【今年はどんな1年だった?】毎日更新200日目、ものかき狭井悠の2018年を振り返る。
どうも、狭井悠です。
毎日更新のコラム、200日目。
noteを毎日更新しはじめてから、早いもので200日目になった。そのため、今回は特別編として、毎日更新200日目、ものかき狭井悠の2018年を振り返る、というコンテンツにしてみようと思う。
この1年間の閲覧数は?
noteの1年間の全体ビュー数を振り返ってみると、こんな感じだった。月平均で11500回ほど読まれている計算になる。ちなみに、2年前の1年間の全体ビュー数は以下である。
比べてみると、全体ビューの数字は実に約29倍まで成長している。
まだ毎日更新をはじめてから1年も経っていないのだけれど、続けることと続けないことでは、雲泥の差があることがわかるデータとなった。
「毎日更新なんて続かないよ」と言われたり、「そんなに力んで書いていたらきっと書き続けられない」みたいなことを諭されていた頃が懐かしい。
やっぱり、継続は力なり、なんだなと思う。
もっとも読まれたnoteは? TOP5をご紹介
ここで、「もっとも読まれたnoteは?」ということで、TOP5をランキングで紹介していこうと思う。
2018年に読まれたnote 第1位
ビュー数:7290 スキ数:123
※各記事のビュー数とスキ数のデータはダッシュボードの表示数値を参照
2018年にもっとも読まれたnoteは【今日のnote】「言語化を諦める人とは良い仕事ができない」というお話。だった。
こちらは、ツイッターでバズっていた以下のツイートが、フリーランス的に首がもげるほど共感する内容だったので、補足的に書いたコラムである。
こちらの記事は、ツイート主さんをはじめ、多くのフリーランス関係者の皆様に共感をいただき、結果として今年いちばん読まれたnoteとなった。
2018年に読まれたnote 第2位
全体ビュー数:6179 スキ数:105
こちらはキンコン西野さんの三重県講演会に参加し、感銘を受けたため、ご本人に懇親会でご了承をいただき、講演会内容をコラム化したもの。
こちらはキンコン西野さんの公式Facebookページにも掲載いただいたので、Facebookのシェア数が1298件まで伸びた。
新書「新世界」にもリンクする内容がふんだんに含まれているコラムなので、ぜひとも書籍と照らし合わせながら読んでいただけると面白いと思う。
2018年に読まれたnote 第3位
全体ビュー数:4572 スキ数:72
こちらのnoteは、毎日更新を始める前に書いたもの。
思えば、この記事を通じてさまざまな不思議体験をしたこと(作家さんやモデルさんとSNSで繋がり、作家さんのオフィシャルサイトにコラムを掲載いただいた)をきっかけに、もっとnoteを真剣に書いてみようと心に決めた、2018年の活動の狼煙となる文章。
note公式にも、おすすめnoteの選出、ファッション系コラムまとめの選出、コンテンツ会議マガジンへの掲載、軒並みレコメンドをいただいた。
「好き」という気持ちを文章にすれば、多くのひとに届く可能性があるということを知ることができた、僕にとっての代表作的なコラムだ。
2018年に読まれたnote 第4位
全体ビュー数:3037 スキ数:82
こちらはキンコン西野さんのオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」で行われた取材企画に参加した際に書いたもの。
時間がなさすぎて、なんと締め切り直前の3時間半で書いたという力技の記事でもある。Twitterで地道にリツイートされていき、届けるべき人たちに届けることができたコラムになった。特に、編集後記の文章がお気に入り。
ちなみにこの記事は、noteのCXOである深津貴之さんにもリツイート・いいねをいただけたことがなんだか嬉しかった。
2018年に読まれたnote 第5位
全体ビュー数:2704 スキ数:5
非常に不思議なのだけど、2017年4月に書いた記事が、第5位にランクインした。
この記事は、奈良県の三輪山に登り、下山した後、現在のペンネームである「狭井悠(Sai Haruka)」という名前に改名するまでの流れを綴ったコラムであり、いわば、ものかき狭井悠の起源ともいえる文章。
ちなみに三輪山は、文豪「三島由紀夫」が絶筆である「豊饒の海」4部作の2部目である「奔馬」の構想を練った場所であり、彼が残した「清明」の2文字を記した記念碑が残っている。
スキ数が一切伸びていないことから、おそらくnote内で読まれているわけではなく、「三輪山」「大神神社」「三島由紀夫」などの検索エンジンキーワードによる外部流入がほとんどなのだろうと思うのだけれど、謎の多いビュー数の伸びである。
2018年はどんな1年だった?
2018年は、前半と後半で全く違う印象の1年となった。結論から言えば、ミニマルな世界観でやりたいことを突き詰める準備をすすめた前半と、マッシブに風呂敷を広げたことで、たたみ方を考える必要が生まれた後半といった印象である。
2018年前半はとにかくフリーランスの仕事を頑張りながら、自分なりのコンテンツをつくることに注力する準備をすすめた。それによって、経済的にゆとりができ、東京へ戻る具体的な計画を実行できたのが、大きな収穫だった。noteの毎日更新を始めるという変化もあった。
一方、2018年後半は自分なりのコンテンツで多少のバズをつくることに成功し、ジョーブログのオンラインサロン運営などに関わる機会を得たり、フリーランスの仕事も、代理店案件だけでなく、直案件を含めて加速度的に忙しくなったりする流れが生まれた。
しかしながら、体ひとつのフリーランスであるために、すべての要請にはなかなか答えられず、自分の本当にやりたいことがどれかを取捨選択する必要も感じ、広げた風呂敷をうまくたたみ、亜流ばかりではなく本流を作り上げていく仕組みを、2019年は作っていかなくてはいけないと思っている。
もしも時計の針を戻せるならば
今年は、大事な人との幾つかの別れがあった。それらの別れは、不可抗力的なものであったり、あるいは感情にまかせた突発的なものであったりしたわけだけれど、正直なところ、幾許(いくばく)かの後悔がのこっている。
もしも時計の針を戻せるならば、と思うような出来事はある。生きていれば、そうした瞬間は避けがたく訪れる。どれだけ反省しても、次はもっとこうしようと思っていても、そんな失敗をなんどでも繰り返すのが人生だ。
だからせめて、こうした振り返りのときくらいは、「出逢えてよかった」という言葉を残しておきたい。たとえ別れがあったとしても、出逢わなければよかったなんて思ったようなことは一度もない。
あなたに出逢えてよかった、ありがとう。そして、左様なら。
2019年は自分なりのコンテンツに磨きをかけたい
さて、2019年である。来年をどんな1年にしたいかといえば、「自分なりのコンテンツに磨きをかける」ということにこだわる年にしたいと思っている。
2018年のコンテンツは、ご覧いただいたとおり、僕自身が発信する何かが読まれた1年ではなかった。つまり、誰かのコンテンツを紹介するキュレーターとして、2018年は動いてきたと言える。
※ここでの「キュレーター」とは学芸員のことを意味している。巷で悪名高くなった「キュレーションメディア」とは意味が違うので、誤解なきよう。
しかしながら、キュレーター的な表現は僕自身が求めるゴールではない。そのため、ポートフォリオとなるような自分なりのコンテンツ作りをすることにもっと時間をかけたいと考えている。
現在、毎日更新を行っている400文字スケッチである「うたかたの日々のために。」などは、その狼煙の役割を持っている。
僕自身に「文章を書き続ける能力がある」ということは、noteの毎日更新や、日々のフリーランスライターの仕事によって、証明を続けてきたし、疑いの余地はないと思う。
一方で「作品を書き続ける能力がある」かどうかということは、まだ証明できていない。そして、「書いた作品を多くの人に届ける能力がある」かどうかも、未知数である。
2019年は、上記の証明ができるかどうかを、具体的な行動によって示していく1年にしていきたい。そのためには、抱えすぎたミッションを整理して、棚卸しを行い、稼ぎと自己実現のバランスをうまく保つ必要がある。
時間は有限であり、人生は一度きり。
他人の人生を生きている暇はない。
自分の人生を生きるべきである。
今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。
明日もまた、この場所でお会いしましょう。
それでは。ぽんぽんぽん。
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