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アウシュヴィッツの様々な議論(32):ガス検知器に関するカルロ・マットーニョとアーサー・R・バッツの奇妙な言い争い。

この記事は、ずっと前に、まだほとんど何も知らなかった時期に翻訳したものですが、改めて読み直してみて、あれから私も随分と理解が深まりましたので、その時はあまり理解できなかったのに、今では8割くらいは理解できるようになりました。

その当時は、よくわからないままに適当な用語でググって見つかった記事をただ単に翻訳していただけなのです。確か、対抗言論の山崎カヲル氏による記事の中の元記事をネットにないかと探してたんじゃないかな? それで、今回新たに全面的に翻訳し直してみて、なるほどなるほど、と。

多分ですけど、山崎カヲル氏より数段理解が深まりました。なんだ、この2人、どっちも単なるトンデモじゃねーか、って具合です。

対象になる当時の資料についての議論はこちらにもあります。

そもそも論として、プリュファーがばっちり自白してるという……。

先に簡単に説明だけしておきます。

1943年3月のアウシュヴィッツ・ビルケナウのクレマトリウムⅡの完成が迫っていました。2月中旬、アウシュヴィッツの中央建設局と火葬炉関係の設備メーカーであったトプフ社の間で打ち合わせが行われました。その時、建設局の方からトプフ社に対し「ガス検知器を用意して欲しい」と要請されます。そして再び、2月26日、建設局はその要請をトプフに急かすためかトプフに「ガス検知器(Gasprüfer)をすぐ10台送れ」と電報を送るのです。そして、4日後の3月2日にトプフから建設局に手紙が送られてきて、そこには「シアン化水素残留物の表示装置[Anzeigegeräte für Blausäure-Reste]についてお知らせします」との趣旨の内容が書いてありました。否定派以外の人が常識的に考える限り、このガス検知器の文書に見るやりとりはガス室の青酸ガスに関連したものである、と即座に且つ素直に理解されるでしょう。この電報と手紙が当時の文書資料として、どうやらソ連の裁判で証拠採用されていたらしいのです(これ以上詳しいことは知りません)。そして、これら資料に関し、トプフのプリュファーはその尋問で、アウシュヴィッツのガス室のものであると、ばっちり自白しているわけです。

これだけばっちり立証されていると言うのに、マットーニョとバッツという割と著名な否定論者同士が、どーーーーーーでもいい話で論争してるのです(笑)。ネットの否定派によると、「これらの議論が否定派の間では健全に行われており、否定派はただ否定をしているわけではないことがわかる。正史派は否定派同士の議論のようには、ホロコーストをまるで検証してはいない」んだってさ。私の目には、バカ同士が単に妙なプライド意識だけで言い争っているようにしか見えないんですけどね。

非常に頭を抱え、かつ、下らないのですが、2人の論者の理屈を一度で理解できる貴重かもしれない、その上実にコンパクトな論文なので、これは結構お得かもしれないと思い、再度翻訳しまして、更新しました。

▼翻訳開始▼

ガス検知器に関するカルロ・マットーニョ氏と編集者への返信
アーサー・R・バッツ

アウシュヴィッツの火葬場のガス検知器に関するカルロ・マットーニョの記事(TR, pp.140-155, 2004年5月)と、それらの記事に対する編集者のプロローグに返答したいと思う。1998年、マットーニョと私はこの問題を『ジャーナル・オブ・ヒストリカル・レヴュー』誌で流したかったのだが、編集者はこのやりとりを掲載することを拒否した。今回、このような機会を与えていただいたことに感謝する。読者は、前述の論文だけでなく、私のオリジナルの論文1と、それに対するマットーニョの反論2を含めて、この問題を研究しているものと仮定する2

問題点

火葬場IIの建設に関する通信では、中央建設局が1943年2月26日、炉と火葬場のオーブンメーカーであるトプフ社に次のような電報を打っている。

打ち合わせ通り、10台のガステスター[Gasprüfer]をすぐに送れ。後で見積もりを提出して欲しい。

トプフの回答は3月2日に送られてきており、その内容は以下の通りである3

エアフルト、1943年3月2日
件名:火葬場[II]、ガステスター

私たちは、あなたの電報の受領を確認しました。「打ち合わせ通り、10台のガステスターをすぐに送れ。見積もりは後で提出して欲しい」という内容の電報を確認しました。

2週間前に5社に依頼したシアン化水素残留物の表示装置[Anzeigegeräte für Blausäure-Reste]についてお知らせします。その結果、3社からは否定的な回答があり、他の2社からはまだ回答がありません。

この件で通知を受けた場合、すぐにあなたの元へ、このデバイスを製造している会社と連絡を取れるようにします。

マットーニョの本論文とそのプロローグには、「Anzeigegeräte」の訳語として、「表示装置(display devices)」(140、150頁)、「指示器(indicators)」(141頁)、「ゲージ(gauges)」(148頁、図Ⅲ.6のキャプション)の3つがある。

私はここで最初のものを使用したが、元の論文では「検出装置(detection devices)」を使用した。なお、「表示装置(display devices)」や「ゲージ(gauges)」は継続的な測定を意味し、「インジケータ(indicators)」や「検出装置detection devices」はある重要な閾値でのみ作動することを意味するため、実質的な違いがある。

この手紙の特徴として、HCN(シアン化水素)への言及と同じくらい重要なことを特に記しておきたい:欲しいデバイスのサプライヤーが見つからないことを表現している。マットーニョはこれを「トプフがそれらがどこにあるのか探すのに苦労した」と表現している4。しかし、マットーニョ氏は、自分の理論を構築する際にも、私の理論を批判する際にも、この文書の特徴を事実上無視している。彼の批評の第二の欠点は、私が苦労して明確に提示した点を、彼が不可解にも無視したことである。

マットーニョの提案する解決方法とその問題点

マットーニョの文体は、豊富な資料を手に入れたためか、諄々としており、彼の主旨を見極めるためには、長い時間をかけて注意深く読まなければならない。それは、炉のメーカーであるトプフ社が、中央建設局から農薬「チクロン」使用時に発生する残留HCNの検出器または試験器の提供を依頼されたと考えると、この文書は意味をなさないということである。それは、アウシュビッツの間違った部署が間違った情報源にアクセスしているということだ。あまりにもありえない話なので、マットーニョ氏は、この文書は、原本の文書を取り出して、別の言葉に置き換えて作った偽物だと考えている。 そこで彼は、「Blausäure-Reste」(シアン化水素残留物)の代わりに「Rauchgasanalyse」(煙道ガス分析)を使うことで、この文書に意味を持たせたのである5。彼の根拠は、トプフにとって煙道ガスへの関心は日常的なものであり、したがって、COやその他の身近なガスのための、彼が言うところの「シンプルな煙道ガス分析器」が問題になっていたに違いないというものである。

マットーニョの分析はチクロンに関しては見事なものだが、本論文ではチクロン以外のHCNの供給源の可能性についてはどこにも書かれていない。もちろん、彼の解釈で文書を信じることはできない。しかし、トプフが日常的な必要性を満たそうとしているように文書を変えてしまうと、文書には反対のことが書かれているので、状況を悪化させてしまう。求められていたものは、トプフにとって日常的なものではなかったという。文書には異常と書かれているのに、異常な必要性への言及を日常的な必要性への言及に置き換えなければならないと主張するのは、非常に非論理的である。チクロンで発生したHCNの検出器を依頼されたというのは確かに信憑性に欠けるが、マットーニョが信じさせようとしているように、一酸化炭素(CO)やその他の一般的な燃焼生成物を検出する「シンプルな煙道ガス分析器」の注文に応じることはできないし、その供給源を見つけることもできないと言ったのはもっと信じられないことである。トプフはそんなものを探すのに苦労はしなかっただろう。付け加えれば、マットーニョが提示したすべての考慮事項にもかかわらず、トプフ社がチクロンの製品であるHCNの検出器を供給するように依頼されていたとしても、トプフ社は、その問題が専門外であったにもかかわらず、どこでどのようにしてそれを手に入れるかを考えることができたであろうと思われる。

マットーニョは、彼が提案する置き換えを行えば、「これまでに議論されたすべての問題が瞬時に消滅する!」と主張している6。問題が消えたのは、彼が新しい、解決できない問題に置き換えたからである。彼は赤ちゃんをお風呂の水と一緒に捨ててしまったのだ(He has thrown the baby out with the bathwater!)。

註:throw the baby out with the bath water:大事なものを無用なものといっしょに捨てる、の意。

マットーニョの代役を立てると、この文書は意味をなさなくなる。偽造説が成立するためには、受信した文書全体を捨てなければならない。私にはその根拠が見当たらないし、マットーニョ氏もそのような根拠を見つけていない。

翻訳者からの解説:マットーニョの元記事がないのでバッツの文章からの推測ですが、マットーニョが何を言っていたかというと、最初の中央建設局からトプフへの電報の要請(ガス検知器)は、「シアン化」ガス検知器ではなく、(シアンガス以外でなんらかの成分を検知するための)煙道ガス検知器だ、と。何故なら、電報を送った先のトプフは火葬炉メーカーなので、どうしてシアン化ガス検出器をトプフに要請するんだ? となるからです。で、トプフの手紙にはシアンとはっきり書いてあるから、マットーニョはその手紙を偽造断定するわけです。

しかし、トプフの手紙には「2週間前に5社に依頼した」とあり、建設局の電報では「打ち合わせ通り」とあります。2週間前とは、先々週くらいの意味かもしれないとは思うものの、2月16日のことです。でも中央建設局の電報は「2月26日」でありどう考えても「1週間前」です。つまり、既に打ち合わせて決まっていることであり、手紙記載の日付などの辻褄に何も不自然はありません。このトプフの手紙には「クレマ2」と書いてあり、クレマは建屋の建設以外の設計はトプフ社であり、管轄は違うかもだけど関係先の会社に注文しただけ、と考えて何もおかしくはありません。トプフも他社に尋ねて探してもらってると、ちゃんと書いてあります。発注元は建設局ですから、チクロンメーカーのディケシュや販売元のTESTA社とはあまり関連がなく、打ち合わせでトプフのプリュファーにでも「シアン化ガス検知器を君んとこで探せない? チクロンとか管轄が違うから面倒でさ」などと聞いたら「ええ、いいですよ、関係会社で知ってるとこありますし、聞いてみます」となっただけと想像するのはそんなに難しいことではありません。トプフにすりゃ端金でも利益は載せられるわけですし、関係会社に頼んででも探せるなら断る必要もありません。見つからなかったら見つからなかったで、トプフに頼む親衛隊が悪いのです。こんなの今でも、どっこでもある話です。

どうして中央建設局がガス検知器を欲しがったのかについては、冒頭に示した別リンク記事にあるプリュファーの証言にありますのでそれを読めばわかります。ともかく「ガス室はあった」とさえ考えれば、特に何も不思議はないやりとりに過ぎません。

しかし、マットーニョらはそうすることは絶対に何が何でも出来ないので無理矢理に屁理屈を捻り出してるだけなのです。そして、トプフからの手紙は偽造だ、とするのです。でも、トプフからの手紙って以下で示すようなものですよ? 

これ何人ものサインやトプフで使ってたスタンプとか入ってますけど、偽造出来ますか? なんでそんな手の込んだことしなきゃならないの? ガス室はもはや十分すぎる程に証明されてしまっているのに、何故わざわざ? 意味不明です。いっつも思うけど、こんな些細な文書(しかも形式は実に複雑)を偽造するなら、ヒトラーの命令書偽造すりゃいいじゃん。ヒトラーもヒムラーも死んでるし、ヒムラー宛てにしといたらバレないわけで。ここまで高度な偽造ができるのなら、ヒトラーの命令書偽造なんか楽勝でしょ。ほんとに否定派って言ってること無茶苦茶で意味不明なのです。何が「全て消滅する」なんだろ?……。そこは確かにバッツの言う通り、「He has thrown the baby out with the bathwater!」かもしれないw

あと、この解説文で先に言っておきますが、バッツの妄想に付き合う必要はありません。バッツはただ、マットーニョに適当にあしらわれたことに怒ってるだけです(笑)

代替案について

私の仮説は、中央建設局がトプフ社に、燃焼生成物としてのHCNの検出器の供給を依頼したというものである。この危険性は、1943年にはまだ10年ほどしか知られていなかった。最後の点では、もっと日付や資料を提示することができた。すでに引用した1977年のY.土屋氏の論文には、少なくとも米国における歴史的背景が記されている7。J.C.オルセンは、X線フィルムの燃焼ガスによるクリーブランド・クリニックの火災で大きな犠牲者を出した後、ニトロセルロースフィルム、羊毛、絹の焼却によって発生するHCNの量を実験室で調査し、1930年と1933年に発表した論文で報告している。この点について、「ナイロンとウールは燃やすとHCNを放出する、この事実は30年代から知られていた」と[以前の私の論文で]書いたのは誤りである。私は「シルクとウール」と書くべきであった。ナイロンが文献に引用されたのは1962年のことらしい。

図1. アウシュヴィッツ火葬場IIのための管路とダクトの配置。

チクロンに使われたHCN検出器は、継続的な燃焼の産物であるHCNの検出には役に立たなかった。なぜなら、マットーニョが説明したように、それらは特定の時期に使用するように設計された化学キットだったからである。つまり、チクロンによる消毒の直後に使用されたのである。火葬場/廃棄物焼却炉の設置において、燃焼生成物としての残留HCNが懸念されるのであれば、ある種の連続的なモニタリングが望まれただろう。マットーニョは、トプフ社の手紙が文脈上、そのような継続的なモニタリングのための装置を示唆していることに同意している。

トプフが検出器の供給源を見つけられなかったことは、先に書いたいくつかのことを解釈する上で考慮に入れなければならない。私のスタイルは簡潔で、それが誤解を招いているのかもしれない。例えば、マットーニョは、「(HCNを)検知して音で知らせる装置があればいいのではないか」という私の提案を、「そんな装置は存在しない」と揶揄した。しかし、それはそれらが見つからなかった理由を完全に説明するだろう! 存在するとは言っていない。1943年当時、燃焼生成物としてのHCNに対する懸念は比較的新しいものであり、実際のエンジニアは、HCNに対処するための方法や利用可能なものについて、多少の不安を感じていたのではないかと推測している。

私がこの論争で強調したもう1つのポイントは、第2火葬場の煙突のデザインの妙である。私はこのことを、火葬場の煙道やダクトの設計図を再現することで、最初の記事で明確に説明しようとした。 このことを明確にするために、この図面をもう一度、図18として再現する。図面の右側には、廃棄物焼却炉(設備の最上部に見える「ミュルバーブレンングホーフェン」)と火葬炉の1つを結ぶダクトがはっきりと見えている。煙突はゴミ焼却炉と5つの火葬炉の間にあり、ゴミ焼却炉と5つの火葬炉のうち一番右の火葬炉の排煙を煙突に導く共通ダクトがある。ごみ焼却炉のデザインが「斬新」と言ったのは、煙突の煙の部分についてである; 燃焼室が斬新という意味ではない。

マットーニョはこの重要な点を無視して、私の提案を実現するためには、ゴミ焼却炉の排ガスが16mの高さで煙突から出て、それがどうにかして火葬場に戻らなければならないと主張した。それは不可能である。私は、煙突の煙道が奇妙な設計になっているために、廃棄物焼却炉から直接HCNが火葬場のオーブンや炉室に到達する危険性が高まっていると主張した、いや、少なくとも明確に示唆した。

科学と工学の実践。

マットーニョの批判のもう一つの特徴は、科学的発展の伝達と応用について、あまりにも単純化したモデルを想定していることだ。例えば、10年前に発表された論文で科学的調査により危険性が立証されていたとしても、燃焼生成物としてのHCNに対する懸念は1943年には新規性がなかったと主張している。また、難燃剤を含浸させたレーヨンを燃焼させたときの影響については、当該影響に関する最初の科学論文が1978年に発表されているため、1943年にドイツ人が知ることはできなかったと主張している。

実際には、実験室で確立された事実が実際のエンジニアの間で考慮されるまでには何年もかかることがあり、特に特殊な装置の設計や製造が必要な場合にはそのようなことがある。

一方で、ある種の事実は、それを記した正式な論文が発表されるずっと前に、実際の技術者たちが知ることができるかもしれない。科学論文の発表は、博士論文と密接に関係している。私は、すでに正式に発表されたものと比較して、価値のある論文を数多く検討してきたが、国家安全保障上の理由(軍事や諜報活動に応用される「機密」研究)や商業的所有権、あるいは発表よりも実践を重視するという理由で、発表されなかった研究に勝るものはないと思っていたので、証言することができる。

実際、ある分野で活躍していた技術者が、その時代に何を知っていたか、何を信じていたかを外部から見極めるのは非常に難しいことである。HCNが燃焼生成物であることを最初に認識したのも、土屋が引用した最初の資料は、1929年の工学雑誌に掲載された匿名の報告書であり、やや曖昧である。この最初の認識を誰に託すべきかは本人にもわからないし、1929年以前に誰かが知らなかったという証拠もない。ちなみに、土屋は戦前のドイツの資料を挙げていないが、何かあったのだろう。

結論

1943年は、ドイツの技術者が、燃焼生成物としてのHCNに関心を持ちながらも、どうしたらよいかよくわからなかったちょうどよい時期だったと思う。私の理論は、通信文の著者が何をすべきか確信が持てなかったというこの考えに依存しているが、私は自分の理論を補強するために不確実性を仮定したわけではない。それは問題の文書の中にあり、マットーニョが保持するであろう文書の部分にもある。

私が言いたいのは、中央建設事務所がHCN検出器を炉メーカーに依頼したのは、農薬ではなく燃焼生成物としてのHCNを懸念してのことだったのではないかということだ。私は、このような単純な文書の解釈が、このような抵抗を受けることに困惑している。

▲翻訳終了▲

バッツの述べた土屋氏って、誰なんでしょうね? と思ってちょっとググったら、これのようですね。別に読まなくてもいいと思いますが、バッツもよくこんな論文知ってましたね。なんで知ってたのか? あるいはどうやって見つけたのか? 謎ですが、ともかく、アウシュヴィッツの建設局がゴミ焼却炉で発生する可能性のある、ほとんど誰も知らないであろうシアン化ガスの発生を気にしていたなんて、一切根拠はありませんので、気にする必要はありません。

なお、元々のこの記事発見のきっかけになった山崎カヲル氏による記事を以下に転載しておきます。山崎氏は若干、マットーニョの言っていたことを誤解している(マットーニョは青酸ガスではないとして、邪魔になるから手紙を偽造にしたのです。マットーニョは自説に合わないと何でもかんでも偽造にする人です。尤も、そもそも西岡がちゃんとマットーニョ説を書いてない可能性大ですから、山崎氏が誤解しても無理はありません)ようですが、大同小異、問題はありません。どっちにしろ、トンデモなだけですw

付録:

https://web.archive.org/web/20070902072748/http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Points2/Gaspruefer.html より。


「ガス検知器」の問題

 西岡さんはいたるところで、重要な資料を自分ではまったく読まないで、資料についての否定派の勝手ででたらめな「解釈」を繰り返しています。この人に私が感じるたまらなさは、品位の低い扇情的文体を別にすると、論証手続きにおける途方もない不誠実さに起因しています。
 例えば、西岡さんはこういいます。
 「プレサックは、Gaspruefer(ガス探知器)という単語の出てくる業者宛ての手紙がアウシュウィッツに残されていることを挙げ、それをアウシュウィッツ=ビルケナウに処刑用『ガス室』があった証拠でもあるかのように引用しています。しかし、当時、販売されていた青酸ガス探知用のキットには別のドイツ語の単語が使われていたことが、見直し論者であるマットーニョによって指摘されています。それどころか、このGasprueferという単語は、燃焼工学の分野で、焼却炉の排気ガスに関して使われていた技術用語であったことまで指摘されています。つまり、このGasprueferという単語が出て来る業者宛ての手紙は、『毒ガス』の探知に使われたものではなく、焼却炉で使われた器具のことらしいということです。」(『真実』、pp.126-7.)
 ここで引用されているマットーニョの「研究」はオンライン化されていないので参照できませんでした。しかし、問題になった手紙は判っています。Gasprueferが登場する手紙は一通しか残っていないので。
 第一に、それは西岡さんがいうような「業者宛て」のものではありません。アウシュヴィッツの焼却炉等の建設を担当した業者であるTopf und Soehneの技師から、アウシュヴィッツ収容所の中央建設部(Zentralbauleitung)にあてた手紙なのです。現物を読まないから、こんな初歩的な間違いを犯すのです。
 第二に、手紙の本文[1]にはつぎのような一節があります。
「私たちはすでに2週間にわたって5つのあれこれの企業に、貴部が希望しておられる、青酸残留物に対する検知器具(Anzeigegeraete fuer Blausaeure-Reste)を問い合わせております。」
 Gasprueferとは、ここでいわれている「青酸残留物に対する検知器具」のことにほかなりません。マットーニョがどういおうとも、「焼却炉の排気ガス」から青酸が検出されるわけがありません。明らかに話題になっているのは、青酸ガスの検出器なのです(ただし、検出器がどこでどのように使われるのかについては、なにも語られていません)。
 要するに西岡さんは、当該の文書(非常に短いものです)の中味をまったく知らないまま、マットーニョがいったことを鵜呑みにして、その卑劣な嘘を日本語にしているだけです。
 こんな滑稽な間違いを山のように積み重ねている本が、「真実」ということばを題名につけているのですから、真実もずいぶん軽く見られたものです。
 [1] ここでは、Jean-Claude Pressac/Robert-Jan van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", in: Ysrael Gutman/Michael Berenbaum (eds.), Anatomy of the Auschwitz Death Camp, Indiana Univ. Press, Bloomington, 1994, p.231.にあるフォトコピーを利用した。

First Uploaded: 21/06/1999

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