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現実をフィクショナルでドラマティックなものにするために

 現実は芸術の模倣に過ぎないというオスカー・ワイルドの気の利いた言葉さえ陳腐に思えるぐらいに、この二十一世紀はフィクションから生み出されたような現実に溢れている。現代に生きる我々はこのフィクションまみれの現実で生き、そしてドラマのワンシーンのように死ぬだろう。一筋の涙と感動のラストワードを遺して。

 ここに一人の男がいた。彼は現実をフィクショナルに生きようと決意し、日々それを実践していた。フィクションを真似するだけじゃダメだ。人生をもっとフィクショナルに、ドラマティックにするには現実自体をすべてフィクショナルでドラマティックなものに変えなくちゃいけないんだ。

 彼はそれを実践するために親から貰った有り余る財産を残らずぶっ込んだ。金の力で自分や周りの環境をすべて変えた。だがそれでも彼はまだ現実をフィクショナルに出来ていないと感じていた。彼はあと何を足せば完璧に現実をフィクショナルに出来るのか一晩中考えた。そして夜明けのコーヒーを飲みながらふと部屋を見た時彼はやっと何が足せば現実を完璧にフィクショナルに、そしてドラマティックにすることが出来るかわかったのである。

 男はなんでこんな単純な事を見落としていたのかと声を上げて笑った。そうだ、音楽を忘れていたじゃないか。ドラマや映画には音楽が象徴的に使われる。主人公の登場。主人公の危機。そして主人公とヒロインの恋愛。音楽はそれらのシーンを彩っているじゃないか。音楽のないドラマや映画なんて安っぽい書割の舞台に過ぎない。ドラマをよりドラマティックにするのは音楽だ。それもサグスクやCDで流すようなものじゃない。登場人物の行動や心情に合わせて流れるあの音楽だ。やっぱりこういうのは機械じゃダメだ。以心伝心で目さえ合わさずにタイミングの取れる人間じゃないとダメだ。よし決めた。楽団を雇おう。クラシックからポップスまでオールジャンルこなせて場面にピッタリの曲を演奏できる連中を集めるんだ。

 そう決めると男は早速ありったけの金を出して楽団を雇った。楽団員はプロ中のプロばかり集めたので簡単な説明だけで済んだ。男は楽団員に向かってこう言った。

「とにかくどんなジャンルでもいいからその時僕の行動や心情に相応しい音楽を奏でてくれ。朝起きる時の僕。出勤する時の僕。昼休みの僕。退勤する僕。そしてアフターの……。これは言わなくてもわかるだろ?とりあえず平日の分だけ要望を伝えておくよ。休日分は今度伝える。あと君たちはできるだけ周りから身を隠してくれ。ドラマや映画に劇伴を演奏している奴らが出演なんてしないだろ?」

 楽団員を雇ったおかげで男のフィクショナルでドラマティックな現実は完璧なものになった。朝ベッドから体を起こして背伸びをするとグリークの甘い曲が流れた。男はそのあまりに完璧な音楽の入り方に感動して目頭が熱くなった。

 変わって場面は翌日の朝の男が勤める会社のビルの一階のエレベータールームである。エレベーター前に並んでいた人々は突然やたら響く靴音を聞いて一斉に振り向いた。するとそこに何故かポーズをつけて異様にゆっくりと足を踏み締めるように歩いている三十代前半の男を見たのである。あたりにはピンと張り詰めたようなストリングスの音がかすかに鳴り出した。歩いていた男が振り向くと一瞬ストリングが止まり、しばらくして突然バーンとオーケストラのユニゾンが鳴り響いた。男は行列に並んでいる人たちに向かって笑顔で挨拶した、

「おはよう」

 その場にいた全員がこの効果音のように突如流れてきた音と男のスローな歩きっぷりに驚いて固まった。男はこの人々の反応を見てついに現実をフィクショナルにすることが出来たと感激に咽んだ。

 退屈な会議。部長のうんざりするほどの長広舌を流し聞きしながらプリントされた紙の無駄遣いをただペラペラとめくる。だがこれはあくまでも来るべきドラマの前振りだ。男はタイミングを見計らって丸めた書類をテーブルに叩きつけて皆に呼びかけた。テーブルにスピーカーを仕込んでいるんじゃないかと思われるほどの音の響きっぷりとババーンというオーケストラの効果音を耳にしてみんな一斉に男の方を見た。

「そんなんじゃダメですよ!」

 男は拳を振り回しながら演説を始めた。彼は会社の抱える問題とその問題を解決するために何をしなければいけないかを切々と語った。音楽は演説する男を奮い立たせんと時にショスタコーヴィチのようにシリアスに、時にエアロスミスのようにエモーショナルな音楽を奏でた。その男の演説とその男の身振り手振りに合わせて流れる音楽にその場にいたものは皆圧倒さレてしまった。

「この現状を打開するためには部署全体の大々的なリストラが必要なんだぁ!役立たずの連中を今すぐクビにしなければ会社は救われないっ!」

 男は最後にこう叫んで演説を締めると思いっきりテーブルを叩いた。すると大音量で弦楽器とシンバルの音が鳴った。

 音が鳴り止んだ時課長をはじめ参加者が一斉に立ち上がって男に拍手を送った。その拍手と共に男の勝利を讃える感動的な音楽が鳴り響いた。男は拍手と自分を讃える勝利の音楽を浴びながら自分に拍手を送る参加者を感動の面持ちで眺めていたが、彼はその参加者の中にヒロインを見つけてハッとした。音楽はそこで甘い曲に切り替わった。男は彼女を見てドラマの始まりを感じ、音楽もまた次なるドラマの開始を告げる緊張感に満ちたエレクトロを奏で始めた。

 再び場面は変わって今男はヒロインとレストランにいる。店内にはこの場面を最大限に盛り上げるために楽団によるR&Bのスイートでシルキーなバラードが流れていた。他の客はこの店内に流れている曲を不思議に思い、ボーイを呼び寄んで口々にうるさいから音楽止めろと言い出した。この騒ぎを目にした男はこのフィクショナル化されていない現実を生きているバカどもに呆れ果てたが、しかしここで連中と揉めたらこのスイートでシルキーな現実が壊れてしまうと自分を抑えて別室で店長と話をして結局金で客たちを黙らせた。こうして雑音がなくなり、店内に男女の睦言のようなラップを挟んだ甘いR&Bが流れる中男はヒロインにワインを勧めた。

「このレストランのワインは絶品なんだ。メインディッシュの前に一口飲んでおくと料理があり得ないほど美味くなる」

 だがヒロインは妙に浮かない顔で答えた。

「あっ、そうなの?あ……あの、ごめんなさいね。なんか落ち着かなくて」

「いいさ、誰だって初めての時は緊張する」

 こう男が言った時、突然店内にファルセットの官能的なまでにソウルフルなシャウトが響き渡った。

「た、多分そうね。緊張のあまりかしら、あなたといるとどっかから変な音楽が流れているような気がするの。朝あなたを見かけた時も、あなたが何故かパントマイムみたいにスローで歩いていて、靴音がやたら大きく鳴り響いているような感じがしたし、それと会議の時もドラマの半沢直樹みたいにやたら大袈裟な効果音が響いたような気がしたし、自分でもなんかおかしくなってるなって思うの。こんなんじゃとても食事なんてできないわ。なんか食べたもの戻しそうな気がして。ごめんなさいね。お食事は今度の機会にしてね」

 急転直下のバッドエンディング。ヒロインの突然の逃亡。こんなドラマなんて誰も望んでいない。僕のハートを代弁する音楽が彼女のお気に召さなかったのか。ヒロインの去ったテーブルで男は一人項垂れる。そこに流れたのはしょぼいピアノで流れるショパンのあの有名な『葬送行進曲』だった。ダーン、ダーンダダン、ダーン、ダーンダダダーンとウザいぐらい繰り返して流れるピアノに男はブチ切れて楽団員全員テーブルに呼びつけて思いっきり怒鳴りつけた。

「お前ら俺に嫌がらせでもするつもりか!なんだよ今のしょぼいピアノは!あんなの流せなんて俺は言ってないぞ!」

「でもご主人。私たちはご契約を忠実に実行しているだけでありまして。契約書にはご主人の行動や心理を忠実に再現した音楽を流せとあるので」

「何があるのでだ。お前らは雇い主を不快にさせていいと思っているのか?契約書に書かれていなかろうか、お前らも社会人なら場の空気ぐらい読んでやめることぐらい出来るだろうが!この馬鹿野郎どもが!」

 と男が説教している時レストランの店長が申し訳なさそうな顔で男の肩を叩いて言った。

「あの、他のお客様が大変ご迷惑していますので大声を出すのはご遠慮願います。それと当店では予約のない方の入店もお断りしています。出来れば皆さま会計を済ませたらすぐに店からご退出していただけないでしょうか?」

 吹き荒ぶ風に男は倒れそうになった。惨めにも程のある結末だった。男のそばにいた楽団員たちは男に向かって無意識にあのメロディを歌い出した。

「ダーン、ダーンダンダダン、ダーン、ダンダダーン」

「やめんかバカモノが!さっきあれほど言っただろうに!」 

 男は自分から去ったヒロインを思った。彼女を思うとエモーショナルな気分になる。サビで激しくシャウトするロックのように。そうか俺は間違っていたんだ。カッコつけてR&Bなんて流して気取ってたりして。僕はやっと自分に素直になれた。もう気取ったりしない、ありのままの僕を彼女に見せてやるんだ。

 楽団員はその男の心情の変化を素早く読み取った。彼らは主人のためにR&Bから一瞬にして路線変更し泣きのJ-Rockを奏でたのである。男はヒロインを追おうと楽団員たちが奏でるJ-Rockをバックに駆け出した・そして後を追っかけてくる楽団員たちに向かって、まるで『スラムダンク』の沢北のように手で引けとジェスチャーして下がらせた。もう大丈夫。俺のストーリーはまだ続いている。今こそこの現実をフィクショナルでドラマティックに変えてやるんだ。

 どうしようもなくエモーショナル。100%ピュアなマイハート。熱い鼓動は再び黒子となった楽団員たちの激しいギターに乗って君の元へと駆けてゆく。ハートが奏でるこのメロディ。今すぐ君に届けたい。近づいてゆく後ろ姿。その儚げな背中を今すぐ抱きしめたい。さぁ今こそ現実をフィクショナルでドラマティックなものに変えるんだ。ほら僕らの曲が熱いサビを歌い出すよ。

「僕から逃げないで!もう君を離さないよ!」

 後ろから抱きしめて驚き顔で振り返ったヒロインを見た衝撃。管楽器が頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた男の心情を代弁して一斉に噴き出す。続いて弦楽器がけたたましく不協和音を弾く。もうオーケストラの大爆発だ。

「ちょっと。あなた誰ですか?いきなり人を後ろから襲って。警察呼びますよってかもう呼んでるんだけど……」

 男は逃げる間もなく警官に捕まった。手錠を何重にもかけられた男は泣きながら被害者の女性と警官に自分の無実を訴えた。しかし被害者の女性も警官も、その場にいた人間も男の弁明に耳を貸さず、男は手足を鎖でぐるぐる巻きにされてそのままパトカーに引きづり込まれた。楽団員たちはパトカーに引きづり込まれる主人を憐れんで百人を超えるフルオーケストラで例の曲を奏でた。

「ダーン、ダーンダダン、ダーン、ダーンダダダーン」


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