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プロジェクトZ『奇跡のうどん』 〜四国の町を救ったあるうどん屋の物語

 讃岐うどんの産地として有名な香川県の海沿いにある甘糟町のうどん屋『花○鶴』本店はお昼時には毎日長蛇の列が並ぶ有名店だ。花○鶴は町に二つの支店を持ち、さぬき市や丸亀市など讃岐うどんの中心地を始めとして、県内各地に支店を持つ香川を代表する有名うどんチェーン店である。この店のうどんは全国にも知られていて、休日になると全国中のうどん好きが大挙して本店にやってくる。また讃岐うどんの本場であるさぬき市のうどん好きもうどんを食べにこの村にやってくるという。

 この超人気うどんチェーン店花○鶴は戦前から続いている店で、店が出来てからずっと町でうどんを出していた。だがその歴史は決して平坦なものではなかった。戦中戦後と店は何度となく経営危機に襲われた。その中でも最大の危機は高度成長期に起こった。高度経済成長期で日本中で土地開発ブームが起こると、この香川の辺境の町でも土地開発が盛んになり急激に町やその周辺の道路は整備されていった。しかしその結果町の人々は職を求めて次々と村から離れて行ってしまった。それに加え経済の発展によるライフスタイルの急激な変化があった。洋食が食べられるようになり、うどんも含めた和食があまり食べられなくなってしまったのだ。花○鶴はそんな時代の影響をまともに受けた。客足は日を経るごとに減っていき、店員たちは次々と店から去った。当時の三代目店主丸花麺蔵はこの事態を打開するためにあらゆる手を尽くした。しかしそれでも客は戻って来ず、完全に開店休業状態に追い込まれた。もはや打つ手はない。三代目店主丸花麵蔵は三代続いたうどん屋花○鶴の廃業を決意した。

「もうすべて終わりだと思いました。やっぱり自分は凡庸な三代目なんだと身に染みて感じましたよ」

 花○鶴のカウンターに座っている老人は沈痛な表情で語る。この老人こそ今回のプロジェクトZの主人公丸花麺蔵である。だがこの凡庸な三代目と自嘲する男は廃業寸前だったうどん屋を復活させ、さらにその店を四国を代表するうどんチェーン店にまで育て上げた人物なのである。何故この凡庸な三代目にそれが成し遂げられたのか。今回のプロジェクトZで紹介するのはこの凡庸な三代目がうどんで起こした奇跡の物語である。


 丸花麺蔵は花○鶴の二代目店主丸花麺一の一人息子として戦中に生まれた。丸花の祖父である花○鶴初代店主丸花麺作は讃岐でうどん修行した後故郷の甘糟町に帰ってうどん屋を開店した。この祖父のうどん屋は県の辺境の町にあるにもかかわらず県内で評判となり、たちまちのうちに人気店となった。丸花はそのうどん屋で三代目となるべく幼い頃から店の手伝いをやらされていたという。彼の生まれた当時の日本は中国戦線が完全に撞着化し、やがて太平洋戦争へとと向かっていこうとする時代であった。結局日本はアメリカと全面戦争することになったが、開戦後たちまちのうちに戦況は悪化した。この四国の田舎町もその影響をうけてしまい、材料の仕入れもろくに出来ない状況に陥った。さらに店を支える店員たちさえ兵隊に取られてしまった。そんな中でもなんとか店の営業を続けていたが、終戦直前に初代の麺作が急死してしまった。祖父の急死と終戦で混乱し切っていた花○鶴を継いだの丸花の父の麺一である。その時麺一はまだ二十代であった。

「多分親父が一番苦労したんじゃないですかね。店を継いだ時はまだ二十代でろくに経験もなかったし。しかも時代があんな状況だったんですから。まず店員の大半は祖父が亡くなって店が休業になった時に去ってしまったし、しかも戦後の混乱のせいで仕入れ先が全部潰れてしまったんですから。親父は店を一から店を立て直さなくてはならなかったんです。だけどそんな状況で作られたうどんはお客さんには当然不評で一時期は閑古鳥が鳴いていました。だけど親父はそれでもめげずに店を立て直そうと店の営業の傍らいろんな所を駆けずり回っていたんです。その結果どうにか店が立ち直りお客さんも戻ってきたんです。あの絶対絶命の状況を見事に打開した親父は凄いですよ。親父はウチの家系では珍しくガタイのいい男でしてね。そのデカいで捏ねるうどんは祖父以上にうまいと評判だったんです。それから私も店を継ぐものとして本格的にうどん屋で働くようになり、波乱まみれのうちの店もやっと安定期に入ったなと思っていた矢先でした……」

 丸花は沈痛な表情で亡き父の事を語った。丸花によると父は自分たちの一族の中で珍しく頑強な男でうどん職人になるために生まれてきたと周りから言われていたらしい。父はその頑強な体と精神力で戦後の混乱期の中店を立て直した。それどころか店を父以上に繁盛させた。店を増築しさらに支店を出す計画さえ持ち上がった。その最中に二代目店主丸花麺一は病で倒れてしまったのだ。

「親父はたった一人でうどん屋を立て直して、それどころか祖父の頃よりも店をずっと大きくしたんです。そんな時に父が突然病で倒れてしまって。医者から父の体は末期のガンで手の施しようないと聞かされました。恐らく戦後の激動の日々の疲労が病となって積み重なっていたのでしょうね。死ぬ間際に父は私を枕元に呼んで店を譲ると言いました。私はそれを聞いて私は震えました。たしかに幼い頃からずっと働いていたうどん屋ですが、それゆえに私は自分には祖父や父のような才覚も力もない事を身に染みて感じていたのです。頭の中で三代目で身を滅ぼすという言葉が何度も浮かびました。父は私が露骨に不安そうな顔をしているのを見てとったのか馴染みの厳しい顔でこう言いました。『そんな不安そうな顔をするな。いい加減自分に自身を持て。お前には親父と俺のうどん職人の血が流れているんだぞ。俺は信じているお前が花○鶴を盛り上げて村を豊かにしてくれることを』。父はそれから間もなくして亡くなりました。さらに母までも、多分親父が亡くなったのが身に応えたのでしょう、一年もしないうちに母まで亡くなってしまったのです」

 両親を共に亡くした丸花だが、天涯孤独になったわけではなかった。妻と子供がいたからである。

「正直に言って妻と子供がいなかったら、私は今日まで生きていられたかわかりません。いや、はっきり言います。私が現在生きていて花○鶴がこうして今もあるのは妻と子供のおかげなのです」

 丸花はそう語るとハンカチを取り出して目を拭った。

「妻は、「あなたならできる。あなたは一人じゃないのよ。あなたには私たちや、お店の人たちがいるじゃない」と私にハッパをかけてくれたんです。私はその妻の言葉に勇気をもらいました。三代目として祖父と父が遺してくれたこの花○鶴を受け継いで行こうと」

 三代目花○鶴店主丸花麺蔵をずっと支えてきた妻丸花亀子は夫をこう語る。

「夫は自分に自信が持てない人でそこをよくお父さんに叱られていましたね。お前はできる人間なのに何故いつも自分を卑下したりするのかって。私もそれは感じていました。でも夫が自分を卑下する気持ちもわかるんです。あの人は生まれてからずっと偉大なお爺さんとお父さんに身近で接してその存在にずっと圧倒されながら過ごしていたんですよ。二人の存在は今でもあの人にとって大きなもので、あの人は今も度々「俺なんて親父に比べたら」なんて愚痴るんですよ」

 丸花麺蔵は父が亡くなってすぐ花○鶴の三代目店主となった。祖父と父が遺した店を自ら切り盛りせんと断固たる決意を持って三代目となった。だがその彼がぶつかったのは断固たる決意など容赦なく打ち砕く現実であった。丸花は当時の状況をこう振り返った。

「父が亡くなってしばらく店は上手くいっていたんです。やっぱり祖父と父が築き上げたものがありましたからね。だけどしばらくすると、やっぱりメッキが剥がれたんでしょうか、客足がだんだん減ってきましてね。まず外からの客が来なくなり、そして地元の馴染みの客まで減り出しました。一日の売り上げもみるみる落ちていきました。これも全部私のせいなんです。私は三代目として祖父と父の味を引き継ぐことが出来なかったのです。あれほど二人に接していながら全く情けない限りです。かといって自分のオリジナリティも出すことができませんでした。ハッキリ言って私のうどんは祖父と父の安っぽい模造品でしかなかったのです。そんな私の不甲斐なさに店員も呆れていました。あの頃いた店員の大半は親父が雇った人たちでみんないかにも四国の海男山男といった血の気の多い連中ばかりです。私はそんな店員たちに呆れられて客の前で罵倒されることがありました。客は口を揃えて私のうどんより店員たちの作ったうどんの方がマシだと言う始末で、もう三代目の威厳なんてあったものじゃありませんでした。そしてとうとう私はその店員たちに三行半を突きつけられたのです」

 丸花は絞り出すような口調でこう語った。この下を語っている時の丸花の表情はひどく歪んでいた。きっと当時の丸花は店の没落を目にして何もできない自分に憤りを感じていただろう。もしかしたら自分を置いて死んだ祖父と父を恨んでいたかもしれない。しかしその没落しかかった追い討ちをかける、どころか決定的に叩き潰すような事態が起きた。それは戦後日本に起こった高度成長期による土地開発のブームである。それがとうとうこの町にもやってきたのである。

「あの土地開発が店に決定的な打撃を与えました。その頃は確かに客足は著しく減り、とても人気店とは呼べないような状態になっていましたが、それでも店はなんとかやっていけたんです。ところがあの土地開発ブームは町を全て変えてしまったのです。電車や国道が通り交通の便がそれまでと比較にならないほど良くなったので町の人たちは揃って繁華街の方へと揃って引っ越してしまったのです。私たちのうどん屋は地元の人たちによって支えられてきました。その地元の人たちにさられてはもうやっていけません。残っていた地元の人たちにさられてしまい全く客が来なくなってしまったので私はわずかに残っていた店員たちを雇い止めにしました。残っていた店員はみんなお爺さんやお婆さんでした、みんな子供に見放されてその日暮らしさえできないような境遇の人たちばかりです。私は店員に不甲斐ない三代目で申し訳ないと深く頭を下げて雇い止めにすることを通達しました。客も店員もいなくなったやたらだだっ広いだけの店の中は泣き疲れたのか閑古鳥でさえ鳴いていませんでした。一日一人も客が来ないなんて日もざらにありました。たまに戸が開いてお客さんが来たなと思ったら熊だったしたこともありました。だけど残念ながら熊はうどんは食えたとしても、お金はくれません。こんなつまらないにも程がある冗談さえ口に出てしまうぐらい絶望的な状況でした。だから私は妻に店を辞めると言ったのです」

 妻亀子はその時の夫の姿をこう振り返った。

「あの頃はもともと気弱な主人が完全に萎れてしまいましてね。毎日客の全く来ない厨房で項垂れている主人を見ているのが辛かったですよ。この人もしかしたら死んでしまうんじゃないかとさえ思ったこともありました。だから主人から店を閉めたいと聞かされた時は正直に言ってホッとしました。確かに初代とお父さんが築き上げてきた店を自分たちの代で閉めることになるのはとても辛いし、初代とお父さんにはお詫びしてもし切れないものだと思います。それに今までウチの店のうどんを愛してくださったお客さんにもやっぱり申し訳なく思います。だけどこのまま店を営業してもいずれ閉めることになっていたでしょう。そうなったらもっと店も主人も傷ついてしまったでしょう。そうなる前に店を閉めた方がやっぱりいいと私も思いました。主人は自分にうどん屋は向いていないといってもう飲食業自体から離れたいと言いました。あの人は笑いながら『早く履歴書の書き方覚えないとな。といっても履歴なんてこの店の事しか書くことないんだが』って。でもいつ店をやめるかという話になると、あの性格ですからやっぱりいざって時に決断が出来なくてけっきょく店はそのままずるずると続いてしまったんです」

「正直に申しまして。店への未練が頭をもたげてきたのです。全く私の悪い性格です。一度決めた事をいざ実行する段になるとやっぱり間違っていたのではないかと躊躇ってしまうんです。これ以上店を続けたらもっと悪い結果になる事は分かり切っていたのに、でもそれでもやっぱり祖父と父が苦労してずっとやってきた店ですから、自分の代で潰していいものかと。……だけどその迷いがあの奇跡を呼び込んだんです」

 丸花はそう言うと顔を上げてカウンターから店内を見渡した。暖簾から漏れる夕陽の眩しさに目を細め、話を続けた。

「あの時もこんな眩しい夕焼けが差し込んでいました。妻は材料の仕入れに行っていて、私は一人カウンターで何をするでもなく、ただ無人の店内を眺めていたんです。暖簾から差し込んでくる夕陽とその影になった店内をみて、斜陽族的な感傷に浸っていたんです。もう全ては終わり。いい加減に閉店日を決めて張り紙でお知らせしなければなんて。まぁ、いくら張り紙で閉店を知らせようが入ってくる客なんてたかが知れているんですが。ふとその時誰かが店に入ってきました。息子です。息子はその頃小学生でわんぱく盛りでした。彼はよく店の手伝いをしたいと言っていましたが、私はその度に必要ないと断りました。断るたびに胸が痛んだのを今もハッキリ覚えています。もっとお客さんが入ってネコの手も借りたいぐらい忙しかったらどんなによかっただろうと。息子は帰ってくるなり私に今日学校であった事を話してきました。私は笑顔で話しかけてくる息子を見て辛くなりました。その時でした。ガラガラと戸が開いて人が入ってきたんです」

 我々の住むこの人間社会は繋がりでできている。人との出会いで繋がりができ、その人々が集まりさらに大きな繋がりができる。その繋がりは様々なコミュニティを生む。だが人と人との繋がりは容易に生まれるものではない。たった一度っきりの交流で終わる事はざらにある。だが、人て人の一度きりと思われる出会いが奇跡を生み巨大なムーブメントを引き起こす事もある。この廃業寸前のうどん屋の主人とそのうどん屋にふらりと訪ねてきた客のように。

「入ってきたその見慣れない初老の男性を見て私は一瞬地上げ屋かと思いました。近所の人たちがもう時期うどん屋が廃業するって噂をしている事は知っていましたしね。だけどその人はうどんを注文してたんです。『かけうどん一杯いいかい?』とその人はいいました。このお客さんは私は一度もお見かけした事はなかったんですが、父が生きていた頃うちに何度かうどんを食べにきていたそうです。高松の人だそうですが、あの日はたまたま道に迷って町に来たらしくて、ふと目にしたうちの店の看板を見て懐かしいものを感じてこの店に入ったそうです。私はお客さんを見て喜びましたよ。なんて言っても三日振りのお客さんですからね。だけど間の悪いことにうどん粉がなかったんです。どうせ客なんて来ないだろうと思ってほとんど仕入れていなかったんです。仕方なく私は作り置きのもう捨てようかと思っていた生地を使って麺を作りました。息子も久しぶりのお客さんに嬉しかったらしく、私が麺を茹でている時僕がお客さんに持って行くとはしゃいでいました。私はたまらず息子に部屋に入っていなさいと叱りつけましたが、興奮状態だった息子は私の言葉に耳を貸しません。僕が持っていくと言って聞かないのです。私は麺が茹で上がったのをみて息子をのけてどんぶりに麺を入れました。そしてつゆとその上からネギをかけていざうどんを持って行こうとした時です」

 そこで丸花は言葉を切った。そしてソワソワし出して何故か天を仰いだ。

「その時突然息子が僕が持っていくと言い出して私からどんぶりを乗せた盆を奪おうとしたのです。その勢いで息子は棚に乗っていた天かすと生姜と醤油をどんぶりにこぼしてしまったんです。この年になった今もあの情景をスローモーションで何度も確認できるぐらいに鮮明に覚えています。富士の山の大雪崩のようにどんぶりに滑り落ちてゆく天かす。まるで岩石が転がるように落ちてゆく大さじ一杯の生姜。そして五回まわしで竜のようにうどんに飛び込んでゆく醤油。後になってとある大学教授のお客さんにこの話をした時、ドイツのノーベル賞作家が書いた小説にこんな場面がある事を教えられました。教授の話によると小説の主人公は実業家で私と同じ三代目らしいのですが、その主人公の一人息子が、たまたま見つけた自分の家の家系図からいたずら心で一番下に記されていた自分の名前を消してしまったそうです。主人公は息子のいたずらをみて自分たち一族の終わりを悟るわけですが、当時の私もその主人公と全く同じように思いました。祖父と父の作り上げたうどんが私の非力さと息子いたずらによって全て崩壊してしまう。私はもうハッキリとうどん屋花○鶴と丸花家の終わりを悟りました。カウンターから『まだかね?』というお客さんが聞いてきます。私は正直にうどんにいろんなものが降りかかってとても食べられない状態になった事と、もううどん粉がないのでうどんの作り直しが出来ない事を詫び、引き取ってもらおうとしたのです。しかしそのお客さんは、なにがかかっていようが構わん。早くうどんを持ってきてくれ。私は今空腹なのだと言って急かすじゃないですか。私はその威圧感に押されて断ることができず、仕方なく天かすだのがまぶされた、あまりにも見た目がよろしくないうどんをお客さんの座っているカウンターに持っていったのです。お客さんは自分の前に出された天かすが山盛りになったうどんを見て手で口を押さえていました。私はそれを見てやはり無理だと思い声をかけようとしましたが、しかしそうしようとした瞬間お客さんが箸を取ってうどんを口に入れてしまったのです」

 丸花は天かすと生姜とその上から五回まわしで醤油がかかった公害みたいなうどんを食べる客を固唾を飲んで見守った。彼は客になにか異常が出たらと震えた。客はうどんを一口食べた途端箸を手にしたまま止まった。それを見た丸花は客が吐き気を催したのだと思い袋を取りに厨房の方へと向かおうとした。だがその時客が歓喜の表情でこう叫んだのである。

「なんだこのうどんは!こんなに美味しいうどんがこの世にあるとは信じられない!麺を天女の衣のように包む天かす!つゆに映えて輝く琥珀のような生姜!そして生命力そのものの五回体を拗らせてうどんから立ち上る龍のような五回回しでかけられた醤油!この薬味がうどんをあり得ないほど美味にしている!ああ!一口食べるごとに極彩色の味が染み込んでくる!ああ!食べるのが惜しい!もっとこのまま永遠にこのうどんを食べ続けていたいのに!」

 客は食べ終わるとすぐさま二杯目を要求した。こんな美いしいうどんは一杯だけでは到底足りぬと訴えた。しかし丸花はもう店にはうどん粉がない事を繰り返すしかなかった。

「あの時は本当に申し訳がなかったですね。息子がしでかしたせいでぐちゃぐちゃになったうどんをあんなに喜んで食べてくださったのに、おかわりをさしあげられないなんて。だけどあの時はまさかあの息子のしでかしうどんがまさかあれだけのものになるとは思ってませんでした。

 客はうどん粉がないと聞かされていかにも無念そうな顔をして残念だと呟いた。

「うどん粉がないとはさっきも聞いたな。すまぬ。だがここにくれば食べられるのだろう?メニューにはないようだが、食べられるのだろう?」

「食べられないことはないですが、ただ店がいつまでやっていられるか。お恥ずかしい話ですが、この通り店は閑古鳥さえ鳴くのに飽きたような有様で、もう限界なんです。すでに閉店する事を決めていまして」

 この丸花の言葉を聞いて客は憤然として立ち上がって店主に言った。

「閉店するだと?何をバカな事を言っているのだ!そんなことは私がさせない!ハッキリ言うが、あなたが今出したこの天かすと生姜と醤油がたっぷりまぶされたうどんは昔食べた親父さんのうどんより遥かに美味い!いいかね、次私が来るまで絶対に閉店するなよ!いっそこのうどんをメインメニューにしろ!そうすればみんな絶対食いつくぞ!」

 客の勢いに呆気に取られた丸花は息子を見た。まさかこの息子のしでかしでこんな事になるとは。全く何が起こるか全くわからないものだ。今彼はあの時の出来事をこう回想する。

「全く人生には何が起こるかわかりません。息子のしでかしが結局店を救ったんですから。あれが奇跡の始まりだったんです。あのバカ息子があんな事をしでかさなかったらうちは間違いなく潰れていた」

 その夜である。丸花は店を閉めた後、妻が仕入れてきたうどん粉を使ってあの客に出したうどんを作ったのである。息子がどのように天かすと生姜と醤油をこぼしたかはハッキリと覚えていた。雪雪崩の如く流れ落ちる天かす。大さじ一杯の岩石の如く転がる生姜。そして龍の如く五回体を捻ってつゆに潜ってゆく醤油。完成したそれは初めて見たものと全くイメージが変わっていた。息子のしでかしで出来たうどんを見た時はまるで公害と目を背けたが、改めて見たらそれは公害ではなく、煌びやかな極楽であった。丸花はそれにしばらく見惚れていたが、妻と息子が呼んでいるのに気づき、どんぶりを三杯乗せた盆を持ってお茶の間へと向かった。

 三人とも黙って箸に手をつけず、ただ目の前のどんぶりを見つめていた。誰も箸を取る勇気がなかった。確かに夕方の客はこの天かすと生姜と醤油がたっぷりまぶされたうどんを美味しいと言って喜んだ。しかしあれは見慣れぬものを珍しがったからかもしれぬ。日々うどんを食べている自分たちが食べて美味しいものかわからない。ひょっとしたらあの客はとんでもなくまずいものを美味しいと錯覚したのかもしれぬ。丸花はまずかったらそれまでと勇気を出して箸で麺を取って口の中に入れた。

「あの時食べたうどんの味はいまだにハッキリと覚えています。確かに客の言っていたことは正しかったのです。私も客と全く同じような感想を持ちました。麺を包む天女の衣のような天かす。つゆによって琥珀色に輝く生姜。五回まわしの龍のように美味さが体の奥から立ち上ってくるような醤油。まさに極楽浄土!今までの人生でこれほど美味いうどんを食べた事はありませんでした。あの偉大なる初代の祖父と、そして二代目の父のうどんでさえこの天かすと生姜と醤油がたっぷりまぶされたうどんにははるかに及ばなかったのです」

 うどんを瞬く間に平らげた丸花は顔を上げて妻と息子を見た。彼はそこに空のどんぶりと恍惚の表情の妻と子を見たのである。

「それから家族三人で一晩中うどんについて語り合いました。そうしてうどんについて語っているうちにやっぱり店を続けたくなったんです。こんな美味しいうどんをみんなに食べさせないまま、店を閉めるなんてあるかと思いました。それで私は妻と息子に店を続けたいと言ったんです。このうどんは絶対にみんなに受け入れられると」

「主人がここまでハッキリと自分の決意を語ったことはありませんでした。今まであんなに頼りない人だと思っていた人がどうして急にここまで変わるのかと思いました。これは息子のしでかしが生んだうどんのせいなのでしょうね。私もあんまりの美味しさに舌がとろけそうになりましたから」

 そしてこの思わぬしでかしで後に店の人気メニューとなるうどんの誕生させた息子の現在四代目店主である丸花麺一郎はこう語る。

「私はあのしでかしをした時父が働き疲れていると思ってそれで少し休ませようと思ってうどんを運ぼうとしたんです。だけどあんな事が起きてしまった。私はその時の父の顔をハッキリと覚えています。父は異様なまでに冷たい目で私を見ていました。私はその当時小学生ですから、うちが閉店寸前だった事など知らなかったので父がただ恐ろしく思いました。だけどお客さんはその私のしでかしうどんをすごく美味しそうに食べているじゃありませんか。全く運命ってのはわかりませんね。ちなみにあのうどんの名前は僕がつけたんです。あの日父と母と私でうどんを食べた後で散々店の事とうどんについて話していた時、私は両親に向かってこう言ったんです。『あのさ、あの天かすと生姜と醤油がたっぷり入ったうどんの名前さ。そのまんま天かす生姜醤油全部入りうどんにしない?』。父も母も私の提案にそのまんまじゃないかと笑いました。だけど結局うどんはその名前でメニュー入りして、それどころかうちのシンボルにさえなったんです」

 新メニューに天かす生姜醤油全部入りうどんを入れ再出発をした花○鶴だったが、いくら新メニューを入れてもすぐに客が戻って来るはずはなかった。しかし、しばらくすると明らかに今までの客層と違うものたちが、天かす生姜醤油全部入りうどんを求めて店にやってくるようになった。皆スーツ姿でフラワーホールには社章をつけている。その立派なスーツから皆どこぞの大企業の人間かと思われた。丸花はこの新しい客たちの来訪に驚き何が起こったのかと不思議がった。

 このスーツ姿の客たちが花○鶴に来るようになったのはある男の勧めによるものである。その男とは以前夕方に花○鶴で天かす生姜醤油全部入りうどんを食べたあの初老の客。当時高梅新聞の文化部部長であった面久井馬蔵である。高梅新聞文化部部長面久井はグルメ好きとして知られ新聞でも頻繁に香川の美味しい店を取り上げていた。そのグルメへの熱情は本物であり、新聞社を退職してからも香川の料理振興会などの重職について生涯グルメに携わっていた。その面久井の息子の銀行員で現在賀川銀行の頭取である面久井綿太郎はその頃の父をこう語る。

「ある日父が異様に興奮して私に電話してきましてね。開口一番いきなり甘糟町って地図にさえ載っていない町にとんでもなく美味しいうどん屋があると言ってきたんですよ。父は花○鶴の場所を言って今すぐに上司を連れてうどん屋にいけとせっついてきましてね。とにかくみんなに天かすと生姜と醤油がたくさん入ったうどんを食べてもらえ。味の心配はない。俺は近々記事でこの店を取り上げるつもりだから。確かに見てくれは悪いがとんでもなくうまいうどんなんだ。そしてうどん屋が望んでいたらすぐに融資するよう取り計らってくれと。私はなんの話かさっぱりわかりませんでしたが、父を怒らせると怖いので一応承諾して、それからそれとなく支店長をはじめとした上長に誘いをかけてみたんです。父は香川ではそれなりの有名人でしたので、父の名を出したらみんな誘いに乗ってくれました。私は支店長をはじめ上長を連れて休日に揃って車で甘糟町の花○鶴のうどんに行きました。車中で私は上長たちに父から聞かされたうどん屋の話をしました。この店が三代目続いている店であることと、店が今閉店の危機にあることなどです。それから私たちは店に入って父の勧める天かす生姜醤油全部入りうどんを注文しましたが、そのうどんはやはり父から聞かされていたように見栄えがよくありませんでした。だけど味はうどんの見栄えの悪さと反比例して信じがたいほどうまかったのです。食べている最中に上長たち口々に私にこんな美味いうどんを提供する店を潰してはいかん。なんとしても救わねばと言いました。とりあえず取引先の企業の重役にこのうどん屋を勧めるかとも言ったんです。多分その口コミがみんなに伝わったのか、いつのまにか香川の企業中に花○鶴の名前が知れ渡ったのです。父はこれを大変喜んでいましたね。あの人は本当に花○鶴の天かす生姜醤油全部入りうどんが好きで亡くなる前までずっと店に通って食べていたんですよ。父はその晩年に花○鶴の救い主だと讃えられた時、きっぱりとこう言ったんですよ。『いや私は花○鶴を救ったのではない。逆にこちらが救われたのだ。花○鶴が存続しなければ私の晩年はもっと寂しいものになっていただろう』と」

 花○鶴の新メニュー天かす生姜醤油全部入りうどんの評判は徐々に広まっていった。この見た目の良くないうどんは逆にその見た目の悪さで評判になった。見た目の悪さに反して味は讃岐や丸亀の名店のうどんをはるかに超える。そう人々は噂した。しかしその一方で初代や先代のうどんを惜しむ人々はとうとうゲテモノにまで手を出すようになったかと、批判もあった。その批判者の中には先代の頃の店員だったものもいた。しかしそんな批判さえ軽く吹き飛ばすような新聞記事が高梅新聞に載った。記者は文化部部長面久井馬蔵である。記事は一ページ丸々使った特集で内容は店の紹介と三代目店主丸花麺蔵が祖父から続く店の歴史と天かす生姜醤油全部入りうどんを誕生させるまでのヒストリーを語ったインタビューであった。

 このインタビュー、特に天かす生姜醤油全部入りうどんが誕生する件を語った件は大反響を呼んだ。天かす生姜醤油全部入りうどんの誕生の場面に居合わせた面久井による生々しい文章は今もなお伝説として語られるほどのものである。この記事が新聞に載った後、花○鶴の名は人々にしきりに語られるようになった。休日の甘糟町の花○鶴の前には行列が立ち並び、廃業寸前だった店はあっという間に人気を取り戻したのである。

 丸山は人気回復に至るまでの状況についてこう語る。

「あの夕方のお客さんに天かす生姜醤油全部入りうどんを出した時から何かが変わったんです。しばらくしてからうちの店に縁のなかったようなお客さんたちがやってきて私どもに融資の相談や、店の宣伝の誘いなんか持ちかけられたりしました。そこにあのお客さんが再び現れたんです。あの時と同じように夕暮れの中、あの時同じようにふらりとあの人は現れました。そして名刺を出されたんです。その名刺を見て私はびっくりしました。まさか新聞記者であったとは。本当に面久井さんには感謝しかありません。うちの店を記事で取り上げていただいただけでなく、それからもずっと贔屓にしていただいて」

 丸花は面久井のインタビューに対して正直に時に涙を流して答えた。丸花によるとその時面久井も泣いていたという。二時間超にも渡るインタビューが終わった後、面久井は記者から客へと戻りそして天かす生姜醤油全部入りうどんを注文した。面久井は前回食べた時のようにあっという間にうどんを平らげ、歓喜の表情でこう言ったという。

「花○鶴は私が潰させない!私の記事でみんなをこのうどん屋に振り向かせてみせる!」


 奇跡がより大きな奇跡を生む時が稀にある。どこかで起きた小さな奇跡の波紋が伝わりさらに大きな奇跡を呼び起こす。香川の辺境の町にあるうどん屋花○鶴が起こした奇跡は予想外のところにまで影響を及ぼした。

 高梅新聞に丸花麺蔵の特集記事が載ったのがきっかけで花○鶴はかつての人気を取り戻した。しかし丸花にとってこの時期が最もきつい時期であったという。

「突然忙しくなったので毎日が大変でした。当時は私と妻しかいなかったのですから二人で朝から晩までなんとか店を切り盛りしていたんです。だけどそれも限界でした。おまけにあまりにも天かす生姜醤油全部入りうどんの人気が過熱したために待っても店に入れないお客さんが出てきたんです。そのためにまずは店員を雇って回転を良くしようとしたのです。だけどそれでも客は収まりきらなかったのです。私と妻はこの事態をどう打開したらいいか考えましたが、何もいいアイデアが思い浮かびませんでした。その私たちに助け舟を出してくれたのが岸面太郎さんでした。岸面さんは不動産業を営んでいる方だったのですが、うちを大変贔屓にしていただいていて普段からなにかと相談に乗ってくださっていたんです。それで思い切って相談をしたのですが、岸面さんはそれなら支店を出せばいいではないかと答えたんです。私はそれを聞いて父の事を思い出しました。父は支店を出す準備をしていた時に倒れてしまった。私がその計画の後を継いで支店をだしたら父の念願は叶うかもしれないと。だけど当時と今の状況はまるで違う。こんな人口のすっかり減った町で支店なんか出しても誰が来るのか。だがその私に向かって岸面さんはこう言ったんです。『丸花さん、町に人がいないのなら呼べばいいんです。あなたのその天かす生姜醤油全部入りうどんで』と。私はその言葉にハッとしました。岸面さんの言う通り、天かす生姜醤油全部入りうどんだったら、この没落する一方の町を再び活性化できるかもしれない。何故なら天かす生姜醤油全部入りうどんは廃業寸前だったこの花○鶴をあっという間に復活させたのだ。きっとこの甘糟町も天かす生姜醤油全部入りうどんの力で」

 丸花は妻と相談して町に支店を作る事に決めた。その彼の決断がまた新たな奇跡を呼び込んだ。丸花が支店のために店員募集の広告をかけると予想をはるかに超える応募があった。彼はその応募者の中にかつての店員の名を見たのである。そのかつての店員は丸花と年が近く、よく親しくしていた。その当時の事情をかつての店員であり、丸花に再び店員として採用された元二丁目支店店長稲庭四郎はこう語る。

「二代目が亡くなった後私が店を辞めたのは自分の意志じゃなくて先輩方に強制されたんです。どうせあの三代目じゃ花○鶴は潰れる。だから俺たちと一緒に店を始めようって。恥ずかしながら私もそう思っていました。だけど結局潰れたのはこっちの店だったんです。私は店が潰れる寸前にやめたんで被害はなかったのですが、先輩方は大変だったようです。借金で首が回らなくて夜逃げなんかして讃岐うどんのうどん粉の中に隠れたりして。そんなこんなで無職になったので職探しのために求人看板を見ていたら、そこに花○鶴の求人広告があるじゃないですか。私は恥を忍んで応募しましたよ。そこには当然三代目とは店員時代に親しくしていたからその温情にすがろうという浅ましい考えもあったんですよ。ですが三代目はそんな浅ましい私を受け入れてくれたんですよ。しかもいきなり私を店長にしてくれたんです」

 応募者の中には稲庭のようにかつて花○鶴から去ったものが何人かいた。だが丸花は彼らに対して私心ではなく、あくまで当人の人格と技量で採否を判断した。この頼りないと人に評される三代目にもうどん屋の血が流れている。うどん屋の店員に必要なのは客に美味しいうどんを提供できる腕である。

 花○鶴の経営を拡大化させた丸花の元にいろんなところから事業の誘いがあった。この中には詐欺まがいのものも確かにあった。だが驚くべき事に大半は純粋にうどん屋花○鶴の将来のために各自が真剣にプランをまとめて出したものであった。丸花は皆の好意に良く何故皆これほど花○鶴の事を考えてくれるのかと尋ねたという。

「私は不思議でしょうがなかったのです。皆さんが私以上に店の事を案じてくださるので気が気でならなかったのです。私は妻にも店員たちにも何故なのかと聞きました。すると皆決まってこう言うではないですか。あなたが頼りないからみんなあなたの代わりに考えてやっているのだって」

 こうして実際に対面して感じるのはこの丸花麺蔵という男には不思議な魅力かあるという事だ。彼はいかにも頼りなげだ。だがそれ故になんとかしてあげねばならぬという情が湧いてくるのだ。その彼の姿はどこか三国志の劉備を思わせる。これは大袈裟な例えと思われるかもしれないが、実際にこの男を前にしてそう感じるのだ。彼はかつてはただの凡庸な三代目であっただろう。だが天かす生姜醤油全部入りうどんという玉璽を手に入れた彼は凡庸な三代目からうどんの天下人へと躍り出た。彼はよく自分一人の力では何も出来なかったと口にする。だが同じような言葉をかつての天下人も残しているのだ。妻の亀子はより簡潔に夫をこう評する。

「あの人は何故かみんなで助けたくなるところがあるのね。あんなに頼りない人がおじいさんやお父さんよりもずっとお店を大きくできたのかそれが理由かもしれないわね」

 花○鶴の経営規模は急速に拡大化した。しかしそれによって事業が混乱する事はなかった。個人店から法人化し会社として組織化が行われても当たり前のように店の営業は続いていた讃岐市や丸亀市への出店も大成功に終わりもはや花○鶴は四国を代表する一大うどんチェーンとなっていた。その花○鶴の拡大化とともに甘糟町もまた急速に発展して行った。これが大きな奇跡である。うどん屋が起こした奇跡は波紋を起こし、より大きな奇跡を呼んだのである。花○鶴のシンボルメニューである天かす生姜醤油全部入りうどんは町に産業を産んだ。道路沿いには花○鶴を食べにやってくる客のために様々な観光施設や娯楽施設が建てられた。また荒れ放題だった公園も整備され緑豊かな憩いの場となった。花○鶴も当然ながら地元の発展に貢献しようと新しく始めた天かす生姜醤油全部入りうどんの即席麺とカップ麺の工場をこの地に建てた。そうして町が発展し人が増えていき、かつて町から去った人々も戻ってきたのであった。

「恥ずかしながら戻って参りましたって敬礼しながら詫びたいぐらいですよ。町を出て行った時はまさかここまで盛り返すとは思って真戦でしたから」

 と再び甘糟町の住人となった山田太郎さんは語る。しかしこの町に住んでいるのは引っ越してきた人や戻ってきた人たちばかりではなかった。産業の新たな可能性を見て他の地からここにきた人間もいるのだ。

「僕はかつては東京でエンジニアの仕事をしていたんです。だけど東京というに暮らしていて都市というものが限界に達している事に気づいたんです。もう都市の価値観で未来のグランドデザインはできない。これからは発展しつつある地方こそ自分の可能性が生かされるのではないかと。そんな時に花○鶴が社員募集しているのを知ったのです。花○鶴は今やうどん屋を超えて多角的な企業になろうとしています。そんなところで僕の力を活かせればいいと思って。面接に行く前に花○鶴といううどん屋の雰囲気を知っておこうと思って甘糟町の本店に行きました。その店の前で僕は凄い感動的な場面を見たんです。店の前にはたくさんの子供たちが集まっていました。何事かとのぞいてみると子供達の前にはうどんの入った大きな鍋あってその鍋のそばにはにこやかに立っている老人がいたんです。その老人は子供たちに天かすと生姜とその上に醤油が五回まわしでかけられた皿を配ってみんなにそれを鍋の中にいれなさいと言っていたんですね。その老人が先代の三代目である事は後から知ったのですが、僕はその美しい情景を見てこの土地に一生骨を埋めようと決めました。この美しいうどんシティをさらにうどんに満ちた美しいシティにするたむに全く新しい世界のグランドデザインを作ろうと決意したんです」

 株式会社花○鶴のプロジェクト本部リーダー華村丸男は熱くこう語った。彼は将来花○鶴の中心となる人間だと言われている。

 甘糟町には花○鶴の他にもいくつもうどん屋があり、皆天かす生姜醤油全部入りうどんをメニューとして取り入れている。しかし花○鶴はそれに対して批判する事はなく、それどころか天かす生姜醤油全部入りうどんを甘糟町の郷土料理と全国にアピールする事を提言している。花○鶴はブランドよりもあくまで地元の発展を願うと宣言しているのだ。店オリジナルの天かす生姜醤油全部入りを作っている都子うどんの店主の光星健太郎さんはこう語る。

「本当に花○鶴さんの好意には感謝しています。元々二郎系じゃないけど、うちの店の天かす生姜醤油全部入りうどんも花○鶴から生まれているわけだし。でもどんなに頑張っても花○鶴の天かす生姜醤油全部いりうとんには追いつけないんだよなぁ」

 現在花○鶴を率いているのは四代目の丸花麺一郎である。彼は会社の経営に集中したいので早めに長男の麺乃助を五代目の店主したく日々彼を厳しく教え込んでいる。

「全くあいつは誰に似たのか、意気地のないやつでしてね、なんか心配で、それでつい息子にキツく当たってしまうんです。お前もいい大人なんだからもっと自分に自信を持てとね。でもまぁ、うちには父のような人間もいるし多少弱っちくてもなんとかなるんじゃないですかね。実のところ私は店の将来にあまり悲観していないんです」

 この自分の後継者である息子と孫について麺蔵はこう語る。

「息子の麺一郎はどこか父ににて非常に決断力のある人間なんです。即席天かす生姜醤油全部入りうどんやカップ麺を提案してきたのは息子ですしね。一方孫の麺乃助はどこか弱くてまさか私に似てしまったのかと不安になります。でも芯は私に比べたらずっと強いし、もしかしたら真面目一徹だった祖父の方ににているのかもしれません。私は花○鶴の行末は全く心配していませんが、願わくば花○鶴がずっと続く事を祈りたいですね」

 インタビューを終えた我々は丸花に案内されて町を歩いた。丸花は時々立ち止まり目を細めて町を眺めた。彼の前には自分たちが発展させた今の甘糟町の姿があった。

「本当に変わってしまった。まさか天かす生姜醤油全部入りうどんが町をここまで変えるとは当時は思いもしなかった。戦争、戦後、高度成長期とその度にこの町は何度も死にかけたが、今もこうしてあるのは本当に奇跡だ。それもこれは全て人と人とのなしてくれた事なんだ」

 丸花が打ち明けてくれたのだが、彼は今まで何度も議員になるよう誘われたらしい。町議員、県議員、国会議員といろんなところから。しかしその度に彼は断った。

「やはり政治なんて自分の柄じゃないんですよ。私は生涯うどん職人なんですから」

 しばらく歩いた後、丸花は再び立ち止まり、そして我々の方を向いて目の前の川を指さした。目の前の川を細かに反射する光はまるで天かすのように見えた。その川の中心には川面から黄色い苔に覆われているまるで大さじで掬った生姜のような岩が見えた。生姜のような岩は日に照らされて琥珀のように光っていた。さらに川を除くとそこに川の流れに逆らって泳ぐ一匹の黒龍のような黒蛇が泳いでいた。その蛇の五回まわしに体を捻らせて、懸命に上流へと向かおうとしている姿は、まるで五回まわしでうどんにかけられる醤油そのままであった。


 先日株式会社花○鶴がニューヨークに支店を出すというニャースが流れた。社長である四代目店主丸花麺一郎は新たなる挑戦というコメントを発表している。その花○鶴の本社の所在地である甘糟町はつい先日市への昇格が決まった。

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