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アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論、その5:建設文書、E:ガス探知機

上の写真は、プレサックの『技術』p046にある写真の一部で、アウシュヴィッツ収容所をソ連が解放した後に撮影されているものです。プレサックはこのソ連の当局者が手に持つ木の箱のようなものをその写真のキャプションでは「青酸特有のガス検知器」と書いていますが、今回のテーマとする装置ではなく、試薬等を用いて青酸成分を調べるための検査キットだそうです(『技術』のp.41には「青酸ガスの有無を確認するための化学試薬が入った箱」と書かれている)。

今回の記事で扱われている「ガス検知器」の二つの文書は、クレマトリウムⅡで青酸ガスが使われていたであろうことを強く示唆しており、文書で示される時期が時期だけに、さらにそれを確実に近いものにしています。これを「Vergasungskeller」文書と合わせれば、ほとんど確実にガス室の存在を示していることになるでしょう。クレマトリウムⅡで青酸ガスを使っていたとするならば、それは殺人ガス室以外にはあり得ません。修正主義者は「図面には死体安置室としか書いていない!」と主張して、それ以外の目的に使ったことはあり得ないとしていますし、青酸ガスのもう一つの用途である害虫駆除(室)はクレマトリウムには存在していません。

アウシュビッツの親衛隊は、文書・図面の形では一切、「殺人ガス室」の表記を残しませんでしたが、「脱衣室」を含めたこれらの文書は、間接的ではあるとしても、非常に強力にそこが殺人ガス室であったことを裏付けていると言えるでしょう。ですから、修正主義者たちはそれらの文書に書かれた「言葉」が指し示す内容は、殺人ガス室の存在を示唆しないものであることをどうにかして示す必要に迫られたのです。

さて、今回の話は以前に私がたまたま見つけた記事を翻訳する形で記事にしています。以下の記事は、『20世紀のデマ』の著者である修正主義者のアーサー・R・バッツによるものですが、この文書の「ガス検知器」をマットーニョとは異なった解釈を示して、マットーニョを批判しています。

マットーニョとバッツのどちらも結局は誤りなのですが、解釈が割れているとは言っても、どうにかして「ガス検知器」がクレマトリウム2で青酸ガスを使用したガス室があったことを意味しないものだと解釈しようとしかしていない点で同じです。ではそのマットーニョの解釈を見ていきましょう。

▼翻訳開始▼

アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論、その5:建設文書、E:ガス探知機 

アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論
第1部:屋内火葬
第2部:火葬場でのガス導入について
第3部:目撃者補足
第4部:ゾンダーコマンドの手書き文字
第5部:建設関係の書類
A:はじめに
B:換気・エレベータ
C:脱衣室
D:外開きドア&死体シュートの撤去
E: ガス探知機
F:特別処理の同時火葬
G:ガス室

残留シアン化水素ガス検出器・表示装置

中央建設事務所に保管されていた二つの文書が、アウシュヴィッツの火葬場(正式には火葬場2のみ)に関連して、「ガス検知器」に言及している。一つ目は、1943年2月26日付のアウシュビッツ中央建設事務所からトプフへの電報である。

直ちにガス検知器10個を合意通りに送ること、価格の見積もりは後日。

(プレサック、『技術』、p433日本語訳))

第二は、1943年3月2日付のトプフからアウシュヴィッツ中央建設事務所へのガス検知器の性質を説明する書簡である。

Re: 火葬場、ガス検知器

「直ちにガス検知器10個を合意通りに送ること、価格の見積もりは後日」と指定された電報を受け取ったことを確認します。

2週間前に、貴社が求めている青酸(シアン化水素)残留物の表示装置について、5社に問い合わせたことをここにお知らせします。その結果、3社から否定的な回答があり、2社からは未回答でした。この件に関して情報を得た場合、直ちにお客様に連絡し、これらの機器を製造している会社を紹介します。

(プレサック『アウシュビッツの火葬場』資料28、翻訳はヴァンペルト日本語訳)による)

この手紙の筆者であるトプフの技術者クルト・プリュファーは、1948年3月4日のソ連の尋問で、その信憑性を確認した。

ここに示されているアウシュヴィッツ強制収容所のSS建設管理部に宛てた1943年3月2日の私の手紙のコピーに記載されているガステスターは、同収容所の責任者フォン・ビショフの要請により、収容所の火葬場のガス室に設置するために、私が探したものです。フォン・ビショフが私にそれぞれの要請を持ちかけてきたとき、彼は、ガス室で被収容者を毒殺した後、換気してもなおガス室内にシアン化水素の蒸気が残っているケースがしばしばあり、このガス室で働く作業員の中毒につながると説明しました。そこで、ビショフ氏は私に、ガス室内のシアン化水素蒸気の濃度を測定して、作業員の作業を危険にさらすことのないようにするためのガステスターを製造している会社を調べてほしいと依頼したのです。私はフォン・ビショフの要求に応えられませんでした。というのも、このようなガステスターを製造している会社が見当たらなかったからです。

(マットーニョ、ATCFS、p.113)

さらに、手紙の形式は、匿名の著者(マットーニョはジャン・クロード・プレサックと同定)が指摘したように、完全に正しいものである。

修正主義者たちは、この文書を偽造だと主張して退けている。偽造者は、アウシュヴィッツのSS中央建設事務所長カール・ビショフ、同僚のSS軍曹ハンス・キルシュネック、技術事項を担当していた民間人ルドルフ・イェーリング、トプフ社D部門の責任者フリッツ・ザンダー、トプフ社D IV部門(火葬場建設)の責任者クルト・プリュファーの名前とサインを知っていただけに、傑出した歴史家だったのであろう。偽造者は、1943年3月に使われていたトプフ社のレターヘッドの紙、トプフのゴム印、アウシュヴィッツ中央建設事務所のゴム印と日付印、それに加えて、手紙に正確な受領番号をつけるための完全な通信簿を入手することができたのである。彼はトプフ社の管理習慣にも詳しく、誰が委任状を持っていて(サンデル)、誰が持っていないか(プリュファー)を知っていた。

(マットーニョ、『アウシュビッツの「ガステスター」』)

これに対し、マットーニョの意見(1998年にドイツ語で発表)では、トプフの手紙は「素人の偽造者が作ったもの」で、ガステスターのケーブルは実際には「スモークガス分析器」のことを指しているとのことである。彼はこの手紙を偽造とみなした理由は、

a) ガス検知器(Gasprüfer)は、当時使用されていたシアン化水素の残留を検知する装置を表す技術的に誤った用語である。

b) これらの装置は、収容所の駐屯医師から要請されたはずである。

どちらの主張も弱い。素人が技術的に間違ったことを記述することもあるし、通常の官僚的な経路に沿わない経路でデバイスを要求することもある。いずれも、この手紙を偽造・変造と断じるには無理がある。

さらに、マットーニョは、なぜこの文書が偽造されたとされるのかという肝心な問題には触れていない。面白半分に? そうとは言い切れない。プレサック(?)が指摘したように、贋作者は文書とその数々の特徴を注意深く捏造することに多大な努力を払っているはずである。何のために? 殺人ガス室を証明するためか? しかし、この手紙には、殺人ガスや残虐行為はおろか、ガス室についても触れられていない。プリュファーを有罪にするため? しかし、この手紙には、プリュファーはガス検知器を手に入れることができなかったと書かれている。ソ連に拘束されていたトプフの最高幹部であるグスタフ・ブラウンのことも書かれていない。ソ連は、アウシュビッツで数百万人がガス処刑されたとでっち上げ、プリュファーがガス検知器を探したが手に入らなかったという文書を偽造したことになっているのである。マジで言っているのか? 動機がないのは、贋作説のノックアウトだ。

ATCFS(2010)では、マットーニョはこの文書を(ソ連の)偽書とは明言せず、より曖昧な表現にしている。

これらの理由から、1943年3月2日のトプフの書簡は、少なくとも疑わしい。形式的には本物のように見えるが、その内容はまったく納得のいかないものである。

(マットーニョ『ATCFS』114ページ; スペルミスは以前バッツが指摘していたが、マットーニョが誤解していた。「最終的に私の言葉に無意味な'[sic]'を加えることで、バッツは私が書いたものを理解するのに重大な問題があることを確認している。私が上に要約した『これらの理由から』は、111-112ページに印刷されているからだ」)

これはどういうことなのだろうか。修正主義者アーサー・バッツも知らなかった。

どういうことなのか? 私は知らない。

(バッツ『ホロコースト修正主義の二つの最先端』;バッツのガスプルーファーに関する論文には、マットーニョに対する正当な批判もあるが、ガス検知器がガス室用ではなく、「燃焼生成物としてのHCN」用であるという彼自身の説明日本語訳)には疑問以上のものがあることに注意)

もしかしたら、マットーニョがもう一度説明してくれるかも?

内容については、実際、当該文書には何の価値もなく、空飛ぶ攻撃用ロバに言及した軍事文書と同じである。

(マットーニョ、「アーサー・バッツと『アウシュビッツ:その健全な真相』:十分に冷静なレビュー」)

ああ、これはもう上のATCFSで理解したんだけど、手紙の内容は「まったくもって納得がいかない」はずなんだ。しかし、それは何を意味するのだろうか? あるソースの内容は、単にまったく通用しないのではなく、何らかの理由があってそうなっているのだ。軍事文書にある「空飛ぶ攻撃ロバ」は、暗号、冗談、麻薬中毒者の創作であるかもしれない。

しかし、なぜプリュファーは、「シアン化水素残留物の表示装置」について書いた手紙を、実際には「煙ガス分析器」を意味していたのに、全く納得のいかない内容の手紙をアウシュビッツ中央建設事務所に送ったのだろうか? 暗号でも冗談でもなさそうだ(文書にはトプフの別のエンジニア、サンダーが署名しており、もしかしたら同じマリファナを吸っていたのかもしれない?)。プリュファーがアウシュビッツのSSに、まったく手に負えないとされる内容の手紙を書いたとするのは、ほとんど意味がない。また、贋作説もこれ以上ないほど意味をなさない。しかし、そうなると、残された可能性の高い結論は一つしかない。この文書に対するマットーニョの理解は、ここでの最も弱い要素であり、誤りである。

だから、「混乱したまま」にしておくというのは、事実ではない。混乱を招くのは文書である。

マットーニョ、「アーサー・バッツと『アウシュビッツ:その健全な真相』:十分に冷静なレビュー」)

いや、混乱を招いているのは、マットーニョの文書と文脈の解釈である。そして、その混乱を解消するためには、彼は自分の解釈を修正する必要があるのだ。

実は、マットーニョ自身が、この2つの文書の文脈と意味について、最も可能性が高いと思われるヒントを与えている。

第二に、プリュファーは、ガス室のガスプリュファーの「Ausrüstung」(ロシア語で「oborudovanie」177)について、まるで、機械的なモニターをどこかに恒常的に設置できたかのように語っていることである。

(ATCFS, p. 114)

しかし、これこそ建設事務所が望んでいたことかもしれない。火葬場のガス室にガス検知器を常設して、ガス濃度を監視することである。火葬場2-5の殺人ガス室が6-8室であるのに対して、検出器が10個もあることは、いくつかのガス室が複数回使用されたか、ブンカーでの絶滅現場あるいは害虫駆除施設が含まれていたことを示唆しているかもしれない。

そして、まさに、そのような高度な装置が収容所駐屯医師(彼はチクロンB供給者から化学指標だけを受け取っていた)から入手できなかったので、建設事務所がトプフに頼んで、官僚的にならずに迅速に入手したのかもしれない(あるいは、プリュファーの証言とは逆に、中央建設事務所が同意したトプフのイニシアチブであったのかもしれない)。シアン化水素用のガス検知器なら簡単に手に入るはずだと、建設事務所からトプフに依頼があったのは、この問題を話し合ってから数日から数週間後だった。

しかも、シアン化水素用のガス検知器は、まだ開発・販売されていないのか、トプフがアプローチした企業からは、否定的な返事しか返ってこなかった。

結論

火葬場2の「シアン化水素残留物の表示装置」に関するトプフの手紙は、合理的な疑いを超えて本物である。形式的に正しく、火葬場にシアン化水素ガス室を設置するという文脈に合致し、その真偽は筆者によって確認され、偽造の十分な動機が存在しない。もしこの書簡がマットーニョの考えや仮定と矛盾する部分があるとすれば、それはこの書簡が偽造であるとか、プリュファーが単に「全く納得できない」内容で書いたというよりも、彼自身の文書とその文脈に対する理解に欠陥があるためだと思われる。

▲翻訳終了▲

1943年2月26日付でアウシュビッツ中央建設事務所からトプフへ電報を送った事実は、「Vergasungskeller」文書が同年1月29日付けになっていて、クレマトリウムⅡが3月中旬から絶滅センターとして稼働し始めることを併せて考えると、中央建設部はこの時期に慌ただしくその稼働を急いでいたと解釈することもできます。「電報」であることが重要な意味を持つように思われるからです。しかしマットーニョもバッツも、修正主義者はガス検知器要請文が電報であることを全く考慮している様子はありません。

要は、完全地上型施設のクレマトリウムⅣとⅤやブンカーとは異なって、クレマトリウムⅡやⅢは半地下型のガス室を持つことがキーポイントになっているように思われます。このクレマトリウムでは金網投下装置を用いて、ガスを放出し続けるチクロンBを、犠牲者の全員死亡を確認後に天井から引き抜いて、遺体搬送作業の妨げにならないようにしていたことからもわかります。完全地上型のガス室の場合は、基幹収容所のクレマトリウム1やブンカーでの実施実績で十分な換気ができることは判明していたが、半地下型の場合、換気は換気システムで行う以外にはないため、遺体搬送作業員を殺さないように注意を払う必要があったのではないかと思われるのです。

たとえそれが、ナチスドイツにとってほとんど価値のないユダヤ人のゾンダーコマンドだったにせよ、ほぼ毎日連続して何百人〜何千人ものユダヤ人の絶滅処理を行うのですから、その計画の進捗に遅滞があってはならず、そのためには無駄にユダヤ人ゾンダーコマンドに死なれても困ると考えたのでしょう。それで、アウシュヴィッツの建設部は、ガス検知器の使用を思いついたのではないかと考えられます。彼らは、計画実施が遅延していたので、焦っていたのです。

もちろん、以上は私の推理に過ぎませんが、マットーニョの煙道ガス検知器説や、バッツの燃焼生成物としてのシアンガス検知器説は、歴史的文脈としての意味を成立させません。それらの説はただ只管、「火葬場にガス室はなかった」との前提での解釈に過ぎません。

では次へ。


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