。そしてその情報の種類の母数が多ければ多いほど、情報が絞られずに済むのだ。しかし実情はその逆で、人々は情報を能動的に探すことなく受動的に摂取することで、自ずと情報の種類も偏ってくるのである。YouTubuの動画表示アルゴリズムががまさにその典型である。自分が好きな情報に関連した動画しか表示されず、新たな情報はシステムが勝手に除外してしまうのだ。私たちはそんな危機的状況に気づかず、閉鎖的情報源に依存してしまうのだ。むしろ反対に情報が得られなくなること自体を危機的状況と認識するのだ。

 私たちはいつから、情報なしには生きていけなくなってしまったのだろうか。そしてすぐ手の届く情報に依存するようになったのだろうか。ステージ上で華やかに歌うスター歌手。その者たちは本当に華やかな人生を送っているのだろうか。エンターテイメントという名のもとに私たち観客に本来存在しないはずの理想的な世界を見せてくれているだけではないのか。反対に、私たちは自分たちの都合の良いように情報をインプットしては、それを信じ込んでいるだけではないのだろうか。私たちが情報を欲する限り情報は与え続けられ、いつしかその需給の立場は逆転し、情報によって私たちの欲望は操作され、情報のための欲望が永遠と増大していくのだ。

 正しく情報を欲するあるいは摂取する方法があるとするならば、それはあらゆる事象をより多くの観点から見つめてはそれを主観に落とし込むのではなく単なる事実として受け止め、自らの想像力を養うことではないだろうか。現実世界は都合の良い主観で埋め尽くされているが、その主観に塗れていて良いのだろうか。ステージ上で歌う華やかさだけを見て、その者をスターとして崇めるのではなく、ステージ裏での予想だにしないつらい日々にも目を向けてみるべきではないだろうか。それは舞台裏のドキュメンタリー映画を見ることによってではなく、個々人の想像力に依存することで初めて理解できたと実感する。いいや、理解できないことを理解するのだ。


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