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【今日のnote】フリーランスで営む、「百姓(ひゃくしょう)」的な暮らし。

 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、57日目。

 今日はすみません、超手短になります。

 ただいま、あちらこちら、飛び回っての仕事です。

 三重県での打ち合わせを終えて、そのまま特急電車に乗って、三重県→大阪まで移動中。

 今夜は心斎橋で打ち合わせ後にそのまま宿泊、明日は京都に移動して仕事しつつ後輩と食事会、明後日は名古屋に移動して取材の前乗り、その後、白川郷へ1泊2日の取材へ……という感じで、まあ、バタバタしています。

 合間に、編集仕事、記事執筆の納品締め切りが日時単位で待ち受けているので、今、さあ、どう片付けていこうかなと思っているところであります。まあ、どうにかしていきましょうか。どうにかなるぜ。だって、いつもどうにかしてきたのだから。ははは……


最近のフリーランス仕事の近況

 今までは、基本的に東京にある代理店さんとの取引をメインにしてきたのですが、ここ最近になって、地元である三重県の代理店さんとも取引を開始しました。

 これは嬉しい変化ですね。人づてでご紹介いただいたとはいえ、新規取引先の開拓ができたわけですから、地方在住フリーランスとしては大きな進歩です。

 さらに並行して、個人で直接、友人が経営する会社の新規事業企画のサポートを請け負うようにもなりました。個人での直接取引も初めての経験で、こちらも楽しく仕事をさせてもらっています。


もはや自分が何屋なのかははっきりとしない

 僕は当初、単純にウェブライターと肩書きを名乗って、書くことをメインに仕事をしてきました。

 しかし最近は、ライティング、取材、編集といった仕事以外に、新規事業企画、ディレクション、サポート、コンサルのような領域にも仕事を広げてきたので、もはや、自分が何屋なのかはあまりはっきりしません。

 さらにいえば、こうしてnoteの毎日更新をはじめ、コラム、詩、音楽などの創作活動を行う側面も入れたら、僕は今、社会的な立ち位置として、ひとことでは説明できない存在になりつつあるとも言えます。

 まあ、でも、フリーランスの仕事や生き方ってたぶん、こういうものなのかなと思っています。自分が得意とする分野で枝葉を広げて、いろんな仕事を、いろんな取引先と、同時系列で進めていくものなのでしょう。


僕の今の働き方・生き方は、落合陽一さんの提唱する「百姓(ひゃくしょう)」にあたるのかもしれない

 落合陽一さんの「日本再興戦略」を読んでいたのですが、こちらに「百姓(ひゃくしょう)」と呼ばれる職業の概念が紹介されています。

 ここでいう百姓とは、いわゆる農業従事者のことではなく「百の生業を持つ人」という意味です。

 以下、文春オンラインの記事にある、落合陽一さんの言葉を引用しておきましょう。

「これからの社会は、AIにより仕事が奪われると言われる時代です。しかし、『どの職業がダメになるか』と捉えるのではなく、『コミュニティをどのように変えたら、次の産業革命を乗り越えられるか』を考えることのほうが本質的な問題です。その点、百姓というのは、百の生業を持つことを意味していますから、複数のコミュニティを自由に行き来できる生き方のことです。これまでの近代的な枠組みの中で一つの仕事に埋没するのではなく、多様な生き方があったほうがいいと考えています」落合陽一が語る「AI時代、“百姓的な生き方”のすすめ」

 ふむふむ、という感じでした。

 僕は今、複数のコミュニティ(会社)に発注を受けて、ライターの領域を超えた仕事を請け負う形態をとっていますから、まさに「百姓」的な生き方をしているのかもしれません。


自分が何者なのかにこだわりはない。仕事をしたい人たちと、やることを面白く、大きくしていければそれでいい

 最近、「自分が何者であるか」へのこだわりが、日に日に薄れていることを感じています。

 それは、何かを諦めていくという感覚では決してなくて、「自分は何者にでもなれる」という仕事の幅を拡張させていく感覚に近いです。

 文章を書いたり、取材をしたり、ディレクションを行ったり、編集作業をしたり、企画を考えたり、新規事業計画をサポートしたり、資料作りをやったり、アイディアを出したり。

 とある場所、とある場面で、自分の能力に応じた最大限のパフォーマンスを出していくことで、多様な人たちと、多様な関わり方ができます。

 それによって、やりたいことが分散して薄まってしまうのではなく、多様性を持つことで、自らの視野が広がって、やりたいことがより深まっていくというポジティブな循環があるように思います。

 とにかく、今の自分が何者であるかを語ることにこだわるよりも、仕事を共にやりたいと思える人たちとつながって、仕事を楽しく、面白く、そして大きくしていくことの方が大事なのではないかと、現時点での僕は考えています。


 なお、ここであえて、「現時点での僕」と書いたのには理由があって、仕事に対する考えなんてものは、常時流転するものです。

 僕のライフスタイルが変わるようなイベントが起これば、次の瞬間に僕は別の仕事観を語り始めるかもしれません。

 そういう、あらゆる変化を受け入れる体制をつくるという意味においても、「百姓」的な働き方・生き方は非常に柔軟で、扱いやすいものだと言えるのかもしれないですね。


 さて、今回は、僕が今フリーランスとして実践する「百姓」的な生き方について簡単にまとめました。

 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう!

 それでは、皆様、良い週末を。ぽんぽんぽん。

サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。