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『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)

『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(4)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(6)

日本語で書かれたホロコースト否定論の著書は、私の知る限り、以下の四つがあります。

木村愛二氏の『ヒトラー・ホロコースト神話検証』だけはAmazonで取り扱いがないので、木村愛二氏自身のサイトのリンクになっています。西岡昌紀氏の本は上に示しているのは最初の1997年の日新報道版ですが、現在は沢口企画からの紙の本と、Amazonの電子版及びペーパーバック版を売ってる22世紀アート版があります。

私自身の昔話ですが、南京事件論争に首を突っ込んでいた時期、確か2〜3冊程度だったと思いますが、いわゆる否定論本を購入したことはあります。あくまでも論争のためではありましたが、その頃は否定論を実際に確かめるには本に直接当たる方法を取らざるを得ない部分があったため、止むを得ず購入したという面がありました。

しかし、私がホロコースト否定論に本格的に興味を持ち出した2020年頃になってくると、外国語の情報が大半ではありますが、ネット上でほとんどの内容を知ることができるので、上記のような日本の否定論本の中身は、ほぼ全て欧米の否定論なのが実態なので、西岡らの本は全くの不要なのです。はっきり言って日本の否定論者による否定論の具体論は欧米のコピー&劣化版でしかありません。従って日本人によるホロコースト否定論本を購入しようと思ったことは一度もありません。

ただ、一時期、Amazonの一部の電子本が読み放題になるAmazon Kindle Unlimitedを契約していたことがあり、すぐ解約しましたが、契約期間中に西岡の本だけは流し読み程度に読んでます。実は、木村愛二氏のものもそうですが、西岡本は以前からネットで読めるものがあります。

もう一つ西岡氏自身が公開している別のブログと、阿修羅掲示板に転載されているものを確認しています。西岡氏自身が転載を自由にしているので、もっとあるかもしれません。ただ、それらのネット公開版が不満なのは、出版ヴァージョンにある写真等の図版が載ってないことです。写真入れるくらい簡単だと思うのですが、私が西岡と直接やりとりした印象では、西岡にはその能力がどうやらないようです。不思議な人です。

さて、その西岡本にはすでに割と秀逸な反論があります。

『アウシュウィッツ「ガス室」の真理』の虚偽

今回から始めるシリーズは、私がやり始めたシリーズが頓挫してしまうケースが多いので終わりまで続くかどうかは保証はしませんが、一応、この山崎カヲル氏による反論を参考に、私自身で西岡本に反論するものです。反論というよりは、嘘・誤り・出鱈目などを暴露することが主たる目的です。記事作成の方針としては、全部通して読んでから反論するのではなく、逐次読みながら反論していくスタイルとします。要するに無計画でだらだら思いついたままに反論するということです。ではスタート。


「はじめに」に書かれた矛盾

西岡の言い分は、マルコポーロ事件のあった1995年以来一貫しており、

  • ユダヤ人は確かに迫害されたが、絶滅やガス室は大いに疑問である

というものです。彼は、

その「歴史」を結論として「否定」はしません。ただ、疑問を投げかけるに過ぎません。しかし、その疑問の数々に納得できる答えが得られない現状では、私個人がそれを信じることもできないことは、はっきり言っておかねばなりません。

と述べて、決して否定しているわけではないことを強調します。ところが、それほど長くないこの最初の「はじめに」の部分で、以下のように述べるのです。

ところが、驚くべきことに、これから述べるように、「ユダヤ人絶滅計画」も「ガス室」も、実は、それらが実在したことを示す客観的証拠は何もないのです。

証拠は何もない、と主張することこそ否定論なのではないのでしょうか?

例えば、ホロコーストを研究してきた歴史家たちは、一切、何の証拠もなく絶滅計画やガス室があったと主張してきたとでも言うのでしょうか? 「ユダヤ人絶滅計画」とは具体的に何であるのか? ガス室等のユダヤ人大量虐殺を示す具体的な「証拠」とは何であるのか?についての議論は必要です。上の引用直後に述べられている「証言」ももちろん証拠の一つであるのに、まるで証言は一切証拠にならないとでも言いたいかのようにそれを証拠とは別に置く論法は、歴史修正主義者がしばしばダブルスタンダード的に使う手法(否定論に有利に働く証言を「なかった論」の証拠として採用する)ではありますが、それはさておき、その証言も含めて歴史家たちはさまざまな証拠となり得る材料を用いて歴史を調査研究し、論じ、記述してきたのです。歴史研究者たちは決して空想小説家ではありません。

確かに、何が証拠で何が証拠にならないかについての吟味は必要です。後述されると思いますが、ホロコーストに関連する嘘や誤った信頼性のない証言は存在しますし、文書資料などへの誤解など、歴史研究に誤りがないわけではありません。

とは言え、「証拠は何もない」と主張することは、歴史研究者たちが全て誤りであると主張することと同義であり、否定に他ならないでしょう。西岡はこのように平然と矛盾したことを述べるので、西岡の弁を借りれば、西岡の主張は「信じることもできないことは、はっきり言っておかねばなりません」。

さて、西岡はこの「はじめに」の最後で以下のように述べています。

ですから、私は、ただ不合理を指摘し、疑問を投げかけるだけですが、それは、私が、皆さん一人一人に、この問題を自分の頭で考えて頂きたいからに他なりません。皆さんに自分の頭で考えて頂くという部分が残らなければ、この本を書くことには意味がないとすら思うからです。

「自分の頭で考えてみてください」は、陰謀論系の人の主張に特徴的なセリフで、しばしば様々な反陰謀論系の人に批判、あるいは揶揄されています。このセリフは要するに、私が考えた通りに他の人も同じ結論に辿り着くはずだ、という意味になっているからです。同意を強制していると言っていいかもしれません。

しかし、「自分の頭で考え」ない人は存在しないのです。その意味で言えば、「自分の頭で考えろ」という人は、人を馬鹿にしてるとさえ言えます。私は否定論と延々取り組んできましたが、一度たりとも否定論を正しいと思ったことはありません。反否定論の記事しか読まなかったから? いいえ、私はいくつかの記事だけとは言え、修正主義者の論文ですら自分で翻訳して公開してます。こないだ翻訳を全面修正したばかりの否定派のバイブルである『600万人は本当に死んだのか?』は何日もかけて翻訳するほど手間かけてます(笑)

他にも「自分の頭で考えろ」論法は色々と酷いのですが、これ以上は釈迦に説法、読者の皆様に失礼かと思いますのでやめておきます。あとは読者様皆様ご自身で考えてみてください(笑)

第1章:徹底的に「印象」で判断する理由は何?

「印象操作だ!」は、かつての日本国総理大臣で奈良県で選挙応援演説中に殺されてしまった故安倍晋三氏が国会予算委員会でしばしば述べていた台詞として有名です。

印象操作自体は誰もが会話の中で普段よく使うと思います。「あの人普段は良い人みたいなんだけど、裏ではさぁ…」みたいなこと、言ったり聞いたりしたことはあるかと思います。あるいは私たちは例えば「就職の面接では印象が大事だから」のように、印象で判断される場合が世間では多いことを知っています。印象って、人が何かを判断しなければならない時に、判断を簡単にする一つの方法ではあります。その就職面接で、だらしない格好や不遜な態度をする人はその印象のみで却下すれば良いわけですし、常識的にあり得ないからです。

ですが、その印象で判断することが必ずしも正しくない場合があります。面接で大遅刻をしてきた人が、偶然に採用されて大成功を収める、なんてな話もないわけではありません。そのようなことが実際にあるので、印象だけに捉われすぎるのもまた問題ではあるのですが、しかし、日常生活では印象が大事なことが多いのもまた事実です。普段に比べて客数が異常に多いように見えるスーパーは、きっと特売でもやってるに違いないのです。しかし「特売!」と書かれた値札が多いのにそれほど客が多いわけでもないスーパーには、きっと品質が悪いとか、実際にはそれほど安くないとか、などもあったりするわけです。

さて、ホロコースト否定論者は、この「印象」にめちゃくちゃ拘ります。アウシュヴィッツ収容所のプール等の話はその代表例です。

死の収容所と言われているアウシュヴィッツ収容所に、遊泳プールがあったり、サッカーを楽しんでいたり、映画館があったり、オーケストラがあったり、図書館があったり、幼稚園や病院まであったり、結婚した囚人までいたり、3000件もの出産があったり、その他諸々、全然「死の収容所」の印象なんかねーじゃねーか!と言うわけです。半分くらいは否定派が嘘を混ぜているわけですが、嘘でない部分もちゃんと事実を語ってはいなかったり、実態は酷いものではあるのですが、とにかく否定派は印象にこだわるのです。西岡もその例外ではありません。

西岡も印象にこだわる傾向が非常に強いことは、第1章の冒頭からはっきりしています。

はじめに、自己紹介をさせて頂こうと思います。私は、内科の医者であり、政治的には「右」でも「左」でもない無党派の一人です。生まれたのは一九五六年ですから、全共闘世代よりは下の年代です。その私がこの本を書く切っ掛けとなった成る事件のことから、話を始めたいと思います。

そのように述べることで、西岡自身は読者に自身はネオナチや極右的な思想の持ち主ではないと印象付けておきたいのでしょう。ネオナチや極右だと思われたら、自分の言ってることを信用してもらえないとでも思ったからでしょうか。私はそれって姑息だと思います。私自身は、ネオナチや極右はもちろんそのレッテル通りほとんどのことは信用できませんが、しかし何から何まで全て信用できないとまでは思いません。ホロコースト否定派だってたまにはまともな主張もします。大事なことは言ってることの中身であって、その主張者の属性が関係ない場合もあるのです。西岡氏だってその例外ではありません。

さて、西岡は第1章でマルコポーロ事件のことや、自分はナチスドイツがユダヤ人迫害を行った歴史は否定しないが、絶滅計画やガス室は信じられないと、などと述べた後、「疑いを投じた最初の歴史家は反ナチ・レジスタンスの英雄」とタイトルされた項目で、戦後最初のホロコースト否定論者として知られるフランスのポール・ラッシニエについて長々と語り始めます。曰くラッシニエは、戦時中ナチスドイツに反抗するレジスタンス活動をしていて、ブーヘンヴァルト強制収容所にまで投獄された人物であり、左翼的な人物だったのに、ホロコーストやガス室にそんな人物が疑問を投げかけたのだと述べて、その意外性を読者に印象付けようとします。ホロコースト否定はネオナチらが言ってるだけだ、と世間的に思われていると考えたからでしょう。

ところが、西岡によるその印象付け自体が誤りだったりします。ラッシニエは決して左翼的なだけだったわけではなく、彼は反ユダヤ主義者とみなされており、右翼とも関係していました。このラッシニエについては、フランスの反歴史修正主義サイトであるPHDN(Pratique de l’Histoire
et Dévoiements Négationnistes(歴史の実践と否定主義の逸脱))に非常に詳しい解説記事があるのでいずれ翻訳紹介しようと思っていますが、今回は英語Wikipediaから翻訳引用します。

ポール・ラッシニエ(1906年3月18日 - 1967年7月28日)は、「ホロコースト否定の父」とされる政治活動家、作家である[1]。 ブッヘンヴァルトとミッテルバウ=ドラ強制収容所を生き延びたフランスのレジスタンスメンバーでもある。ジャーナリスト、編集者として、政治や経済をテーマに何百もの記事を書いた。
<中略>
1949-1967: 著者
<中略>
また、1961年には、彼は『The Lie』の第3版を中心に構築されたドイツの12都市の講演ツアーで彼が行ったスピーチのアンソロジーである『Ulysses Betrayed By His Own』で以前のテーマに戻った。このツアーは、元SS将校でヨーゼフ・ゲッベルスの宣伝マンであったカール・ハインツ・プリースター(かつてはアメリカの諜報部員)によって後援されていた[21]。プリーターは右翼団体ドイチェ・ライヒスパルタイの組織者の一人であり、モーリス・バルデシュのような右翼活動家との付き合いが増えたこともあって、ラッシニエを「反ユダヤ主義者としてしばしば批判される作家ルイ=フェルディナン・セリーヌの精神的一族に属する」と述べたオルガ・ヴォルマー=ミゴのような人々から反ユダヤ主義者として非難されるようになった[22]。
<中略>
また1964年には、フランスの共産主義者マリー=クロード・ヴァイヤント=クチュリエが起こした名誉毀損訴訟の過程で、ラッシニエがジャン=ポール・ベルモンという名で極右雑誌『リバロール』に記事を書いていたことが明らかになり[28]、彼はアナーキストとの接触の多くを絶たざるを得なくなった。
<中略>
1965年から1967年までラッシニエは執筆を続け、最後の連載「石油のための第三次世界大戦」は1967年7月から8月にかけて『Défense de l'Occident』に掲載された[要出典][30]。彼の最後の著書である『第二次世界大戦の責任者たち』の中で、ラッシニエは戦争勃発に対するユダヤ人の責任を立証しようとしている[31][32]。 

Wikipedia

ではラッシニエは具体的にどのような主張を行っていたのでしょうか? ラッシニエの主張の内容に関しては、以前に翻訳したヴァンペルト報告書の中に記載されているので、ご覧いただきたいと思います。

ラッシニエの主張はこれだけを読んでも無茶苦茶であることがわかります。結局はその内容をしっかり吟味しなければならず、元共産主義者でレジスタンスであり反ナチの人であった、のような印象(西岡はその印象すら誤っていますが)で判断すべきではないのです。

そして以降何人か別の人についても述べた後(述べられている中でロジェ・ガロディの件は有名な事例です)で、アーノ・メイヤーデビッド・コールの名前を挙げて彼らがユダヤ人であることを強調し、またしても西岡は印象操作を行おうとします。繰り返しますが、大事なことはその主張の中身それ自体です。彼らの属性が何であれ、そんなことは関係ないのです。アーノ・メイヤーについては以下を。高名な歴史学者ではあったようですが、彼はホロコーストには詳しくはありませんでした。

デヴィッド・コールは1990年代前半にアウシュヴィッツ博物館を訪れてフランチシェク・ピーパーにインタビューしたりしたビデオを作成した人物ですが、これもまた以下を参照してください。

ユダヤ人なら現在ガザ地区侵攻中のイスラエルを支持するのかと言えば、そうでないユダヤ人も多いことはよく知られていると思います。それと同様に、ホロコースト否定に同調するユダヤ人だっているってだけの話です。おそらく、ユダヤ人を対象にアンケート調査を行ったら、少なくとも数%程度はホロコーストに否定的だという結果が出るのではないでしょうか。そんな調査はないので事実は分かりませんが、しかし現実はそんなものなのです。イスラエルのテルアビブ大学にはユダヤ人の起源にすら否定的な見解を表明する学者がいるそうです。

さて、西岡は第1章でこんなことを述べています。

もう一つ重要なのは、私が記事の中で言及したポーランド政府の反応です。これも後で触れますが、私が記事の中で、アウシュヴィッツの「ガス室」は、ポーランドの共産主義政権かソ連が捏造したもの、と断定したにも拘らず、ポーランド大使館(政府)は何故か全く沈黙し、抗議そのものをしていないのです。一体何故、「ガス室を捏造した」と名指しされたポーランド政府は、抗議も反論もしなかったのでしょうか?

マルコポーロ事件当時、西岡論文が出てすぐにマルコポーロは廃刊になったので、西岡論文へのマルコポーロ上での反論記事は存在し得なかったのですが、抗議活動を行ったサイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)は、反ユダヤ主義監視団体であり、抗議することが先ずはお仕事だったりするのだと思います。SWCは当時、抗議活動を行うと同時に、何人かが日本に来て文藝春秋社社員に対し、ホロコーストの講義を行ったそうです。お前らもっとホロコーストをちゃんと学べ、と。そしたらくだらねぇ否定論記事なんか載せようと思わないだろう、ってな感じだったのではないでしょうか。私個人はこうしたSWCの態度は余計なお世話だとは思いますが、江川紹子氏らが当時、廃刊などせず検証記事を載せるべきだった、と主張したのですけれど、検証記事なんか載せたって大して部数も伸びなかったと思うので無意味だったんじゃないかと思います。後、当時、割とすぐにティル・バスティアンの『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』などの反論本も出ています。私はこの本はあまり評価していない(但し、本の後半の大半を占める日本人による後書は色々と参考になります)のですけど。

で、ポーランド政府による抗議がなかったって話ですけれど、アウシュヴィッツの第一ガス室の捏造話は当時それなりに欧米でも話題になっていた話でして、日本みたいな極東の片隅の国での小さな騒ぎにいちいち反応しなかっただけなのではないでしょうか? 欧米では当時はホロコースト否定は社会問題化していた訳ですから。西岡はその実情を知っていたと思いますし、自分のことを買い被りしすぎだと思います。とりあえずは、またやりますが第一ガス室の捏造話については以下を。

では、続きはまたいずれ。

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