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【短編】『僕が入る墓』(序後編)

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僕が入る墓(序後編)


一同は、目の前に映る異常な光景に言葉を失っていた。義母はその場でしゃがみ込んで何かを叫び続けていた。義父はお祖父様が尻餅をついて必死に起きあがろうとしているのを手伝った。僕は先ほどバケツに水を汲んだことを思い出し、あたりを探した。バケツは炎の届かぬ場所にそっと置かれていた。僕はすぐに両手でバケツを抱えて墓に向かって水を大きく振りまいた。一瞬、火柱がなくなったように見えたが、すぐさま地面の残火から墓石へと火が燃え移った。僕は、炎を眺める明美の手を咄嗟に引っ張って倉庫へと急いだ。明美は燃え上がる炎に呆気に取られながらも、僕に引っ張られて足を動かした。

「水を、早く!」

「うん」

 バケツを持てる限り腕に抱えて蛇口から目一杯水を注ぎ込んだ。僕が二つ、明美が一つとバケツを抱えて墓石へ向かった。すでに誰かが火事に気がついて通報したのか、遠くで消防車のサイレンの音が聞こえた。墓の周りには近所の住人による人だかりができていた。燃えているのは久保田家の墓石だけで、そこから他の墓に燃え移ることはなかった。まるで何者かがその墓だけを狙って油を塗ったかのようにさえ思えた。僕と明美は義父にバケツを渡すと、すぐに蛇口の方へと走った。墓地一帯には焦げた匂いが広がり、たちまち煙は快晴の空に小さな鼠色の雲を作った。

 消防隊員によって消化活動が始まると、すぐに火は鎮火した。白い煙の中から現れた久保田家の墓は丸焦げになっていた。幸い、元々黒い石で作られていたため、多少光沢がなくなったぐらいで、そこまで燃え跡は目立っていなかった。目にみえる変化といえば、地面に転がった白い石ころが黒く焦げていたことぐらいだった。

 数日が過ぎたものの、火事の原因は依然として不明のままだった。警察からは何者かが液体燃料を墓に塗った可能性があると言われたが、前日の夜に降った雨であそこまでの炎上が可能なのかは判断できないとのことだった。ただ、放火魔の可能性も否定できないことから、再発防止のためにも犯人の特定を進めるそうだった。

 お祖父様は火災があって以来、義父と口を聞かなくなった。火災の原因が息子との口論にあると思っているようだった。義父が扉の外から一言謝罪をしても「家から出ていけ」の一点張りだった。食事も義母がわざわざ部屋へと持っていき、家族全員で集まって食卓を囲むことはなくなった。義父が墓の修繕の提案をしようと義母に相談したが、義母はお祖父様のことを思って首を横に振った。僕は災難に見舞われた家族に対して、どう振る舞えば良いのかわからなかった。義父や義母に対していつも通り会話をしても、どこか二人があの火事のことで思い詰めているような気がして途中で申し訳ない気持ちでいっぱいになった。僕があの時、線香を落とさなければ墓が燃えることはなかったのだ。

 お盆休みを終えて、拓海と私は神奈川にあるマンションへと戻った。墓参りの一件でごたごたはあったものの、久々に実家でゆっくりできたことで都心での暮らしで凝り固まった心と体をほぐすことができたような気がした。しかし帰り際にじいじから言われた「仕事、頑張るんだぞ」という一言で私は現実という地獄へと引きずり戻された。長い休暇のあとは必ずと言っていいほど病みがちだが、今回はいつも以上だった。

 仕事に復帰して数日が過ぎた頃、パソコンの画面を茫然と眺めていると、突然スマートフォンが鳴った。お母さんからの電話だった。ちょうど十分後に上司とのオンラインミーティングの予定が入っていたため、後でかけ直そうと、着信音が鳴り止むのを待った。ようやく静かになったと思い、ミーティングの前に寝巻きを脱ごうと椅子から立ち上がった。すると、再び着信音が鳴り響いた。お母さんから二度も立て続けに電話が来ることはそうそうなかった。私は嫌な予感がしてすぐにスマートフォンをとった。

「もしもし?」

「あ、もしもし? 明美? お母さん。仕事中だった?」

「ううん。大丈夫。なに?」

「あ、あのね急用ってわけじゃないんだけど――」

私はその言葉を聞いて内心ほっとした。

「相談があってね。実はあんたたちが帰ってからずっとじいじの様子がおかしいの」

私はじいじが体を壊してしまったのかと思った。

「なんかね。わしらはご先祖を怒らせたって。バチが当たったんだって。そう執拗に言ってきてうるさいの。お母さんまで気がおかしくなりそうで」

体は壊していなさそうで一安心した。

「そっか。でもあれは結局、誰かが故意にやった可能性があるってなったじゃない? 犯人も今警察が捜索してくれてるみたいだし、じいじも変に考えすぎじゃない? 確かに燃えた時は私も人生で一番てほどびっくりしたけど」

「そうなのよ。お母さんもそう言ってるんだけど、じいじまったく聞いてくれないの。明美からも直接なんか言ってあげてくれない?」

「えー」

「お願い」

私はこの時、やはり電話を取らなければよかったと後悔した。しかし、じいじのことも少し気がかりなため、念の為仕事終わりに話をしてみようと思った。私は不貞腐れた表情を浮かべながら、お母さんに返事した。

「わかった。あとでじいじに電話してみるよ」

「ありがとね」

「ううん」

時計を確認すると、すでにミーティングの一分前だった。私は寝巻きを脱がずにそのまま上から洗ったばかりの薄いスウェットを被った。

 私は転職希望者とのオンライン面談に疲弊して、しばらく休憩を取ることにした。最近炎上したとネットで騒がれている参議院選立候補者の演説動画をスマートフォンから流し聞きした。世間からかなり批判を受けている一方で、支持者も一定数いるようだった。

「イギリスのチャーチル首相が言った言葉で、『歴史は勝者によって作られる』という格言があります。しかし、それはまことでしょうか? 現に今日、我々が知っている歴史というのは全て勝者によって作られたものなのでしょうか? 僕は間違っていると思うのです。敗者は歴史を――」

突然動画が止まったかと思うと、着信画面へと切り替わった。またお母さんからだった。私は着信音が鳴り止むのを待った。

 しばらくして再び静寂を取り戻した。今回は二度目の着信はなかった。私は再び動画を再生した。

「敗者は歴史を語れないなんていうのは嘘です。彼らには文学があります。我々が知らないだけで、今でもあらゆる人が書いたさまざまな歴史書が残っています。歴史を作っているのは勝者ではなくむしろ、我々国民の狭い視野ではないでしょうか? 我々は手の届かない歴史には触れようとしないのです。だからこそ言わせてください。これからの日本の歴史を作るのは、皆さん一人一人の声なのです。皆さん一人一人の力で未来の歴史を作っていこうではありませんか――」

私は、途中から動画への興味を失って考え事をしていた。そのためほとんど動画の内容を聞き流して演説が終わった。ただ再生数に貢献しただけだった。

 日が落ちてくると、一日の仕事を終えて、スマートフォンの着信履歴を見た。先ほどお母さんから来た着信が一件溜まっていた。私は電話をかけた。

「もしもし、ごめん。さっき忙しくて――」

「ごううん。こっちこそごめんね、仕事中に」

「別に大丈夫。なんかあった?」

「うん。ちょっと大事な話があって、驚かずに聞いてね。じいじがね――」

私はその後のお母さんの言葉がうまく頭に入ってこなかった。すでに自分の頭の中で時計の針が止まっていた。


 僕は久々に残業なしで帰れたことに喜びを噛み締めながら家に帰った。

「ただいま。聞いてよ。今日久々に会社行ったらさ――」

「おかえり。ちょっと話せる?」

二人ともほぼ同じタイミングで話し始めたため、明美の言葉は聞こえなかった。

「社長が変わっててさ。新しく新社長としてアメリカ人が赴任してきたんだよ」

「ねえ」

「でさあ、これからはリモートワークもしていいって言うんだ。タイミング良すぎないかって――」

「ねえ!」

僕は明美の強い口調に驚いて話をやめた。

「どうしたの?」

「じいじがね――死んじゃったの」

と、明美は真剣な眼差しで僕を見て言った。その眼差しからは必死に涙を堪えているのが見てとれた。僕はなんて声をかけてあげるべきかわからなかった。

「だからお葬式行かなくちゃいけないの」

「そっか」

「うん」

一瞬、明美の顔から一滴の涙が頬を滴り落ちたのが見えた。

「僕も行くよ」

「無理に来なくてもいいの」

「いいや、行く」

「わかった。ありがとう」


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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