『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(4)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)
この本、やたらと「後で述べますが」が多いんですよね。全部読んで欲しいための策略でしょうか? こっちは多くの話題についてはすでに色々と記事にしているので、ネットですからリンク貼れば済むので簡単なんですけど、本てその点で不便ですよね。せめてどこで述べてるのかくらい言え!とか思ったりするんですけど。では早速3回目。
……とその前に、今回はかなり長いと最初に注意をしておきます。一章を一記事で批判・反論する方針のためですが、目次を見ると、第三章が最も長いようなので、その分批判・反論も長くなってしまっているとご了解ください。
また、今回から、西岡本からの引用は、引用欄下に「西岡本」と示して、他の引用との区別を簡単にしておきます。
「第3章「ガス室」は実在したか?」について
「「定説」側は何故、「ユダヤ人絶滅計画」に固執するのか」について
前回述べた通り、西岡は「ユダヤ人絶滅はガス室だけだ」のように定式化していましたが、それは誤解であると指摘しています。「ユダヤ人問題の最終解決」とはユダヤ人を全滅させることのみを意味する、という理解はよくあるのですが、それは結果的にそうなったというだけのことであって、大きく考えれば、手段を問わず、どうにかしてユダヤ人をドイツ支配下から排除することを意味すると述べました。また、ゲーリングの1941年7月31日の書簡に書かれていた内容と、「ユダヤ人絶滅」は違うということは西岡ら否定派はよく知っているはずです。しかし、西岡の言うような「定説側」の人で、ゲーリングからハイドリヒ宛の書簡を否定している人など聞いたこともありません。つまり、そこに書かれた、
この文章をどう読むべきかについての議論はしませんが、しかしここに書いてあるのはあくまでもその目的は「ユダヤ人問題を解決する」ことであり、「計画」とはそもそもが「その目的を達成すること」を対象としたものなのではあっても、それが定説側の主張として「ガス室でのユダヤ人殺害」のみを意味するわけではありません。
それまでのナチスドイツのやってきたことを顧みると、ナチスドイツは政権を得たほとんど最初から、ユダヤ人に出て行ってもらおうとしています。その最初の方策の一つであるハーヴァラ協定は1933年8月です。ナチスドイツのユダヤ人問題に対する方針は、ドイツ人の生活圏からユダヤ人を排除することであって、殺すことだけを目的としていたのではありません。何度も言いますが殺すことは単なる手段の一つでしかないのです。あくまでも、生活圏からの排除であることは、否定派が捏造の疑いをかけるヴァンゼー議定書にも明確に書いてあります。
ナチスドイツが主張した「ユダヤ人問題の最終解決」に定説側が固執することそれ自体は、ホロコーストを研究することそれ自体が定説側のやってることなのですから、そこが学術研究の主たるテーマ・中心になるのは当たり前の話ですが、決してガス室にのみ固執しているのではありません。はっきりしていることは、否定派こそが「ガス室」に固執しているのです。だからこそ、西岡はこの章のタイトル、あるいは本のタイトルに「ガス室」を明記しているんじゃないのでしょうか?
「現存する「ガス室」は本当にガス室か?」について
いいえ。何度でも示しますが、その証拠の全部を網羅できてなくともこんなにあります。
「連合国はアウシュヴィッツを検証していない」について
連合国、と言うかニュルンベルク裁判はそうでしょうが、地元ポーランドの調査委員会はポーランドでの裁判のためにアウシュヴィッツを実地見聞しています。
実地見聞時の写真は、西岡氏自身も所有しているプレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』に何枚も掲載されています(しかし自分で翻訳しておいてあれですけど、探すのがめんどくさくていつもこの一枚しか紹介できていません。しかし西岡は本自体を持っているのですから、Webページよりもはるかに閲覧性の高い物理的な本なら、簡単にその実地見聞時の写真を見つけられるはずです)。ちなみに帽子かぶって説明しているらしき人物は、審査判事を務めたヤン・ゼーンだそうです。
しばしばネットでは、ソ連はアウシュヴィッツに部外者の立ち入りを10年くらい禁止していた、のような話をする人がいるのですが、ソースが全然分かりません。もしかしたらこの西岡本が出所なのかもしれませんが、西岡自身、「「ロシア人(ソ連のこと)が許可しなかったので、調査ができなかった」等と説明してい」たことを示すソースを示していませんね。否定派的にはそこそこ大事な話だと思うのですが、どうしてその出典を示さないのか、意味がわかりません。一般的に知られている話ならともかく、ほとんどの人がそんなの知らない話だと思うので、出典を示すのは重要なことだと思いますが。
ちなみに、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館は1947年から博物館として公開されているそうです。
博物館開いたのに、一般人、あるいは非共産圏の外国人には公開しなかったのでしょうか?
で、「科学的または司法的調査を全くしていなかった」については、まず司法的調査は実地見聞していたこともはっきりしていますから嘘です。当時ポーランドはソ連の傀儡になっていたので、ソ連は当然連合国ですからね。科学的調査も行われています。
否定派が「アウシュヴィッツの世界初の法医学調査はロイヒター調査だ」のように主張した後にこれを示すと、途端に「それはシラミ駆除をしたから検出されたんだ!」と話題を変えます。その前に誤った主張をしたことを認めて欲しいのですが、そんな人はいません。
「「ガス室」と「絶滅収容所」」について
この項は、大筋では間違ってないと思うので飛ばします。ポーランドに絶滅収容所があってドイツにはなかった、と述べているだけです。まぁ大筋では合ってます。マーリー・トロステネツ絶滅収容所はほとんど知られていないですしね。これはベラルーシのミンスク郊外にあったそうです。他にも絶滅収容所は数箇所あるようです。ただしそれらの主要な絶滅収容所でない絶滅収容所には殺人ガス室はなかったようです。
「「絶滅収容所」とは何か」について
私は、日本語Wikipediaの表記に出来るだけ従うようにしています。「アウシュヴィッツ」はパソコンキーボードの「V」と「B」が隣なのでよく打ち間違えてしまいますが、それ以外はマイダネク、ソビボル、ヘウムノ、トレブリンカ、ベウジェツ、と書くようにしています。Google検索だと多少表記が違っても表記の揺れを検知して大体検索はしてくれますし、西岡のように表記を変えても問題はほぼありません。私は「わかればそれで良い派」なので、私も読み方書き方で論争する気はありません。
こんな細かい話に突っ込むのも、読み方書き方の話と似たようなものなので別にどうでもいいとも言えるのですが、主要な囚人の収容先としては確かに二つの収容所としていいとは思いますが、三つ目としてよく挙げられるのはいわゆるモノヴィッツ収容所(アウシュヴィッツ第3収容所)です。I.G.ファーベン工場が近くに作られた時に、その工場で働く囚人用に作られた収容所で、巨大な工場ですから、人数こそ知りませんが相当な数の囚人がいたと思われます。以下の図を見ても分かるように、モノヴィッツは第一収容所よりも広いのです。
他には副収容所として、50くらいの収容所が点在していたそうです。西岡はせっかくドイツに旅行してアウシュヴィッツ収容所を訪問しているのに、こんなことも知らないようです。ライスコ(Rajsko)収容所は確か、元親衛隊員の否定派であるティース・クリストファーゼンがいた収容所だと記憶しますが、西岡もクリストファーゼンを当然知ってると思うんですけどね。
果たしてそうなのでしょうか? 否定派は、当時の不都合な文書資料を捏造扱いしてしまいますので、こうした「証拠なんかない!」みたいな否定派の主張は、その捏造と断定された文書まで考慮する必要があります。西岡のような否定派の主張は決して鵜呑みにはできないことを重々頭に入れておかないところっと騙されてしまいます。
例えば、その一つは、否定派が絶対に捏造との主張を譲らない以下です。
否定派は、上のリンク先で示しているように、ありとあらゆるクレームをつけて、グリクシュ文書を否定します。「間違ったことが書いてあるから嘘である」論法です。しかしそこで反論されている通り、「間違ったことが書いてある」理由を「嘘・捏造だから」と説明する必要がない、と考えることもできるのに、否定派は絶対にそれをしようとはしません。さらに、偽造文書ではあり得そうになさそうなことを示す分析も上の記事の中にあります。それでも否定派は認めようとはしません。
何にしても、グリクシュ文書は、アウシュヴィッツのガス室が「「ユダヤ人絶滅」を目的に建設されたことを証明する文書」であることを示しています。「最新の対策によって、総統の命令(Führerbefehls)をできるだけ短時間で、しかも大きな混乱もなく実行することができる」と書いてあり、文書は、ユダヤ人のガス室での大量殺戮と火葬場での処理について簡潔かつ明確に説明しています。
いわゆるラインハルト作戦収容所である、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ収容所については、収容所建物敷地全てを証拠隠滅したように、文書資料が残っている方がおかしいでしょう。しかしアウシュヴィッツ収容所ではガス室を作っていたことを示す文書は、建設関連文書が証拠隠滅されなかったために、大量のそれら関連文書の中に見つかっています。それはまだ読んでいない、西岡本の「後で述べます」部分で語られるのでしょうが、西岡らはそれら文書を「証拠にならない」として否定した上で、「「ユダヤ人絶滅」を目的に建設されたことを証明する文書等はありません」などと寝言・戯言を言っているのです。
この話はもちろん、まだ読んでない「西岡本の「後で述べます」部分」にあるのだと思いますが、今回ここをはっきり読んでちょっと呆れてしまいました。彼は、私との議論の際に議会記録ではなく「公聴会の記録」と言っていたはずだからです。その当時のことを説明するがややこしいので説明しませんが、ここでははっきり「議会記録」と書いてただなんて…唖然。
ここにも書きましたが、西岡自身は国会図書館になんて行ってないのです。行ったのは木村愛二です。私との議論の際には「もしかしたら木村がそれを入手したのはアメリカかも」だなんて惚けたことを語っていたほどです。また、私もこの件は「後で述べます」(笑)
「どんな「毒ガス」が使われたというのか」について
この件については、過去に西岡や木村を相手にしていた『対抗言論』サイトにあったログ記録を読んで、私も西岡の主張に若干同意していました。おっしゃる通り、一酸化炭素をあまり排出しないディーゼルを大量殺戮に使うのは合理性に欠けていると思っていたからです。対抗言論では、「一酸化炭素を多く排出させるためにエンジンに負荷をかけすぎると故障しやすくなるが、当時はいくらでもソ連製戦車から鹵獲できたのだから問題はなかった」などと論者が言ってましたが、ガソリンエンジンもあるのにそうまでしてディーゼルにこだわる理由がありません。対抗言論ではどうやら当時の定説重視の路線を取っていたのと、否定説への反論意識が強すぎて、もしかしたらほんとはガソリンエンジンだったのでは?との考えにまでは至らなかったようです。確かに修正主義者のディーゼル否定論論者であったベルクの議論には問題はあったようではありますが。
しかし、まず言っておかないといけないことには、ラインハルト作戦収容所の一つであるソビボルでは、明確にガソリンエンジンが使われたというのがどうやらとっくの昔に定説になっていたことです。
ベンジンエンジンとはドイツ語ではガソリンエンジンを意味します。
西岡本の時代にはまだディーゼルエンジンがユダヤ人絶滅に使われたと書かれることが多かったようなのですが、現在では裁判証言の精査などから、ガソリンエンジンが使われたと考えるべき、となっているようです。
このように、定説は修正されているのに、修正主義者は修正主義内での定説(定説への反論内容及び攻撃対象とする定説の内容)を修正しない、ようです。今でも西岡はディーゼル説にこだわってますからね。
「第一アウシュヴィッツに展示される「ガス室」」について
パルプとは、「木材などの植物原料を機械的または化学的に処理してセルロースを取り出した状態のもの」(コトバンク)ですが、私が知っているペレット状のチクロンBは珪藻土、または硫酸カルシウム(石膏)を個体支持体とするもので、パルプと言えるのは以下の写真のようなディスク型だと思うんですけどね。細かい話なので別にいいですけど。
ただ、これらの作業風景での写真で作業員がガスマスクをつけていることには注目する必要があります。以下は、Amazonプライムビデオにある『アウシュヴィッツ ナチスとホロコースト』第1話からのスクショ(させてもらえないのでスマホで撮ったw)した作業風景です。
缶を開けるところから、所定の場所に撒くところまで、作業員は常にガスマスクをしています。何が言いたいかというと、「青酸ガスが徐々に遊離する」と表現するのは誤解を招くということです。否定論者によってはあたかもガスマスクも必要ないほど徐々にしか遊離しないかのように述べる人もいるからです(但し、密閉空間でないなら慣れればガスマスクは要らなかったかもしれません)。西岡はここでも「後ほどお話し」と述べていますので私もはその詳細は後で述べると思います。
「「ガス室」の目の前にドイツ人の病院がある」について
一応確かめてみましょう。Googleマップを使えば簡単です。
かなり適当に距離測定行っただけですけど、確かに大体20メートルくらいですね。大体ですけど、JRなどの普通列車の車両一両分くらい、と考えていただいていいかと思います。
で、否定派がこれだけ離れていてどれだけ安全か・危険かをちゃんと計算したというのを見たことがありません。まぁそれはいいです、私も大気拡散方程式なんか使えませんし。で、ですね、もしですね、もし仮に病院の患者の命に関わるほど危険なのであれば、ガス室での処刑をするのであれば、その際には患者を退避させていただろうと思うんですけど。あるいはもっと簡単に、窓を閉め切ったでしょう。
え? 患者の退避なんて面倒なことをするわけがないって? いや、患者の退避を実際にしていたと言っているのではありません。もし危険ならば、です。この第一ガス室では、ユダヤ人絶滅は行われたとしてもわずかでしょうし、毎日ガス処刑なんてできたわけもないのです。死体の火葬に時間がかかることは否定派がよく知っているはずです。せめて3日以上は開けないと、死体が溢れかえってしまいます。1週間程度開けるとすれば、毎回患者を退避させる程度、それほど難しくはなかったでしょう。
でも、そんなに危険だったとは考えられません。否定派が全然わかってないのは、大気中への拡散なのですから、そこには「空気がある」ってことです。青酸ガスは大気中へ放出されると、空気と混ざってその濃度を低下させます。外なのですから、空気の量は無限大です。無限大の量の空気とそれに比べればほんのわずかな量の青酸ガスが混ざったからと言って危険でしょうか? 否定派が本当に何も考えていないことがよくわかる話です。
実際には、一瞬で毒ガスの濃度が薄まるわけではないので、アウシュヴィッツでは以下のような警告も行われました。
この警告書は、古くはチクロンBを使ったガス処刑の一つの証拠とみなされたこともありましたが、よく知られている通りアウシュヴィッツではチクロンを使う害虫駆除室が複数あったので、それと区別できないため、ガス処刑の証拠にはなりません(但し、この文書に「Vergasung」の表現が出てくることは、仮にこれが害虫駆除室のことを意味するとしても、チクロンガスを使っていたことを示すという意味では、示唆的なものとして覚えておくべきだと思う)。
しかし、軽い症状ともあり、その事例となった人がどれほどその「ガス室」から近かったかもわからないし、状況も全く不明のため、「病院から20メートル」について何か述べることができる文書でもありません。でも、仮に危険性を考えるべきだとしても、病院の窓を閉じたらいいだけだと思います。しかし確かに病院から近いので、病院から第一ガス室での処刑の様子を見てた人もいたようです。
これと似たような証言は他にも複数あります。BBCの『アウシュヴィッツ ナチスとホロコースト』でも他の証言者による証言を見ることができます。
「これが「ガス室」か?」について
として、西岡は自分で撮ってきた以下の写真を読者に見せます。
西岡は、前述したようにプレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』という2024年現在では中古で日本円換算で20万円以上もするとても高価な本を持っているのに、全然読んでないのです。
以下でも述べられている通り、火葬場1は戦時中に一旦防空壕に改修されています。防空壕になっていたこと自体は修正主義者でも知っている人は知っている話です。
防空壕にしたのだから、ガス室の天井の穴はその時に一旦塞いだのです。だから、解放後にソ連が撮影した天井の写真には穴がないのです。
この内部を防空壕にされていた火葬場をポーランドは戦後にガス室があった時のように再現工事を行い、その時に天井の穴も開けたのです。上の写真をよく見ると、うっすらと塞いだような跡が何箇所か見えるでしょう。工事に関わったポーランド人のズロブニッキ(ズウォブニツキ)は「火葬場の屋根にあるチクロンBの導入孔も、1946/47年に再建されたことをよく覚えています。導入孔の跡がはっきり残っていたので、復元するのは簡単でした……こうして、同じ場所に再び小さな煙突の開口部を作ったのです」と証言しているそうです。
ここでは余談になりますが、その復元した穴が本当にチクロンを導入するための穴だったかどうかはわかりません。ズロブニッキは、穴が空いていたのであろう跡を目安にしてそこを開けたと言っているだけで、その穴は別の目的で開けられていたのかもしれないからです。例えばもしかすると、ガス室として使用される前の死体安置室時の換気用の穴だった、のかもしれません。あるいは、開けたはいいが間違って開けた穴なのですぐに塞いだかもしれない。何にせよ、どれかが本当のチクロン穴だとは思いますが、どれがそうなのかわからないのです。図面もありませんし、証言者は異なった数を証言していたりもするからです。
で、余談はそこまでとして、西岡は自分が撮影した穴は戦後に再開、復元したものだと分かってなかったのです。プレサックの本に書いてあるのに。ですから、西岡が「この「投入孔」を見れば、この「ガス室」(?)にそんな気密性がないことはあまりにも明らか」と言っているのは無意味なのです。それは戦時中の穴それ自体じゃないんだから。私自身は、ちょっとくらい外へ漏れたところで、処刑作業上、特に問題はなかったと思っていますし、親衛隊員はガスマスクをつけていた、と証言者も言ってます。ともかく、西岡はとてつもなく思慮が足りません。
この「ガス室」をどう換気するか
と、西岡は述べていますが、バスティアン本の後書きを書いている石田勇治氏がこう述べています。
ただ、私自身はそのプレサック本(1994年)を知らないので、図面も知りません。ですが、ずっと前に翻訳した親衛隊員のペリー・ブロードによる回想録には以下のような記述があります。
この証言を確かめる術は持っていませんが、西岡は復元工事があったことすら認識していないのですから、西岡の「痕跡が見られません」が当てにならないことは確かでしょう。防空壕にした時にその換気装置を撤去したことは十分あり得ます。
しかし、同じチクロンBを使うアウシュヴィッツにある害虫駆除室には、そんな煙突は一つもありません。もしそのような安全策があったのであれば、前述したようなヘスによる警告書はあり得なかったでしょう。もちろん、安全に配慮するのであれば、煙突があった方がいいのはいうまでもありません。米国の死刑用ガス室ではそうしていただけのことです。極端な安全策を取ることはどんな場合でもよくある話です。しかし、アウシュヴィッツ収容所は部外者が入ることはほとんどなく(一部取引業者くらいなものでしょう)、特にガス処刑室は極秘なのですから、極端な安全策を取る必要などありません。ガスマスクもありましたし、何か症状が出たなら病院もありました。実際に、害虫駆除作業中にチクロンBのガスを吸ってしまい、入院していた人の証言もあります。
そして西岡は今でもX(旧Twitter)上で繰り返し繰り返し、このことを述べ続けています。
この件もすでに示したブログの方で説明しているので割愛します。
このブログ記事では書いていませんが、西岡はアウシュヴィッツを訪問した時に、案内係についてもらって見学していたそうですが、その案内係に、その煙突の件すら何も聞かなかったそうなのです(本人談)。ところが、マルコポーロ事件のあったすぐ後に、現地を訪れたフリージャーナリストの福田みずほ氏は、それらのことも色々と案内係に聞いていたりするのです(福田みずほ、「「ホロコーストの嘘」の嘘」、『創』、95.4号、pp.122ff)。「建物と繋がっていない煙突」については、福田氏はプレサックの本まで調べています。福田氏はホロコーストの専門家でもなんでもありません。西岡は一応、日本を代表する修正主義者だと思うのですがこの差は一体何なのでしょうか。否定派と疑われたら困るから案内係に聞けなかった、とかなんとか言い訳していましたが、それなら聞き方を工夫すれば良いだけだろ、と思います。
「「レクスプレス」に載った驚くべき記事」について
この記事は、私とのやり取り中にも西岡が言い出したので、ネット検索すると記事全文が見つかったので、翻訳しています。普通に読めば、西岡が記事の趣旨を如何に歪曲しているかがわかります。要は、戦後に復元した時に色々間違っているから偽物みたいなもんだ、とコナンは言っているだけです。何が「ついに認めている」なものか。
「なぜ説明が二転三転するのか」について
最初からちゃんと説明してこなかった、という意味ではアウシュヴィッツ博物館に落ち度はあると思います。博物館の歴史部門の責任者だったフランチシェク・ピーパーの説明では、米国のホロコースト否定者だったデヴィッド・コールの動画の騒動の時に、こう語ったそうです。
この本に「1944年5月に、主収容所の古い火葬場Iが防空壕として使用された」と書いてあって、案内係はそれを読んでるんだから、隠してたわけじゃねーべ! って言いたいのでしょうけれど、これしか資料が残ってないんだから、かなり杜撰なんじゃないの?って印象は拭えません。火葬場1の戦後の修復に関する資料がどうやら全然残っていないようなのです。
もちろん、のちに修正主義者が第一火葬場・ガス室を捏造だと騒ぐだなんて想像もしていなかったとは思いますが、復元工事中の写真であるとか、図面であるとか、あるいは復元工事関連の資料であるとか、作業日誌であるとか、ちゃんと残しておけば騒ぎにならなかったのではないかと思います。2024年現在、日本でも近年、大事な裁判資料を処分しちゃったとか、色々ありましたよねぇ。
まぁでも、西岡の「話が変わっているではないか!」という言いがかりは、それは、アウシュヴィッツ博物館がちゃんと説明してこなかったからだし、多分訪問客を案内する現場の案内係も、1990年代頃までは、復元工事があっただなんて知らなかったんだと思います。デヴィッド・コールのビデオを見ると、案内係の主任は知っていたようですが、ちゃんと下々の案内係までは伝わってなかったのでしょう。フォーリソンが1980年前後ごろに訪問した時にも、同様の話があったはずなのにきちんと意思統一せず放置してきたのでしょうね。
つまり、以上のような説明で理解できるはずのに、西岡や否定派としては「話が変わっているではないか!」とどうしても食い下がりたいのです。それはガス室を捏造としておきたいからに他ならないからでしょう。それだけの話に過ぎないのです。実にくだらない……。
これも、すでに上で示したブログの方で説明しているので割愛します。捏造だったらそんな写真残すわけねーだろw
「第二アウシュヴィッツ(ビルケナウ)の問題」について
そう仰いますが、それ以上にソ連やポーランドが破壊したという証拠は、証言を含めて全く一切何もありません。どうしてソ連がドイツの施設を破壊する必要があるのでしょうか? あたかもドイツが殺人ガス室を隠匿するために四つの火葬場を爆破したかのように偽装するため? そんなことする必要がありますか? それよりも、西岡によると戦後長期間アウシュヴィッツ収容所は立ち入り禁止にされていたそうですから、その間にガス室作っちゃえば=捏造しちゃえばいいじゃないですか。第一ガス室は捏造なのでしょう? それなのに絶滅の現場であるビルケナウのガス室は捏造せずに火葬場ごと破壊した? 意味がわかりません。
どうして修正主義者は、筋の通らない主張ばかりするのでしょう?
しかし、証言はいっぱいあります。私が翻訳していた時に驚いてばかりいたルイジ・フェリの証言なんかはどうでしょう?
他にも探せばいくらでも見つかると思います。要は普通に、証拠隠滅目的で、親衛隊員らは上からの命令通りに、大量殺戮をやっていた火葬場建物を解体作業後にダイナマイトで破壊した、それだけの話です。そして証言は実態に矛盾しない。これのどこが不思議な点があるのでしょうか?
ふーん、後述ばっかりですね。しかし「建物を外から見たという意味かも知れない」だとしても、中で働いていたゾンダーコマンドはどうなるのでしょう? まぁ後述するということですので、これは置いておきましょう。しかし、外からの観察と中で働いていた人の証言が一致する、ということが何を意味するのかは誰でもわかる話だとは思いますけどね。
「第二アウシュヴィッツの第二死体焼却棟」について
ビルケナウ収容所は最初からユダヤ人絶滅用だったわけではありません。いったい誰がそんなことを言ったのか、何を見てそんなことを西岡が言っているのか知りませんが、これも、西岡が持っている筈のプレサックの本に書いてあります。
バルバロッサ作戦で火蓋を切ることになる独ソ戦開始は1941年6月22日であり、その戦いで大量の赤軍捕虜が出ることを予想して、アウシュヴィッツ収容所のあった地域であるオシフィエンチムにビルケナウ収容所を建設することになったのです。結果的にはユダヤ人がほとんどの収容者とはなりましたが、最初の目的は違ったのです。ともかくここでも、西岡は全然プレサック本を読んでないことがわかります。プレサックも元は修正主義者だったとは言え、一応定説側の一人なのですが。
これも違います。第一収容所のガス室は、ユダヤ人絶滅にもしかしたら少しは使われたかもしれませんが、アウシュヴィッツ第一収容所はあくまでも強制収容所(および戦時捕虜収容所)でした。少なくとも私自身は、第一収容所が途中から絶滅収容所に変わったなどという説は聞いたこともありません。よく言われるのは、第一収容所の第一ガス室で殺されたのは1万人にも満たないであろう、ということです。1942年末でガス室での処刑は終了しているそうです。これもプレサック本に書いてあります。
実際、西岡はプレサック本を持ってるだけで「全く」読んでない感じもしますね。マスコミや定説側は検証してないだのなんだのと偉そうなことを抜かすくせに、自分自身はなんなのでしょうね?
西岡がプレサック本を本当に全く読んでないことはここからもわかります。何とプレサック本では、その第二・第三火葬場の換気システムについての解説がまるまる一章を使って行われています。呆れてものも言えない、とはこのことです。
第二・第三火葬場の換気システムについては、西岡が教祖並みに扱っているだろうと考えられるロベール・フォーリソンだって知ってます。フォーリソンは、その換気システムの吸排気の上下位置がおかしいと言ったりしているからです。あと、フォーリソンだったか誰だったか忘れましたが、二千人とか三千人とか、そんなに詰め込んでガス処刑したら、死体で換気扇を塞いでしまうから換気が不可能となって不合理だ!などもあったと思います。いずれにしても、第二・第三火葬場の換気システムの存在自体を否定する否定派は、不勉強極まりないです。
そのような計算は、例えばリップシュタットvsアーヴィング裁判でもありました。
しかし、西岡は文句言うだけで計算も示していません。そこでここで、私が本当に簡易な推定で、簡単な計算を示したいと思います。
まず、エレベーターの輸送能力を、一回あたり死体を十体まで乗せて運べるとします。犠牲者は子供や女性が多いと思うのですけど、多めに体重を考えて一人50kgとしても、500kg程度ですから十分可能でしょう。したがって3000体ならば、300回往復させればいいことになります。火葬場の火葬能力を限界を超えるとは思いますが、否定派側に有利なように1日で3000体を処理できるとします。つまり、連続稼働をしたと仮定するならば、1日でエレベータを300回往復させればいいのですから、24時間÷300回=約5分/回で1往復させればいいことになります。たかだかエレベーターは、地上階と半地下階を往復させるだけですから、上→下、下→上はそれぞれ1分、積み込みと荷下ろしにそれぞれ1分としても、エレベーター1往復あたり合計4分しかかかりません。これを不可能だと言いますか?
一応言っておきますが、第2または第3火葬場一箇所で、日あたり3000体の火葬処理は無理だと思いますから(親衛隊文書では1440体/日)、もっと時間に余裕があることになります。上の単位時間が短すぎる? いいえ、ユダヤ人囚人なんて収容所内にいっぱいいましたから、作業員に事欠くことはありませんでした。スループットを上げたいのなら人員を増やせばいいだけです。
また、一部、欧米の修正主義者による否定論動画では、エレベーターリフトの最大荷重が300kgしかなかったとするものがありますが、プレサック本では「最低荷重300kg」をリフトを作成した金属加工場に要求していたのであって、実際にはそれよりも荷重許容値は大きかったでしょう。そして、「その後、容量1500kgのDemag(註:ドイツのリフトメーカー)の荷物リフトに交換された。」(p.488)ともあります。従って、日あたり処理量を半分の1500体、一回あたりのリフト積み込み人数を20人とすれば、一往復あたりの時間は上の計算の4倍になり、概ね20分もあることになります。さすがに20分を短すぎると言う人はいないでしょう。
西岡はなぜこんな簡単な計算すらしないのでしょうか? やってみたら全然余裕だったので自説に不都合となるため書かなかったのでしょうか?
これも何度も何度も以前から話してきた話題です。先ず、3000人とは誰が言ったのでしょうか? もしゾンダーコマンドだとするのであれば、そのゾンダーコマンドはいちいち数えたのでしょうか? ヘスは自伝で最大3000人と確かに書いていますが、一方で一度も3000人には達しなかったとも書いています。こちらの、ザルマン・レヴェンタルの残した文書には、確かに3000人と記載はありますが、どの数字もキリの良い数字が書かれており、明らかに概数であることがわかります。目安でその程度と推定していただけで、正確ではなかったのではないでしょうか?
ですが、仮に3000人だったとすれば、14.3人/㎡だったことになります。これは不可能でしょうか? 実は、実際のデーターから可能だったことがわかっています。日本で起きた明石花火大会歩道橋事故の報告書を見るとわかります。この報告書では、実験によるものと考えられる以下の表が掲載されています。
次のページには、「なお、この6,400人が滞留している時には、歩道橋全体として平均9~ 10人/㎡、歩道橋の南半分の極度に密集したと考えられる部分では、最大 13~15人/㎡という密集状況にあったことを確認しておきたい。」と書いてあります。ガス室で処理された犠牲者には子供が多かったと考えられるので、人数的にはもっと群衆密度の可能上限値は高くなります。上の表は、衣類をつけた成人男性のものです。
以上、たとえ3000人でも可能だったことが証明されました。なぜ西岡を含む否定派は、定説を信じる側に「しっかりとした検証をしていない」のように批判するのに、自分たちはちゃんと検証しないのでしょうか?
すでに述べた通りですが、もし西岡の時代に最初からビルケナウ収容所がユダヤ人絶滅目的で作られたと主張する人がいたのであれば、それは単なる誤りです。少なくともアウシュヴィッツの最初の司令官だったヘスの自伝にはそんな風には書いてません。正確な日付はわからないものの1941年のある日に、アイヒマンがアウシュヴィッツを訪れ、ユダヤ人絶滅をアウシュヴィッツのどこで実施するかについて、周辺地域をヘスと共に車で回って確認していたことを示す記述があります。これはのちに、アイヒマンも語っています。そして、ビルケナウの敷地外のすぐそばに候補地を見つけるのです。それが最初のユダヤ人絶滅の現場であった農家であり、その農家を改造してブンカー(ガス室建屋)とするのです。これも、西岡の時代にもすでにあった(1995年頃当時の出版社はサイマル出版会)、日本語版のヘスの自伝をちょっと確認するだけですぐわかります。西岡は、ヘスの自伝という基本中の基本の文献ですら読んでないのです。西岡は欧米の修正主義者による「ヘスは拷問で嘘の自白を強要された」説を疑うことなく鵜呑みにして信じ切ってしまったので、自伝に価値を見出さなかったのは理解しますが、それでも「読まない」のでは話にならないと思います。
こんな短い文章の中で、あっさり矛盾したことを言える西岡には呆れます。西岡はプレサックに「証拠を提示していない」と自ら批判しているのに、自身は「(第二、第三死体焼却棟は)チフスの拡大を予防する目的で、これらの地下室と火葬場は作られ、使用されていた」証拠を一切提示していません。
しかし、プレサックは違います。多数の文書と図面から、ガス室が火葬場に併設されていたことを読み解いたのです。特に、1942年12月19日付の図面2003について、それまでの図面との違いを、
と読み解いたのは重要です。以下のように、最初は死体を地下に下ろす死体シュートがあったのに、1942年12月の図面では階段の位置を変更すると共にその死体シュートが図面から消えているのです。
これだけではなく、Lechenkeller 1へ入る扉が内開きから外開きに変わっているのも、死体が扉の開閉を妨げてしまうから、と考えられます(最終的には外開きの一枚扉となった)。他にもさまざまな観察から、明らかにただの死体安置室の予定だったものを、ガス室に利用目的を変更したことがわかるのです。
何度も何度も述べますが、西岡は2024年現在ではとても高価で入手困難なプレサック本を持っているのに、全然読んでないのです。読んでもいないのに「プレサックはそのような証拠を提示していない」と宣うのは大した度胸だと思います。私にはとてもできません(笑)
「フォーリソン教授が指摘すること」について
この件は、欧米の修正主義者たちは、ビルケナウの第2(あるいは第3)火葬場のガス室とされている箇所は、実際にはガス室ではあり得なかったとする決定的な証拠として、しつこいくらい主張する話です。「No holes, No holocaust」なるキャッチフレーズも編み出しました。詳しい話は以下などで読めますので、ここでは割愛します。しかし修正主義者も、一つと言ったり二つと言ったりいい加減ですねぇ。
「第四、第五死体焼却棟について」について
この話は西岡とやり合ってた時にも話していましたが、私もこれには「殺人ガス室なのか害虫駆除室なのかどっちの話なのかわからない」という意味で同意します。しかし、その可能性が否定されるわけでもありません。その日誌は、こちらの写真27のことだと思います。アウシュヴィッツの図面では「Gaskammer」と書かれた図面が発見されたりすると、「ガス室の証拠だ!」と騒ぐ人がいますが、それは害虫駆除室を意味するものしかありません。ただし、図面ではない文書にそう書かれたものはわかりません。他のさまざまな情報と照合する必要があります。
「「ガス」の付く単語が「ガス室」に関係あるとは限らない」について
この件は、マットーニョは自分でソ連の裁判でのプリュファーの証言まで調べているのに、自分の推理を優先して誤った結論を出した例です。以下をお読みください。
プレサックの考えも誤っていると考えていますが、「ガス検知器」文書が証拠の一つであることは否定されません。
「ブンカーと呼ばれる建物」について
ブンカーは、ビルケナウの敷地外にあった農家を改造して作られた、最初のユダヤ人絶滅用のガス室ですが、実際にあったことを示す当時の親衛隊による文書資料はないわけではありません。その文書資料を翻訳した記憶はあるのですが、自分で翻訳したのにどこにあるのだか思い出せませんでした、すみません。
図面については、まだ戦時中のアウシュヴィッツが解放された後のソ連かポーランドによる現地調査の時に、ゾンダーコマンドだったスラマ・ドラゴンの証言を元にゾンダーコマンドではないが囚人だったオイゲニウス・ノザルが図面を記述しています。
「「ガス室」というものは高い気密性を備えたハイテク」については、フォーリソンを教祖とするいまだにあのクズ報告書でしかないロイヒター報告を信じる低レベルのホロコースト否定者がずっと信じ続けている主張ですが、じゃぁ簡素な密閉対策しかしてなかったアウシュヴィッツの害虫駆除室についてはどう思うの? と聞いても答えが返ってくることはありません。害虫駆除室も一応、殺「人」ではないけれど、殺「虫」ガス室です。しかも、シラミは人間より殺しにくいので、24時間くらいそのガス室で燻蒸するのですから、危険度は殺人ガス室よりも高いと思うのですけれど。
「何故、「ガス室」跡からシアン化合物が検出されないのか」について
この項で書かれている内容については、ぐだぐだ述べている西岡の話を引用するのは字数の無駄ですので、そこで示されているグラフを紹介するだけにしておきます。
米国の死刑コンサルタント事業を営んでいたフレッド・A・ロイヒター・ジュニア氏は、1988年から実施されたツンデル裁判の第二審を控えて、ツンデル被告側からアウシュヴィッツ収容所等の殺人ガス室の科学的調査を行うよう依頼され、ポーランドにメンバーと共に飛び、五日間ほど滞在してアウシュヴィッツのガス室跡などから、博物館に許可なく不法に試料採取を行い、それをアメリカに持ち帰ってマサチューセッツ州にあるアルファ分析研究所に持ち込んでシアン化物の残留濃度の測定を依頼しました。アウシュヴィッツ収容所から採取した試料は全部で32。うち一つは、アウシュヴィッツ収容所ではっきりチクロンBを使っていたことがわかっていて修正主義者も否定しない衣類用の害虫駆除室からのものでした。
その害虫駆除室の壁から採取した資料から得られた、シアン化物の残留濃度の測定値が上のグラフの一番右側です。
これを非常に簡単に説明します。まず修正主義者たちはもちろん、
害虫駆除室のデータがこんなにはっきりシアン化物が使われたことを示しているのに、殺人ガス室と言われている場所はほんのちょっとか全くなかったのだから、殺人ガス室は嘘だったに違いない!
でした。しかし、殺人ガス室の遺跡と、今も残っている害虫駆除室には決定的な違いがありました。それはプルシアンブルー(鉄青)の有無です。鉄青は、シアン化水素ガスにさらされて生成する場合の生成機序がはっきりしないものの、壁面等の建築素材中の鉄分とシアン化水素が化学反応を起こしてシアン化鉄錯体となったものです。
シアン化水素ガスによるシアン化物残留物には、このプルシアンブルーに注目して二つに分けられます。
プルシアンブルー(シアン化鉄錯体)
非プルシアンブルー(建築素材に化学吸着したシアン化水素、その他のシアン成分(KCN、NaCNなど))
この二つのシアン化物には大きな違いがあります。プルシアンブルーは非常に安定性の高い化合物であり、アルカリには弱いものの、分解しにくい性質があります。このため、顔料や染料に用いられています。しかし、非プルシアンブルーは風化に非常に弱く、揮発性も高いし、水にも容易に溶けてしまい、長期的に残りにくい性質となっています。このことをわかりやすくするために模式的なグラフを作成していますので以下に示します。
あくまでも模式的なものなので、実験や理論に基づいたものではありませんが、ロイヒターの調査は、戦後43年も経ってからのものです。そもそも、シアン化物が戦後43年も経って、明確に検出されることの方がおかしいのです。しかしそれは、ロイヒターが害虫駆除室から採取した試料にはプルシアンブルーが多く含まれていていたから、とすれば説明できるのです。
ですから、殺人ガス室の遺跡からシアン化物が全く、あるいはごく微量しか検出されなかったのは風化のためであり、プルシアンブルーを含まなかったからなのです。
なぜ害虫駆除室でプルシアンブルーが生成されたのに、殺人ガス室では生成されなかったのか? については詳しくはわかっていません。しかし、こうは言えます。修正主義者たちはシアン化水素ガスが使われたのならば、プルシアンブルーは生成される「はずである」、と主張します。しかしそんな証明はありません。
そして害虫駆除室でのチクロンBと殺人ガス室でのその使い方が異なっていることを否定派は無視します。殺人ガス室ではシアン化水素ガスはたかだか30分程度しか残留しませんでした。殺したらガス室内は換気され、さっさと遺体は火葬に回されます。しかし害虫駆除室は、シラミが人間よりも遥かに死ににくいため、24時間燻蒸するのが普通だったようです。また、殺人ガス室は遺体を撤去し室内は徹底的に毎回洗浄されたそうですが、害虫駆除室が洗浄されたという話はありません。これらの条件の違いから、殺人ガス室ではプルシアンブルーは生成しなかったのではないかと考えられます。
これについて、修正主義者でロイヒターよりは遥かに優れた化学者のゲルマー・ルドルフは、とある場所の教会の害虫駆除作業でプルシアンブルーが生成された事例を挙げて、たった一回のシアン化水素ガスによる燻蒸だけでプルシアンブルーが出来ることもあるのだから、アウシュヴィッツの殺人ガス室に全くプルシアンブルーが見られないのはおかしい、のような主張をしましたが、その教会の事例は特殊事例であって、もしチクロンBによる害虫駆除作業でプルシアンブルーが頻繁に生成されていたのなら、苦情殺到でチクロンが当時広範に使われたはずがないため、説明になっていません。
短く説明しようと思った割には長くなってしまいましたが、より細かな話は以下のブログページかそこに含まれるリンク先の記事をご参照ください。
確かにこの話は、歴史学者でもなかなか理解している人は少ない印象です。無理やりやっつけ的に否定しているリップシュタットのような歴史学者もいるくらいです。
「リューシュター報告の分析値の正しさはポーランド当局も認めている」について
いいえ、そのクラクフ報告はロイヒター・レポートに明確に反論する目的で作成されたものであり、分析値それ自体に不正はないと認めても、ロイヒターのやった方法を否定しています。西岡はクラクフ報告を真面目に読んでいないのでしょう。
このクラクフ報告は、まずロイヒターの分析方法とは明確に異なって、「構成されるシアン化鉄錯体(これが議論になっている青である)の分解を誘発しない方法」、つまりプルシアンブルーのシアンを分析結果に含めない方法で測定を行っています。それにより、害虫駆除室のシアン化物残留濃度は、ロイヒターのそれより遥かに小さい値となっています。
ロイヒターでは、害虫駆除室とガス室遺跡の分析値(最大値)の差は、比率にしてざっと150倍くらいですが、クラクフではざっと1.5倍しかありません。害虫駆除室はダイナマイト破壊されて野晒しとなっているガス室遺跡とは異なって、現存されたままであり風雨にさらされていないのに、たったそれだけしか差がないのです。このことが何を意味するかよく考えてほしいところです。
クラクフ報告のもう一つの注目点は、「表I. (1942年の腸チフス流行に関連して)一度だけチクロンBで燻蒸されたと思われる住居から採取したコントロールサンプルのシアン化物イオンの濃度」であり、8サンプルですべて検出限界以下となっている点です。つまり、たった一度しかガス燻蒸されていない程度では、シアン化物が検出されるほどは残らないことを証明しているのです。また、少なくともアウシュヴィッツにある住居棟では、バックグラウンドレベルですらもシアン化物は検出されないことを示しています。
西岡はちゃんとクラクフ報告を読みもせず、いい加減なことを言っていることがまたしても明らかになりました。
「マイダネックの「ガス室」は何故「シャワー室」に変わったのか?」について
マイダネクのガス室については、私自身はまだよくわからないので、特に述べることはありません。マイダネク博物館ですら、わからない点が多いとしているほどです。
とにかく、日本語文献も少なく、海外のネットからも限られた情報しか得られないため、アウシュヴィッツのようにはいきません。従って、以降三つの項目、「何故、火葬場から一番遠い場所に「ガス室」を作ったのか?」「何故、「ガス室」にガラス窓があるのか?」「その他の「ガス室」の問題」は飛ばします。
「ガス室は極めて高価な処刑法である」について
途中にある注釈55にはこう書いてあります。
よし、これを近所の図書館で調べてみよう!……と思って検索したら、所蔵してませんでした、残念。
否定派は、フォーリソンがこだわったらしいアメリカの死刑ガス室を比較対象とするのが非常に好きでして、「米国の処刑ガス室はこんなに高度な装置なのに!アウシュヴィッツは全然貧相じゃないか!」とお怒りなのですが、「高価」というのも非難ポイントであるそうです。
しかしですねぇ、以下の写真はシアン化水素ガスを使った害虫駆除風景の写真だそうですが、こんなのでもいいんです。
リンク先の脚注には、「シアン化水素燻蒸によるピートサイラの防除」とあり、ピートサイラとは「梨の木の害虫」だそうで、これはその害虫駆除の作業風景の写真と推測されます。ダッククロスと呼ばれる厚手の布地シートで梨の木を覆っているそうです。これが高度に見えますか? 当然ですが、この中に人がガスマスクもなしに入れられたら、中のシアン化水素ガスで絶対死にます。
米国の処刑ガス室が過剰なまでに安全対策を施しているのは、例えば、米国の死刑は10人くらいの市民の監視のもとに行われるからですし、万が一のこともあってはならないとの考えからでしょう。アウシュヴィッツではそんな配慮はしなかった、だけのことです。実際、現存している害虫駆除室がそうなのですから。
チクロンBがいくらするかなんて知りませんけれど、害虫駆除をやってたわけですし、否定派によれば「あれは害虫駆除目的のものだ!」とするチクロンBはアウシュビッツには常時ストックされていたので、それを一部流用しただけのことです。
司法処置として厳正に行われなければならない米国の死刑用ガス室と、厳正に行う必要などなかったアウシュヴィッツのガス室を比べるのはナンセンスなのです。ただし、全く安全に配慮しなかったわけではなく、ガスマスクもありましたし、前述したようにガス検知器の導入検討までしていたのです。ところがそうした話をすると途端に否定しようとするのが否定派なのです。
「「絶滅収容所」がソ連支配下のポーランドにあったことの意味」について
要するに西岡らは、ポーランドにあったとされるのだから、絶滅収容所はソ連の捏造に違いない!と主張しているのです。しかも、西岡は卑怯にも「疑問を呈しているだけだ」と最初に断っており、自らはその捏造の証明をしないという態度をとっています。呆れませんか?
確かに言論の自由はあり、どんなトンデモ説でも表明するのは自由です。しかし自由には責任が伴う筈です。だから、例えば2024年1月現在ですけど、SNSでの誹謗中傷に対し速やかな対応を可能とする法制化が進められているようです。言論の自由とはなんでも言いたい放題言えるというものでは決してないのではないか、と思います。
西岡らは自分たちがいかにいい加減なことを言っているかについて、責任を感じないのでしょうか? 私に出来るのはこうして批判するだけですけれど、本当に憤りを感じているからこうして批判しているのです。
さて、絶滅収容所がポーランドにあった理由については、一般的にはこう説明されます。ラインハルト作戦の絶滅収容所は、ほとんど人気(ひとけ)のないところに作られています。アウシュヴィッツはそれほどでもないとは言え、辺鄙な場所ではありました。そうした場所でユダヤ人の大量殺戮を行っても、目立たなかったから、です。
さらに、ラインハルト作戦の収容所は、主に対象としたのがポーランドのユダヤ人でした。特にトレブリンカ絶滅収容所は最大のゲットーであるワルシャワゲットーのユダヤ人の大部分を絶滅させた収容所です。従って、ワルシャワゲットーにほど近い場所にトレブリンカ絶滅収容所があるのは合理的であるとさえ言えます。また、最初の絶滅収容所であるヘウムノ収容所は、ヴァルテガウのユダヤ人絶滅を目的としていたので、当然ヴァルテガウのウッチゲットーに近い場所にあったのです。これもまた当たり前に過ぎない話でしかありません。
アウシュヴィッツの場合は、I.G.ファーベンの工場が作られたように、鉄道交通の要所となっており、欧州各地からユダヤ人を移送するのに便利でもあったのです。元々、ポーランドの総督府(ルブリン)にユダヤ人居住区を設定しようと言い出したのはヒトラーだとされています(ニスコ計画)。このことからも、絶滅収容所がポーランドにあったことは必然であったとも言えるのです。
なぜ西岡らはこのようにごくごく普通に、合理的に考えようとしないのでしょうか?
戦後、ポーランドが民主化される以前までは、確かにポーランド政権はアウシュヴィッツの犠牲者数を400万人とすることに固執していたようです。私自身はそれが政治的な判断だったと言われていた程度にしか知りません。共産圏の頭目であったソ連が発表した数字だからという理由で配慮していたのかもしれませんし、ドイツへの戦後の補償要求に関係していたのかもしれません。アウシュヴィッツ博物館のピーパーの研究成果の発表は、確かに民主化を待たねばなりませんでした。
しかし、それとガス室や絶滅収容所の捏造と、何の関係があるのでしょうか? ソ連の400万人説は確かに杜撰なものでしかありませんでした。しかし、例えば1961年にはすでにヒルバーグは独自にアウシュヴィッツのユダヤ人犠牲者数の推計値を100万人としていたのです。あるいはそれよりも前にジェラルド・ライトリンガーは75万人(80〜90万人だったという話もありますが、正確な値は未確認)としていたそうです。ライトリンガーは反ユダヤ主義を意識して可能な限り少なく見積もったそうです。あるいは、ルドルフ・ヘスは1946年のニュルンベルク裁判所での勾留中に、最大で150万人と見積もっていました。これらのことから言えるのは、単に400万人説がせいぜい出鱈目な数字でしかなかった、というだけであって、よりアウシュヴィッツの犠牲者数に関するある程度正確な値はピーパーよりずっと前から存在していた、ということです。
西岡の論理が一体どうなっているのかさっぱり理解できません。
「アウシュヴィッツの第一発見者は「カチンの森」の犯人のソ連」について
なるほど、あいつの言ってたことはこんなところにオリジナルがあったのか、と今更ながらに知りました。あいつ、とはX(旧Twitter)上のあるホロコースト否定派ですけどね。
ソ連がカチンの森事件で嘘ついてたから、アウシュヴィッツやその他の絶滅収容所などもソ連の捏造だ!と主張しているのです。
カチンの森事件の詳細については、日本語Wikipedia(2024年1月現在)で良いんじゃないかと思います。
しかし、日本だって大概嘘ついてたことは、「大本営発表」というよく使われる言葉でわかる通りです。西岡は、アメリカが嘘ついてたことを「油まみれの水鳥」で述べています。嘘つかなかった国があるのかどうか知りませんけれど、嘘ついたから信用できない、のでは誰一人信用できなくなると思います。嘘つかない人なんていないと思いますし。西岡本発表の後、湾岸戦争時よりももっと酷い嘘がイラク戦争で発覚したことはよく知られています。大量破壊兵器などなかったわけです。
しかし、この馬鹿馬鹿しい論理をもう少し掘り下げて考えてみると、カチンの森事件については嘘をつく理由が明確であったことがわかります。単純に、カチンの森事件はソ連自らが犯した犯罪だからです。もし仮に、ソ連がホロコーストの真犯人だったとしたら、ソ連は自分たちはやってないと、同様に嘘をついたでしょう。ところが、西岡説では、ホロコースト(ガス室・絶滅収容所)はなかったのです。犯罪の事実がないのに何故捏造までしてドイツを大犯罪者に仕立て上げる必要があるのでしょう? 理由を想定できないわけではありませんが、かなり無理筋の理屈にしかなりません。ソ連はユダヤ人と結託しており、ユダヤ人のイスラエル建国に協力するつもりで云々、など。
陰謀論者に言わせれば、「お前は想像力が足りない」と言われそうですけれど、如何なる想像でもそりゃ可能でしょうが、それらの単なる疑いによる想像説に何の大した根拠もないことは明らかです。そもそも正規の大犯罪を捏造しようとして、ヒトラーの命令書の一つも捏造してないし、捏造疑惑がかけられているのは粗末なガス室もどきばかりだし、あるいはガス室殺人のことすら一切書いていないガス検知器のトプフ社の手紙なんつー、かなり複雑な書式の手紙をわざわざ極めて精度高く捏造するという意味不明さに至っては理解困難です。フランケ・グリクシュの再定住報告書はソ連じゃなく、アメリカが捏造疑惑の対象だし、ダッハウのガス室もだし、ヘスはイギリス軍の嘘の自白を強要、そして何千人だか何万人だかの証言者は全員嘘つき……と、その捏造論理の実態はめちゃくちゃです。
こんな馬鹿馬鹿しい否定論を信じる人がいるのですから、人間ってある意味すごいなーと感心する次第です(笑)
「「証言」だけで「ガス室」は証明されるか?」について
プレサック本すら読まない人のこんな出鱈目など批判の価値すらありません。それが嘘であることは以下で明らかです。
ではまた次回。今回は36,000字を超える長さとなってしまいました。お疲れ様でした。まだあと少し続きますが。
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