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【短編】『僕が入る墓』(中後編)

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僕が入る墓(中後編)


 山陽新幹線に乗るのは今月で二回目だった。明美の横を過ぎ去る景色は、ついこの間乗った時よりもどこか色味のなさを感じた。それは日が沈みかけているからなのか、明美に対する同情からなのかわからなかった。

「そういえば、葬式休暇をもらおうとしたらさ、数日なら連続で有給取ってもいいって言うから三日間くらい休みとっちゃった」

明美は外の景色を眺めていた。すると僕の方に向き直って答えた。

「ごめん。聞いてなかった」

「休み三日もらったんだ」

「そんなに? いいの?」

「うん。新しいアメリカ人社長のおかげ」

「社長変わったの?」

明美は驚いた様子で僕のことを見た。

「うん。言わなかったっけ?」

「聞いてない」

「この前交代したばっかりなんだ。会社のルールもガラッと変わってさ、これからは社員のプライベートも充実した職場環境を作るって」

「へー、なかなかわかる社長じゃない」

「そうなんだよ。アメリカの大手じゃ当たり前だってさ」

明美は嫉妬を抱いたのか、再びつまらなそうに視線を窓の外に向けた。

「たぶん相談すれば明美の実家にも暮らせるんじゃないかって思うんだ。リモートワークも推進してるみたいだし」

明美は少し間を空けてから一言呟いた。

「そう――」

明美は何か考え事をしているようだった。やはりお祖父様のことでまだ気持ちが落ち着かないのだろう。僕はそっと明美の膝の上に手を乗せて、明美の視線の先を共に見た。

 何度も電車を乗り継ぎようやく最寄りの駅に到着する頃には、あたりはすっかり真っ暗になっていた、人気のいない小さな駅のロータリーに見覚えのある白いミニバンが一台停まっていた。運転席に義父の姿があった。義父は待ちくたびれて座席を倒して眠ってしまっていた。

「ただいま」

明美が勢いよく後ろの扉を開けると、義父は頭を震わせて僕たちに気がついた。

「おかえり」

「ごめん、遅くなっちゃって。電車一本乗り過ごしちゃって」

「いいよ、いいよ。よく眠れたから」

義父はすぐに座席を戻しエンジンをつけると、フロントライトをハイビームにして駅を出た。


 お寺での葬式は昼前に始まった。義父と義母と明美と僕の四人の他に、お祖父様の妹、義父の姉である叔母さんとその夫が参加していた。たったの七人だけだった。義父と同じ年齢ぐらいの和尚さんが出てきて、一言挨拶をすると黄金に輝く本堂の方へと戻っていった。本堂はありったけの百合の花で埋め尽くされていた。木魚を叩く音が響き始めると、皆和尚さんの唱えるお経に聞き入った。自分が焼香をする番になると、パイプ椅子から立ち上がって前へと進んだ。本堂からは、お祖父様の厳格で整った顔がこちらを見つめていた。なんだか叱られているような気分になった。

 二週全員の焼香が終わると、お経が終盤を迎えて和尚さんの声に張りが出始めた。お経が聞こえなくなると、本堂の座敷から立ち上がりこちらを向いて一礼した。

「この度は、ご愁傷様でございます」

すると、義父が立ち上がって和尚さんに深くお辞儀をした。和尚さんは立ち上がったまま話し始めた。

「寛次郎さんは元和尚の父親とよく飲みに行く仲でしてね。父親は生前、寛次郎さんからよくしてもらっておりました。僕も小さいながら寛次郎さんに可愛がられたのを覚えています」

和尚は一呼吸置いてから続けた。

「やはり長く和尚をやっておりますと、亡くなる方をお見送りする機会も数えきれないほどです。実は我々和尚の一番の悩みが、亡くなった者がどこへ行ってしまったのかという問いに答えることができないことです。大切な人を亡くした方に、これから先埋まることのない心の穴と、どう向き合えば良いのかを提案することに悩み続けてきました。私も毎度心を込めて念仏を唱えるのですが、どうも仏を目の前にして、私の念仏は本当に亡き人に届いているのだろうか。と疑問に思ってしまうのです。しかし一向にその答えはわからずじまいでした。そしてとうとう父が亡くなってしまいました。その時ふと答えがわかったような気がしたのです。父が導いてくれたと言っても過言ではありません」

 和尚は目を瞑って笑みを見せてから、再び口を開いた。

「父は私によくこう言っていました。『仏教では人が死ぬと成仏すると言う。つまり仏になる。だが実際に死んだらどうなるかは、一度死んでみないとわからない。死ぬことに答えはない。だからこそ死後の世界は人それぞれなんだ』。僕はその言葉を思い出して、不意に亡き父の存在と重ね合わせました。すると、自ずと亡き人との向き合い方がわかってきたのです。私が父を想うほど、父は私の中で何度も生き返りました。父は死んでしまいましたが、私の心の中では不思議と元気に生きているのです。そうやって皆さんの中で記憶の中で蘇らせてあげる。そうすれば亡くなった人はあなたの心の中で生き続けるのです。大切なのはあなた自身の亡き人を思う気持ちなのです。私はそうお伝えするようにしています。なので皆さんも、どうか寛次郎さんのことを忘れないであげてください。あなたが寛次郎さんのことを思い続ける限り、寛次郎さんはあなたの心の中で生き続けます」

 和尚さんは深く一礼すると、場の雰囲気を変えるように我々に早口で喋りかけた。

「長くなってしまってすみません。これにて終了になります。外に出られる際は入り口の段差にお気をつけください」

一人ずつ棺桶に入ったお祖父様にお別れを告げていった。お祖父様の顔は生きていた時よりも若々しく見えた。長い髭が剃られ、髪も丁寧に作られていた。最後にお祖父様の妹が別れを告げると、棺桶は霊柩車に乗せられて火葬場へと向かった。

 火葬はあっという間だった。どこからかブザーの音が鳴ると、お祖父様の体は徐々に焼かれ始めた。炎は優しくお祖父様を包み込み、恐ろしさよりむしろ、人生を締めくくる最後の儀式として感銘を受けた。そのまま精進落としをするために近所にある日本料理の店へと向かった。個室部屋に入るとすでに全員分の座席が用意されていた。皆が席についてひと段落すると、叔母さんが妙なことを口走った。

「そういえばお母さんてあれからどうなったの?」

すると、皆が凍りついたので僕は急に居心地の悪さを感じた。

「なに?もうお父さん死んだんだし話してもいいでしょ?」

しばらく沈黙が続くと、義父が口を開いた。

「その話はよそう。父さんがまだどこかで聞いているかもしれない」

叔母さんは明美に似た不貞腐れた顔になってそっぽをむいた。

「わかったわよ」

 お祖父様の妹であるお婆さんが義父に向かって尋ねた。

「そういえば、この前の火事の時は大丈夫だったの?」

「ええ、特に怪我人とかは――」

「そう。よかったわ」

「でもそれからちょっと父さんがおかしくなってしまって――」

「あら、そう」

「わしらはご先祖を怒らせた。バチが当たったんだって」

「そんな大袈裟になることあるかしら。まあ、あの人らしいわね」

と言ってくすりと笑うと、叔母さんもくすりと笑った。すると、義父も義母も、叔母さんの夫もそれにつられて笑い出し、気づくと家族皆で声を高くして笑っていた。僕も皆に合わせて笑みを浮かべていると、扉が開いてようやく食事が出てきた。懐石料理だった。エビフライや寿司、だし巻き卵。それに加え、ローストビーフやメロン、スイカなどが入っていた。まるで正月のお節料理と、クリスマスパーティーで出されるオードブルを混ぜ合わせたような詰め方だった。

 食事を満喫すると、皆一斉に立ち上がって帰る支度を始めた。義父が「うちに寄って行くか」と叔母さんに尋ねると、「お婆さんを送ってかなきゃいけないから帰る」と言われ、義父は寂しそうな顔を見せた。もう叔母さんには生まれ育った屋敷に対する愛着はないようだった。僕は姓が変わるとこんなにもあっさりしてしまうのだろうかと不思議に思った。


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