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西花池湖南『日本プラモデル 世界との激闘史:アメリカを駆逐した日本ブランドに、新興勢力が強襲し始めた!』 : プラモデルと〈戦争と平和〉

書評:西花池湖南『日本プラモデル 世界との激闘史:アメリカを駆逐した日本ブランドに、新興勢力が強襲し始めた!』(河出書房新社)

本書は、戦後に始まるプラスティック製組み立て模型、つまりプラモデルの歴史のうち、1958年(昭和33年)に初の国産品を発売して以降の日本のプラモ業界を中心に紹介した、日本のプラモデル通史である。
サブタイトルが「世界との激闘史」となっているのは、日本のプラモデルの歴史は、それまで世界をリードしていたアメリカのメーカーに、日本のメーカーが追いつき追い越して世界を制覇し、その後、1980年代以降に起こった香港、中国、ロシアといった地域や国々の新興メーカーによって猛追を受けるという状況にあるからで、日本におけるプラモデルの通史を描くにも、海外メーカーとの関係を抜きに語ることは不可能だったからだ。

私は、1962年(昭和37年)生まれで、小中学生時代に戦車模型にハマった。
もっと幼い頃には、怪獣のプラモデルなども多少は作っただろうし、小学生であった私と弟に、三十代半ばで若くして亡くなった叔父が、アメリカ製の「吸血鬼ドラキュラ」のプラモデルをプレゼントしてくれた記憶もある。今となっては、その記憶も曖昧だが、ドラキュラには多少、色が塗ってあって、口だか手だかに付いていた血の赤色が生々しく、私は平気だったが、弟がそれを怖がったので、私は面白がって、その模型をかざして弟を追いかけ回したという、懐かしい思い出もある。

小学校高学年ごろに戦車模型にハマって、私は自覚的なプラモファンになった。
その頃、戦車や戦闘機の模型が表紙を飾ることの多かった『ホビージャパン』誌や、すこし地味な印象の『モデルアート』誌を、特集を見て購入した。『タミヤニュース』も購読していた。
また、私の模型趣味の後半は、アニメ趣味とも重なるので、印象に残っているのは、たしか『ホビージャパン』誌で組まれた「松本零士の戦場漫画シリーズ」の特集だった。
また、1984年の刊行になるので、模型ファンを卒業してからになるのだけれど、雑誌のチェックだけは継続していたので、宮崎駿の劇場用長編アニメ『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカの球体間接模型を特集の一つにしていた『モデルグラフィックス』の創刊にも立ち会った。スクラッチビルド(全自作)でアニメキャラクターの可動模型を作るというのが、当時としては、きわめて斬新だったから、印象に残っているのである。
ちなみに、こうした雑誌は、今も自宅の押入の奥に眠っているはずだ。

本書には、世界に冠たる戦車模型メーカーとなる「田宮模型」が、戦車模型の第1作「ドイツ パンサー戦車(1/35)」を発売したのが、私の生まれ年の1962年(昭和37年)とあり、私は初めてその事実を知った。私が、最初に惚れ込んだ戦車が、このパンサー戦車であり、その頃にはタイガー1型戦車やダイガー2型戦車(キングタイガー)も製品化されていたから、私としては、純粋にその造形美にひかれてパンサー戦車を別格あつかいにしていたつもりだったのだが、もしかすると、私の小学生高学年時、すでに田宮模型のパンサー戦車は特別な扱いを受けていて、私もその影響を受けていたのかも知れないなと考え直してもみた。
実際、ドイツ戦車模型の魅力を国内外に知らしめたのは、田宮模型の仕事であると本書にも語られているとおりで、当時すでに田宮は「世界の田宮」だったし、その主力製品である戦車模型の中でも中心的な商品だったドイツ戦車に私がひかれたのも、純粋に個人的な好みの問題ではなかったのだろう。自分では、あくまでも「好み」の問題であると思っていたが、やはり時代環境の影響は大きかったのだと、いまさら再確認させられたのだ。
そして、事実その後、私の好きな戦車は、パンサーやタイガーなどのドイツの重戦車から、やがてドイツの1号戦車などの軽戦車を経て、T34-76型戦車などのソ連戦車へ移ったいき、そのあたりでプラモファンを卒業することになる。

私が、プラモを卒業したのは、決してプラモへの興味を失ったからではない。それとは真逆で、マニアックに模型雑誌などを購読しているうちに「自分にはプラモ作りの才能がない」と思い知らされてしまったからである。つまり、自身の「眼高手低」ぶりを、しだいに思い知らされて、だんだん辛くなったのだ。
また、その一方、子供の頃から絵を描くのが好きで、人から誉めてもらうこともしばしばあり、さらに中学生の頃には折からの『宇宙戦艦ヤマト』ブームに乗ってアニメファンになってもいたから「立体造形の才能はないけれど、二次元ならなんとかなるんじゃないか」という気持ちがあったことも、私のプラモからの卒業を後押ししたと思う。
要は、私は、無邪気にその趣味を楽しむというよりも、プロモデラーやマンガ家、アニメーターといった「プロ」になりたい、あるいはそのレベルの技量の持ち主になりたい、という気持ちが強くあったので、いくら好きでも、才能が無いとわかれば続けられなかったのである。
そして「マンガ家あるいはアニメーター」になる夢の方は、大学受験直前まで引き摺った末に、やはり潰えてしまった。

その後の趣味は、文章書きになった。
高校生になるまで「活字の本」に縁のなかった(漫画しか読まなかった)私だが、ある『マンガ家入門』的な本に「マンガ家になるためには、マンガだけ読んでてはダメ。活字の本も読もう」という趣旨のことが書かれていたのと、相前後して、夏目漱石の『こころ』で「活字の本」の魅力に開眼したこともあり、「マンガ家あるいはアニメーターへの夢」を断念した段階で、私の興味は「活字」に収斂されてゆき、それがやがて「読む(鑑賞)」から「書く(創作)」の方へ、自ずと移行していったのである。もっとも、私の文章書きの才能は「フィクション創作(小説書き)」ではなく「分析批評」の方であることを、やがて自覚するようになる。

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さて、ここまでは、このレビューのタイトルテーマである「プラモデルと〈戦争と平和〉」について論じるための準備であった。私は、このような経歴を経ているために、いわば「戦車模型好きと反戦平和主義の相剋」を、我が事として考えなければならなかったのだ。

私は今でも、戦車模型が大好きだ。定年退職してから作ろうと思って買ってある模型もけっこうな点数ある。
しかし、本書でも何度か触れられているとおり、プラモデルを通して培われた「兵器美への感性」と、活字をとおして培った「反戦平和主義の思想」との相剋は、後者が活字(思想や批評や文学)を通して徹底的に練り上げられたものだけに、曖昧に並立させることを自身に許さないものであった。「それはそれ、これはこれ」などという誤摩化しは、自身の「プラモ愛」と「反戦平和思想」の両者に対する冒瀆だとしか思えなかったのだ。

私にもしも、思うままにプラモデルが作れる才能があって、真っすぐにプロまたはセミプロのモデラーになるという人生を歩んでいたとしたら、私の中に確固たる「反戦平和主義」は確立されなかったであろう。
戦後の日本人の多くが「反戦平和」を口にしたのは事実であり、その意味で、そうした「反戦平和主義」の大半は流行的であり陳腐なものだったのかも知れないし、「人類史における、戦争の必然性と必要性」を語る人たち(自称・リアリスト)には、多くの日本人の語る「反戦平和主義」は「現実を知らない、きれいごと」であったり「占領期に、戦勝国に刷り込まれた、ご都合主義的理想主義」だと否定的に評価されることも珍しくはない。じっさい、そうした弱さを、戦後の「反戦平和主義」は持っていたのかも知れない。

しかし、そうした「ナイーブな反戦平和思想」というのは、言わば「アマチュアの反戦平和思想」でしかないのだ、とも言えよう。
喩えて言えば、それは「子供が、塗装もせずに作る、素組みの模型づくり」であり「子供による、アニメキャラの模写絵」の類いだということだ。

だが、私の場合、プロのモデラーやマンガ家、アニメーターの水準を目指したのと同じ気持ちで、活字の本にも向き合ってきた。
例えば、推理小説に凝った頃は、同時代の国内作品を楽しむだけではなく、世界の推理小説史を学んで、その原点であるエドガー・A・ポーの「モルグ街の殺人」から順次、『ルコック探偵』『月長石』『黄色い部屋の謎』『緋色の研究』といった具合に読んでゆき、推理小説というジャンルを体系的に学ぼうとした。
そして、その企てが、単に推理小説の範囲に止まるものではなく、たとえば「幻想小説」や「科学小説」いった隣接の文学ジャンルと密接に関係しており、またその発展の時代背景(同時代史)や思想などとも無縁ではないために、押さえるべき要素や基礎知識の範囲が無限に広がっていくという事態に直面したりもしてきた。

このような「完璧を目指すも、完璧たり得ない」というジレンマ体験の中で、やがて「思想や批評や文学」に広く接し、それらとの同様の格闘の中で培われたのが、私の「反戦平和思想」なのである。
だから、それを「アマチュアの(紋切り型で一面的な)反戦平和思想」と一緒にしてもらっては困るという自負が私にはあるし、その意味で「人類史における、戦争の必然性と必要性」を語る人たちの方こそが「アマチュアの歴史リアリスト」だと断罪する準備もあるのだ。

つまり、軍用車両、戦闘機、艦船などのマニアによく見かける、「戦記」マニアなどの語る「人類史における、戦争の必然性と必要性」などというものは、「人類の歴史」を「戦争」という一面を通してしか見ようとはしない人たちの「浅薄な歴史観」でしかないと、徹底的に批判断罪する準備がある。

ここで「徹底的に批判断罪する準備がある」などという、かなり過激な言葉をあえて遣うのは、それは私が今でも「戦車模型を愛するいちファン」であるからなのだ。世間から「兵器模型のファンは、戦争オタクが多い」などという「偏見」を持たれるのは、「兵器模型」のためにもならず、「兵器模型のファン」としても我慢ならないからである。
だから、私は「戦車模型を愛するいちファン」として、浅薄な「戦争オタクの、兵器模型ファン」を内部批判しなければならないという気持ちが、おのずと強いのである。

もちろん、「兵器模型ファン」の多くは「反戦平和主義」者だと信じたいし、じっさいそうなのだろうとも思うのだが、しかし、そういう当たり前の人は目立たず、賢しらに浅薄な「戦記オタク」「兵器オタク」的な知識をひけらかして「人類史的な歴史リアリズム」を語る人間の方がどうしても眼につくので、私はこんな文章を、あえて書こうという気にもなった。
外に向かっては「兵器模型ファンは、必ずしも戦争オタクではない」と伝えたいし、「戦争オタクの、兵器模型ファン」に向かっては「あなたたちの知識は、趣味に偏した極めて偏頗なものでしかない」ということを伝えておきたかったのである。

そもそも、どんな趣味であろうと、それを極めようと思えば、そうやたらにあれもこれもと手を広げることはできない。資金よりもむしろ、時間の絶対的制約があるからだ。
例えば、どんな読書家でも、生涯に1万冊の本はなかなか読めない。私は年間170冊ほどの本を約40年間読んでいるが、それでも累計6800冊であり、この先20年間このペースで読めれば1万冊を超えることはできるが、しかし、視力や体力や知力の低下によって、このペースを守ることは、まず不可能であろう。

1万冊と言うと多いように思うかも知れないが、例えば読む本を「小説」に限ったとしても、小説には、ミステリ(推理小説)もあればSFもファンタジーも純文学もラノベもある。そして、それは国内作品だけではなく、全世界において日々膨大な作品が書かれ、その一部が翻訳されているだけとは言え、その数ですら膨大である。例えば、日本国内で1年間に刊行される内外の推理小説の点数は1000冊近く、それらをすべて読むことは物理的に不可能だ。したがって、新作のミステリを可能なかぎり読もうと思えば、古典や旧作は読めなくなってしまう。これは、あくまでも読むのをミステリ限った話で、要は他のジャンルの小説は一切読めないし、小説以外の他の活字本もすべて読めない、ということなのだ。
したがって、たったの1万冊程度では、あるジャンルの専門家にはなれても、「普遍的な知」を持つ人にはなれない。「専門バカ」か「広くそれなりに読んで(知って)いる人」のいずれにしかなれず、「どこにも隙の無い(広くて深い)知の人」には絶対になれない、ということなのである。

そして、これは趣味を「読書」にかぎった場合の話であり、読書の他に趣味を持てば、おのずと読める本の冊数は、グッと減ることになる。ある程度マニアックに、模型作り、アニメや映画鑑賞、あるいは各種スポーツなどの趣味を兼ね持っていれば、読める本の冊数は5000冊にも及ばないことは容易に推測できよう。
例えば、それなりの年齢に達したプラモマニアならば、自分が生涯で作ることのできるプラモの点数ということを考えたこともあるのではないか。そして、その点数の少なさに愕然とした経験もあるのではないだろうか。あれもこれも作りたいとは思っても、すべてに手を出すことは出来ないと断念して、ジャンルを意識的に限定したりしたことがあるのではないだろうか。

だとすればである「兵器模型マニア」兼「戦記マニア」という属性の人が読んでいる「本」の冊数や幅が、ほぼ間違いなく、しごく限られた「偏頗なもの」でしかないというのも、容易に推測できるはずである。
「兵器模型マニア」であると同時に「読書家」として、「戦記」だけではなく「人文科学」に関する幅広い知見を得て、それをつきあわせてあれこれ勘案した上で「戦争と平和」の問題を深く考え、発言している人など、まずいないと見て間違いはない、というのがご理解いただけよう。

だからこそ、活字(思想や批評や文学等)を通して「反戦平和思想」を、自分なりに徹底的に練り上げてきた人間として、そして「戦車模型の愛好家」の一人として、「兵器模型のファン」には、安直で薄っぺらな「戦記マニア的自称リアリスト」になどならないで欲しいと願わざるを得ないのだ。
そうした安直な人間の存在こそが、「兵器模型の美」や「兵器の美」をただ「美的に鑑賞」するという行為を、困難にさせている元凶だからこそ、私はそうした人たちを断罪しないでいられないのである。

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1973年(昭和48年)に放送の始まった特撮テレビ番組『スーパーロボット レッドバロン』。その翌年に放送された続編『スーパーロボット マッハバロン』のエンディングテーマソング「眠れマッハバロン〜スーパーロボット マッハバロン〜」の歌詞は、次のようなものであった。作詞家は、阿久悠である。

 マッハバロン 眠れ眠れ
 お前が静かに眠れる世の中が
 平和で一番すばらしい時
 それを父さんも祈っているだろう
 遠い世界で祈っているだろう
 マッハバロン 眠れ眠れ
 お前の使命を終わらせたげたい
 たたかう機械でなくしてあげたい

私がこの番組を視たのは11歳で、第1作の『レッドバロン』の方が印象として強く、「マッハバロン」の方はそのデザインを思い出すこともできないのだが、このエンディングテーマの歌詞だけは折りにふれて思い出すので、いまでも忘れないでいる。
これはたぶん、私が11歳の頃からすでに、自分の好きな「戦車」が「人殺しの道具」だとは思いたくないという気持ちを持っていたからだろうと思う。「マッハバロン」だけではなく、パンサー戦車やタイガー戦車だって、博物館で静かに眠る兵器であり、プラモデルになって、純粋に美的な鑑賞の対象として愛されれば良いと思っていたからである。
そしてそれは、戦争の記憶と結びついて、今も忌み嫌われることの多い、ドイツ軍の制服などもについても同じである。

もちろん、事はそんなに簡単ではない。兵器や軍服といったものは「現実の戦争の歴史」と結びついており、親や子をそうした表象をまとったものによって殺された人たちにとっては、「それはそれ、これはこれ」と分けて考えることなどできない相談だろう。「兵器や制服が人を殺したのではない。人間が殺したのである。だから、兵器や制服そのものに罪はない」という理屈は、人間というものの現実を無視した、幼稚で浅薄な形式論理に過ぎない。
それでも「兵器」にも「軍服」にも「美」が存在するというのは、「常用車」や「ドレス」に「美」があるのと、なんら選ぶところのない現実であるし、それらが持つ「美」に惹かれるという事実自体は否定できない。そして「美」に惹かれること自体に「罪」はなく、善いも悪いもないのだから、その「惹かれる気持ち」を否定する必要はないだろう。

しかし、である。それらの「美」に「惹かれざるを得ない気持ち」が私にある一方で、他の人に「それらを嫌悪し、忌避せざるを得ない気持ち」があるのだとしたら、両者は、社会的に共存をはかられなければならないだろう。浅薄な形式論理によって、自身の「権利」だけを主張するような態度は、結局のところ、その者の「人格と思想の浅薄さ」を明かすものにしかならないだろう。

だから私は「戦車の美」を愛する者として、「兵器や軍服」を忌避する人たちの「当然の感情」に配慮しつつ、浅はかな「戦争オタク」や「兵器オタク」の薄っぺらなリアリストぶりを、批判せずにはいられないのである。「兵器」や「軍服」にもある「美」を、再び血によって汚すことに加担しかねない、その浅はかで無神経な「オタク的な知」に、嫌悪と批判を向けざるを得ないのである。

そして、本書において部分的にしか触れられていない「プラモデルと〈戦争と平和〉」の問題について、この機会に、プラモデルを愛する多くの人たちに本気で考えて欲しいし、くれぐれも「プラモファンの面汚し」にだけはならないでくれと、今も切実に願わないでいられないのだ。

初出:2019年12月3日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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