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しきたり

 急な辞令で転勤となった。それを告げに来た上司はなんとも妙な表情をしていた。憐れみと含み笑いの中間くらいの顔。本人は否定するかもしれないけど。まあ、他人の不幸は密の味だ。
「我々は」と上司は言った。「球蹴り遊びのボールみたいなもんさ。蹴っ飛ばされてあっちへ行ったかと思えば、また蹴っ飛ばされて違うところへ」
 はあ、と曖昧に頷いた。
「まあ、危険地手当というのも出るしね」と上司は言った。
「それは喜ばしいことでしょうか?」
「まあ、ね」と上司は咳払いをした。「考え方にもよるかな。向こうにいたら、金なんてほとんど使わないだろうし、帰って来る頃にはかなりの貯金ができるんじゃないかな」
 それからは怒涛のごとき日々だった。
 まず語学教室に通い始めた。語学は学生の頃から好きな方だったから、さほど苦にはならないだろうと高を括っていたが、やたらと複雑な文法と豊富過ぎる語彙に辟易させられた。
 今まで住んでいた部屋を引き払った。必要なものだけ身繕い、あとは適当に処分した。
 付き合っていた恋人との間にゴタゴタが起きた。遠距離恋愛など無理だと別れを切り出したら散々な目に遭った。
 赴任先で住む場所を手配し、そして、いくつかの送別会をこなしている内に出発の日になった。ちなみに、送別会で送ってくれた面々も上司と同じような憐れみと含み笑いの中間のような表情をしていた。こんなことなら、ここを早く離れるのも悪くないか、とすら思える扱われ方だ。
 それまでの疲労のせいもあって、飛行機の中でこんこんと眠っている内に赴任先に到着した。まるでそれまでのこと全てが夢の中の出来事のように思えるような空の旅だった。もちろん、夢などではなくて、現実の翼が空を切り、現実的着陸をして、現実的なタラップを降りたのだ。
 現地には一応、世話役のような人間が用意されていた。土地の人間だが、言葉の問題はないという。じゃあその人を通訳にしてくれてもよさそうなものを、と思ったがそれは言わずにおいた。
 空港に、その世話役が迎えに来てくれていた。仏頂面の感じの悪い男だった。
「長旅で疲れたでしょう?」と世話役の男は言った。どこかに台本があって、それを棒読みするような口調だ。
 彼だけではない。空港の職員たちもみな、揃いも揃って仏頂面で、愛想の欠片も感じさせない。喫茶店で軽食を摂ったが、ウエイトレスにも笑顔は無い。所変われば、とは言うものの、なんてところだ、と内心思う。
 そのあとは彼の運転する車に揺られながら、無言のまま部屋まで送ってもらった。なんとも気まずい車内だった。はたしてこれで上手くやっていけるだろうか、と不安になるスタートだ。
 ところが、翌日になると、彼はにこやかに迎えにやって来たので面食らった。昨日の彼はなんだったのか。もしかしたら、まったく同じ顔をした別人なのではないかと訝ったほどだ。彼以外の人々も愛想よく笑いかけ、挨拶をしてくれる。世話役にそのことを尋ねると
「昨日は笑ってはいけない日だったのです」という答えだった。
「笑ってはいけない日?なんですそれは?」
「古くからのしきたりです」と笑顔の世話役。
彼によると、土地には様々なしきたりがあり、人々はそれに従い生活をしているとのことだった。
 金曜には肉を食べてはいけない。水曜は風呂に入ってはいけない。そういった、我々も使いなれた曜日以外にも、土地の古くからの暦に従ってのしきたりもやたらとあって、慣れていないこちらからすると、混乱させるためにでっち上げているのではないかと勘繰りたくなるほどだった。
「しきたりはしきたりですから」
「郷に入っては郷に従え、ってところかな?」
「なんです、それは?」
「しきたりみたいなものさ」
 あっという間に何年かが過ぎた。その年月を経ても、しきたりに慣れることはなかった。毎日のように面食らう事態に直面し、あるいは地団駄踏むこともあった。すべて文化の違いなのだと思うしかない。文化の違いなのだ。誰も悪くない。おおむね快適な生活が送れた。物価は安いし、人はみな親切だ。危険地手当も、本来なら必要無いはずだ。犯罪など起きない、のんびりした場所なのだから。おそらく、最初に来た担当者の来た時期が悪かったのだろう。あの時期に当たれば、そう思っても仕方がない。
 そして、後任者が来た。それと入れ替わりで帰ることができる。彼が到着したのは金曜だったので、笑顔なしで出迎えたら訝しげな顔をしていた。
「まあ、大変だろうけど、がんばって」
「はあ」
 上司の言った通り、かなりの額の貯金ができていたので、帰ってすぐにそれを頭金に家を買った。

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