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「歴史修正主義研究会」主催者であろうと推定される、ある研究者の論文の欺瞞を暴く(1)

歴史修正主義研究会とは、これのことである。この会は、どこをどう読んでも、文教大学の教育学部大学教授であった加藤一郎氏一人によるものとしか読めない。他の人の名前はどこにも出てこないからである。

唯一、関係者として登場するのは、石川裕之という人物だけである。

これ以上のことは調べていない。「石川 裕之」はこれが掲載されている論文検索サイトのCiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])に、同姓同名の人物は何人かいるようだが、おそらく関係者である石川氏の論文は見当たらない。

ともかく、加藤一郎氏は2009年頃に亡くなられているようだが、氏が一人で作ったと思しき、歴史修正主義研究会にある大量の海外リビジョニストによる翻訳記事(若干、加藤一郎氏自身によるものもある)は、日本のネット論者には頻繁に利用されているようである。私が以前から問題視しているYoutubeにあるホロコースト否認動画をアップしている加藤継志と言う人物が利用しているのも、その多くが歴史修正主義研究会の翻訳記事であるようだ(ようだ、と言うのは動画の説明欄に書いてあるからである。あんなのとてもじゃないけど全部見る気は全く起こらない)。もう一つの私が馬鹿サイトと呼ぶここも、その大半の根拠論文を歴史修正主義研究会に依存しているようである。

そういうわけで、こうした状況から加藤一郎は実質的に日本のホロコースト否認論の影の支配者とも言える、お亡くなりになってるとは言え。しかし、加藤一郎氏が教授であったであろう時期の彼の論文が、文教大学外の出版物などにあったという事例は見つからない(CiNii調べ。「加藤一郎 文教」で検索しただけである)。

文教大学がどんな大学かよく知らないが、あるサイトによればいわゆる「Fラン大学」であるそうだ。偏見を持つべきではないが、世間は大学をランク付けする。正直、ホロコースト否認論文を、学内出版物であるとは言え、それを容認する大学というのは信じ難い。CiNiiには数えてないけどいくつもの論文が出てくるのである。ざっと見た感じ半分くらいがホロコースト否認の論文のようである。教授職の実績評価を考えれば、そんなことする神経がわからない。そりゃ、研究は自由かもしれないが、いくらなんでもホロコースト否認はない。日本の歴史研究ならニーズや仲間がいるだろうからあり得るとは思うけれど、大学教授職という括りでいえばホロコースト否認が、自身の評価を落とすだけであるという意味で「タブー」であることくらいわかったはずである。それを容認する大学も大学だ。高須と関係がある大学とも思えないし……。

で、適当にそれら加藤一郎によるホロコースト否認論文pdfを開いてみたら、「えっ?」となった。私は、あのジャン・クロード・プレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』を途中まで翻訳していたので、その箇所に何が書いてあるのかを、たまたま知っていたから、一瞬でわかったのだ。

「こ、こいつ、引用でトリミングしてやがる」と。

自説に不利になる記述をトリミングしてはならない、というのは真面目な界隈では常識だと思う。だが、歴史修正論者はしばしばこれをやる。例えばこんなのがある。何故トリミングしてはならないかというと、当たり前だと思うけど、それは読者への情報の隠蔽であり、トリミングしたら何が隠蔽されているのか読者には見えず、客観的な判断が出来なくなるからである。

こうした引用の場合に、論旨の反対になる情報を読者に提示しないことが許されるケースと言うのは、よほど引用箇所から外れた箇所にある「不利な情報」程度だろう。流石にその箇所が自身が引用する箇所の直前直後にある場合にトリミングすることは悪質と言って差し支えない。外れた場所にある場合であっても、「その著書にはこうも書いてある」程度の注記をするくらいの注意力と丁寧さだってあっていいくらいだ。

しかも、今回のトリミングは情報を隠蔽するに止まらず、大事な場所をカットしてしまったので、全然違う趣旨にしか読めなくなってしまうという更に酷いトリミングでもある。したがって、二重に悪質なのだ。

では具体的なトリミング箇所を指摘しよう。

対象論文はこれである。

これの「p.97」から引用する。noteでは、引用は多重化できないので、プレサック本からの引用箇所は、---で区切ることとする。

オリジナルの第一次資料に登場する表現や単語の解釈を文字通りに解釈するのではなく,ホロコースト正史派の「暗号解読官」たちだけが恣意的に解釈することが許されているのは,歴史学のなかでも,伝統的ホロコースト史学だけであろう.
これに対して,プレサックは,こうした伝統的ホロコースト史学の土台となっている「コード言語」説を手厳しく批判している.
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ある歴史家たちは,第三帝国の犯罪的側面は「カモフラージュ」的手段を使って実行されたという考え方を利用して,まったく正当化できないような一般化を行なっても,それには根拠があると自説を正当化してきたようである.このような歴史家たちは,「カモフラージュ」説を使って,乏しい知識を確実なことにしてしまうことができ,混乱した思考を介して,事態をいっそう混乱させてしまった.疑いのある施設は,「カモフラージュ」説を介して,「犯罪的という烙印」を押された.シャワー室や害虫駆除・殺菌消毒
ガス室は,殺人ガス室のカモフラージュであるというのである.もしも,発見された資料が,この疑いのある施設が実際に,その所定の目的で,正常に使用されていたことを証明すると,「カモフラージュ」説の第二の局面が姿を現した.すなわち,「コード言語」説であり,ある研究書では,欠くことのできない要素となった.この説によると,正常さえも無知であるがゆえに,安易な方法の採用を許してきたからである.「カモフラージュ・コード言語」説は,さらに,第三の説,すなわち,三部作の最後,「秘密」説で補強さしているので,「コード言語」で書かれているはずであるというのである.だから,ビルケナウ焼却棟ⅡとⅢの死体安置室 1 は,殺人ガス室の機能を果たしていた,死体安置室 2 は 脱衣室の機能を果たしていた,とそれぞれ「解読される」というのである(「死体安置室 3」は,もしもまったく明瞭な呼称を持つ部屋に分割されなかったとしたならば,どのように解読されるのであろうか).このような歴史学の「方法論」は,それが無知であるがゆえにますます頑迷となり,客観的な研究の前に立ちはだかってきた.なぜならば,その施設の年代的進化,建築学的進化,ひいては,実際の建物の配置についてさえも無知であるがゆえに,安易な方法の採用を許してきたからである.「カモフラージュ・コード言語」説は,さらに,第三の説,すなわち,三部作の最後,「秘密」説で補強される.その説を使えば,自分自身の知識が欠けている理由を,犯罪を行なったとされる人々が「秘密裏」にそれを行なったからであると非難することで説明できるからである.13)
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さすが、大学教授だけあって翻訳は私より優れているとは思うが、ともあれ、脚注番号が13とあるので、見てみると、

13)Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p.247.

と同論文中にある。そこで、こちらから、このページの文書写真を除いてテキスト記事部分を全訳する。加藤氏とは訳文は同じにはならないので注意されたい。また、プレサック本にあった太字箇所は太字とはせず、問題のトリミングしてはいけないと思しき部分に対応すると思われる箇所を太字とする。

▼翻訳開始▼

9月13日(月)。キルシュネックは、第10回と第1回の議論が時に白熱したことをまとめて書き上げている[資料69、69a]。 この要約の中で、彼は正式に、1942年夏の全体の設置(すなわち4つの新しいクレマトリエンの設置)について、プリュファーがコンサルタントを務めていたことを述べている。このことは以前の手紙のやり取りですでに明らかになっていたが、これほど明確に説明されたことはなかった。この報告書は、煙突の修理費用を三者で均等に分担するという「友好的な取り決め」がなされたにもかかわらず、実際にはプリュファーに有利な解決策であったので、1942年後半には良好であったプリュファーと建設管理部との関係が悪化し、むしろ悪化していたことを明らかにしている。親衛隊は、役に立たないクレマトリエンを2つ建設したこと(40万RMの無駄遣い)と、クレマトリウムIIの煙突の問題を彼のせいにしていた。

9月28日、キルシュネックはロバート・ケーラー氏に書留の書簡を送り、煙突の裏地を作るために要した費用は実際には4,500RM であり、同社は1,500 RMの債務を負っていることを発表した(つまり、ケーラーは単に栄光のためにこの仕事をしていたのであって、彼らの利益は煙に巻かれてしまったのである)。そして、まもなく最終的な説明書が送られてくるとのことであった。さらに、親衛隊はケーラーに、建設管理部が再び緊急に煙突の最新の図面を要求してきたことを伝えた(床下の管の圧密化や再ライニングに関係していると思われる)。2ヶ月前(1943年7月末から)から確実に派遣すると約束していた( PMO file BW 30/34, page 16)。

この後どうなったのか、つまり修理が行われたのかどうか、もし行われたとしてもトプフかケーラーかは不明である。もしそれが行われていたとしたら、煉瓦職人は幅50cm、高さ70cmの煙道で横になって仕事をしなければならなかったため(可能性の限界にあると思われる)、仕事は非常に困難で不愉快なものになっていたであろう。あるいは、煙道は上から届く可能性があったが、それはクレマトリウムの1階のコンクリート床の3分の1を取り壊すことを意味していたが、実際には行われていないようである。いずれにしても、作業が行われていれば、1943年10月で、かなりの期間、炉を停止しなければならなかったはずである。そのため、1943年の後半には、クレマトリウムIIは修理のために2~3ヶ月間使用できなくなっていた。クレマトリウムIIIの煙突はKr IIと同じデザインであるが、同様の問題が発生したかどうかは不明であり、また、利用可能なファイルにはこの件について何も書かれていないため、そのクレマトリウムがしばらくの間閉鎖された原因となったのだと思われる。クレマトリウム IVの突然の恒久的な閉鎖、Vの漸進的な閉鎖、II の一時的な閉鎖は、1943年3月から10月末までの4つのクレマトリエンのコークス供給量の数値と再び一致しており、この数値は、II/III 型のクレマトリウムを1つのクレマトリウムをフル稼働させておくのに十分なだけの平均率を示している。

1943年9月下旬から10月上旬にかけて、フータはクレマトリエンIIとIIIのレギュラー化図面を作成した。最初のシート12(現在は不明)は9月20日に描かれ、その後21日13a、23日14a、24日15、そして最後に10月9日に描かれた。16a [これらの図面は別紙を参照]。

1943年11月2日、フータはクレマトリエンIIとIIIの最終的な仕事の収支報告書を建設管理部に送った。翌日、建設管理部はこれらの収支報告書を補完するために、プロジェクト109[7015/IV]の13、14、15、16の図面のコピー3部を含む書留小包を送ってきた。

11月6日、収容所司令官ヘスとビショフ(シレジア・武装SSと警察の建設検査官長に任命され、アウシュヴィッツ・建設部の長としてSS中尉ヴェルナー・ヨーターン(建築技術者)に交代したばかりの人物)との間の会話の後に カマン親衛隊軍曹(園芸担当と写真家)がバウライツンのために書いた手紙で、収容所の農業部門の責任者であるヨアヒム・シーザー親衛隊少佐がクレマトリエンIIとIII(IとIIと呼ばれている)を囲むために様々な木を供給するように要請した[資料70]。 この緑の輪(外周)は、長い間誤って考えられていたように、クレマトリウムの敷地をカモフラージュするためというよりも、より快適に見えるようにするためのものであった。実際に植えられたもの(各クレマトリウムのために計画された300本の木と500本の茂みとは対照的に)と、建物と周囲の有刺鉄線フェンスの間の中途半端な場所に植えられたことから判断すると[資料71]、その目的は明らかに、収容所全体で知られている犯罪行為を隠そうとするよりも、田舎の落ち着いた装飾で将来の犠牲者を安心させることにあったのである。さらに、植物が不足していたために、計画の実施は非常に遅く(1944年)、非常に細いリングに限定され、ほとんど見えず[資料72]、不完全[資料73]であった。クレマトリウムIIの北側の庭に小さな木(幹の直径が1945年には5cm以下になっていた[資料71])を植え、正式な庭園を作った。1944年8月25日の航空写真には完全に見えており、解放[資料74]で無傷で発見された。

この手紙は、伝統的な歴史家がよく引用するもので、火葬場施設の「Tarnung /カモフラージュ」の神話の基礎となっている。第三帝国の最も犯罪的な側面が実行された手段を「カモフラージュ」するという概念のおかげで、ある歴史家たちは、まったく不当な一般化を行う権限があると考えているようだ。「カモフラージュ」を使うことで、乏しい知識を確実なものに置き換え、混乱した思考で危険をもたらすことになった。「カモフラージュ」の導入により、怪しい設置物が「犯罪」とされた。シャワールーム、或いは消毒用ガス室がカモフラージュされた殺人ガス室だったりするのだ。 もし発見された書類が、怪しい設置物が実際にそこに書いてある通り普通に使用されていたことを証明されてしまうと、今度は「カモフラージュ」の第二の側面である「コード言語説」が登場し、ある種の著作では不可欠な補完物となる。この考え方によると、通常の使用について言及している文書は、「カモフラージュ」された場所について言及しているため、「コード言語」が使用されている必要があることになる。したがって、ビルケナウの火葬場施設IIとIIIの「Leichenkeller 1」[死体貯蔵室1]という語は、殺人ガス室の機能を「コード言語化」しており、「Leichenkeller 2」は脱衣室の機能を「コード言語化」していたのである(残念ながら、完全に明確に指定された部屋に分割されていなければ、「Leichenkeller 3」は何をコード言語化していたのだろうかと思う)。この歴史的な「方法論」は、正確な事実を知ろうとしなくていいのでさらに強硬であり、客観的な研究の妨げとなっていた。なぜならば、年代的、建築的な進化、あるいは前提条件の実際的な配置についてさえ知る必要がなく、安易な方法をとっていたからである。「カモフラージュ・コード言語化」の理論は、3部作の最後を飾る第3の概念、「秘密」によってさらに強化された。これによって、糾弾されるべき人々が実践しているとされる「秘密」を非難することで、自分の知識の欠落を隠すことが可能になった。 実際にはユダヤ人の絶滅は公然の秘密であり、1943年から44年にかけて、昼間にアウシュビッツ駅を通過する列車の乗客は、ユダヤ人がどこで処刑されているかをよく見ようと窓に群がっていたし、夜にはビルケナウの外周フェンスの1000個のランプが鮮やかに照らされているのを見た。彼らが知らなかった、そしてこれが唯一の「秘密」だったのは、SSが用いた方法だった。

▲翻訳終了▲

多少、私の翻訳が不完全なためか、分かりにくいかもしれないので、私なりの解説をすると、プレサックがここで言っているのは、プレサック自身の仮説に対する説明であり、従来の説に対する反論でもある。何の説についてかというと、ビルケナウのクレマトリウムの周辺に設置された植樹(を示す文書)の目的に関する解釈である。従来の説ではプレサック曰く、それら植樹目的は「火葬場施設の「Tarnung /カモフラージュ」」だったと言う。プレサックはしかし、その説を採らず、「収容所全体で知られている犯罪行為を隠そうとするよりも、田舎の落ち着いた装飾で将来の犠牲者を安心させることにあった」としたのである。

そのようにプレサックは解釈した上で、従来説がなぜ誤りなのかについて、説明している。従来説は、いわゆる「コード言語説」に代表されるように、別の何かで置き換えて説明するように(例えば「ユダヤ人処刑」を「特別処置」と言い換える、など)としてカモフラージュして隠すという説を頻繁に採用する。そして、従来の歴史家たちは、ビルケナウのクレマトリウムの図面にある「Leichenkeller」(死体安置室)を「殺人ガス室」をコード言語化して隠したのであろう、と主張していると、プレサックは主張しているのである。

しかし、私自身はプレサックのこの考え方は誤りだと思う。従来の歴史家たち(この本が発表された1989年当時を知らないので私の推測だと断っておくが)は、単純にそこは証言・文書資料などで殺人ガス室と判明している以上、図面などにLeichenkellerとあるのはウソだと見做しているだけであっただろう(注:Leichenkellerは元々はその通りLeichenkellerであり、建設後期に殺人ガス室(または脱衣室)に目的変更されたものだと読み解いたのは、もちろんプレサックの功績である)。だから、Leichenkeller3(当初の図面にあっただけで後期の図面からは消えているが)はコード言語化されずに死体安置室とそのまま解釈されても別に構わない筈。それに実際に例えばアウシュビッツ1にあった最初のガス室について、元々はそこがLeichenkellerだったことを否定する歴史家はいない。プレサック説を採るなら極端に言ってLeichenkellerはその意味ではナチス収容所のどこにも存在しないことになってしまうだろう。歴史家たちは別に、あるコード言語は「必ず真の目的語に変換されねばならない」と主張しているわけではない。

プレサックは「この歴史的な「方法論」は、正確な事実を知ろうとしなくていいのでさらに強硬であり、客観的な研究の妨げとなっていた」と超上から目線で述べているように、要するに傲慢なのである(アウシュヴィッツ研究家のヴァン・ペルトもそう言っている)。プレサックの研究成果は素晴らしいものだとして認めるべきだが、だからと言ってこうした傲慢さは認めていいものではない。

付け加えると、確かにこの植樹に関しては、プレサック説である「収容所全体で知られている犯罪行為を隠そうとするよりも、田舎の落ち着いた装飾で将来の犠牲者を安心させることにあった」は尤もらしい説かもしれないが、別にそれが正しいとプレサックは証明はしていない。プレサックは、「 実際にはユダヤ人の絶滅は公然の秘密」と述べているが、それも別に証明されてはいないし、むしろ事実に反していると言うしかないだろう。ナチスドイツはユダヤ人強制移送者に対しては再定住だのなんだのとユダヤ人を騙してアウシュヴィッツに強制移送したのだし、ガス室に入れるまでに「脱いだ服をかけたフックの番号を忘れるな」などと犠牲者を徹底的に騙していた。したがって、植樹に対する解釈は「安心させてそこがガス室だとは思わせないようにした」と言う意味でやはり従来説通りカモフラージュ目的だったとするのが余程妥当であると思われる。

つまりは、この植樹に関するプレサック論は誤りなのである。その誤った部分をわざわざ前後をトリミングして、「プレサックもコード言語説を否定しているぞ」と加藤一郎氏は言っているのである。しかし、加藤氏はプレサックの説を肯定せず、きちんと丁寧に解釈して誤っていることを読み解くべきだったのである。もちろん、これは私の解釈があっているとすれば、の話ではあるが、それはこの私の論説を読む読者が判断することであろう。

さらに付け加えると、冒頭で述べたように、どうしてプレサックはこの誤った解説をするに至ったかを、加藤氏は引用のトリミングをすることによって読み解けないようにしてしまっている。プレサックは自説の正しさを主張したいがために、傲慢にも従前の歴史家たちは誤っていると主張しただけである。しかし、上記のような解釈は、そんなトリミングをされては不可能である。

ではここで、加藤氏が紹介していない、加藤論文の読者にはその存在すらわからないようにしている、「伝統的な歴史家によってしばしば引用されるこの手紙」を紹介する(資料70)。

▼翻訳開始▼

資料70
PMOファイルBW 30/34、14ページ及びヘス裁判第11巻付属書7

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翻訳:

1943年11月6日
39533/43/Kam/J

件名:捕虜収容所内のクレマトリエンI[II]とII[III]のための緑の外周の確立のための植物材料の納入
参照:収容所司令官SS中佐ヘスとSSビショフ少佐の会話
別紙: -

農業サービスの責任者
SS少佐(スペシャリスト)シーザー
KL アウシュビッツ、アッパーシレジア

収容所司令官ヘスSS中佐の命令により、捕虜収容所のクレマトリエンI[II]とII[III]には緑の外周が与えられ、収容所の他の部分と自然に分離されることになっている。

この措置を実施するためには、森林資源から採取する以下の材料が必要である。

落葉樹200本 高さ3.5m
落葉樹100本 1½ 〜4mの高さ
300本のトウヒと松の木 1 ½ 〜4mの高さ
1000本の茂み 1〜2 ½ mの高さ

種苗場から 

これらの植物を私たちに提供して欲しい。

アウシュヴィッツ・武装SSと警察の責任者
中央工事管理
[イニシャル] ヨータン
親衛隊中尉

配布先:
1 SS少尉(S)デジャコ
1 SS少佐ビショフ
1 SS軍曹カマン

▲翻訳終了▲

要するに、プレサックが述べているのはこの文書の解釈に関する論述なのである。そしてその解釈は(私の解釈では)誤りである。しかも、加藤氏は意図的にトリミングしたとしか思えないが、後半でトリミングされた「実際にはユダヤ人の絶滅は公然の秘密であり」以降の部分がないと、なぜプレサックがそのように述べたのかについて、判然としなくなってしまう。彼が植樹は将来の犠牲者の心の平安のためであり、カモフラージュ、即ちガス室を隠す目的ではなかったと解釈したのは、ユダヤ人たちが「殺されるのを知っていたからだ」と考えたからである。彼は自分の「心の平安」説を正当化するために、従来の歴史家の解釈であるカモフラージュ説を否定したのだ。

後半のトリミングされた部分を加藤氏がトリミングしたのは、加藤氏自身がガス室殺害(ユダヤ人の絶滅)を否定しているからだとしか考えられない。加藤氏は、都合よくプレサック説の肯定できる部分だけを切り取って紹介し、都合の悪い部分を見えなくしてしまった。これは、冒頭で述べた通り引用において一番やってはいけないことである。しかしそのトリミングされた部分がなければ、プレサックがそう述べた真意はわからないのである。彼は、加藤氏が以降で述べる通り、コード言語説それ自体を否定しているわけではない。プレサックがコード言語説を否定するようなことを述べたのは、あくまでも従来の歴史家よりも自分の植樹目的説のほうが正しいと述べたかったからである。

さて、加藤氏は当該論文で以下のように述べる。

プレサックは,「カモフラージュ」説・「コード言語」説・「秘密」説にもとづく伝統的ホロコースト史学を,「まったく正当化できないような一般化を行なっても,それには根拠があると自説を正当化」すること,「乏しい知識を確実なことにしてしまうこと」,「無知であるがゆえに,安易な方法の採用を許してきた」こと,「自分自身の知識が欠けている理由を,犯罪を行なったとされる人々が『秘密裏』にそれを行なったからであると非難すること」と痛烈に批判しているが,この批判はきわめて説得的であり,ホロコースト修正主義の立場から見ても,非の打ち所がない.事実,彼は『技術と作動』の中で「12 月 17 日,収容所ゲシュタポは保安上の理由から,(作業現場 30 に 40 名から 50 名いた)民間労働者のあいだでの「特別行動」をはじめた(実際には,前日に始まっていただろう).[注意:この文脈での「特別行動」という用語は,特別なカテゴリーの人々に対するチェックと尋問を意味しており,労働適格者の選別とそれ以外の人々のガス処刑とは関係がない]」14)と述べている(ただし,彼自身は,「犯罪の痕跡」の分析の中で「ゴード言語」(注:原文ママ)説を使ってしまっているが,このことは,「コード言語」説・「カモフラージュ」説という伝統的ホロコースト史学の方法を痛烈に批判しているプレサックでさえも,ホロコースト正史の枠組みを守るためには,この方法にうったえるしかないことを示している).

しかしながら、そのプレサックの著述も誤りであることを私は述べた。「自説を正当化」しているのは実際にはプレサックの方なのである。プレサックはフォーリソンと決別する以前は修正主義者だったことが影響しているのかもしれず、それで従前の歴史家を批判的に思ったのかもしれない。しかし、その考えはヴァンペルトも言うように傲慢である。別に従来の歴史仮説をそのように上から目線で批判しなくとも、自説を仮説として述べるだけでよかった筈である。

そのプレサックの傲慢な誤った考えを肯定し、コード言語説は断じて誤りであるとだけ述べたい加藤氏のこの論文著述の動機は、当然意地でもホロコースト否定者の立場としてコード言語説を認めたくないからである。認めたら否定論は全て成り立たなくなってしまう。しかし、それならどうしてプレサック説の他のガス室肯定部分も肯定しないのか、恣意的にすぎるというしかないだろう。加藤氏は、自身が引用したプレサック説を単に否定説にとって肯定的に紹介するだけで、なぜ肯定されるのかをほとんど何も説明していない。単に否定論にとって「きわめて説得的であり,ホロコースト修正主義の立場から見ても,非の打ち所がない」と感想を述べているだけである。それで大学教授と言えるのか? 私は疑問だ。

引き続き、次回は加藤一郎氏による他の論文を批判する。以上。

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