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【読書コラム】「能力」が存在しないってどういうこと? - 『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化』鈴木宏昭(著)

 YouTubeのオススメにこんな動画が出てきた。

 わたしは普段、料理をしながらラジオ感覚で動画を見ている。途中で操作するのは大変なので自動再生にしている。そのため、たまに全然興味のない内容が流れてしまう。最初、この動画もそういう類のものだと思った。

 だから、いつものようにスキップしようとしたら、冒頭、

「デキるって『能力がある』ってことですよね? でも、そもそも能力というもの自体が存在しない」

 という気になるフレーズが聞こえてきて、つい、指先が固まってしまった。

 能力。それは当たり前のように使われている言葉である。なんなら、〇〇力という形に派生して、あらゆる領域で個人の素質を判断する材料になっている。

 体力。知力。経済力。
 はたまた、コミュ力や女子力なんてものもある。

 わたしたちは能力を手に入れるため、学校や習い事を頑張ってきたわけで、なんなら、身につかない能力を理由に悲しい思いも重ねてきた。もし、能力というもの自体が存在しないとするならば、教育ってなんだったのか。

 番組のポップな雰囲気から、そこまで期待はせず、でも、とんでもない発見があるかもしれないとワクワクしながら、結局、小松菜を切る作業の方を一時停止し、動画を最後まで見てしまった。

 なるほど、素晴らしい内容だった。

 どんなことが語られていたのか、少しご紹介。

 能力が幻想であることを説明するため、トーク力が引き合いに出される。一般にお笑い芸人はトーク力があるとされているけれど、それは真実なのか、以下のような三段論法で検証されていく。

①お笑い芸人はお客さんを笑わせられるからトーク力があると思われている

②でも、そのお笑い芸人が自分のことを誰も知らない学者の集まる学会で喋らされたら、みんなに笑ってもらえない可能性が高い

③従って、その芸人にはトーク力があるわけではない

 笑ってくれる人たちが存在しているから、お笑い芸人はトークができていると見做されているだけ。つまり、「トーク力」があるのではなく、「トークを成立させてくれる環境」があると考えるべきなのだ。

 そして、この理屈はあらゆるの能力に応用できる。

 もし、球を投げて、棒で打つことに誰も興味を示さない世の中だったら、大谷翔平選手が賞賛されることはないだろう。もし、台の上に置かれた駒を順番に動かして勝敗をつけることに誰もが興味を示さない世の中だったら、藤井聡太八冠が賞賛されることもないだろう。もし、……。

 極端な反実仮想ではあるけれど、マイナースポーツの世界チャンピオンが食うに困る生活を送っている状況を鑑みるに、納得はできるはず。

 このことを踏まえ、能力とは所有可能な「モノ」ではなく、それが能力として見える現象「コト」であると再定義が図られる。

 では、なぜ、能力は所有可能であると多くの人が勘違いしてしまうのか。これについて、有力な仮説が紹介されていた。ひとえに、教育の場における成績のせいなんじゃないか、と。通信簿や級・段などの資格として所有することを通して、能力が「モノ」であると人々は錯覚。例えば、「英検2級だから英語が得意」「音楽の内申が2だから音痴」と思い込んでしまうというのだ。

 究極、どんな人間も環境と見せ方によって、能力があるようにもなるし、能力がないようにもなる。故に、能力を理由に褒めることも、能力を理由に貶すことも、ともに不合理であると議論は見事に結ばれていく。

 約四十五分の視聴を終え、カット途中の小松菜もすっかりしなびてしまったけれど、わたしはいいものを見たという満足感に包まれた。

 だが、同時に、ひとつの疑問に襲われた。なんというか、あまりにも筋が通り過ぎていないか。

 こういうときほど、ちゃんと一次資料に当たって、引用のされ方を確かめる必要がある。で、そのまま本屋に行って、参考資料としてあげられていた本を買ってきた。『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化』というタイトルの新書である。

 結論から言うと、わたしはこの本ともっと早く出会いたかった。そしたら、きっと、様々な場面で自分は能力がないと落ち込むことなく、のびのび生きることができたのかもなぁと悔やまれた。一方で、いま、出会えてよかったと安心もした。

 それぐらい人生の価値観が変わる一冊だった。

 新R25の動画はこの本の内容をしっかり抑え、誠実に作られていたとわかった。ただ、当たり前だけど、もっともっと濃密な知識が詰まりまくっていた。

 特に、「能力」という虚構が生じた理由はその単語に「力」という漢字が入っているからという説明は面白かった。「力」という言葉の持つメタファーが間違ったイメージを生み出してしまったというのだ。

 このあたり、以前、読んで夢中になったリサ・フェルドマン・バレットの『情動はこうしてつくられる――脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』を思い出した。

 ある概念が先に存在していて、人がそれに名前をつけるのではなく、名前があるから後から概念が生まれるという考え方で、どうやら、「能力」もそういう種類のものらしいのだ。

 そんなものが人々の価値観を支配し、行動を制限しているとしたら、まったくもって恐ろしい。

 このことはハーバード情熱教室で有名になったマイケル・サンデル教授も、「能力主義」の正義を問う形で否定していた。

 能力という曖昧な基準が絶対視されている現状について、サンデル教授も憂えていた。なぜなら、能力は他者が評価するものであり、常に、恣意性が孕んでいるから。そして、その象徴は「〇〇大学出身なので能力が高い」という常識であり、学歴主義の問題が追求されていく。

 一般的に、大学受験は実力勝負。チャンスは平等と思われている。だが、実際のところ、そんなことはないというのだ。

 どういうことか。

 参考文献ばかり多くなってしまうけれど、これはフランスの社会学者ブルデューが『ディスタンクシオン』の中で提唱した「文化資本」という考え方と関係してくる。

 ブルデュー曰く、大学受験にはノウハウがあり、高学歴は親から子どもに受け継がれていくというのだ。

 東大生の子どもは東大に受かりやすいと言われている。一見すると遺伝っぽいが、ことはそう単純じゃない。

 東大に受かった人は教育の重要性を知っている。そのため、子育てをする際、自然と教育熱心になる。経験があるから指導も上手く、やればできるというマインドも伝えられる。こうして、親から子どもに引き継がれる情報をブルデューは「文化資本」と呼び、遺産や人脈など、既得権益の形成につながる資産であると指摘している。

 同じようなことが医者や弁護士、政治家にも言えるだろう。そういう親のもとに生まれると、そうなるために必要な教育を教育を受けやすく、そうなる資格も獲得しやすい。実はめちゃくちゃ不平等。だって、格差につながっていくから。

 ただ、このことに怒る人はあまりいない。一応、東大に受かることも、医者になることも、弁護士になることも、政治家になることも、本人の努力で獲得した尊い能力ということになっているから。

 みんな、そういうものと諦めてきた。俺には能力がないから。わたしには能力がないから。こんな風にしか生きられない、と。

 能力がないことを理由に、意見を口にしてこなかった人は多いはず。自分みたいな人間にそんな権利はありませんから。諸々、能力のある方々にお任せ致します。そのことは投票率の低さとなって現れている。

 結果、気づけば、物価が上がり、税金が上がり、インボイス制度の導入など、我々の生活はぎゅうぎゅうに締め付けられてしまった。対して、能力があるとされている政治家たちはパー券売って、裏金作りに励んでいた。こんなもの、どう考えてもおかしいに決まっている。

 もう、能力なんて存在しないとしてしまおう。そうすれば、なにもかもが一変する。

 なるほど、わたしは政治に詳しいわけでも、それを語る能力を持ち合わせてもいない。ただ、この国で義務を果たし、この国で暮らしてはいるのだ。「ふざけるな」と怒りたい。

 たぶん、能力から解放されれば、人間はもっと自由になれる。耐え忍ばなきゃいけないと信じ込んできた理不尽だって、きっと、ぶっ飛ばせるに違いない。

 THE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』をみんなで歌おう。

永遠なのか 本当か 時の流れは 続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう

THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』

 2023年、日本は変わらないと思っていたものが多く変わった。ジャニーズ、歌舞伎、宝塚。悪しき伝統が公正なジャッジに晒されて、抜本的に変わらざるを得なくなった。有力ないくつかの新興宗教も、それぞれの事情で岐路に立たされている。ハラスメントを訴えたとき、被害者がちゃんと応援されるようになった。政府の飼い犬だった検察がまともに機能するようになった。きっと派閥政治も終わりを迎える。いや、今回こそ、しっかり終わらせなくてはいけない。

 これまでの常識がでたらめだったとバレつつある。そんな中、「能力」が存在しなかったとして、いまさら少しも不思議ではない。

 果たして、これから世の中どうなってしまうのか。つくづく、面白いなぁと感じる。そんな気持ち、わかるでしょう?

 でも、まあ、なにより、わたしはひとまず小松菜の煮浸しを完成させなくちゃ。




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