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鎖工場

大杉栄に捧ぐ

 長い廊下を、男に伴われて歩いている。男はこの工場の工場長であると名乗った。
「工場?」
「ええ」と微笑みながら頷く顔は、工場という響きから連想されるものとは程遠い。建物にしてもそうだ。鳴り響く騒音、もうもうと上がる煙、汚れた作業着に、顔に付いた油汚れ。あるいは、そうした連想自体が間違っているのかもしれない。私は工場の専門家ではない。工場が、そして工場長がどういうものであるべきなのか、私は知らない。いま私の前にあるような、オフィスビルのような外見に、汚れ一つない白い壁の長い廊下、細身のスーツを来た法律事務所の事務員然とした工場長のいるのが、工場であるのかもしれない。
「いったいここで何を作っているのです?」私は尋ねた。男は片眉を上げた。厭味ったらしい仕草だと思った。
「ここでは鎖を作っています」男は答えた。
「鎖?何のために?」
 男はまた片眉を上げた。その仕草に他意は無く、単純に男の癖なのかもしれない。
「繋ぐため、何かを縛り付けるため」と、男は淀みなく答えた。まるで台詞を喋っているかのように。「他に何のために使えますか?」
「いや」と私は答えた。「あいにく鎖には詳しくないもので」
 男は私をじっと見つめた。まるで、私の言葉の真偽を確かめようと目を凝らしているかのように。男が出来上がった鎖の具合を確かめる姿が想像できた。
「それにしても」と、居心地の悪さを感じた私は言った。「静かなものですな。工場というから、てっきり大きな機械がガチャンガチャン大音量で動いているのかと思っていました」
男は少し驚いた風に両眉を上げると微笑んだ。「ここでは少し特殊な鎖を作っていますもので」
「と、言いますと」
「ここで作っている鎖は『べき鎖』と言います」
「『べき鎖』。なんです、それは?どんな形をしているんです?」
男は静かに首を振った。「『べき鎖』には姿も形もありません。だから、この工場ではいかなる機械も動いていないのです。そうしたもの無しに、『べき鎖』は製作されるのです」
「よくわかりませんね」私は苛立ちを抑えながら言った。からかわれているような心持ちになってきていた。「まるで雲をつかむような話だ。姿も形も無い?」
 男は微笑んだ。私は苛立ちを抑えた。「失礼ですが、『工場とはこうあるべきだ』という考えをお持ちでしたよね?」
「ええ」と私は答える。騒音、もうもうと上がる煙。
「それこそが『べき鎖』です。あなたの考えは縛られていた。『べき鎖』によって縛られていた、ということです」
「いや、しかし」と私は口ごもった。反論の余地はない。
「男はこうあるべき、女はこうあるべき、外国人は、子供は、大人は、政治は、芸術は、そして果ては世界までも、ありとあらゆるものの『こうあるべき』を、ここでは作っています。先ほども申しましたように、鎖は縛り付けるものです。『べき鎖』は姿も形もありませんが、それでいて、人を縛り付ける。『こうあるべき』。みんなそうやって、『べき鎖』に縛り付けられています」
「いったい、何のためにそんなものが?」
 男は肩をすくめた。「何のためなんでしょう。私にはわかりません。私はあくまでこの工場の工場長でしかありませんから。あいにく、顧客についての情報は守秘義務があるので明かせません。もし、私がなぜそれを作るのか、それを知りたいのでしたら、そこに需要があるから、とお答えしましょう」
 私の中で憤りが膨らんできた。「あなたはそれに縛り付けられる人たちに責任があるとは思わないんですか?」
「責任?」と男は心底驚いたという顔をした。「なんです、それは?」
「人々の自由を奪うようなこんな工場、今すぐに無くなるべきだ」
「ほら、またひとつ鎖ができた」

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