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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2020年1月の記事一覧

殺さない屋

殺さない屋

「足を洗うことにするよ」と殺し屋が周囲にこぼした。「もう、殺しはやめだ」
 狭い業界だ。噂はあっという間に隅々まで行き渡った。それは驚きをもって迎えられた。衝撃が走ったのだ。彼は業界内では伝説的な人物であり、今もなお業界内の最重要人物だったのだ。
「なぜやめてしまうんです?」彼の弟子は尋ねた。
「あまりに多くの命を奪いすぎた。悟ったんだよ。命はかけがえのないものだって」
「で、やめて一体何

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骨

 ある朝目覚めると、骨が無くなっていた。全身の骨という骨だ。これでは起き上がることもできない。どうにか体勢を変えようとしたが、無様にのたうち回るだけだ。「おい」妻を呼ぶ。「骨はどこだ?」
「さあ」妻は気のない返事をする。
「さあ、って、これでは仕事に行けないぞ」
「昨日も遅いお帰りで、大分酔ってらしたようですから、大方どこかで落として来たんでしょう」と嫌味を言われた。「それに、あなたお仕事は

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天変地異

天変地異

 あるところにとても強い魔力を持ち、すさまじく邪悪な魔法使いがいた。その魔法使いは、自分が世界一の魔法使いであると自負していた。実際それは正しくて、というのも、世界にはその魔法使いしか魔法使いがいなかったので、自ずとその魔法使いが世界一だったのだ。まあ、何人か魔法使いがいたとしても、その魔法使いならいいところまでいったかもしれないが。
 その魔法使いは、とても強い魔力を持ち、すさまじく邪悪で、驚

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悲しくて悲しくてとてもやりきれない。 R.I.P. コービー

 アメリカのプロスポーツではかつての名選手がグラウンドやコートに現れ、ファンを感動させることがある。その扱われ方は日本でのそれとは違い、本当にレジェンド、伝説という存在だ。日本であれば名選手はコーチや監督になることが多いし、ファンもそれを期待する。そして、現役時代と変わらずに人目にさらされ、あるいは批判や悪罵の対象になることもあるだろう。アメリカにおいては、そういったケースはむしろ少数だ。スターた

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影

 その女の子の宝物は自分の影だった。飽くことなく自分の影を見ているような子だった。自分が動くと、影もそれにあわせて動くのを見るのが好きだった。夜になると、影が見えなくなって女の子がぐずるので、女の子の両親懐中電灯で女の子のことを照らして影を作り出してあげなくてはならなかった。そうして、女の子が落ち着いて眠れるまで照らし続けるのだ。女の子は、自分の影がコクリコクリと船を漕ぎ始めるのを見て、そして安心

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バイシクルバイシクル

バイシクルバイシクル

 五歳の誕生日に自転車を買ってもらった。父は幼いぼくには自転車はまだ早いのではないかと言ったが、母はぼくを自転車に乗せたがった。
「早いうちに覚えなきゃ」と母は言った。「できるだけ早く」
 そんな母だったが、彼女自身は自転車に乗れなかった。だからこそ、母はぼくを自転車に乗せたがったのかもしれない。自分の叶わなかったことを、子供のぼくに託したのかもしれない。
 そうして自転車を買い与えられたわ

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魔女の見習い

魔女の見習い

 わたしが2.5人の魔女と出会った話。
 魔女たちは街の片隅でひっそり暮らしていた。魔法を使っていたわけではないけれど、ほとんど人目につかなかったのじゃないかと思う。魔法たちの家は一見廃屋で、まさかそこに人が住んでいるなんて思えないだろう。
 魔女たちの構成はこうだ。表の魔女、裏の魔女、そして、両義的な魔女。両義的な魔女は存在しながら、存在していなかったので、0.5人と勘定するらしい。存在しな

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DREAMING GIRL

「わたしも連れてって」と少女は少年に言った。
「でも」と少年は言い淀んだ。なぜなら、そこは少年の見ていた夢の中であり、少女は少年の夢に出てきた少女であったからだ。「夢が覚めれば君はいなくなっちゃうんだ」少年は自分が夢を見ていることを知っていた。
 夢の中、二人は楽しく過ごしていた。美しい草原を手を繋いで走り、花飾りを拵え、花占いをした。言葉は意味を成していなかった。それでも二人はお互いの気持ち

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死神

死神

 シンプルなことだ。人間はみな死ぬ。哲学者は人間である。ゆえに哲学者は死ぬ。この「哲学者」は他の職業や、他のなんらかの性質、老若男女などでも代替可能だ。大統領でも独裁者でも料理人でも運転手でも泥棒でも殺人鬼でも。男でも女でも。まあ、死神であるぼくがこんなことを語るのもなんだが。死神は死なない。魚のように釣り上げられてしまう漁師なんていないし、畑で栽培される農民もいない。それと同じように、死神は死な

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獣の見る夢

獣の見る夢

 獣も夢を見る。狼は夢によく肥えた羊を見た。見ているだけで、狼の口からは唾液が溢れてきた。狼はぜひともその羊を仕留めようと決めた。簡単に仕留められるだろう、と狼は考えた。羊は肥えている、きっと動きが鈍いはずだ。身をかがめ、息を潜めて羊に近付く。羊が狼に気付いた気配はない。狼は全身に力を込め、羊に飛び掛かった。
 しかし、羊は狼をひらりとかわし、走り出した。軽やかな身のこなしであった。狼は夢中でその

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鎖工場

鎖工場

大杉栄に捧ぐ

 長い廊下を、男に伴われて歩いている。男はこの工場の工場長であると名乗った。
「工場?」
「ええ」と微笑みながら頷く顔は、工場という響きから連想されるものとは程遠い。建物にしてもそうだ。鳴り響く騒音、もうもうと上がる煙、汚れた作業着に、顔に付いた油汚れ。あるいは、そうした連想自体が間違っているのかもしれない。私は工場の専門家ではない。工場が、そして工場長がどういうものであるべきなの

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はじめてのおつかい

「少しでもおどおどしたりするんじゃないよ」とオババは言った。「慣れていないのがバレたら、足下見られて吹っ掛けられるからね」
 そして、オババはお金の入った巾着をわたしの帯に結び付けた。幾重にも、強く。わたしはそれが取れなくなってしまうのではないかと不安になった。
「落としでもしたらことだからね」とオババはわたしのそんな様子を見透かして言った。「もしそんなことになったら、旦那さまに大目玉を喰らう

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しきたり

しきたり

 急な辞令で転勤となった。それを告げに来た上司はなんとも妙な表情をしていた。憐れみと含み笑いの中間くらいの顔。本人は否定するかもしれないけど。まあ、他人の不幸は密の味だ。
「我々は」と上司は言った。「球蹴り遊びのボールみたいなもんさ。蹴っ飛ばされてあっちへ行ったかと思えば、また蹴っ飛ばされて違うところへ」
 はあ、と曖昧に頷いた。
「まあ、危険地手当というのも出るしね」と上司は言った。
「それは喜

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迷い犬とセレナーデ

迷い犬とセレナーデ

「今からホントのことを言うから聞いていて」と彼女は言った。ぼくと彼女は何軒かはしごして、しこたま飲んだあとだった。明け方の街に人の気配はなかった。気だるく走るタクシーと、寝ぼけ眼のトラック、コンビニの灯りは妙な粘り気をはらんでいて、その空気を吸うと喉の奥に絡み付きそうだ。
「いいよ」とぼくは頷いた。
「この世界はクソったれ!」と彼女は朝焼けを待つ閑散とした通りに向かって叫んだ。 自転車に乗った

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