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娘が「娘をやめる」とき #3

シリーズ「#7」にわたり投稿してきた
娘は、なぜ「娘」をやめられないのか?

その続編シリーズ【娘が「娘をやめる」とき】です。

不健全な母娘関係に終止符を打つにいたった経験エピソード、そのとき何を感じ、どう分析し行動したかつづります。

今回は、#3です。


最後の別れ

葬儀は滞りなくすすみ、荼毘に付す準備に入りました。
花で囲まれた父に、参列者が順に最後の言葉をかけていきます。

母から始まり、兄、私、弟、その配偶者、子供たちへ。

私がいだく父への感情は、正直さまざまでした。
けれど、1つだけ伝えるとしたら…?という自問自答には、
「憎しみ」でも「謝罪」でも「後悔」でも「感謝」でもなく、

「大好きだった」でした。

でもこんなこと、幼子じゃあるまいし、生きている父には言えません。
ましてや、他の誰かに聞かせることでもありません。

私は、両手で冷たくなった父の頬に触れながら、耳元にささやきました。
この手を離せば、もう父の姿を見ることはできないそう思うと、離れ難い気持ちでいっぱいでした。

その間、体感で5秒ほどのこと…


葬儀後の会食で…

すべてが終わった夜、父を悼み、参列の親族で食事を囲みました。

全国に散っている3家族が勢ぞろいする機会など、初めてのことです。

お酒も入り、無事に見送った安堵とともに、和気あいあいとなる中、
母がポツリと…いい出します。

「…アンタさ、最後のお別れ…長かったよね?アンタらもそう思わん?」
兄と弟にも共感を求めました。

父との最後の5秒のことを言っているのです。

2人は、「…そうね」「まぁちょっと思った」
と、空気を読み、母に意見を合わせました。

私「……そう?」

「長かったよぉ(笑)顔近づけて何かしてたの??」

私「…………」

「まぁまぁ。
一人娘で1番かわいがられてたんだし最後くらいいいじゃないの?」
兄がフォローに入ります。

私は居ても立ってもいられず、その場を適当に濁し、トイレに外しました。
(夫も子どももいる、兄弟もいる前で、変なこと言って…なんなの?)

母は、私のしたことが気に入らなかったのです。
長年の勘ですぐにわかりました。

みんなに変に思われても面倒だと思い、私は何事もなかったような顔で席に戻りました。


日常に戻り…少しずつ気づき始める

母にとっては「人生のすべてをかけてきた夫」の死。
葬儀後しばらく、母は情緒が安定しない状態でした。

しばらくは仕方ないと、その感情に付き合っていましたが、そんな中、また母が同じことを言い始めます。

「あの時は、ほんと長かった、キスしてるかと思った」
「お父さんは、人前であーいうことされるの大嫌いな人だった」
「私は父親にあんなことできなかったから。普通はしないんじゃないの?」

(おいおい、まだ言う?しかも「キス」って…娘に抱く感情かいな?)
(最後には、また否定…?自分がしないことはすべて否定ですか?)

そのたび、
「母さんが想像するようなこと何もない
伝えたい一言をいっただけ、何を言ったか言わない」
と受け流していました。

しかし電話のたびに話題にしてくるので、さすがにしつこくて限界でした。

脳内の保留の引き出しにしまわれていた「手紙を許可なく読んだこと」が、だんだん許せなくなっていきます。
そして、うすうす感じていたことがハッキリと輪郭を描き始めました。

この人、まちがいなく娘の私に嫉妬してる…


すべての点が線でつながる

今までの母の言動を振り返ると、
怖いくらいに嫉妬の要素が浮かび上がってきました。

「え?お父さんに手紙?そこまでしなくていいんじゃない?」
「そんなに何通も書くことあるの?」
「(母が書いた伝言的な手紙について)私の手紙は捨ててたのかね?あの人は」
「あの看護師と、そんなに詳しく話したの?私には電話1本ないのに」
「手紙、読ませてもらった!」
「お父さん、あーいうの嫌がる人だから」
「私が父親にしないことを、アンタはした」

娘が父に手紙を書くという提案に、難色を示す。
自分が中身を知らない手紙を、娘が父に送っている。
自分のメモ書きのような手紙はどうも父に捨てられている。
看護師と娘が仲良くなって、自分より先に父の情報が娘に伝わった。
看護師のはからいで、娘だけ受話器ごしに父と会話したこと。
娘が父に顔を寄せ、耳元で最後にささやいたこと。

私が父のために良かれと思ってしたことも、それが間接的に母のためになると思ってしたことも、娘として後悔のないようにと思ってしたことも、母にとっては違和感となり、すべて腑に落ちないことになっていたのです。


娘が動けば、母は狂う

軟禁の3日間、母が示した「後悔や謝罪」はなんだったのだろう?
私は母にまたムダな期待をしていたことがわかりました。

あの時の母から想像する未来は、もう少しマシなものでした。
これほど人間力が低いとは、私の想像を逸脱するレベル。
母親になって久しい私にも、全く理解できない感覚です。

父の死の前後2ヶ月の間、必要に迫られて母と時を共にしてきたけれど、彼女との価値観の大きなギャップと、その押し付け、自己肯定感の低さに、私はかなり疲弊していました。

娘に対し、女としても、人としても、嫉妬する、
自分の気持ちが1番で、娘の気持ちには関心なし
彼女の脳には娘の人権を尊重するという回路がない
ということがわかってきました。


娘としての主張

私は、今回の歩み寄りのチャンスをモノにできないなら、母との関係は終わるだろうと思い始めていました。

相手の人権を無視しても、気持ちを考えなくても、母親を一番に考える使い勝手のいい娘と認識されては、お互いのためにはならないからです。

夫を亡くし、精神が不安定な時期が過ぎた頃を見計らって、娘としても、人としても間違っていないと思ったことは、冷静に主張しました。

「【父さんは母さんのもの】ですものね?不愉快な思いをさせたなら、申し訳なかった。あと、手紙を勝手に読むの人権の侵害なので、やらないで欲しかった」と。

母がうろたえていることは、声色でわかりました。
いつまでも娘を子どもだと思い、気持ちのままに便利に扱ってきた母にとっては、少し思惑と違ったようです(笑)

このチャンス、掴むも掴まないも母次第。
ボールを投げてあげるのも今のうちだよ!

すでに策士の私が、動き出しています。

それから私は、徐々に距離をとっていくことに。
ラインを既読スルーしたり、電話も理由をつけて切ったりと。

母からは、歩み寄るアクションは見られませんでした。
しかし、娘が距離をおいていることは気づいていたと思います。

このままフェードアウトでも、私は全く構わないと思いました。
それから数ヶ月後、母から「激昂の電話」が入るまでは…


#4につづく…




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