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緊急掲載:雑誌プログレッシブの1949.2号にあった問題記事の翻訳。「1370人って何の話だ?」

※初投稿時以降の追記あり:
その後もやりとりしていて、どうもこれとは真相が違うんじゃないかという部分があります。一応それを該当箇所に「追記:」しています(2021.2.17)。

以下の以前の翻訳記事で、シンプソン判事が「証拠は全くない」、書いたであろう当の本人ローデン判事が「私は書いていません」と断言したその記事を翻訳します。

一体どうして、この話が否定論者に使われるようになったか、は多分ですけど、アメリカの誰かがこの元になった記事に関する話を覚えていたから、だと思われます。つまり、ニュースになって何かで報道されたか、何かです。で、ある人を問い詰めたら、やっとある程度のことがわかりました。それが発信元かどうかまではわかりませんが、アメリカ上院議会の中で報告があったようなのです。

それはさておき。

ほんとに……信じ難いことですが、ある人の著書にある脚注に書いてある文献名が、そもそも間違っているのです。そこにはこうあります。

注13 U.S..Congressinal Report,1949,Feb.8

まさか、これが間違ってるとは普通思わないじゃないですか。これは実はこうなのです。これはその資料の上端にあるヘッダーと呼ばれる部分です。

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ある資料があって、物体(製本)としての現物自体は知りませんが、多分、普通の本のように裏表に印字されているのだと思われますけど、だから上のように、彼は脚注表記したのだと思いますが、よく見てください。「Report」ではなく「RECORD」です。しかも「SENATE」が抜けてます。

脚注表記だと、「アメリカの1949年2月8日の議会報告」としか読めませんが、実際には「1949年の議会記録―上院 2月8日」なのです。こんな間違いされたら、探しようがありません。その上さらにです。これはなんと、文献名ではないのです。

文献名は

Congressional Record (Bound Edition), Volume 95, Part 1 (January 3, 1949 to February 17, 1949)

なのです、おそらく。おそらく、というのは、私はネット経由でしか知らないからです。そこにはこのようなタイトルもあります。

95 Cong. Rec. (Bound) - Volume 95, Part 1 (January 3, 1949 to February 17, 1949)

どうしてこの文献の中の一部分だとわかるかというと、この資料にはページ番号が打ってあるからです。これの右に「957」とあるのがそれです。

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つまり、少なくとも上の脚注表記だけでは資料を探し出す事はできず、私の推定が正しければ(間違いないと思いますが)、仮に「U.S..Congressinal Report,1949,Feb.8」ではなく「U.S..Congressinal Record-SENATE,1949,February.8」と書いてあったとしても、文献名を示してはいないので、この表記に該当する文献を見つける事は直接には出来ません。

これは、Google検索を駆使して、ここにあると私が見つけたのです。

今時は、ほとんどの資料がネットで電子化されて公開されています。彼の時代にはこれはありませんでした。彼はこの文献が国会図書館にあると自著に書き、ネットでも公言しましたが、国会図書館でさえ、現代では簡単にネット上で検索できるのです。国会図書館ではしかし、見つける事はできませんでした。それを知らせると、彼は「資料をくれた知人がそう言っていた、もしかしたらアメリカかもしれない」と呆れたことを言います。本では本文中に「国会図書館にあります!」と明言しているのに、これです。

しかも、さらに恐ろしいことを言います。話の上では睾丸を破壊されたのは137人のはずなのに、「書いてあったのは1370人だったような気がする」、とまで仰るのです。そんなの絶対にあり得ません。だって、この人の示した資料にはこうとしか書いていないからです。

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もう一箇所「139」はありますが、「137」はないので、そんな読み間違えするわけがありません。そもそも139人から2人を除いた137人の話なのに、一体どうやってそんな読み間違いをするのか検討もつきません。

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追記:西岡のこの記憶はあてにならず、木村はこう書いている。
ーーーーー
そのもっとも強烈な告発はつぎのようなものである。

「われわれが調査した一九三九例のうち、二例をのぞいて、すべてのドイツ人が睾丸をけられ、治療が不可能な状態にあった」

 ただし、この引用文中の「一九三九例」に関しては「一三九」とする資料もあるので、これも「歴史見直し研究所」のウィーバーに質問したところ、かれもこの数字には確信はなくて、「一九三九」の方がミスプリではないかというだけだった。これも追跡調査が必要である。
https://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-13.html
ーーーーー
「1370」ではなく、「1939」だったそうで(元の議会記録にはそんな記述はないのでおそらく国会図書館でのコピー時にミスコピーされたのだろう)、しかも、木村は考察などしておらず、単にマーク・ウェーバーに教えてもらっただけである。そもそも、木村らの第一情報源はリチャード・ハーウッドの『600万人は本当に死んだか?』であり、そこには「139」としか書いていないし、上院議会記録には三箇所も「139」が出てくるのだから、ミスコピーは簡単にわかったはずで、木村が何をどう見たのか理解できない。西岡に至っては、「1939」が「1370」に変わってしまうのだから、滅茶苦茶。西岡は木村からもらっているコピー資料を確認もしない。何なんだ?こいつらは一体・・・。

ちなみに、木村は「追跡調査が必要だ」とこの件以外でも書いているが、いずれも後に追跡調査がなされた様子はなく、2020年12月17日、お亡くなりになられた。(追跡調査がされていたら、当該ウェブページは修正された筈である)

ほんとのほんとのそもそも論ですが、彼(或いは彼が知人と言っている人)は自分で発見したかのように言っていますが、そんなの絶対にあり得ません。こんな資料、ピンポイントで探し出せるわけがありません。何日図書館に閉じこもっても絶対に出来ません。例え、プログレッシブのネタを知っていたとしても、一体どうして議会記録を探そうと思いますか? そんな発想ができる訳がありません。出来たとしたところで、議会記録は量が膨大で、読み切れるはずがありません。どこに掲載されているかをほぼピンポイントで知っていて初めて可能な作業です。

でも、それもないでしょう。彼(或いは彼が知人と言っている人)は、ただ誰かからその資料をもらったのです。そして、図書館にあった、とだけ聞いたのです。IHR当たりの誰かなら、否定派同士は交流しているので、いとも簡単に入手できたはずです。向こうから渡してきたに違いありません。そして、事情を知らないと強弁している彼自身も「どこの資料?」「ああ、それは多分国会図書館にもあるだろう」くらいにしか話を聞いておらず、適当に本文でそう書いただけに違いありません

追記:これは私の誤った推測で、その後、国会図書館に米国議会記録が存在することを確認できましたから、木村は国会図書館に本当に赴いて、資料をコピーしてきたのです。ただし、「睾丸破壊」の元ネタが議会記録に載っていると教えたのはIHRのマーク・ウェーバーでしょう。そうした情報が存在しなければ、議会記録を探し出せるわけがありません。でも、どうして国会図書館に米国議会記録が存在することを木村が知り得たのかは謎です。木村は一応、私のような素人とは違い、元日本テレビ社員のジャーナリストなので、それなりの知識や経験があったからだとは思いますが。

ほんとに、彼の出鱈目ぶりには、呆れを超えて、理解不能です。私が彼としようと思っていたのは冒頭のnote記事の話ですが、話がそこまで辿り着かないのです。私のTwitterのフォロワーが、たまたま彼(N)と議論しているツイートが流れてきて、Nが自分のブログ記事を示し、これを読めと。で、それを私が読んで、そこに137人の睾丸の話が書いてあったから、やめときゃいいのに絡んじゃったのが大失態。前も本論に辿り着かなかった(笑)

それにしても、大事な脚注でいい加減なこと書くって、どういう神経してるんですかね? 脚注の文献紹介って要するに自説の根拠ですよ? でも、どういう訳だか歴史修正主義者はこれをするようなのです。こちらをご覧ください。これもなかなか酷いですが、一応は大学教授なのでまだマシな方ですが似たようなものです。常識的には、日本語で「イエール大学所蔵のベイツ関連文書として保管されていた資料の中から発見したもの。記事の切り抜きであるので新聞名等掲載元は不明である」と書けばいいのにね。

で、やっと本題。資料蒐集家のデヴィッド・アーヴィングが元資料をちゃんと見つけている(元々の発見者は別の人のようである)ので、そこから、137人の睾丸の話についての元ネタを以下で翻訳しておきます。

なお、この話はマルメディ虐殺事件が発端です。簡単に言えば、アメリカ人捕虜がドイツ軍に虐殺されたっぽいので、アメリカ軍がこの件に関わったドイツ軍捕虜を虐待した、という話です。具体的な細かい内容は知りませんが、アメリカ軍人が虐殺されたので、ドイツ人捕虜に復讐心が働いても別に不思議はありません。ホロコースト否定派は「米軍は拷問をしていた!(が故に証言は信用できない)」などとこれをルドルフ・ヘスの時と同様に、否定ネタに使うのですが、正直、意味がわかりません。

なお、後でも先でもどっちでもいいので、この記事を読む方は、必ず、冒頭のnote記事に目を通しておいてくださいね。誤解しないよう(笑)

▼翻訳記事▼

プログレッシブ紙、1949年2月号、p.21fより

ドイツでのアメリカの残虐行為

エドワード・L・バン・ローデン判事

I

(註:この「I」だけがアーヴィングサイトの掲載記事から抜けていたので補った)

ドイツのダッハウにあるアメリカの裁判所の捜査官は、自白を得るために次のような方法を使っていた。殴打と残忍な蹴り、歯を打ち抜いたり、顎を折ったり、模擬裁判、孤独な監禁、司祭の振りをして、非常に限られた配給、精神的な剥奪、無罪放免の約束、これらの第三級の方法に関する苦情は、昨年の春、ケネス・ロイヤル陸軍長官によって受け取られた(1948年)。

ロイヤルは、テキサス最高裁判所のゴードン・シンプソン判事と私をドイツに派遣し、報告書を調査するよう任命した。チャールズ・ローレンス.Jr中佐の同行で、私たちはドイツのミュンヘンに行き、そこにオフィスを構え、アメリカの残虐行為についての証言を次々と聞いた。

しかし、その前に少し背景を説明しよう。去年の春、最高裁はウィリス・N・エベレット・ジュニア大佐の人身保護申請を拒否した。エベレットは非常に有能な弁護士であり 良心的で誠実な紳士である。彼は狂信者ではない。

嘆願書の中で、エベレットはドイツ人は公正な裁判を受けていないと告発した。エベレットは、ドイツ人の被告人全員が無実であるとは主張しなかったが、彼らは公正な裁判を受けていなかったので、無実と有罪を見分ける方法がなかった。

悲劇は、私たちアメリカ人の多くが、多くの汗と血を流して戦い、戦争に勝利したのに、今では「すべてのドイツ人は罰せられるべきだ」と言っていることである。我々は戦争に勝ったが、我々の一部は殺し続けたいと思っている。それは私には邪悪に思える。

もしエベレットの衝撃的な告発が真実ならば、それは永遠にアメリカ人の良心の上に残ることになるであろう。アメリカ人に対する戦争中にドイツ人による残虐行為があったという事実、あるいはアメリカ人によるドイツ人に対するアメリカ人の残虐行為があったという事実は、もし平時の残虐行為が認められなかったとしても、私たちの不名誉を少なくとも軽減することはできないだろう。

私たちの特定の任務は、エベレット大佐の告発を調べるだけでなく、139人の死刑判決のケースを調べることでしあったが、当時はまだ執行されていなかった。152人のドイツ人がすでに処刑されていた。

まだ生きていた139人の運命の男たちは、3つのグループに分類された。彼らは、ダッハウ強制収容所の犯罪への関与、アメリカ人飛行士の殺害、マルメディ虐殺への関与で告発された。私は、これらのドイツ人が裁かれた犯罪は実際に行われたと信じており、何人かのドイツ人がそれらの罪を犯したと信じていると言わせて欲しい。

しかし、戦争中や戦後に発生したすべてのドイツ人に対する無差別な憎悪によって、有罪となった者だけを罰する必要性が見えなくなってはならない。

この調査の後、すべての側と話をした後、私はドイツ国民がドイツ政府が何をしていたかを知っていたとは思えない。私は確信している。ドイツ国民は、大悪党である[ハインリッヒ]ヒムラーが強制収容所でどんな極悪非道な犯罪を犯していたのか、全く知らなかったのだ。我々が学んだ残虐行為からすると、彼はまさに悪魔の王子様だったに違いない。

しかし、ドイツ人は祖国を支持し、祖国を守る忠実な市民として戦争を戦った。

ドイツ上空の空襲で撃墜されたアメリカの飛行士の中には、ドイツの民間人に殺された者もいた。

これらのドイツ人は、イギリス人がドイツ人の飛行機が自分たちの殺人者だと感じたように、アメリカ人の飛行機が爆撃された都市にいた無防備な妻、母親、子供たちを殺した殺人者だと感じた。それが戦争である。

私はこれらの飛行士について深く感じていた。私には二人の息子が空軍にいた。ジミーはドイツで35回の任務に就き、無事に帰還した。ディックは32回の任務に就き、ついにイタリア上空で撃墜された。彼はドイツの捕虜収容所で12ヶ月間を過ごし、かなりの待遇を受けた。彼は現在、アリゾナ州の療養所で、収容所で感染した結核から回復している。

II

マルメディ大虐殺は、ブルジュの戦いで捕虜となったアメリカ人捕虜のグループが、実際に起こしたものである。しかし、これらの残虐行為は実際に起こったという主張と、当時マルメディにいた、あるいはその近くにいた74人のドイツ人によって行われたという主張を区別することはできないのであろうか?

一部の邪悪なサディスティックなドイツ人がやったからといって、我々が手を置いた全てのドイツ人は有罪であり、破壊されるべきだと言うことで正しいことをしているのか? 私は個人的にはそうは思わない。それは私が教会で学んだ考え方ではないし、あなたの教会で学んだ考え方でもない。

ロシアの主張で、アメリカは再審を拒否した。ロシアの哲学では、捜査官が被告人の有罪か無罪かを判断し、裁判官が判決を下すだけだ。私たちはロシアの無再審の公式を受け入れたが、裁判前の無罪の推定で勝ってしまった。

アメリカでは伝聞証拠の禁止は停止されていた。二人目と三人目の証言は認められたが、法務長官は伝聞証拠の価値に対して警告を発したが、特に今回のように法律の2~3年後に入手された場合には、伝聞証拠の価値は認められなかった。検察側のエリス中佐とパール中佐は、有能な証拠を入手することは困難であると主張した。パールは法廷で「難事件を解決するには 説得力のある方法を使わなければならなかった」と話した。彼は法廷で、その説得方法には「暴力や模擬裁判を含む様々な方法」が含まれていたことを認めた。さらに彼は、このような方法で得られた供述に基づいて事件が進行していると法廷に話した。

証拠として認められた供述は、最初に3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月間独房に入れられた男性から得られたものである。彼らは4つの壁の間に閉じ込められ、窓もなく、運動する機会もなかった。1日2回の食事はドアの穴から押し込まれていた。誰とも話すことは許されていなかった。彼らはその間、家族や牧師や司祭とのコミュニケーションはなかった。

この孤独な監禁は、場合によっては、準備された声明書に署名するようにドイツ人を説得するのに十分であることが証明された。これらの供述書には署名者だけでなく、しばしば他の被告人も含まれていた。

III

捜査員は被告人の頭に黒いフードを被せ、真鍮の拳で顔を殴ったり、蹴ったり、ゴムホースで殴ったりしていました。ドイツ人の被告人の多くは歯が折れていました。顎を折られた者もいました。

私たちが調査した139件の事件の中で、2人を除くすべてのドイツ人は、修復不可能なほど睾丸を蹴られていた。これはアメリカの捜査官の標準操作手順であった。

パールは、模擬裁判の使用と暴力を含む説得力のある方法を認め、裁判所が自由に証拠の重みを決めることができると言った。しかし、それはすべて証拠とされた。

ある18歳の被告は、一連の殴打を経て、口述調書を書いていた。彼らが16ページ目に到達したとき、少年は一晩監禁された。早朝、近くの独房にいたドイツ人が彼が呟くのを聞いた。「もう二度と嘘はつかない」と 看守が彼の嘘の陳述を終わらせるために来た時、ドイツ人が独房の棒にぶら下がって 死んでいるのを発見した。しかし、ドイツ人が首を吊って署名を逃れたという供述は、他の者の裁判で証拠として提出され、受理された。

サインを拒否した囚人が薄暗い部屋に連れて行かれることもあった。そこには米軍の制服を着た民間の調査員のグループが黒いテーブルの周りに座り、中央に十字架が置かれていて、助手の上には2つのロウソクが燃えていた。「あなたは今からアメリカの裁判を受けることになる」と被告人は言われた。

偽の法廷は偽の死刑判決を下した。被告人には「数日後、将軍がこの判決を承認し次第、絞首刑になるだろうが、その間にこの自白に署名してくれれば、お前を無罪にできる」と言われた。それでも署名しない者もいた。

私たちは十字架があざ笑うように使われていることにショックを受けた。

別の事件では、偽のカトリック司祭(実際には捜査官)が被告人の一人の独房に入り、彼の告白を聞き、赦免を与えた後、「捜査官がサインするように言われたものにサインしなさい」と親切に教えてくれた。そうすれば自由になれる。「たとえそれが嘘であっても、あなたが話した嘘のために、今すぐにでも赦免を与えることができます」

これらの裁判の最終報告書は ロイオール陸軍長官に引き継がれた。私が説明したような多くの事例にもかかわらず、我々は証拠を不正に入手するための一般的な共謀を発見しなかった。29件を除いて、処刑が実行されない理由は見当たらなかった。他の110件については、死刑を正当化するのに十分な証拠が他の情報源から提供されていたが、第三級裁判で得られた証拠を除いてはなかった。

私たちが減刑を勧告した29人の男性は、アメリカの基準では公正な裁判を受けていなかった。彼らのうち27人は終身刑に減刑され、そのうちの1人は10年、1人は2年半の刑期を受けることになっていた。私たちはまた、戦争犯罪事件で有罪判決を受けた他の囚人の刑期を再考するための恒久的な寛容プログラムを提案した。

ロイヤル長官は国民の良心を救ってくれた。もし彼が調査していなかったら、私たちアメリカ人は頭を抱えていただろうか? 彼は国の威信と国際的な評価を救ってくれた。

しかし、ロイヤル長官の行動にもかかわらず、アメリカ側に満足する余地はほとんどない。むしろ、我々の報告書は、暗黙のうちに、我々がまだドイツで解決すべき深刻な状況を抱えていることを明らかにしている。さらに、私たちが減刑を勧告した男性のうち5人は、私たちが報告書を提出して以来、絞首刑になっている。我々が調査に着手した139人のうち、100人は現在死んでいる。

IV

アメリカの正義の名の下に、アメリカの旗の下に残虐行為を行ったアメリカの捜査官は、無罪放免になるのである。この時点で、目指すべき目的は二つある。

・1. 死刑が減刑されておらず、まだ絞首刑になっていない囚人は、完全な司法審査を待って救われるべきである。
・2. 勝利の権能を乱用し、復讐のために司法を売春したアメリカの捜査官は、公開のプロセスで、できればアメリカ国内で暴露され、起訴されるべきである。

アメリカ人が犯したこれらの犯罪が国内で私たちによって暴露されない限り、アメリカの威信とアメリカの司法は、永久的かつ回復不可能な損害を被ることになる。私たちは、まずそれを探し出し、公に非難し、それを否認すれば、私たち自身の不正行為を部分的に償うことができる。もし敵が海外で自分たちの罪を公表するのを待っていたら、恥ずべき認め方をして頭を下げるしかない。

ペンシルベニア州出身のエドワード・L・バン・ローデン判事は、第一次世界大戦と第二次世界大戦に従軍し、後者ではヨーロッパ劇場の軍事司法課の課長として、ノルマンディー、ベルギー、ラインラント、ブルジュの戦い、アルデンヌの戦いで活躍した。1946年には現役に再配置され、ドイツでの重要な法廷裁判にいくつか参加した。1948年、ロイヤル陸軍長官は、ダッハウ戦争犯罪計画の調査を担当する臨時委員会に彼を任命した。

▲翻訳終了▲

これが、ここにそのまま掲載されているのです。よーくご覧ください、チャプター番号を示すI〜IVの記号が見えるでしょう。それがこの記事なのです。

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ですからまず、脚注はこう書かねばなりません。

Congressional Record (Bound Edition), Volume 95, Part 1 (January 3, 1949 to February 17, 1949), pp.958-959

どうして、雑誌プログレッシブの上の記事が、この議会記録に載っているかというと、この議会記録にこうあるのです。プログレッシブ記事の直前です。

 大統領、私は、後日、この問題の全体像を網羅的に説明するつもりです。しかし、このような見通しが我々の前に立ちはだかる可能性があることを証明するものとして、ドイツのアメリカ当局が行った軍事法廷による司法運営に対する具体的な告発について、改めて言及したいと思います。先週の木曜日、1月27日に上院議場に提出した上院決議39号では、これらの告発の調査を求めています。
 これらの告発は、有名なマルメディー事件で告発された74人のドイツ人の弁護人を務めたアメリカの著名な弁護士、ウィリス・N・エベレット大佐によってなされたものです。これらの告発は、ドイツのダッハウにあるアメリカの裁判所のアメリカ人調査官が、アメリカの刑務所当局によって絞首刑に処されている男性から自白を得るために、残忍で悪質なナチスの方法を使ったと述べています。
 これらの告発を受けて、ロイヤル長官は昨年春、テキサス最高裁判所のゴードン・シンプソン判事とエドワード・ヴァン・ローデン判事をこれらの裁判の調査に任命した。調査員の報告書は、ヴァン・ローデン判事が書いた最近の記事で、ザ・プログレッシブ誌2月号に掲載されており、私の発言のこの時点で記録に挿入することに満場一致の同意を求めます
 異議はなく、記事は以下のようにRECORDに掲載されるように命じられた。

(註:強調は私)

 詳しい経緯まで知ろうとすると、マルメディ事件の公聴会の資料まで辿らねばならず(優に1000ページを超えますw)、或いは、上記にあるように「昨年春」つまり、1948年の動きまで調べないといけないので、それはあまりに大変なのでしませんが、簡単に言えば、シンプソン調査委員会がダッハウの米軍の裁判が正しく行われていたかを調査していたら、1949年の1月か2月になって、プログレッシブ2月号の発行日はわかりませんが、とにかく出版されて「ドイツ人捕虜の139人中二人を除いて睾丸が修復不可能なダメージを負うほど蹴られた」と書いてあり、大騒ぎになった。他にも酷いことが色々書いてある。そこで、この問題も取り上げるべきであると、この上院議会で意見が採択され、満場一致でこの記事を議会記録に載せることとなった、というわけです。

 で、1949年4月になって開催された、マルメディ事件の公聴会になって、プログレッシブにその記事を書いたはずのローデン判事が「私はそんな記事は書いていない」と自分自身で断言した、という流れです。

 公聴会の上院議員の委員がずっこけた雰囲気が感じられますが、そんなことはともかく、この議会報告に明確に書いてあるように、これはあくまで雑誌プログレッシブの記事なのであって、公聴会記録でもなんでもありません。それを彼は「公聴録」だと言って憚らないのです。信じ難い……。

 ホロコースト否定人の皆様は、しっかり「裏付けをする」という意味が全くわかっていません。米国議会だって、プログレッシブの記事がほんとかどうかを調べるために、公聴会を開いて事実関係を確認しようとしているわけです。なのに、否定人はそんなことしません、「ここに書いてあった」でお終いです。ですから、脚注文献の明示方法もあまりにも杜撰で適当なのです。そんなの加藤氏が引用資料をトリミングしたのと一緒です。

 そのくせ、「ガス室」などについては「証拠がない!証拠見せろ!」と驚くべきダブルスタンダードを披露するのです。どうしてこんな体たらくなのか、理解不能です。最低限のことくらいちゃんとやれよなっ、ったくもー。探し出した議会記録pdfも、約100ページもあるんですよ? 彼はほんのわずかにページ数を言いましたが、信用ならないので、最初から訳して行ってちまちま調べました。

 どう思いますか? 1370人ですよ? あり得ますか?




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