はじめてのおつかい

「少しでもおどおどしたりするんじゃないよ」とオババは言った。「慣れていないのがバレたら、足下見られて吹っ掛けられるからね」
 そして、オババはお金の入った巾着をわたしの帯に結び付けた。幾重にも、強く。わたしはそれが取れなくなってしまうのではないかと不安になった。
「落としでもしたらことだからね」とオババはわたしのそんな様子を見透かして言った。「もしそんなことになったら、旦那さまに大目玉を喰らうよ」
 それはわたしのはじめてのおつかいだった。わたし以外の子どもたちは、とっくにおつかいにやられていた。わたしだけが、中々その大役を任されなかった。たぶんわたしが愚図だったからだろう。おそらく、わたし以外の子どもたちは、わたしの愚図を影で嘲笑っていただろう。しかし、わたしはそんなことには気付いていなかった。それくらいわたしは愚図だったのだ。
 オババはその皺くちゃの手でわたしの手に買ってくる品が書かれた紙を握らせた。わたしはオババのその手に触れられるのが嫌いだった。オババに触れられる時には、わたしは決まって身を固くした。わたしはその紙をぎゅっと握り締めた。そして門をくぐり、外へ出た。
 暑い日だった。頭の上で、太陽がごうごうと燃えていた。道の先が、ゆらゆらと揺れていた。水が溜まっているように見えたけど、わたしが近付くとそれは逃げていってしまい、いくら歩いてもそれに追い付くことはできなかった。そんな具合に、わたしは問屋に向かって歩いて行った。手に握った紙をおろそかにしたりはしなかった。これをなくしてしまったら、何を買えばいいのかわからなくなってしまう。わたしはその紙を強く握った。
 気付けば店の前に着いていた。辺りには人影が無く、静まり返っていた。
「ごめんください」わたしは暗い店の奥に向かって叫んだ。それまで強い陽射しに照らされていたせいもあるだろう。わたしの目は中々闇に慣れるなくて、その暗闇は恐ろしいくらい深かった。「誰かいませんか?」それでも、誰も出て来なかった。
 わたしは戸惑って、店先で立ち尽くした。こんな事態は想定外だった。それまで頭の中に思い描いていたのでは、そこに行き、必要な品物を言い、それを受け取り、金を渡し、帰る、だけだった。それが、端から挫かれてしまったのだ。どうしたらいいかわからないわたしは、今にも泣き出さんばかりの顔をしていたことだろう。
 そこに、奥から女将さんが出てきた。そして、わたしに目をとめると、「何か用かい?」と尋ねた。
「あの」とわたしはドギマギしながら答えた。そして、手に握った紙を見た。ところが、それは汗で滲んでしまっていて、とてもではないが読むことはできなかった。わたしはさらに焦った。そして、適当な品物を口走った。
「ふん」と女将さんは言った。そして、値段を言ったのだけど、わたしが持っていたお金では、到底足りない額だった。
「足りないじゃないか?」と女将さんは言った。「それじゃ、売ることはできないよ」
「お願いします」とわたしは言った。「どうしても必要なんです」なぜそんなことを言ったのだろう。それは、わたしが言いつかって来た品物とは違うもので、それを買って帰ったところで怒られるのは目に見えていたのだ。本当なら、一度戻ってオババに何を買えばいいのかを確認すべきだったのだ。たぶん、そうすれば自分の愚図さを認めてしまうのだとわたしには思えたのだろう。それがわかるくらいには、わたしは愚図ではなかった。そして、その嘘は何も解決などしないで、むしろ話をややこしく、わたしを愚図だと証明するものだということが理解できないくらい、わたしはやはり愚図だった。
「じゃあ」と女将さんは言った。「ここで足りない額の分働いてもらおうかね」
 そして、わたしはそこで働くことになった。店の掃除をし、片付けをし、お茶を汲み、店番をした。夕方になると、おつかいに行くように言いつかった。
「ちゃんと帰って来るんだよ」と女将さんはわたしにお金を渡しながら言った。わたしは小さく頷いた。
 夕日に長くなった自分の影でを見ながら、わたしは歩いた。太陽はどんどん沈んで、闇が辺りを包んだ。わたしは急に眠くなってしまい、道端で横になった。そして、少しすると眠りに落ちていた。
 後のことは何も覚えていない。オババにおぶられて帰ったような記憶が、おぼろげにある。
 翌朝、わたしは屋敷で目を覚ました。オババはおつかいのことを何も言わなかった。わたしはあれは夢だったのかもしれない、と思った。それから、わたしがおつかいにやられることはなかった。

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